「人口増加が原因ね」 イーサウ自由都市連盟、二代目議長サキア・ヘラルドの言だった。淡々としたこの議長がエリナードは嫌いではない。 アリルカ独立から二十年。何事もなく、とはいかなかったけれど、ひとまず無事に過ごしてきた年月だった。先ごろ、アリルカではフェリクスが悪魔召喚をしそうになった、と聞く。エリナードはその場にいたわけではないのに感じていた。途轍もない衝撃と嫌悪感。そして言うに言われぬ親愛の情。 フェリクスは「誰」を呼ぼうとしたのだろうとエリナードは思ったものだった。かつてサガと名乗っていた使い魔の子猫。二度と会わないことを願うと言ったサガ。あの悪魔が元の世界に戻るときフェリクスは言っていた。 「次に会う機会があるってことは、一応は僕も宮廷魔導師だしね。もしもサガが召喚されたんだったら討伐する側じゃない? 逆に、僕がサガを呼びだすってことはとんでもないことをしでかすときだし。そう言うことだよ」 楽しげだった師の言葉。あのときはただの冗談だった。いままでずっと冗談だった。フェリクスが悪魔召喚をするまでは。 ――師匠。呼んだのは、サガですか? またもしも召喚されたならばサガは現れたのだろうか。契約が調っていれば、現れるだろう。それが悪魔召喚だ。けれどサガは来ないような、そんな気がした。フェリクスも、サガだけは呼ばないような、そんな気もした。 真実はエリナードにはわからない。いまだにサガの正体をイメルは知らない。だからエリナードも言っていない。当然にしてイメルは悪魔を召喚しかけた、と言っただけでその悪魔が「誰」であったのかなど興味はなかった。 そのイメルがイーサウに持ち込んできたもの。フェリクスの、遺書。二度と会わないと決めて、そうしてきた師弟だった。フェリクスはまだ、生きてはいる。それでも会えない、会うことは決してない。 だからエリナードは決めた。自分で進んでいく未来を師に見せようと。アリルカの地でフェリクスはきっと見ている。イメルも他の誰もが言う。フェリクスはすでに彼ではないと。エリナードもフェリクスの抜け殻のようだと思ってはいる。それでも、まだ生きている。ならば、フェリクスは自分を見ている。その確信。 ――だったら気分よく死んでもらうのも弟子の役目ってな。 安心して死ねばいい。嘯いてエリナードは突進を開始する。それがサキアへの接近だった。このイーサウの地で魔術の華を再び開かせると。ラクルーサの宮廷魔導師団が失われて二歩も三歩も遅れてしまった魔法。この手で先に進ませる。 ――師匠。見てるんでしょ。俺は、大丈夫です。だから。 誰にも言わなかった、そんなことは。エリナードだけが知っていればいいこと。それでも少しカレンは感づいている、そんな気がしないでもない。 「あぁ、水道か」 そしてサキアと内密の協議の結果、イーサウで魔法による闘技会を開催しよう、ということになった。が、問題はある。元星花宮の魔導師たち、その弟子たち。いまもアイフェイオン一門はイーサウに暮らしている。戦時の非常事態だったからこそイーサウでは受け入れられたものの、まだ魔術師が増えるとなれば常人は心穏やかではいられない。もっとも、魔術師だから、というよりは更に人口が増える、それも戦力を持った者が増える、ということが懸念されているのであって、いまだイーサウでは魔術師忌避はないに等しい。 「あれをなんとかしていただきたいと思います。どうかしら?」 その闘技会の前段階として、サキアの提案がそれだった。サキアはいま開催に向けて暗躍している。彼女は彼女で今後のイーサウのため、魔術師と言う戦力があって悪いことは断じてない、そう判断して動いている。エリナードとまず向いている方向だけは同じだった。 ならば共闘するに限る。エリナードは魔術師忌避などはじまってもらっては困る立場だ。どうするべきか、悩むまでもない。常人がすれば時間も金もかかることを請け負えばいい。常人の仕事を奪う形になるのは論外だが、巨大な公共事業となればそもそも請け手がほとんどいない。魔術師の活躍の場だった。 「水道を直すってのは賛成しがたい。どうせだったら、感慨用水を作っちまおう」 「はい?」 「つか、人造湖だな。いまの水道の上流に、湖一個作っちまえばいいんだ。あの辺は空地だろう? ちゃんと見てねぇから断言はできないけどよ、たぶんあそこは元々湖だったはずだ」 「元々、とはいつ頃のことです。記憶にありませんが」 「あるはずねぇだろうが、お嬢さんよ。俺だって生まれてねぇわ。神人降臨前後くらいかな?」 からりと笑ったエリナードにサキアが肩をすくめる。サキアはサキアでこの無頼魔術師に慣れはじめている。 「ただ、無償でってわけにはいかねぇよ。俺はいいけどな、あんたと共闘中の身だ。でも俺がそれをすると今後の魔術師が迷惑をする」 「わかっています。問題はありませんよ。人造湖、ですか。それでイーサウの水が賄えるならば文句はありません。出すものは出しましょう」 大きな戦乱のなかった二十年は、イーサウの人口増加を招いた。困ることではない。歓迎すべきことではあったが、古代の水道を直し直し使っていただけあってどうにもこうにももう間に合わない。季節によっては枯れてしまうこともあったし、大雨が降れば水浸しの騒ぎにもなる。 