道は続く

 諸事情を知らない人々にとってはエリナードはいまだ美貌の青年だ。カレンとのどうこうなど関係がない、と若い女性たちに群がられている。その隙を縫って伸びてきた手。
「……師匠」
 低い声の持ち主は当然にしてカレン。会場の隅に引きずられ、どうやら先ほどの続きをしなければならないらしい。それが嫌で女性に群がられると言う苦難に耐えていたというのに。
「なんだよ?」
「……だから、さっきの」
「冗談でもなんでもねぇって言っただろうが。イメルが言ってただろ。だから、お前は俺がずっと育ててたんだ。他人に任せられるか、そんなもん」
 自らの後継者なのだから。自分が進んできた道に続く者なのだから。言うエリナードにカレンは不安そうな顔。せっかく綺麗にしているのにもったいない、口にしそうになって慌ててエリナードは飲み込んだ。
「……私で、いいんですか」
「よくなかったんだったら俺のこの何十年かはなんなんだよ? なんだ、俺は見間違えでもしたってか? お前の師匠を舐めるんじゃねぇってんだ」
 続けて行くことができるのか、本当に自分でいいのか。戸惑う気持ちはエリナードにもよくわかる。だからこそ、励ましたい。それがそんな言葉になるのは性分だった。
「カレン」
 ひょい、と顔を出したのはイメル。またもほかの三人が集まってくる。どうやら助勢をしてくれるつもりらしいがぞろぞろと賑やかなことだとエリナードは皮肉に思う。彼女は自分の弟子で後継者だ。自分がする、と言いたくなってしまうのは師の嫉妬だろうか。うちの子、僕の息子、可愛いエリィ。フェリクスの声が耳の中にこだましていた。こんなところまで同じ道を歩かなくてもいいようなものを、そう思えば笑えてしまう。
「大丈夫。ずっとエリナードはカレンをって思ってたんだから。他の誰を育てても見劣りがしちゃって困るってぼやいて――! 痛いだろ!?」
「よけーなことを言ったのはどなたでしょーね?」
「エリナード。その格好で脅すな。我々まで恐ろしい」
 いまにもイメルの襟首を締め上げんとするエリナードをミスティが笑う。それにようやくカレンが小さく笑った。
「なんだよ、ミスティのほうがよかったのか?」
「――師匠。男がちっちゃい! なんですか、それは! 私の師匠ならかっこよく立っててください!」
「つまりあれだよね、カレンってさ。エリナードはいつもかっこいいって……」
「イメル師。師匠が言いませんでしたっけ? よけいなことは言わないほうが身のためですよ?」
「……とりあえず師匠筋の人間を脅すのはやめろ、カレン。気持ちはよくわかるが」
「イメルならいいぜ。好きにしな」
「よくねーでしょ!? こう言うのは師匠が止めるもんだろうが!」
 怒鳴ってどうやらすっきりしたらしい。それをまた同僚たちが笑うものだから、どうにもよく似た師弟だと思われているに違いない。反論はしにくかったが。
「継承式、ちゃんとするんだな? いいよなー、俺らってちゃんとしてもらってないんだよな」
 魔術の師弟の継承式は一応儀式化されてはいるものの、すべてをきちんと行う師弟は多くはない。それは師の負担があまりにも大きいせいだ。自らの歩んできた道のすべてを弟子に見せるなど、精神的な負担もずいぶんとある。
「だよな。俺は追放されるときについでに名前持ってけって言われたわ」
 カレンが頭を抱えた。師の名の継承とは、そう言うものだろうか。疑いたくなる気持ちもよくよくわかるエリナードだったが、その程度でいいと思ってもいる。カレンには自分という土台を与えたいのであって、枷をつけたいわけではない。どの師もそんなことは望まない。
 カレンに名を継がせるにあたって、エリナードはようやくあの日のフェリクスの気持ちがわかったものだった。師の魔術血統を絶やす気などない、言った自分にどうでもいいと言い放ったフェリクス。やっと、わかった。
「俺はフェリクス師から伝言の遺言? なんかよくわかんない形で名乗っていいよって言われただけだしなー」
「――使える物はなんでも使えと言われた」
「戦争だったしな。まぁ、確かにリオン師の名前ってのは武器にはなるか」
「だからさ、ちゃんとした継承式してもらったのって実はミスティだけ?」
「お前ら、うちの師匠だぞ。――壮絶すぎて思い出すだけで寒気がするんだ、いまだに」
 カロルの半生を見たも同然のミスティ。なんとも言い難い顔をしていて、それでいて満足げ。イメルがはっきりと羨ましげな顔。
「あの、私は。……師匠」
「お前は女で魔術師だからな。俺の後継だからってごちゃごちゃ言われんだろうが。だったらやれることはやっといてやる」
「師匠の愛情だよねー。優しいよねー、エリナード」
 言った瞬間、イメルが崩れ落ちた。ミスティは顔を覆い、オーランドは口許を覆う。カレン一人くすくすと笑っていた。見慣れてしまったらしい。
「お前なぁ、エリナード!」
「変なこと言うお前が悪い!」
「どこがだよ!? 変じゃないだろ! 弟子を溺愛する師匠なんて、そんなの歴代全員じゃないか。だったらもううちの伝統だよ!」
「なんつー、嫌な伝統だ」
 ぼそりと言って、それでは認めたことになってしまう。思ったけれどエリナードもどうでもよくなってきた。
