魔法学院の講堂はアリルカ宛て物資の集積場のようになってしまっている。これだけ大量の物資を突然に集める場所がなかったせいでもあるし、二王国を刺激したくないからでもある。どこに目があるかわからないのだから、イーサウの配慮は意味のないものではない。 そして物資があると言うことは、隊商の出入りもある。隊商の出入りがあると言うことは、物資を運んでくる人間もいる。魔法学院はだからいま、常人の出入りが常になく多い。 それがカレンを苛立たせていた。魔術師以外がここに来るな、などと言っているのではない。エリナードだった。なにも知らない他人がエリナードに対して好き勝手を言う。それが腹立たしくてならない。 「――だって、一番弟子とか名乗ってたってよ。結局これだろ?」 「冷酷なんだよ、冷酷」 「氷帝の後継者って名声が欲しかっただけなんだろうな。ほんと冷たいわ」 講堂の中、また何者かが噂話をしている。かつかつと踵を鳴らし近づいてくるカレンになど気づいてもいないらしい。総じて噂話と言うのは「自分に関係のない他人」だからこそ楽しいもの。関係者がどう感じるかなどそんな人間にはそれこそ関係がない。 「てめぇら――」 突如として襟首を持たれれば誰だとて驚く。怒るより先にぎょっとする。ましてなんとか振り返って見てみればそこにいるのはまだ若い女なのだから。 「なんにも知らねぇで好き勝手言いやがって! そんなに戦争したけりゃ自分で行けよ!」 いくらカレンだとてやはり女の力だった、エリナードのよう襟首を持ったまま持ち上げることはできない。結局そのまま突き放す形になったのだけれど、それでも男は驚いて尻餅をつく。 「それともなんだ? 口だけかよ? 師匠が何してるか知ろうともしねぇくせに景気のいいことばっかり言いやがってよ。そこらにたまって馬鹿話するしか能がねぇくせに」 少しずつカレンの口調が静かになって行っていた。はたと気づいたときには彼女の足元、霧が渦巻く。イーサウの住人であってもそこは常人だった、なにが起こっているのかわからない。ただ後ずさりはした。そのたびに一歩、また一歩とカレンが迫ってくる。意味などわからなくとも男たちの額に脂汗が滲む。いつの間にか講堂の中は静かだった。数多いたはずの人々がカレンと男たちを注視している。 そこにつかつか歩み寄ってきた人影。言うまでもない、そんな無造作な態度が取れるのはこの場ではエリナードただ一人。 「この馬鹿弟子め。俺の仕事を増やすんじゃねぇよ!」 笑って言ってエリナードは背後からカレンの頭を殴りつける。それなのにカレンは無表情にエリナードを振り返った。 「邪魔しねぇでもらえますか」 「却下。仕事を増やすんじゃねぇって言ってんだろうが。ったく。あんたがた、なに言ってもいいけどな、別に俺はあんたがたの評価なんざ知ったことじゃねぇ。だけどよ、こっちの耳に入るところでやるのはいくらなんでも礼儀知らずってもんだろうが?」 むつりとしたままカレンがエリナードの手を振りほどこうとしていた。いつの間に掴まれていたのかもわからない、そんな顔をして。まだまだ足下に霧は渦巻き、少しずつ量まで増えている。 「俺は俺のやり方で俺にできることをやってる。それをどうこう言われる覚えはねぇよ。――だからカレン! いい加減にしろって言ってんだろうが! 冷静になれっての!」 「なれません」 「なってんだろうが!?」 からからと笑うエリナードがカレンを肩の上に担ぎ上げた。この場ではどうにもならないと見定めたがゆえだったけれど、他人にはそんなことはわからない。 「離せ、師匠!」 「誰が離すか。ほんっとに、あっちでもこっちでも面倒事ばっかりでよ……」 はあ、とあからさまな溜息。一瞬とは言え男たちは気が抜けた。その隙を突くよう、エリナードがカレンの体に魔力を叩きつける。喉の奥が潰れたような声を上げ、カレンがくたりと意識を失った。同時に渦巻く霧が蕩けて消える。 「ちなみに。俺の弟子が売った喧嘩なんだよな?」 「あ、あぁ。突然に、言いがかりをつけられて……」 「ふうん。別にどうでもいいや。なんだったら師匠の責任だ、売り手も俺が弟子に代わって引き受けるぜ。どうするよ?」 にやりと笑うエリナードに男たちは青くなる。弟子の無礼を謝罪されるのかと思いきや、まったくの正反対。 「まぁ、こんなところでエリンをどうこう言うほうが悪いっすよね。で、エリン。準備できましたけど?」 飄々とした態度で講堂に入ってきたのはアランだった。だがエリナードには見えている。アランの目許がひくりひくりと痙攣しているのが。非常に緊張しているらしい。申し訳なくて目顔で詫びれば気にするなと笑ってくれた。 「あいよ、こいつ置いたら――」 言いかけてエリナードは片手で顔を覆う。講堂の入り口に佇んでいるのは無言のオーランド。たいていいつも彼は無言だが。そしてひょい、と親指を立てて見せる。準備ができたがどうする、と問うている。 「なに、喧嘩か、喧嘩? またなんかやらかしたのかよ、あんた?」 「……厄日か今日は」 「面倒事かね、エリナード。