道は続く

 夏。イーサウではアリス祭が執り行われる。神殿の祭事ではなく、この町が温泉の町として栄えるきっかけを作った少女を記念して行われる、純然たるお祭り騒ぎだ。
「行こうぜ」
 狼の巣もこの日は騒がしい。お祭り騒ぎは傭兵も大好物だ。ライソンは頭の痛いことだと思うが、そこは熟練兵も多い狼だ、さほどとんでもない事態にはならないだろう。
「どこにですか?」
 この国に来て日の浅いカレンはアリス祭と言われてもよく知らないらしい。が、そこはそれ、魔術師の卵だ。知識だけならば人並み以上にあるだけに存在自体は知っていた。
「アリス祭だよ、楽しいんだからな!」
 すっかり妹扱いすると決めたらしいライソンだった。そうなると持ち前の思い切りのよさからか、ライソンはカレンに頓着しなくなった。よく知りもしない少女、だったのが妹になれば遠慮などない、ということらしい。エリナードにはそのあたりが飲み込めなかったが、ライソンもカレンもうまくやっているから口出しはしなかった。
 狼の巣からイーサウの街までそれほど距離はない。昔の狼の宿営地から、ラクルーサの王都アントラルの自分の店のほうがまだ遠かったな、などとエリナードは思っている。その道々ライソンがアリス祭の由来をカレンに話してやっていた。カレンは知ってはいるだろうけれど、現場の人間の話を聞くのは楽しいのだろう、ふんふんと聞いている。
 エリナードは二人の前を歩きつつ込み上げてくる笑いを必死で隠している。ライソンのせいなのか、多少なりとも思うところがあったのか、カレンは少し髪を伸ばしはじめた。とはいっても刈り込むのをやめただけで、長くする気はないらしい。それならばそれで、カレンの意志だ。エリナードはまったく問題を感じていない。長年タイラントを見続けているせいもある。見た目の男女の差異というものをエリナードは気にかけたことがない。かけなければならないという気持ちもわからない。好きでしていることならば他人がどうこう言うことではないだろうと思っている。
 カレンのために言ったわけではない、それこそエリナードの意志だ。カレンはどう感じたのか、あるいは安堵であったのかもしれない、エリナードは思うけれど本当のところは長い付き合いでもない新米の師弟だ、わかり得ない。ただ、なんとなくは居心地の良さを感じはじめてもいる。カレンが、ではなく自分自身も。
 ――俺もこんなことを思うようになりましたよ、師匠。
 内心で小さく呟く。遠いアントラルにあってフェリクスはどうしているだろう。星花宮はどうなっているだろう。ラクルーサ王の隔意にさらされて、敵意にまで高まりつつあるそれに四魔導師は、否、フェリクスはどうしているだろう。
 ――人の心配なんかするなって、言うんだろうな、あの人は。百年早いってまだ言うかな。
 言うだろう、思いつつエリナードの口許はかすかに緩む。いまだにこうして独立してすら、フェリクスが恋しい。師の下でぬくぬくと学び続けていられたならばどれほど幸福だろうか、そんなことを思わないでもない。ただ、否応なしに師と引き離されたからこそ、学んだことも開発できたこともある。イーサウに居を移してからエリナードが発展させた魔法はもう片手に余る。
「おぉ、すげぇ! ほら、あれだぜ。かっわいいよなぁ」
 町の中はちょうどパレードがはじまったところだった。ライソンが嬉しげな声を上げてカレンに指差しているのだろう声。それはシャルマークの四英雄を模した仮装行列だった。しかも小さな子供たちが仮装しているのだから、ライソンが可愛い可愛いとはしゃぐ気持ちもエリナードにはわかる。自分自身も幼いうちに小さな兄弟を失ったライソンだ。胸の奥が痛みはするだろうけれど、子供を見る彼の目は優しい。大きくなって欲しい、無事に育ってほしい、そう思うせいだろう。弟妹が見ることのできなかった明日を子供たちには見てほしい、願うライソンの眼差しがエリナードは好きだった。
「あれは、リィ・サイファですか?」
 後ろからカレンの声。カレンは塔でリィ・サイファの肖像を目にする機会はなかっただろう。見たことのあるエリナードとしてはイーサウの人々がいまだ彼を忘れていないのが伝わってくるようで嬉しい。もちろん人間の子が仮装しているのだ、半エルフには間違っても見えない。けれどせめて面影だけでも、そんなイーサウの人々の思い。リィ・サイファ役は街一番の美少女が務めることになっているらしいのもエリナードには微笑ましい気がする。カレンに向かってうなずいてやりつつ行列を眺めていた。
「あれのせいかもな」
「ん、エリン?」
「いや。ここ、魔術師忌避がすくねぇだろ? アリス祭で子供が仮装するくらいだからな、半エルフの魔術師のって嫌う気持ちが少ないのはそのせいかと思ってな」
「あぁ、確かに。魔術師にとっちゃ暮らしやすい町だよな」
「偉そうに一端の口叩きやがってよ、傭兵」
 ふん、と鼻で笑って背伸びをしてはライソンの髪をかき回す。長くもない砂色の髪の手触りがエリナードは好きだった。嫌がるライソンの抗議を聞くのも。カレンのささやかな呆れ顔は、どこか楽しげでもある。
「あぁあ、通り過ぎちゃったじゃん。もう!」
