道は続く

 十代半ば程度から二十代半ば程度までの弟子が十数人。エリナードは何を考えることもできなかった。彼らが星花宮を裏切り、結局はタイラントを殺した。なぜ、と思う。問うてもたぶん意味はない。意味があったとしても、タイラントは還らない。
「さて、どうするんだい、エリナード?」
 セリスの声に正気づく。大勢の魔術師たちに注視されているのを感じた。溜息を一つ。やりたくないことをするとばかりに。
 すでに拘束の済んだ裏切り者たちの魔法を解いた。合図一つでアランが解呪してくれる。ぎょっとして目覚めた彼らは現状を悟らざるを得なかっただろう。幸いにも見苦しく騒ぐ者はいなかった。そのぶん、彼らが覚悟の上で裏切ったのだとわかってしまう。
「なぁ」
 数珠つなぎに繋がれた若者たちの前、エリナードは軽く膝をつく。じっと覗き込んで目を合わせる。ただそれだけ。なのに他の魔術師たちが息を飲む。
 エリナードはいま、喋ってはいなかった。けれどその場の全員にはっきりと聞こえた。音声として聞こえたと錯覚するほど強い接触。弟子たちはもちろん気づかない。それでも魔術師たちは知る。エリナードの怒りの強さを。
「お前らさ、覚えてるだろう?」
 そっと微笑むエリナードに若者たちが目をそらす。エリナードが刺激した過去の情景。誰の心の中にもあった景色。ぶっきらぼうで傲慢で、けれど優しかったフェリクス。子供たちに、と言いながら下手な菓子を焼いて配っていた彼の姿。いつもその傍らにあったタイラント。星花宮に引き取られたばかりで眠れない子供たちはいったい何度タイラントにお話をしてもらったことだろう。子守歌を歌ってもらったことだろう。その場にいた全員が持つ共通の思い出にして、個々人の思い出。一人一人が大事にされていた、あの二人に。
 エリナードは自らの思い出でもあるそれから目をそらさない。二度と戻らない幸福だった日々。笑ったままエリナードは手を伸ばす。若者の一人はぎょっとして首をすくめた。頭を鷲掴みにされた、と感じたらしい。無論エリナードが伸ばしたのは精神の手だった。笑ったままその懐かしい思い出を彼らの中に固定していく。そして囁く。
「――殺したのは、お前らだ」
 張りついた笑顔もそのままにエリナードは言う。一人一人の耳元に囁かれた悪魔の響き。彼らにとってそれはエリナードの声ではなく、自らの良心の囁き。至るところで悲鳴が上がる。二度と覚めることのない悪夢が彼らの中に固着する。
「さて、と」
 立ち上がったエリナードがわずかにふらついた。大したことはしていないように見えるけれど、十数人もの精神を一度に操れば誰でもこうなる。
「それでおしまいかい?」
「まさか。これは俺の嫌がらせですよ。――どうしたもんかな」
 ちらりとセリスを見れば好きにしろと微笑まれた。そこまで全幅の信頼を寄せられてしまっていいのだろうか。所詮若輩の自分だというのに。
「っとに、もう。頭とるなんざ俺なんかよりよっぽどフラン師とかのほうが似合いでしょうに。なんで俺にやらせっかな」
 ぼやけばフェリクスの後継者が何を言う、とフラメティスに肩をすくめられた。事実そのとおりではあるのだが、先輩魔導師を前にしてはエリナードとしても代わって欲しいと思わなくもない。
「いいんじゃないか? お前とオーランドと。この場にいる正式な後継者は二人なんだし。従うから好きにすればいいよって言っただろ」
「俺が言ったんだがな」
「いいじゃんか、別に。誰が言っても」
 緊迫感のないこと甚だしかった。まだ教室の隅では裏切り者たちが悲鳴を上げ続けているというのに。もっともこれが星花宮の日常でもある。裏切り者が、ではなく緊迫感の皆無な光景が。
「ま、あれだよな。お前はその態度を改めれば立派な後継者に見えるよ、エリナード」
「なに言ってんですかい。俺は師匠の弟子ですよ。品行方正だったら気色悪いや」
 言い放ったエリナードになぜだろう、その場の全員が納得したのは。カレンまでもがうなずくに至ってエリナードは小さく笑う。
「だったら、俺の好きにやらせてもらいますよ。いいな、オーランド?」
 首肯という形で返答を与えたオーランドだった。エリナードは息を吸う。再び裏切り者へと目を向け、先ほど精神の中で見つけた彼らの中の首謀者格を選び出す。
「伝言の運び役、やってもらうからな。あぁ、こいつの指導、誰でしたかね」
 振り返れば遠くから手が上がる。嫌悪と情けなさで顔も出したくないらしい。気持ちはわかるエリナードだった。裏切り者の中には嘆かわしいことにエリナードの後輩に当たる水系の弟子もいたのだから。
「こいつの出身、わかります? そりゃ幸い。そんな気がしたんだ。だったらこれ、貰い受けますよ」
 精神の中で星花宮以前のことをちらりと見かけていた。だからこそ問うて確かめる必要があったエリナードだった。再びこの精神に手を突っ込むのは断じてごめんだとの思い。今度こそ若者の頭を鷲掴みにしてエリナードはじっとその目を覗き込む。
「師匠」
 これからというところでカレンに止められた。訝しげに振り返るエリナードの前、カレンが真剣な顔をしている。
「弟子と言ったら師匠の手足だ。使ってくださいよ」
 にやりと笑っているのに、青い顔をしたカレン。いまここで何をするつもりなのかカレンだけは正確に察知している。それが師として誇らしい。だからこそエリナードは言う。