私のほうでも用があるんだが」 ライソンに続いて連盟議長のヘッジまで訪れたとくる。さすがに訝しいものを覚えないでもないエリナードだ。何気なくアランを見れば知らぬ顔をされた。これで決定的だった。ましてヘッジはなにがなんだか飲み込めない、そんな顔をしながらここにいるのだから。 「あー、ヘッジさん。すんませんね、この通りのザマだ。ちょいと時間が取れそうにないや。後にしてもらえますかね」 「かまわないとも。――エリナード、ちゃんと寝ているのかね。顔色が悪いが」 「なにしろあっちでもこっちでも非難囂々なもんでね。寝てる暇なんかありゃしませんよ。まぁ、魔術師は三日三晩寝ないで研究なんざざらですし。なんとかなりますよ、いまんところはね」 「噂話に興じる人々の気持ちもわからなくはないのだがね、私自身も」 「あー、そりゃ酷いですぜ、ヘッジさん。エリンは何が一番お師匠さんのためになるか、それこそ寝ないで考えて自分一人で動いてる。誰のせいにもならねぇようにね。わかるでしょ、ヘッジさん。エリンは氷帝の弟子だ。エリンだけはどう動いたって誰も責めねぇんだ。――そこら辺に積んである物資、あるでしょ?」 にこりと笑う屈託のない傭兵。若き傭兵もいまは時々こんな顔をするようになった。屈託のないふりがうまくなった。エリナードは黙って苦笑する。肩の上、カレンが少し重たい。 「それね、エリン個人の資産で揃えてるんですよ? 薬種から、もう薬品になったのまで、財布の底まではたいてアリルカに送る気でいるんだ、そいつは。あと保存食もだったな。買い付けに行ったの、うちの隊の会計係なんで俺は内容知ってるんですよ」 「……別に底まではたいちゃいねぇよ。俺だって食ってかなきゃならねぇんだからよ」 「でも貯金は尽きたよな、エリン?」 それを責めているのではない。その使い方で正しい。ライソンは言う。二人で貯めた金だった。いつかフェリクスに家を買ってやろうと笑って貯めた金だった。 「だからね、ヘッジさん。エリンは誰になに言われようとかまわねぇって言うか、そんなのにかまってる暇が惜しいくらいなんですよ、いまはね」 「なるほど。善処しよう。申し訳なかったな、エリナード」 「よしてくださいよ、ヘッジさん。これは俺個人が好きにやってることだ。イーサウの議長がかかわっていいことじゃない」 「そこはそれ、イーサウの風紀が乱れる、というものだな。では後ほど」 にやりと笑ってヘッジは行ってしまった。用などないのにアランに呼びつけられて、それでも笑って許してくれる。エリナードはそれで充分だと思っていた。わかってくれる人たちがいる。ライソンにカレンに、他にも色々。こうやってアランは実力行使にまで出てくれた。 「ほれ、あんたらも。エリンをどうこう言うんだったらエリンの邪魔になるようなことはやめてくれよな」 ぽん、とライソンに尻を叩かれて、慌てて男たちは立ち上がる。呆然としていたらしい。彼らの視線は物資に向いていた。そこに積んである数多くの荷箱。イーサウは商業都市だけあって、それがどれほどの金額になるのか想像は容易かった。ばつが悪そうな顔をして出て行くまでしばし。影が見えなくなってはじめて全員がほっと息をつく。オーランドまでそうしていたのにエリナードは笑った。 「で、オーランド。あんたはなんの用だよ」 特に何かをしてもらっていた覚えがない。首をかしげるエリナードに小さくオーランドが微笑む。そしてこっそり視線を外したアラン。 「って、お前か! いや、ありがたかったけどな。巻き込む人間多すぎだろうが」 「こういうのは数がいりゃそれに越したこたァないじゃないですか」 「ヘッジさんまで呼びつけやがって。あとで詫びとかなきゃな」 「あ……かえって、なんか。すいませんでした」 「いいや? 色々うるさかったからな。助かったぜ」 言いつつエリナードは本心ではないな、と思う。真剣に、どうでもよかった。誰がなにをどう言おうと、自分はここに立っている。フェリクスのために立っている。いまはその思いだけが自分を支えている。そんな気がしていた。 「そんでエリン。お嬢、どうしたんだよ?」 「ん? 暴走しやがったわ」 「いやはや、師匠思いのいい子ですよ。大好きなお師匠様が悪く言われててカレンちゃん、切れちゃいましたわ」 「うっわ、気持ち悪! やめろよ、それ!?」 アランの茶化した言いぶりにエリナードは抗議する。ライソンが腹を抱えて笑いだす。オーランドまで口許を覆っていた。誰もが同じ一人のことを考えている。あるいは師弟の。 「そんでエリン、俺のほうはまともな用事なんですよ。準備できましたから」 「あいよ、これ置いたら行くわ」 「代わろうか、エリン? 重くないのか」 「小娘一人、重たいわけねぇだろ」 ライソンに言い捨ててエリナードは自分の執務室に。長椅子にでも寝かしておいてやろうと思う。そのうちに気がつくだろう。 「この馬鹿娘が」 苦しそうな顔をして目を閉じているカレンの額にかかった髪を指先でよけて呟く。こんな自分のために怒ってくれる弟子のありがたさ、愛おしさ。だからフェリクスを思う。あの日の師もきっと同じことを考えたのだろうと。 |