道は続く

 不機嫌そうな顔してライソンを見ているフェリクスだったけれど、弟子はそんな顔には騙されない。意外と機嫌がいいのに気づいている。いまならばからかわれたりはしないか、とエリナードはカレンを見やった。
「師匠。こいつ、カレン。俺の弟子です」
 弟子と呼ばれた当人が驚いたよう背筋を伸ばす。さほど大袈裟な紹介をした覚えはなかったのだけれど、エリナードも思い出す。フェリクスに自分の弟子、と呼ばれるたびに誇らしい気持ちになったことを。カレンがいま、似たような気持ちでいてくれるならば嬉しいものだ、と思わなくもない。
「うん、知ってるよ。ミスティのとこの子だよね。あなたに預けたんだ、ミスティ?」
「水系ですしね。いい選択だったと思いますよ、俺は」
「じゃないかと思ってたんだよ。子供のころってのはわからないものだよね。僕もわからなかったから結局火系に預けたんだけど。そっか、やっぱ水系だったんだ」
 こくん、とうなずくフェリクスにカレンが唖然としていた。驚き過ぎる気持ちはわからなくもない、が、魔術師を目指すならば現実は現実として受け入れた方がいいな、とも思う。
「なんだよ?」
 言いたいことがあれば言えよ、とばかりからかって、そしてそんな自分の態度がフェリクスにやはり、似ていると思ってしまった。ライソンもそう感じたのだろう、向こうで茶の支度をしながら腹を押さえて笑っている。
「あ、いえ。その……。私なんかのことを、フェリクス師がご存じだとは、思わなくて」
 赤くなっている頬をフェリクスが不思議そうに見やった。さすがにフェリクスのほうが年上には見えるものの、仕種といい態度と言い、いつまで経っても少年の気配の付きまとう人だな、とエリナードは苦笑する。
「だってあなた、星花宮の子じゃない。子供たちのことなら、顔と名前くらいは一致するよ?」
「一体その子供たちってのが何人いるんだか、俺なんか数えんのも嫌になるけどよ」
「訓練をはじめるのはみんなばらばらだしね。弟子に上がる時だって一度に五人か十人か、その程度じゃない」
「それでも目配りしてる師匠はやっぱ変ですぜ?」
「そう?」
 当たり前だろう、とフェリクスは首をかしげる。エリナードも非難しているようでいて、本当は嬉しい。いまでも変わらない星花宮の日々を見る思いだった。
「いま、なにをやってるところなの?」
 フェリクスの言葉にカレンがまたもぴん、と背筋を伸ばす。自分にもそんな態度をしたことはないというのに、そう思えばエリナードはおかしくてならない。仮にも師であるのだから怒るべきだろうと思うのだけれど、相手がフェリクスであればこれはもう致し方ないというもの。
「す、水圧関係の基礎をもう一度きちんと勉強し直しているところです」
「へぇ、そうなんだ。いいことだね」
「あぁ、それで師匠。今度『アルディオン三瀑考』の写本、作っていいですかね」
「写本でいいの? だったら今度届けてあげるよ。というかね、エリィ。あなた、持ってなかったの、あの本。リュリルトゥの開発段階で読んだんじゃないの」
「いや、読みましたけど。俺はどっちかって言ったら収束を主体に置いてたんで。リュリルトゥは結果的に水圧が上がってるんであって、そっち目的じゃねぇんですよ」
「だと思った。道理で扱いにくいわけだ。もうちょっとなんとかしなよ、あれ」
「俺よりうまく扱うくせになに言ってやがんだ!」
「だから僕を基準にしてどうするのって話」
 エリナードは黙った。きょろきょろとしていたカレンも緊張に耐えかねている。一人、ライソンだけがくすりと笑う。
「ちょっとそこの。何か言いたいことでも?」
「いやぁ、さすが氷帝、背負ってるなぁと思って。あとエリンもエリンだよな。いまだにお師匠さん大好きでさ」
「うっせぇ、黙れ小僧!」
「へいへい、黙りますよー。あ、茶、ここ置きますんでどーぞ」
 赤くなったエリナードをひょいとかわすライソンをフェリクスがなんとも言えない目で見ていた。軽く肩をすくめているから、たぶん師は彼を認めたのだろうとエリナードは思う。
「ほんと僕の周りはいけ好かない男ばっかだよね。でも今日の僕は機嫌がいいから、いいことを教えてあげよう、ライソン」
「はい、俺!?」
「そうだよ、あなたに教えてあげる。さっきの僕の変装。あれね、ちっちゃいころのエリィそのまんまだからね。可愛かったでしょ? あれくらい、もっとかな? 内気だったしね」
「だから、あんたは、俺が五歳のころなんざぁ知らねぇでしょうが」
「年のわりにはあなた、小柄だったからね。想像力ってやつかな。ほんと、あんなにちっちゃかったのに、どうしてだろう。こんなに大きくなっちゃって。僕より背が高くなったのって幾つだったっけ? 結構早くて、驚いたよ」
「んな昔のこと、忘れましたよ。もう」
 ぷい、と顔をそむけていても耳まで赤くては無駄なこと。エリナードは覚えている。きっとフェリクスもまた忘れてなどいない。
「で、師匠。そろそろ本題入りましょうや。あんた、何しに来たんです、遠路はるばるこんなところまで」
「そんなの決まってるじゃない。可愛い息子の顔を見に来たに――」
「だーかーらー! 戯言は聞かねぇって言ってるでしょうが!」
「酷いこと言うよね、誰のせい? そこの傭兵のせいだよね。僕の可愛い息子はこんなこと言うような……子だったね」
