道は続く

 リオンからの頼みは時間稼ぎであったけれど、エリナードは自主的に工作を続けた。それがフェリクスの助けになると信じて。
「師匠。結局何やったんです?」
 毎度ラクルーサ行に付き合ってくれたカレンだった。本人は見張りだと言い張るけれど、どれほど案じられていたのだろうと思う。師としては弟子にこんなことをさせたくはなかったのだけれど。
 同時に思う。フェリクスもまた、自分にイーサウ行を命じたくなかったのではないかと。暁の狼を対戦相手としたあの独立戦争に弟子を送り込むなど、ラクルーサの宮廷魔導師がしていいことでは断じてない。それでもせざるを得なかったフェリクス。エリナードは内心で小さく笑う。
「攪乱だよ攪乱」
「だからその内容を聞いてんだってーの」
「うっせぇなぁ」
 アリルカ独立戦争はアリルカ側の圧倒的勝利で幕を閉じていた。おかげで少し、エリナードも息をつける。自宅でカレンが淹れた茶を飲むなどしたのはいつが最後だったかと首をかしげてしまうくらい忙しかった。
「王宮にもなんか仕掛けに行ったじゃねぇですか」
「言うんじゃねぇっての。――ありゃ、そう手の込んだもんでもなかったぜ。相手が相手だからな。馬鹿には直接やらなきゃならねぇぶん、めんどくせぇわな」
「あぁ、婉曲じゃわかってもらえない?」
 そう言うことだ、とエリナードがうなずき、カレンが笑う。時間的余裕ができてエリナードも落ち着いたと思っているのだろう。実体は違う。エリナードが慣れただけだ。いまもまだ、精神のどこかに繋がっているフェリクスの暴走を感じる。
「時限式にしたって言っただろ。段階踏んで次々発動するように組んであってな。――たとえば、そうだな。いと貴き御方のベッドに仕掛けたやつなんかはよ、最初は冷たい」
「は? なんだそりゃ」
「次はベッドが濡れてる。凍る。それでも無視するだろ。つか、無視しかしようがねぇけどな」
 ラクルーサから魔術師が消えた弊害だとエリナードは言う。この世界に魔法という攻撃手段がある以上、憎もうが嫌がろうが付き合っていくのが無難というもの。魔法を嫌ったラクルーサは、魔法からの防御手段もまた失った。
「最後は、氷の子猫がベッドの上でにんまり笑ってにゃあと鳴く。で、消える。怖いな、これは。我ながら」
「師匠――」
「なんだよ?」
「笑う子猫がどこにいるんだ、このダメ師匠!?」
「うっせぇな。思いつかなかったんだよ。だいたい俺は知ってたんだっての、笑う子猫をよ」
「はぁ? そりゃ猫じゃねぇよ、魔物だ魔物」
 無頼同然の弟子にエリナードは大きく笑う。失くしてみてわかるなど陳腐なことは言わない。星花宮を追放されたときだとて思った。それでも。なんと輝かしい日々だったか。悪戯をして、学んで。遊んで。そしてフェリクスがいた。
「そのとおり。魔物だったんだがな。――師匠が飼ってた? ダチだって言ってた子猫がいてよ。使い魔だったらしいんだけどな、正体見たら大物魔族って言う腰抜かすようなことが昔あったんだぜ」
「……さすが大師匠」
「だろ。それが笑う子猫でな。俺の恩人……恩猫?でもあるわけで。なんかおっかねぇのないかな、と思ったときに思いついたのがあいつだったわけ」
「星花宮、なんかおかしいだろ」
「お前もあそこの出身だろうが」
「だから言うんです。絶対なんか変だ!」
「カレンよ。それな、なんか、で済んでるところがまずおかしいんだからな? 常人は変だで済まさねぇぞ?」
 笑って言えば言葉を失くすカレン。本当に、そうだったとエリナードは思い出す。とんでもないことがよく起こるところだった。むしろとんでもないことしか、起こらないところだった。失ってしまった故郷。
 まだ子供のころ、魔法の事故をエリナードは経験している。イメルと共に危ういところで死を免れた。救ってくれたのは子猫のサガ。あの事故を忘れたことはない。当時は知らなかったことも、大人になれば知り得る。いつだったか、エリナードは知ってしまったものだった。
 あの事故の裏にいたのが王子だったアレクサンダーだと。その手先によって意図的に起こされた事故。あの頃から王子は魔法が嫌いだったのだと思う。互いに直接相手を知るような関係ではなかった。片や一国の王子で、片や宮廷魔導師の弟子だ。それでもエリナードとアレクサンダーは不思議と縁があった。あの事故しかり、イーサウ独立戦しかり。
 ――あんとき、ほんとにぶっ殺しとくんだったぜ。
 イーサウの外壁に乗った自分。アレクサンダーを射程に捉えることのできた自分。当時はそんなことは想像もしていなかった。けれどいまになっては。
「師匠」
「いってぇだろうがよ!」
「ぼーっとしてるほうが悪い!」
 また思い切りよく叩いてくれたものだと溜息をつく。このぶんでは頬が赤くなっているのではないだろうか。帰宅したライソンにまたも笑われる羽目になりそうだった。
「疲れてるなら疲れてるって言えばいいんですよ。意地っ張りめ。あれあったかな……」
「カレン」
「なんすか!」
「……甘い茶は、やめろよ」
 返事はなかった。カレンの背中が後悔をしていた。エリナードこそ、後悔しているというのに。迂闊だったカレン。言わずもがなのことを言ってしまったエリナード。無言だけが師弟の間に漂い、それでも居心地の悪いものではなかった。