「よっしゃ。承けたぜ」 サキアが代償に、と示した金額にエリナードは目を輝かせ、サキアがそれに苦笑する。壮大な計画のはずなのに、それだけで話は決まってしまっていた。 「いいんですか、師匠」 タウザントの森の北だった。森を抜けた向こう側は荒地同然で、エリナードは地質を調べている。やはりここは昔は湖だったらしい。 「なにがだよ?」 「なんか勝手に話が進んでるみたいじゃないですか。いいのかなって」 「勝手じゃねぇよ。俺がやってるのはとりあえずは事前調査。サキアさんが話を詰めて、そんで動くことになる」 「でも?」 「もうやってるけどな」 にやりとする師にカレンが肩をすくめた。そうだろうと思っていたと言いたげでエリナードは内心で笑ってしまう。こんなときには、とっくに独り立ちを許していいだけの経験が彼女にはある、そう思う。技量も魔道への姿勢も充分ながらいまだ手元に置いているのはたぶん。この己のすべてを継がせたい。師から学んだすべてを。 ――こんな気分だったんですかね、師匠。 近頃はこうして心の奥でフェリクスに語りかけることが多くなった。まかり間違っても答えは返ってこないと知っている。ただ、思う。フェリクスはリオンを失った。リオンがアリルカの守りにその命を捧げたと知ったとき、ライソンは言った。フェリクスに残された最後の友達なのになぜ死に急ごうとするのかと。 エリナードはいまも思っている。だからリオンは命をかけたのだと。自分の命を捧げてもなお悔いなどない、そう断言できたのはフェリクスのためだろうと。友人同士、と言われればフェリクスではなくエリナードですら首をかしげるような関係だった二人。それでもずっと共に歩んできた魔術師二人。リオンにとってフェリクスは友人であると同時に最愛の伴侶の息子だったのだろうとエリナードは思う。その彼のため、リオンは命をかけた。 ならば今ここに生きている息子にできることは進んで行くこと。きっと見ているフェリクスにこの姿を見せること。届かないと知りつつ語りかけるのはたぶん、そのせいだ。あるいは、少しでも長くこの世に留まってほしい、そんな願いであるのかもしれない。 「独裁はまずくないっすかねぇ」 ぼやくカレンもエリナードの手元を確かめては自分のできることを、と働きはじめる。何一つ指示などしていなかったし、そもそも何をしているのか告げてもいない。それでもカレンは動くことができる。ほんの少し、誇らしい。ここまで来たカレンが、そして導いてくることができた自分が。 「下工作ってだけだからよ。許可とってからだったら問題ねぇだろ」 「まだ取ってねぇでしょうが」 「だから取る準備をしてんだろって話だ」 「なんとしても許可させる方向に話持ってくんでしょうが。すげぇなサキアさん」 「敵にまわすと厄介な女だぜ?」 笑うエリナードにカレンもまた小さく笑う。いつまでもこの調子のカレンはサキアのようきちんと真っ当に生きている女性が少し、苦手だ。カレンはカレンでいいとエリナードは思っているのだが。 「規模、どれくらいの予定です?」 「んー。百年後のイーサウの住人全部を賄えるくらい」 「って、いい加減な!」 それくらいは自分で計算しろ、そう言外で告げたのにカレンは気づいた上で悪態をつく。自分と似ているな、とエリナードは思う。ほんのりと苦笑してしまうのはいつもこんなときだった。師に甘えるからこそ、こんな態度を取ってしまう弟子。どこかで嫌と言うほど見覚えがあってどうにもならない。 すたすたと歩いて行くカレンの背中を見ていた。自分と同じほどまで背が伸びたのはいつだったか。ほんの少女のころにミスティから預けられた弟子。最初は猫を被っていたカレンも身長同様のびのびと育ってきた。 「師匠!? なにぼーっとしてんですかい!?」 「いや、背ぇ伸びたなぁと思ってな」 「……あんたな。私を幾つだと思ってんだ。今更成長するような年齢かよ!?」 「なに言ってやがる。ガキはいつまで経ってもガキだっつーの」 カレンは誤解をすることだろう。わかっていてエリナードは言っている。フェリクスのよう、率直に娘とは言いかねて。案の定カレンがぷりぷりと怒って仕事を再開する。 「……ほんっと、妙なところばっかり似やがってよ」 怒るから。照れるから。苛立つから、カレンは仕事をする。昔の自分の姿に重なり過ぎて、よくぞミスティは自分に預けてくれたものだと思い、ふと顔を顰める。 「あの野郎」 「なんか言いましたか!?」 「いや、別に。ミスティはどこに目ぇつけてなに見てやがったのかと思ったら腹立ってよ」 「はぁ!?」 さすがにカレンにもわからなかっただろう。修業時代にはミスティとあまり折り合いがよくなかったエリナードだった。そのミスティからもしや自分はこんな風に見られていたのかと思えば今更ながら腹を立てればいいのか腹を抱えて笑えばいいのか。 「ま、ほんとのところを見てたってことだよな。忌々しいぜ」 どうやら師の独り言に付き合う気はないらしいカレンだった。黙々と仕事をしながら背中でその師を責めている。エリナードは笑って仕事を再開する。人造湖の受注で学院に寮を建てられると思いながら。我ながら涙ぐましい努力だった。 |