タイラントは半ば嬉々として語っていた。村では金の目が好まれたこと。貴族の間では青い目にうっとりされたこと。訪れる場所それぞれで彼は布で覆う目を変えた、と言う。シェイティはそれを聞くともなしに聞いていた。 「ま、それはそれとしてね。て言うか、聞いてた?」 ようやく話がそれていることに気づいたのだろう、タイラントはシェイティを覗き込む。いつの間にか彼は草の上に腰を下ろしていた。いっそう、小さく見える。 「聞いてたよ」 シェイティは言い、そっと口の中でたぶんね、と付け足す。タイラントにそれは聞こえなかったのだろう、竜は首をそらして話を続けた。 「私ね、絶対あの魔術師を見つけるんだ」 「それは当然だね」 「そう思うだろ、君も!」 喜ばしげに言うタイラントをシェイティは不思議そうに見上げた。シェイティは、いままでこの竜が追われるままにいたことのほうがずっと信じがたい。 そして思い出す。彼は竜ではなく、姿を変えられただけの人間、それも武器を持たないのが常の吟遊詩人。 ならば反撃の手段などさして持ち合わせてはいないのだろう。それをわずかに哀れんだ。シェイティは思う。もしも自分だったならば、と。 万が一タイラントのような有様になったならば、すぐさま敵を見つけ出して討つだろう。反撃はすぐではないかもしれない。だが、決して許しはしない。 「ねぇ」 タイラントの声にシェイティは夢想を覚まされた。ゆっくりと瞬きをして竜を見上げる。 「なに」 「ん……聞いてんのかな、と思って」 「気になるんだ?」 「そりゃね、吟遊詩人だし。聴衆の意識がどっち向いてんのか気になるのは仕方ないよ」 人間ならば肩をすくめるに値する仕種を竜はした。どこか滑稽でおかしい。 「誰が聴衆?」 シェイティは眉を上げ、タイラントを見据える。竜がそれに応じて大仰に怯えたふりをするのが煩わしいような不快ではないような、不可解な気がした。 「君しかいないって」 それでもタイラントは果敢にそう言い、シェイティを窺う。相手をするのが面倒になったのだろうか。彼はもう何も言わなかった。 「絶対、人間に戻るんだ」 「ドラゴンじゃお姫様に嫌われちゃうしだろうね」 「ん。それもあるんだけどさ」 「なに、まだあるの。欲張りすぎじゃない?」 「どこがだよ! 私は歌いたいんだって」 「歌えば?」 「……この姿じゃ、誰も」 それまでの陽気さが見せかけのものであったことをシェイティは知った。タイラントはただシェイティも察していたことを言っただけ。それなのに彼を覆っていた皮が一枚はげたかのよう、そこにいるのは痛めつけられた魂だった。 「歌いたい。聴いて欲しい。みんなから喝采されて、喜んでもらって。それが私の歓びだから」 うっとりと語る竜の姿をシェイティは見上げていた。そして無言で立ち上がる。腰についた草の葉を払い落とせば立ち上る青い匂い。 「そう。じゃ、頑張ってね」 ひらり、手を振って背を返した。タイラントは彼の背中を呆然と見やる。いったい何が起こったのかわからなかった。 「ちょっと待てよ!」 「なに」 面倒だとばかり振り返った彼の目にタイラントはぞくりとする。引き止めてはいけない人間だったのかもしれない。 「手伝ってよ!」 「なんで、僕が?」 「だって……」 「見ず知らずの他人、他竜?じゃない。僕があなたを信じる理由はどこにもないし、あなた馬鹿?」 「なんだって……ッ」 「あなた、僕がもしかしたらその女魔術師の知り合いかもとか、もしかしたら手下かもとか思わないわけ? 思わないんだったら、すごい馬鹿」 淡々と言うシェイティの言葉にタイラントはぐうの音も出なかった。思わなかったわけではない、そう言い返すことはできる。彼がそれを信じるはずもなかったけれど。 何よりタイラントは一目でシェイティはあの女とは違う。そう感じていたのだった。吟遊詩人の観察眼などといえばシェイティは鼻で笑うだろう。見たこともないのに目に見えるようだった。 「助けてよ、頼むよ」 だから懇願するしかできなかった。姿を変えられる前だったならば。タイラントは忸怩たる気持ちでいた。人間だったときには、自分の歌一つ眼差し一つ一つで男も女も易々と言うことを聞いてくれたのに。そう思ってしまうことへの、恥だった。 「嫌」 にべもなくシェイティは言い、互いの道は離れたとばかり再び足を進めはじめた。タイラントは彼の小さな背中を見やる。悔しかった。竜の口がごうと吼える。 「魔術師なんか、みんな一緒だ! みんな、酷いやつらばっかだ! いつかきっと歌ってやる。このことも全部歌にしてやる。覚えてろ、シェイティ。いつかどこかで私の歌を聞くぞ。あのカロリナの名と共にな!」 ひくり、シェイティの足が止まった。