道は続く

 コグサの兵学校開校より数年というもの悩み続けたエリナードだったけれど、ついに承けた。イーサウ自由都市連盟議長、ヘッジ・サマルガードとも折衝を重ね、魔法学院は開校する。兵学校と同じく、イーサウの半公営だ。とはいえ、兵学校と違う点もある。魔法学院は子供の受け入れはしない。
「なんでですか、師匠?」
 そして弟子も取らない、明言したエリナードにカレンは不思議そうだった。自分一人がエリナードの弟子だ、と誇ることもできただろうに、彼女はそんなことは思いつきもしないらしい。微笑ましいようなくすぐったいような。エリナードは肩をすくめる。
「ガキの相手は苦手なんだよ」
「苦手だからってやらねぇで済むもんですか?」
「済ませてぇんだよ、当面はな」
 ちょうど訪れていたヘッジが師弟の会話を小耳に挟んで苦笑する羽目になっていた。町の無頼と大差ない、どころか無頼のほうが上品に思えるような師弟だ。けれど実力のほうは折り紙付き。なにしろ学院長はあのフェリクス・エリナードだ。
 エリナード自身は開校に当たって最大の懸念があった。自分の名前を公表するか否か。仮にも星花宮を追放された身だ、イーサウで堂々と名を売れば星花宮を庇護することになるのか、ラクルーサ王の反発を招くことになるのか。いずれイーサウが被害を被る。
「気にしないで結構。そのあたりはこちらでうまくやるとも」
 ヘッジはそう言ってくれたものの、やはり公表してしまってからも気がかりではあった。フェリクスは気にしないだろう。否、四魔導師は誰も気にかけないだろう。けれど国王はどう解釈するか。思い悩んでいたのが馬鹿らしくなる。学院長の執務室に届けられたものの数々にエリナードは頭を抱えていた。
「うわ、これ。すげぇな」
 公然と送られてきたのはフェリクスからの開校祝い。大っぴらに隊商を使って届けられたのはわかりやすく現金だった。ラクルーサの通貨ではあるけれど、もちろんイーサウでも両替可能だし、そのままでも使える。ラクルーサの金貨は柄が綺麗だ、と言ってイーサウでも喜ばれていた。
「つか師匠。いいんですか、これ」
 カレンが言うのにエリナードは力なくうなずいていた。フェリクスからは来るだろうな、と思っていたエリナードだ。
 あの日、もう数年前になる。アリス祭を見に来た体を取ってフェリクスが訪問してきた日。あれは星花宮が置かれた状況の不穏を伝えるものだった。反面、エリナード個人ならば安全だとも。星花宮を敵視することに夢中の国王はエリナード個人など忘れている。そうフェリクスは言いに来たようなもの。学院開校の決心はそれでついたエリナードだった。
 いったいどんな情報網を持っているのか、フェリクスはおそらくエリナードの悩みを知っていたのだろう。そして後押しをしに来たのだと彼は疑っていない。だからこそ、こうやって祝いを送ってきたりする。
「まぁ、あれだ。一応俺は師匠の後継者だからよ」
「だから?」
「カロル師にとっちゃ、一門のガキだからな。一人前になったって祝ってもおかしかねぇわな。リオン師は連れ合いのお付き合いでこれまた別におかしかねぇ。タイラント師は言うに及ばずだろ。だからまぁ、言い訳なら立っちゃいるんだな、これが」
 フェリクスだけではなかった。四魔導師全員がそれぞれに祝いを送ってくれていた。現金を送ってきたのはさすがにフェリクスだけだったが、それぞれが換金すれば頭痛と虚ろな笑いしか起こらないようなものばかり。
「それ、言い訳でしかないですよね?」
「ないな」
「さすが、四魔導師。常識の外にいらっしゃる」
 褒めてないぞ、とカレンに言いつつ実はエリナードも同感だった。自分は公式に追放刑を受けているはずなのだが。どうもおかしい。まるでそんな気がしなかった。
 もっとも、一応は、とでも言うよう四魔導師はみな個人名で送ってきていた。誰一人として星花宮、あるいはラクルーサ宮廷魔導師の肩書をつけてはいない。
「意味ねぇ」
 煌びやかな名前がずらりと並んでいるのだから、肩書などそれ自体がそもそも無意味ではないだろうか。エリナードのぼやきをカレンが笑った。
「あれ、こっちはなんです?」
 カレンが部屋の片隅に積み上げられたままの数々の荷物の山に向く。まだ片付けていなかったのかとでも言いたげに。これでカレン、意外とまめできちんと片付けものをする。ライソンが以前言っていた。
「女の子に見られるの嫌がってるから、こういうことはやりたがらないかと思ってたんだけどな。お嬢、ちゃんとしてるから助かるぜ」
 片付けが苦手な傭兵などいないからライソンも家の中はきちんと整っているのを好む。エリナードもそうだ。魔術師は物があふれるものと相場が決まっているせいもある。片付けものが苦手な魔術師は早晩荷物に埋まって圧死する。そう言ったら冗談だと思ったらしいライソンは笑っていたが。
「あ? 開けてみろよ。つか、片付けてくれ。もう、見んのも嫌だわ」
「はぁ? なんすか」
 さも嫌そうに言ったカレンだったがいそいそと箱を開けている。少し楽しそうで、そんなところに若さというより幼さが出ていて見ているエリナードは楽しい。
「うわ! なんだこれ!?」
「な? 見るのも嫌だって言いたくなるだろーが」
「……遺憾ながら、なりますね、これ」
 箱の中からは本がごっそりと出てきた。出しても出しても出しても出しても本ばかり。魔術師としてはありがたいけれど、一気に片付けるかと思えば頭痛しかない。
「あれ。これ、師匠だ」