「ほれ、遊びに行って来い。俺の代わりに社交に勤しんで来い。俺はもうめんどくせぇ」
「エリナードもてるからなぁ。さっきも女の人たちに囲まれてただろ」
「囲まれてたんじゃない、群がられてたんだ」
「それって自慢?」
「女に囲まれてどこが嬉しいのか、自慢になるのかまず拝聴しようか、え?」
 イメルに迫りながらひらひらとエリナードは手を振る。四導師で話があると察したらしいカレンが折り目正しく一礼して歩み去る。
「ほんっと、あいつなんなんだよ。俺にはあんなちゃんとしたことねぇだろうが」
「それだけ――」
「ミスティ?」
「いや、それだけカレンはお前に甘えているのだろうな、と思っただけだ。私にはそんな態度を見せたことがなかったからな」
 だから預けた、とでも言うようなミスティ。自分ではカレンの心の奥に入ることはできなかったと認めるかのよう。エリナードは肩をすくめてやり過ごす。
「意外と頑固娘だからな、あいつ。俺が駄目男だってのを怒鳴ってそれで化けの皮がはがれたようなもん――なんだよ、結局また師匠のお蔭じゃねぇか」
 長いエリナードの溜息。誰も笑わなかった。もう星花宮の四魔導師はいない。ここにいる四人すべてがその師を失っている。
「いまでもさ、まだまだ教えてほしいことって、あるよな?」
「ないわけねぇわ。事あるごとに師匠師匠って泣き言垂れたくなる」
「お前は昔からそうだろう? なにせフェリクス師が最愛のタイラント師を横においてまで浮気をしたと言う愛弟子だ」
「おい待てミスティ」
「まぁ、冗談だが」
「お前の冗談はわかりにくいんだよ! つか、それ! 昔の噂話そのまんまじゃねぇか!?」
「師弟揃って色っぽい方向に縁があるのかないのか。意外と一途ってところも笑えるよねー」
 イメルの言葉にエリナードは声もない。意外とはなんだだの、フェリクスは間違いなく一途だっただの、言い返したかったのだけれど、ことごとくそれが自分にも当てはまってしまっては、言葉など失う以外にどうにもならない。
「本当に、似たもの親子というものだな」
「うっせぇなぁ」
「……それこそ昔の噂話だがな、エリナード。聞くか?」
 そこまで言ったならば言え、と顔を顰めるエリナードに少しばかりすまなそうなミスティ。見当がついたのだろうオーランドが肩をすくめる。
「お前が星花宮に引き取られてすぐ、だったかな。フェリクス師は最初からお前をずいぶんと可愛がっていただろう? いまならば、わかる。お前は師に続いて行く者だからだ。でもな――」
「あ、それ。俺も聞いたことあるわ。エリナードが実はフェリクス師の隠し子って話だろ?」
「はぁ!? 俺が隠し子!? 隠す意味がわかんねぇだろ。いや。あるのか?」
「一応フェリクス師にはちゃんとうちの師匠って人がいたんだし。隠す意味ならあると思うけど。でもエリナード、そこじゃないだろ!」
「いや、隠し子って言われたのにも驚いてるけどよ。見た目だって全然違うだろうが。なんでそんな話に……可愛がられてたから? それだけ? 意味わからん」
 なにがなんだか、と首を振るエリナードを同僚たちが笑う。エリナード自身、意識したことはなかったしたぶん他の三人もそうだろう。けれどこの四人の中でエリナードは一番年下だった。稀にこんな形で「可愛がられる」こともある。
「それだけお前の魔法に対する熱意がすごくて、フェリクス師は最初っからそれを知ってた見抜いてたってことなんだろうけど。そんなの他の人にはわかんなかったからじゃないのかな。親子って言われてたらしいよ」
「ぜんっぜん、知らなかったわ」
「そのあたりが親子だ、と言っているんだ、我々は。たぶんフェリクス師もご存じなかったと思う。――カレンも、だろう?」
「なんでカレンが出てくるんだよ!」
「お前が言ったじゃないか。カレンは女だ。色々言われているのが私の耳にまで届いている。でもカレンはどうだ? 聞こえていないわけではない。それなのに、気にかけてはいない。何か言っているな、程度なんだ」
「だよなぁ。あれはほんと、すごいと思う。雑音だけに酷い耳障りなはずなのにさ」
「あいつは――。ただ魔道だけを見てんだよ。赤の他人がなに言おうが自分の道だ。関係ねぇわ。カレンにとっちゃ雑音なんてその程度だ」
 エリナードもそれを知っていたからこそ、このような派手な方法で後継者の披露目をした。文句を言うならば自分が相手だとばかりに。ふと見やれば三人揃ってにやにや顔。
「なんだよ?」
 言った途端、珍しいことにオーランドが吹き出す。呆気にとられているうちにミスティとイメルまで腹を抱えて笑いだす。
「結局可愛くってしょうがないんだろ、エリナードってばさ!」
 ぬかった、と思うももう遅い。同僚たちが大笑いする中、エリナードはそっぽを向く。同盟発足五周年を祝う夜会はサキアの尽力で華やかに進んでいた。
「ほら、少しは働かないとサキアさんに悪いよ」
 ぽん、と肩を叩かれてエリナードは溜息をこらえる。働かせてくれなかったのはいったい誰だろうとばかりに。つい、と追い抜いて行ったミスティがまだ笑っていた。




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