「でしょ。だから師匠」
 胸を張るようなことではない、と後でエリナードは思った。が、こうして自分とフェリクスはやってきたのだから、今更変わるものでもない。ライソンの隣でカレンが理解不能とばかり首を振っていた。
「結構僕としては本気なんだけど? あなたがここでどうしてるのか、心配じゃない。どんなところなのかなって思ってもさほど不思議でもないでしょ、違う?」
 ようやくエリナードにも理解できた。フェリクスは嘘は言っていない。弟子の様子が知りたかったと言うのは紛れもない――できれば冗談であってほしい――真実だ。けれど星花宮の四魔導師の一角を務めるフェリクスだ。ならば目的は別にもある。
「どんなところかって? そりゃさっきも見たでしょ。いいとこですよ。あぁやってパレードん中にちゃんと半エルフを混ぜてるような国ですからね、魔術師がどうのってのもほとんどないに等しいかな」
「さすがに魔法文化自体は立ち遅れって感じでもあるかなぁ、傭兵の生意気だけど。そのぶんエリンは力を発揮できなくってやきもき?」
「でもねぇな。とりあえずびびられてちゃ話にならねぇからよ。何ができる、かにができるってのはまだまだあとの話だぜ。いまはまだ――」
「地歩を築くってやつだよな? のわりにあんた――」
「言うんじゃねぇぞ、ライソン? いい子だよな、わかってるよな?」
「ふうん、エリィ? なにか僕に聞かれたくないことでもあるんだね。そっか。ねぇ、ライソン。いい子だよね? わかってるよね?」
「師弟揃って脅すんじゃねぇよ!」
 ライソンの怒鳴り声にまたも師弟が揃って否定を口にする。そして誰がだと言わんばかりに相手の目を覗き込んでは溜息をつく。
「師匠。いまはまだ内緒です。もうちょっとしたら、相談する……かな。ちょっとほっといてください」
「いいよ、わかった。でも心配なんだってことは忘れないようにね」
「言ってんでしょうが。俺はもうガキじゃねぇんだっての」
「誰が? あなたがどれほど大きくなっても独立しても遠くに行っても。僕の息子であるに違いはないでしょ」
 ふん、と鼻を鳴らしたフェリクスが目だけを和ませていた。その手がエリナードの鮮やかな金髪に伸びては梳いて撫でて行く。エリナードは先ほどのフェリクスの「変装」を思う。いくら力ある魔術師で再現性が高いとは言っても、いったいどれほどフェリクスは自分のことを慈しんでくれたのだろうと。記憶の中にある思い出を映したというより、瞼の裏から去らなかった面影をただ取り出したかのような、先ほどの姿。
「だからってガキ扱いは勘弁ですよ」
 ふっと笑ってエリナードはフェリクスの手を取りのける。それでもしばし、彼の手を握ったままだった。温かい師の手に、何かが流れ込んでくるような、流れて行くような。
「だったら、もうちょっとちゃんとここでの暮らしを聞かせてよ」
 わざとらしい子供っぽい口調。拗ねて見せたかのようでいて、エリナードに向けている眼差しだけは鋭い。エリナードは気づかなかったふりをして肩をすくめる。何かを表情に出せば、自分を見ているカレンが気づく。
「って言ってもなぁ。けっこう普通だし」
 言いつつエリナードはイーサウの様々なことを話して聞かせる。確かにそれは「離れて暮らす師に弟子が無事を知らせる」ようではあった。
 実態は違う。フェリクスは今現在のこの国の在り方を知りたがっていた。魔術師に対する感情を。万が一の際に避難所足り得るかを。そもそもエリナードがここに派遣された事件からしてそうだった。あのときの判断から評価を改める必要の有無を。
 あれから事態は間違いなく切迫の度合いを強めているだろう。当時の国王はフェリクスが友人と呼んだ。それですら、あの有様だ。そして現在の王冠は魔術師を憎み抜いているあの男の上にある。万が一の事態が現実味を帯びはじめているのかもしれない。
「こんなところかな。てか、そっちの話も聞かせてくださいよ。みんな元気でやってますかね」
 フェリクスがイーサウの事情が知りたいのならばエリナードは星花宮の現在が知りたい。それによっては自分の立ち位置が変わってくる。
「元気に決まってるじゃない。元気すぎてリオンなんかこの前貴族を叩きのめすところだったけどね」
「……あの人たちは自重って言葉を知らないんですかい」
「絶対母親の腹に置き忘れて生まれてきてるよ」
「その頃にもあったかどうか、それが疑問なんですけどね」
 だね、とフェリクスが笑ってエリナードに触れた。その一瞬。ただライソンにはフェリクスの情愛を示す仕種にしか見えなかっただろう。とんでもない誤解だった。途轍もない情報量が流れ込んでくる。軽い眩暈で済んだのはひとえにフェリクスの技量だ。
「さ、そろそろ帰るよ」
 何事もなかったかのようフェリクスが立ち上がる。だからエリナードは眩暈などなかった顔をして見送ろうとする。いずれここから転移するのだとしても。
「そうだ、師匠。これ、土産ですよ。タイラント師と一緒に食ってください」
 先ほど屋台で買い求めた夏林檎の飴。フェリクスは驚いた顔をして、けれど口許を小さくほころばせる。そしてエリナードを素早く抱きしめては去って行った。腕が解かれた感触だけを残して。




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