「馬鹿野郎。こんなことに手ぇ染めさせる師匠がどこにいるかってんだ。見てな。それでいい」
 こんなことでも勉強にはなるだろう。だがしかし、手を汚す必要はない。断言するエリナードになぜか裏切り者が目をそらす。そしてオーランドが進み出た。カレンの肩をぽん、と叩いて場所を代わる。無言のまま精神の手を伸ばしてきたオーランド。自分一人で背負うな、と言ってくれた。その手を握り、エリナードは新たな魔法を紡いでいく。
「――我、カロリナ・フェリクスの後継たるフェリクス・エリナードが告ぐ。この者らのアイフェイオン一門よりの破門を告ぐ。この者ら、二度と再び魔力を手にすること能わじ。我が名において破門者の呪われんことを」
「我、リオン・アル=イリオの後継たるリオン・オーランドが同意する。破門者にあらゆる禍のあらんことを」
「若き弟子の指導者の一人として、セリス・アイフェイオンもまた同意する。破門者に同調する者もまた呪われんことを」
「みたび破門されし者よ。返答はいかに」
「――せ、世界の歌い手を殺したのは自分です。世界の歌い手を殺したのは自分です、世界の歌い手」
 一斉に上がった裏切り者たちの声。エリナードは眩暈を払うよう首を振る。細く息を吐けば、酷い疲れを感じた。
「師匠。やり過ぎっすよ」
「どこがだよ?」
「これ、なにを誰にどう聞かれても、おんなじことしか言えねぇでしょ?」
「おうよ。そう調整したからな。ラクルーサに戻る道々、誰かにぶっ殺されないといいな、お前ら?」
 にっこり笑うエリナードに裏切り者たちの喉から悲鳴。それすら殺人の告白。誰一人としてタイラントを直接殺してはいない。それは事実だ。
「なにも知らなかった、自分は関係ないってのは、通用しないだろうが? 結局お前らが殺させたんだからな。報いは受けてもらうぜ」
 首謀者格の一人は貴族の出身だった。これだけはなんとしてもラクルーサ王宮まで送りつける気でいる。そこでアイフェイオンの名を持つ魔術師たちの反攻を知るがいいと。
「正式な破門の宣告なんてはじめて見ましたよ、私」
「普通はやらねぇからな。助かったぜ、オーランド」
 黙って首を振るオーランドだった。必要がなくなればまた彼は無言に戻る。だが真っ先に宣告に同意してくれたのもまた、オーランド。
「俺だって、不快だ。手段は選ぶなよ、エリナード」
 珍しいオーランドの主張にエリナードこそにやりとする。そんな気は毛頭ないとばかりに。その片手、いつの間にかカレンが取っていた。何事だと思う間もない。流れ込んでくる魔力。
「余計なお世話でしょうけど! 師匠に倒れられると仕事が止まるんだ。迷惑だっつーの」
 文句を垂れたふりをしてカレンが助けてくれた。いくら未熟な弟子とはいえ、多数の魔力を一度で焼き潰すなどエリナードもはじめてだ。むしろ、破門の術式だけは知っていたが実行したこと自体がはじめてだ。立て続けの魔法の疲労が濃かったものを。
「舐められたもんだぜ」
 鼻で笑ってカレンの髪をかきまわす。なにをすると喚く若き弟子にその場の魔術師たちがほっとしたような笑い声を漏らす。
「だいたいな、オーランド。選んでられる場合でも状況でもねぇやな。――俺は、師匠のためにここにいる。師匠に大虐殺させないために、ここにいる。やりかねねぇだろ、いまのあの人?」
 息を飲む様々な声。星花宮で最後にフェリクスを見たものも中にはいたのだろう。そして、エリナードの言葉に同意してしまった彼ら。
「俺はな、氷帝フェリクスこそが人間世界の破壊者、なんて歴史に残す気はねぇんだよ。師匠を守るためだったら俺は手段は選ばねぇからな。そのために有効なんだったら、なんでもやる」
 エリナードはじっと裏切り者たちを見ていた。残酷この上ないことをしている自覚はある。自覚があればやっていいというものでもないことくらい、わかっている。それでもなお。
「お前らはラクルーサに戻って殺されるだろうさ。それまでにせいぜいタイラント師を殺したのは国王側だってことを宣伝してもらうからな」
 否応なしに彼らはそれを口にするだろう。黙ればいいというものではない。エリナードとて抜かりはない。無言を貫けば苦痛はいや増しに増す。それに耐えられる若者たちではないだろう。
「では、それらの処置は任せてもらおう。ここまでお膳立てしてもらって黙って眺めているだけでは星花宮の魔導師の名が廃る」
 裏切り者たちの師の一人だろう魔術師。若者が目をそらしたことでそれと知る。そして一人、また一人と。
「エリナード。お前には他にもっと大事な仕事があるだろう? ほら、これの送付はこっちでやっとくから。行った行った」
 ひらひらとセリスが手を振る。数人の魔術師が共同してすることなど知れている。裏切り者を転移させようと言うのだろう。
「あー、セリス師」
「わかってるわかってる。まとめては送らないから。適当にばらけさせればいいんだろ。できるだけ大勢の耳に入るようにな」
「頼んます」
 頭を下げた拍子にまた眩暈がした。何気なく側にいたカレンが身を寄せてくる。反対からはオーランドが。そしてその場から連れ出され、カレンからこれでもかと罵られた。魔力の濫用、浪費もいいところと。それを遠く聞きながらエリナードは目を閉じる。エリナードは気づかなかった。自分の手がいつの間にかカレンのそれを握っていたとは。




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