「そりゃ疲れてるわな」
 カレンが淹れ直してくれたのは香りこそよかったものの、どう考えても薬草茶だった。別にかまわないが病人になったような気がしてしまうからこれはこれでやめてほしかった。
「あれでしょ、師匠。登極のお手伝いまでしたんでしょ?」
 手伝ったわけではない。画策を結果的にしただけだ。貴族の子弟が多かったせいか、破門した弟子たちでは宣伝効果が薄かったらしい。あっという間に捕縛されてしまったようだったからそのせいかもしれない。世界の歌い手タイラント・カルミナムンディ暗殺の件が庶民の間に広まっていないと見るやエリナードは動いた。顔を変え姿を変え、ラクルーサの酒場や路地で噂話をまき散らした。もちろんエリナード一人ではない。カレンも手伝ったし、他の魔術師たちも仕事をした。
「吟遊詩人がラクルーサを蹴ったのが痛かったんだよな」
 そう言えば、とエリナードは思い出したものだった。フェリクスを侮辱した貴族にタイラントが暴走したことがあった。貴族の無礼をいたく不服と感じた吟遊詩人たちは一斉にその一門の屋敷から去ったのだったと。あれですらそうだったのだ、タイラント暗殺に吟遊詩人たちは王都アントラルから退去した。のみならずほぼラクルーサ全土から吟遊詩人が消えた。結果的に噂話をばらまくのに彼らの助力があてにできないという事態になってしまったおかげで魔術師が苦労する。もっとも、自分たちのためだ、誰も苦労だとは思っていなかったが。
「よく忍び込めましたよね」
 しみじみとカレンが言うのはまだ怖がっているせいかもしれない。エリナードは小さく笑う。カレンだとて星花宮で育ったのだから王城を怖がる道理はないはずなのだけれど、本人は星花宮を王城だと思っていないらしい。
「言っただろ。生まれた家に入れない馬鹿がどこにいるよ」
 魔術師の保護などなくなった王城だ。魔術師にとっては扉も窓も開け放った家に入るのと大差ない。何やら国王の怒りを買っただとかで北の塔に収監されていた王女と連絡を取ったのも、彼女を登極させるべく動いていたマルサド神の神官との連絡係になったのもエリナードだった。
「いいんですか? 誰も知らないことなんでしょ?」
「言うとややこしいからな。お前も――」
「わかってますよ。言いません。ガキじゃねぇんだ。言っていいこととだめなことの区別ぐらいはついてますって」
「どうだかな」
 せせら笑ってもエリナードの目は優しかった。こうして師弟だけでいるからこそ、カレンはようやく尋ねてきた。いままでは誰かが側にいたからカレンは耐えていたのだと改めて気づく。ライソンにすら言っていいことではない、とカレンは弁えているらしい。自分が彼女の年齢だったころよりずっと出来がいいな、と思っては密やかに笑う。
「これで、落ち着きますかね」
「ラクルーサが? イーサウが? アリルカが?」
「大師匠が、ですよ」
 あえて話をそらしたとわかっていてカレンは真っ直ぐと眼差しを向けてきた。それには苦笑してしまうエリナードだったけれど、カレンはそれでも視線を緩めない。フェリクスよりは、その影響を受けている自らの師が心配だと漆黒の目が語る。
「生意気やりやがって」
 鼻で笑って手を伸ばし、カレンの短い髪をかきまわす。嫌がって喚く声が耳に心地よかった。本気で嫌がっているとはエリナードも思っていなかったし、カレンも同様だろう。自分もかつてそうだった、エリナードは思う。
「――師匠は、無理だろ。死ぬまでたぶん、あのまんまだ」
「そんな」
「だってな、カレン。お前はよ、自分の体を真っ二つに引きちぎられて、それで平気で生きてけるか? な、無理だろ」
 フェリクスにとってタイラントを殺されたとはそういうことだ。エリナードの断言にカレンはうつむく。
「……ちょっとね、噂話みたいな感じなんですけど。アリルカが勝って、そんで大師匠とタイラント師のことが、ものすごく甘ったるい恋愛譚兼復讐譚みたいに語られてるの聞いて」
「どう思ったよ?」
「師匠も聞いたんですか? ――私は、なんか違うなって思いましたよ。でも、大師匠のこともタイラント師のことも、そんなに知らないですから。ただ、そんなにいいもんでもなかっただろうになとは思いましたけど」
「だな。熱愛ではあったぜ。弟子の俺が見てて水ぶっかけたくなったことが一度や二度じゃなかったんだからな。――でもな、連れ合い失くしてぶっ壊れるような仲が絶賛されるようなもんかと言われりゃ、俺はどうよと思う。冷たい言い分だけどよ、俺はライソンでよかったぜ。どっちが先に逝っても残されたほうが壊れるようなことはねぇだろうからな」
 しみじみと言ったはずなのに、どうして自分は頭から濡れているのだろう。一瞬とはいえフェリクス・エリナードほどの男が呆然とした。目の前でにやにやしている弟子を締め上げてしまいたい。
「師匠も水ぶっかけられた方がいいような気がして?」
「てめぇな!」
 カレンに水をかけ返せば冷たいだろうと怒る。怒りながら笑っている弟子とまだやり足りない師と。帰宅したライソンはなぜ家の中が水浸しなのかと頭を抱えることになった。




モドル   ススム   トップへ