ゆるりと振り返る。彼の黒い穏やかそうな目の中、不穏なものをタイラントは見た。見たように思った。 「カロリナ?」 紡ぎだされたような名に、タイラントは答えられなかった。ただ静かにうなずく。その名が、なんだと言うのか。 「……姫をさらった女魔術師の、名前だよ。言わなかったっけ?」 「――聞いてない」 むっつりと言い、シェイティはなぜかタイラントの側へと戻った。竜の体のすぐ側に立ち、見上げる。 「人相は、見たの。言いなよ、早く。大事なことでしょ。さっさと吐いて」 ようやくタイラントは気づく。これは暴言ではないだろうか。熱を持たない口ぶりのおかげでいままで見過ごしていた。 だがタイラントは怒らなかった。いま一人の魔術師が興味を持ってくれた。すなわち彼の言葉とは裏腹に、シェイティはカロリナとはかかわりを持たない、少なくとも友好的ではない魔術師だ、と言う証拠ではないだろうか。 「綺麗な金髪だった。濃い目の蜂蜜色ってやつかな。目は緑、森のような深い色をしてた、見た目は素敵だったよ。それと、あれは趣味なのかな」 「だから、なに? たらたら喋らないでよ」 「うるさいなぁ。たぶん趣味かこけおどし。――黒衣の魔導師って呼ばれてたよ。黒いローブのせいかな?」 シェイティの動きが止まった気がした。タイラントは目を瞬く。左右色違いの目で彼を見定める。シェイティは顔色ひとつ変えてはいなかった。 「見せて、前脚」 「前脚って言うな!」 「うるさい」 断ったのは体裁だけだったのだろう、恐れた気配もなくシェイティは竜の体に手を触れる。タイラントはそれを青い目で見ていた。シェイティが目を閉じる。途端に幼い顔つきになるのが面白い。 「あぁ……」 しばしの後、彼は声を上げた。何事かを納得したような声だったけれど、無論のことタイラントには何がなんだかわからない。 「なに、シェイティ?」 いまだぼんやりとしたままの彼にそっと声をかけた。聞くのが怖い、そんな気がしたせいかもしれない。 「これ、知ってる」 「それじゃわかんないよ」 「あぁ、そっか。これ……呪い。呪いそのものと言うより、魔法の感じ。知ってる」 「感じ?」 「察しなよ、馬鹿。だから僕はこのカロリナってのを知ってるかもって言ってるの、わかる?」 笑ったのだろうか、剣呑な目をしていた、シェイティは。咄嗟にタイラントは体を起こす。だがそれはただの反応だった。 「それで? 君は私を助けてくれるんだろ?」 大きな竜がシェイティを見下ろしていた。色違いの目が楽しげに細まる。不意にシェイティはそれを綺麗だな、と思う。 「なんで?」 「だって、君の顔に書いてある」 「どこ?」 真に受けたシェイティが顔を擦るのにタイラントは笑い声を上げた。人間だったときのよう華やかな声ではなかった。かすかな違和感と言う程度ではあったけれど、吟遊詩人の耳はそれを聞き取る。 「それで、シェイティ?」 「馴れ馴れしいよ、あなた」 「シェイティ様とでも呼べって?」 「そこまでは言ってない」 くっと笑った。だからきっと呼べと言うことなのかもしれない。タイラントは言うまでもなく、従うつもりなどどこにもない。 「さぁ、シェイティ。手伝ってくれるだろ」 「どうして」 「だから!」 「そうじゃなくて。あなた、本当に僕を信じるつもり? きっちり魔術師に呪われたくせに」 言いつつシェイティの声には不審があった。タイラントに対するそれではない。むしろ彼の体から自分が感じ取った別のものに対してだった。 シェイティは、タイラントがただ呪われているだけではないことを感じていた。確かに彼の中にはギアスの魔法がある。そしてそれはカロリナの魔法の色を持っていた。 魔法には固有の色がある。魔術師それぞれの癖と言い換えてもいい。優秀な魔術師ほど、自分の色を隠すことができる。だが偽装はできない。他人の色を持たせることはできないのだ。 シェイティはそれが訝しい。カロリナは、それほど不器用な魔術師ではない。少なくとも、シェイティが知る限りにおいては当代有数の使い手と言っていい。だからよけい、これ見よがしな色合いが理解できないのだ。 「――それに」 「なに? 私は君を信じるよ、シェイティ」 「調子いいね。吟遊詩人なんて、そんなもんか」 「酷いよ!」 笑い声を上げる竜をかまってはいなかった。シェイティが彼の体内に見たもの。それは呪いだけではなかった。そしてそちらの魔法は、カロリナの色をしていなかった。 「わかんないね」 ぽつりと呟き、何事かと問うタイラントに煩わしそうに首を振った。いずれにせよ、タイラント本人すらも気づいていないことだった。時が経てば明らかになる。そう思ったことですっかり同行するつもりになっていることに気づいた。 |