道は続く

 学院の一番大きな教室に、立錐の余地なく魔術師たちが並んでいる。はじめて訓練中の子供たちから魔導師に至るまで、星花宮を退去した者すべてが一堂に会しているせいだった。少し不安そうな子供たちの間を縫ってエリナードは前へと進む。すでにアランが困った顔をして待ってた。
「悪い、待たせた」
 カレンを寝かして戻ったエリナードだった。おそらくそう時間が経たずにこちらに来るだろう。そのように精神に「伝言」を残してきた。
「いえ」
 言葉少ななのは緊張しているせいだろうとエリナードは思う。アランは市井の魔術師だ。これほど高位の魔術師に囲まれれば居心地が悪くても当たり前。
「エリナード? なにをするつもりなのか、教えてもらえるかな」
 誰からともなく声が上がる。アランの少し呆れたような顔を横目にエリナードは苦笑した。まだ言っていなかったのか、と目顔で問われたけれど言えるはずもない。対策を取られればこちらの負けだ。
「リオン師が半分がた連れて行きましたからね。こっちでもそろそろ本格的に動く予定でして。だから――試験をしてぇんですよ」
 わずかに言いよどんだエリナード。それを自ら厭うよう首を振る。実際、好きこのんですることではない。むしろ倫理的には拒みたい。けれどどうしても必要なことでもあった。
「――タイラント師が暗殺された件ですがね。元はうちの師匠を狙ってたって? それも新しい弟子候補のガキを使ってだ」
 それでエリナードの言いたいことが魔導師たちには通じたのだろう。そのぶん、弟子たちがざわめく。自分たちは関係がないと。是非ともそうであってほしいエリナードだった。
「だから、試験をさせてもらいます。このアランは、一度も俺ら星花宮とかかわったことがねぇ。その意味で信頼できる。だろ?」
 皮肉なエリナードの言葉に苦々しげな魔導師たち。現時点でアランは星花宮の魔導師たちの中においては異物だ。アダマス一門の魔術師でいわば流派が違う。だからこそ、別の異物を排除するのならば相応しい。
「一応ご説明いたします。俺は暁の狼の魔術師でして。傭兵隊ではよく使われる呪文の一つです。投降した敵兵にかける類の、理論的には下僕化の呪文の変形、と思ってもらえれば」
 そしてアランはざっと術式の構成を説明する。それだけでそこはそれ、星花宮の魔導師を名乗る者たちだ、大雑把な説明であったとしても理解はできる。
「そこで、だ。アランはこの呪文をかけることはできてもかけ続けることはできねぇ。ましてこの大人数と来ればな」
 魔力が足らない。自明のことだからこそ、エリナードはわざわざ言わない。ここで居心地の悪い思いをしているアランに更に恥をかかせることはない。恥などではないと誰が言ってもやはりアランは恥ずかしいだろうから。そのエリナードにアランがかすかな目礼を送った。
「んで、セリス師。ちょいと手伝ってもらえますかね」
 イーサウ残留組の中にはエリナードを保護してくれたあのセリスもいた。当時に比べて少し、年を取った気がする。がさほど変わってもいなかった。
「あいよ。何をすればいいかな。あぁ……高純度の触媒生成かな?」
「うい、そう言うことです」
「だったら――フラン師にも手伝ってもらおうか。フラメティス!」
「やめろ、気色悪い!」
 言いつつ進み出てきたのは火系魔術師の一人。容貌魁偉な男だった。ラクルーサ時代には重装騎兵を擁する竜騎士団所属かと疑われたほどの男。足音すらのしのし、と言いたくなってくる。セリス世代の魔術師だった。
「エリナードは水系だろ。なら、地系はオーランドが務めるんだろうし、我々が風と火でちょうどいいんじゃないかな」
 セリスが微笑みながら言う。触媒生成に四大要素が必要だから、と選んでくれた人選にまずエリナードはほっとする。
「……それにしても、下僕化って」
 小さな声だった。誰かはわからない。けれど細い声からして魔導師ではないだろうとエリナードは思う。まだ若い声をしていた。
「誰だ、いまのは」
 むっとしたフラメティスの声。それだけで気の小さな者など飛びあがりそうだ。現にどこからともなく悲鳴が上がる。
「誰でもいいがな。我々魔導師が理解して納得をした。元の呪文が下僕化でも何ら問題はないとな。弟子は知らないからこそ弟子なのだ。異論は許さん」
 暴論ではあるが事実でもある。言ってもらえて息をつくエリナードにぱちりとセリスが片目をつぶる。エリナードの負担を思ってのことだった。
「アランと言ったか。それで、結果的にはどうなるのだ」
 フラメティスの言葉にまたも弟子が小声で囁きかわす。理解していない、と解釈したのだろう。エリナードはそれがフラメティスの弟子への温情だとわかっていた。彼ら魔導師たちはすでに呪文構成で理解している。わからない弟子たちに、せめて結果は教えてやろうと。ふと緩みそうになった口許を引き締める。
「簡単に言って、意識を失います。無力化するのが第一目標の呪文なので。もちろん、害意があるもの限定ですが」
「当然だな。では触媒を作ろうか。エリナード、主導してくれ」
「いや、いいですけどね。セリス師とフラン師で頭とってもらった方が俺としてはやりやすいんですが」
「何を言っているか。我々は貴様の保護を受けている身だぞ。貴様が先頭に立ち、我々が従う。それが最善だろう。まして現状、平時ではないのだ。フェリクス・エリナード。我々は貴様に従う」