「おうよ。お前の縁があるからな、あいつからも送ってきたぜ」
「意外っすね。ミスティ師、師匠のことはあんまりよく言ってなかったのに」
「あぁ、わかるぜ。俺もあいつ苦手だわ。どうもあわねぇんだよな。なんであれが火系なんだよ? ほんっとに湿っぽいったらありゃしねぇわ」
 ぷ、とカレンが吹き出した。以前の師のことを悪く言っているように聞こえかねない台詞だったけれど、もう何年も寝起きを共にしている。エリナードの真意をカレンもまた、悟ることができる。
「ミスティ師もおんなじこと言ってましたけどね。なんであれが水系なんだ、あれのどこが水系だ、突っ走るくせにって口癖のように言ってましたっけね。お互い言ってりゃ世話ねぇや」
 まったくだった。合わない合わないと言いつつ、星花宮の同期とは長く付き合いが続いている。一番親しいのはイメルだったけれど、ミスティともあの無口なオーランドとも時折手紙のやり取りはしている。
 そして三人ともがこれでもかとばかり本を送ってくれた。しかもぱらぱらと見るだけでわかる。全部が、彼ら自身の手蹟。一冊ずつ筆写してくれたのだろう。いずれ講義で必ず使う本ばかりだった。自分たちが学んだよう、エリナードは教えるに違いない。ならば必要なのはこの本だ、と三人が選んで筆写してくれた本の数々。文句を言いつつエリナードは内心で無言だった。礼の言葉が、浮かばない。本が届くなり、礼状と一緒にこちらで開発した薬剤だと書き添えて処方を幾つか送っておいた。けれどそんなものではとても足りない。
 間違いなくあの頃学んだ本ばかりだった。星花宮の匂いが帰ってきたかのよう。あの三人の気持ちも手に取るよう、わかる。
 きっと、彼らは彼らで申し訳なく思っているのだろう。エリナード一人が星花宮を出ることになったと。少なくともミスティとオーランドはあの事件には関係がない。それでもなお。星花宮の魔導師として、エリナード一人が犠牲になった、そう感じているのかもしれない。
 ――元気でやってるぜ。けっこう楽しいもんだわ、外の世界ってのもよ。
 いつかミスティやオーランドがここに遊びに来ることができればいい。そう思う。イメルは吟遊詩人特権があるものだから、来ようと思えば来ることができる。それでもあの日まで訪れなかったのは、間違いなく自責だ。
 エリナードが追放された直後、イメルはライソンに会った。そのときに彼に叱責された、とイメルは言った。いまここに顔を出すと言うことがどう言う意味なのか考えろ、と。偉そうに言ったものだとライソンは申し訳なさそうだったけれど、エリナードはイメルがその意味を真剣に考えたからこそ、足を向けず耐えていたのだとわかる。子供のころからずっと一緒だった。何があっても共に歩んできた親友。自分のせいでそのエリナードがこんな目にあってしまった。どれほどイメルはつらい思いをしたことか。ようやく誰はばかることなく会いに来て、イメルが泣き顔だったのはだから、そう言うことだった。
「ほんとなぁ、アレさえいなきゃなぁ」
 ミスティたちがイーサウを訪れるに障害はないし、そもそもエリナードが追放されることもなかった。根本的な問題として、暁の狼がラクルーサを離れることもなかったのではないかと思ってしまう。
「師匠。独り言が聞こえてますよ。聞こえませんからね、私」
「聞こえてんじゃねぇかよ」
「不穏な台詞は聞かねぇことにしてんですよ。処世術だ」
 ふん、と笑ったカレンにたしなめられた気がした。事実、口にしていいことではなかった。たとえ独り言であったとしても。にやりと笑ってみせるのは謝罪。カレンもまたにっと笑い返す。
「いずれ星花宮を超えちまえばいいんですよ。そうすりゃみんなこっちにくんでしょうが」
 せっかく開校した学院だ、野心を持てと弟子に言われるとは思いもしなかったエリナードだった。一瞬きょんとし、ついでげらげらと笑いだす。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ、俺はここを星花宮にするつもりはねぇな。つか、できねぇだろうが」
「なんでですか。それくらいの心持ちでいたって悪かねぇでしょうが。できねぇって決めてちゃなんにもできないでしょうよ」
 不機嫌そうに言うカレンは野心などない。少なくとも学院を大きく広めて名を上げたいと言うような野心は。別の野心ならばあるだろう。もっと先へ、道の向こうに。新しい、まだ見たことのない魔法を求めて。カレンの目はそこばかりを見ている。同じ目を見るエリナードとしては喜ぶべきか身悶えするべきか。己の若き日を見ると言うのは居心地の悪いものだった。
「あのな、カレンよ。ここには俺しか一人前の魔術師がいねぇんだぞ。どうやって教えろってんだ。お前はガキすぎてわかってねぇのな。四魔導師は人外だぞ。あんなのがごろごろして教えてたのが星花宮だぜ? 俺一人でどうしろってんだ」
「う……それは」
「せめて、さっさと一人前になって師匠のお手伝いをします、くらい言えよな、そこで怯むんじゃなくってよ」
 意地の悪いエリナードの言葉にぱっとカレンが赤くなる。彼女は言い返しはしなかった。きつく師を睨み、そして無言で本を片付けるための算段をはじめる。その内面で、今後の研究予定を立てているのだろうことはエリナードには予想がつく。何しろ自分が歩いてきた道だった。




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