「フランの言うとおりだよ、エリナード。お前が前に出るべきだね。それでラクルーサまで名を轟かせるべきだ」
 フェリクスの後方支援に徹するのならばここであの時のエリナードが起ったと知らしめるべきだとセリスは笑う。とんでもないことを聞いた気がしたけれど効果的でもある。この際使える物ならば何でも使うかとエリナードは腹を括った。あとでヘッジが頭を抱えるだろうが。そこにちょうど目覚めたカレンが慌てて飛び込んできた。思ったより回復が早い。注目を浴びてしまって身を縮めるようにしてエリナードの側まで来る。
「早かったな」
「でもねぇです。すんません」
「気にすんな」
 小声で言いかわせばセリスの笑み。フラメティスにまで目を細められてしまった。こほん、とアランが咳払いをしてオーランドが進みでる。そして触媒の生成がはじまった。カレンの食い入るような眼差しを浴び、エリナードは魔力を操る。星花宮出身者にとって触媒は不要なものだ。それでも決して技術の研鑽を怠りはしなかった。いま他の三人に混ざってエリナードは内心で安堵する。腕が錆びてはいなかったと。
「さすがだね、エリナード。いい腕だよ、相変わらず」
 何事もなかったかのようなセリス。他の三人ともがそうだった。けれどカレンにはわかったらしい。その場にいた弟子たちにはわからなかったものも多くいた中、彼女はいま四人がどれほど高度なことをしたのか理解している。それが師として誇らしかった。
「呪文をかける前にね、エリナード。聞いていいかな。――万が一、そんなことがないといいと思っているけど、万が一だよ? ラクルーサ側の手の者がいたら、お前はどうするんだ?」
 呪文が発動してしまったものがいたら。セリスの懸念にエリナードは皮肉に唇を歪めていた。裏切り者はいる、とエリナードは思っている。むしろいないはずはないとも。四魔導師暗殺に手を染めたものがいたのだ。そこまでした人間がいて、それ以下のことをしているものがいないなどなんの冗談だとすら思っている。
「そうですね。荷造りして、ラクルーサに叩き返しますかね」
「はい? なんだ、ぶち殺したり、しないんだ?」
「セリス師ー。俺ゃそこまで過激じゃねぇですよ。つか、手下の小者ぶっ殺してもなんにもならねぇでしょうが」
「ならば、こちらに取り込むのはどうだ? 役に立つものではあろうさ」
 フラメティスの言葉にその場の大勢がうなずく。カレンが渋い顔をしていて、エリナードは目を和ませていた。
「今んとこ、ここじゃ疑心暗鬼でしょ、フラン師。だからね、それはしたくない。一度裏切った野郎は、二度目もやる。そんな風になっちまっちゃったら、こっちは人数が少ねぇんだ、負けですよ」
 はっと鼻で笑ったエリナードに教室内がぴりぴりとした。いままで後方支援に徹すると言いながら淡々と仕事をしていたエリナードだ。彼がどれほどの思いを抱えているのか身近ではなかった魔術師たち、弟子たちは知らなかったのだろう。
「まぁ、それもそうだけどね。一応、脅迫されて使われてた場合とかは、考えてあるんだろ?」
 まるで間者がいるのは既定の事実と言わんばかりのセリスにエリナードは小さく笑う。フラメティスは輪をかけて豪快に笑っていた。
「ありますよ。使われてた? 脅迫された? 関係ねぇでしょ。自分の師匠を裏切ったんだ。きっちり報いは受けてもらいますよ。――俺ら魔術師が一番最初に理解すんのは、自分の師匠を信頼するってことですからね。脅されたんだったら師匠に言やいいんですよ。師匠がなんとかしてくれるんだから。それをしなかったってことは、心情的に向こう側だったってことだ。俺はそんなやつの安全まで気にかけてやる暇はねぇな」
「ラクルーサに送ったら闇から闇にさようならだよ?」
「でしょうね。だからなんです? タイラント師は殺されましたよ。うちの師匠はぶっ壊されましたよ。なんだったら俺がこの手で微塵に刻んで嬲り殺してやりてぇくらいなんですがね。さすがに自重しますよ」
 エリナードの本気を感じなかったものはいなかった。誰もがぞっとして周囲を見回す。本気でやるエリナードだからこそ、裏切者などいないでほしい。
「アラン」
 短い言葉に咄嗟にアランが従った。さっと緊張しつつ詠唱に取りかかる。彼の手元にはすでに出来上がった触媒。カレンがここからでも学ぼうとアランを見ていた。それを横目にエリナードは深い呼吸を繰り返す。こんなところで暴走している暇はそれこそないのだから。
「おぉ、いるいる。わらわらいるぞ、エリナード」
 呪文が発動すると同時に弟子たちがごっそりと倒れた。馬鹿者どもめ、言いながら率先してフラメティスが意識のない弟子たちを拘束していく。いまのエリナードに任せれば血の大惨事になると知っているかのよう。魔術師らしくない大きな体の逞しい肩に子供を二人ずつ抱え上げ、フラメティスは部屋の隅へと転がしていく。セリスがもう少し丁寧にやれ、と肩をすくめて手伝っていた。それを見ていたエリナードの肩がぽん、と叩かれる。オーランドだった。
「……あぁ」
 できればいてほしくない、一番に願っていたエリナードだった。現実は違うとわかっていても、願っていた彼だった。無言のオーランドの慰めにそっと目を伏せる。息を吸い、顔を上げたとき、エリナードはすでに毅然と立つ彼に戻っていた。




モドル   ススム   トップへ