 行ってしまった行列を名残惜しげに見やったライソンをエリナードは笑う。カレンまで同じことをしていた。その目がきょとんとする。嫌な予感を覚えてエリナードは振り返り、そして頭痛をこらえる。祭りの人混みの中、迷子がいた。きょろきょろと辺りを見回し、親を探しているのだろうその後ろ姿。鮮やかな金髪が頼りなく見える。そしてその五歳ほどの男の子は振り返る。ぱっと顔が輝いた。
「あ――」
 カレンの声にエリナードは内心で罵りだか悲鳴だかわからないものを上げながら、顔つきだけは平静のまま。駆け寄ってきた男の子をふわりと抱きあげた。
「……お父さん」
 小さな小さな、臆病な声。いったい誰に何をどう罵倒すればこの気持ちは晴れるのか。ライソンは何かに気づいたのだろう、吹き出しかねない顔をしつつも黙っているつもりらしい。何かを言えば八つ当たりをしかねない自分だとエリナードは自覚している。大変にありがたかった。
「どっからどう見ても隠し子なんですが、師匠」
「はい?」
 地の底を這うようなカレンの声、頓狂な声を上げたのはライソンのほう。エリナードはそうだろうなと思って子供の顔を見る。鮮やかな金髪に、深い青い目。いずれもエリナードが五歳のころはこうもあっただろうと言うほどよく似ている。
「俺がこの年のころのことなんか知りゃしないだろうに」
 ぼそりと言った相手は当然カレンではない。ライソンでもない。が、カレンはそうは思わなかったらしい。ライソンはと言えば肩を震わせて笑いをこらえている。カレンは肩ではなく身を震わせる。そしてエリナードにはぷちりと言う音が聞こえた気がした。あるいはカレンが思い切り息を吸い込んだ音だったのかもしれないが。
「師匠!? あんた、どう言うつもりですか! ライソンさんって人がありながら、そんなちっちゃな子がいるような父親だなんて、貞操観念はどうなってんだ!」
「カレンよ、それが地か?」
「うるさい! 私のことなんかどうでもいいでしょうが!」
「猫かぶってたんだなぁ、いままで。疲れるだろうによ。ま、俺も人のことは言えないけどな。とりあえず祭りだ、楽しめよ」
 問いには一切答えない、そんな態度で子供を片手で抱き直し、エリナードはさっさと歩きだす。沸々とカレンの怒りを背中に感じる。ライソンにまで当り散らしているらしい。
「ま、悪くはないかな」
 呟けば腕の中の子供がにこりと笑う。エリナードは思わずつられて笑みを浮かべてしまっていた。それをまた一くさりカレンが罵る。
「エリン、実はけっこう力持ちだよな」
 なだめようと言うのかライソンが話をそらそうとする。まったくそれていなかったが。しかし功は奏したらしい。
「……重量軽減の魔法、かかってますね」
「ん、なんだ。それ? 子供が軽くなるってことか。なるほどなぁ。魔術師の細腕でよく軽々抱いてると思ってたわ」
「いつかけたのか、わからないのが悔しいですが」
 むつりと言ってカレンがエリナードの背を睨んだ気配。冤罪だ、とエリナードとしては言いたい。思ったものの、本気で言いたいのかどうかはわからない。
「お、いいもんあるな。買ってやろうか、うん?」
 腕に座らせた子供に言えば嬉しそうに、けれど無言でこくりとうなずく。あんまりにも可愛らしくてついうっかり口許がほころぶ。それをライソンが笑っていた。
「それ、五つな。二つは包んでくれよ、持って帰るから」
 屋台が出ていた。祭りにつきもので、甘いものから軽食まで様々だ。エリナードが買い求めたのは小さな夏林檎が丸ごと一つ、飴がけになった菓子。串に刺さってそのまま齧れるようになっている。
「ほら、食べてみな。うまいから」
 子供に手渡せばおずおずと受け取る。後ろからはライソンが屋台の親父から二つを受け取り、片方をカレンに渡してやっている。エリナードは包まれたものをひょいとライソンに放る。
「持っててくれ。食うなよ?」
「あいよ。つかな、俺。それほど食い意地張ってないからな!」
「甘いもんだと危なくってな。ほっといたら絶対食うだろうが」
 そんなことはない、と抗議する声に小さく子供が笑う。そしておずおずと林檎にかじりつき、目を丸くしていた。
「な? うまいだろうが。ん、くれるのか。優しい子だなぁ」
 子供が差し出す林檎をひと齧り。とろとろに蕩けたエリナードの態度にカレンが真剣に怒りを募らせているらしい。ライソンが困っている。慌ててカレンに話しかけていた。
「ちょっと珍しいだろ、この夏林檎!」
「え……あ、はい。こんな小さいのははじめて見ました。ここの特産ですか?」
「間違いではないかな。イーサウの加盟都市だからここって言ってもいいんだけど、お隣さんでさ。トレモントって町の特産品。こんなちっちゃいのにさ、甘いし味濃いし。うまいよなぁ」
 子供の拳ほどの夏林檎だった。ライソンが目を細めているのがエリナードには感じられる。本当に甘いものが好きな男だな、と。二人を従え、子供を腕に抱き、アリス祭を堪能してから家に戻る。子供を連れて戻ったことにカレンが文句を言いたそうな気配。それより先にエリナードは子供を床におろしては溜息をつく。
「さぁ、師匠。言い訳を聞きましょうか!? いったいどんなつもりだその面は!」
「なにそれ。いい出来でしょ? ここまで小さくするの、大変だったんだよ」
「出来はいいですけどね! なんで一々俺がガキの頃を模倣するんだっての。可愛いからだとか言う戯言は聞こえねぇからな! ――あぁ、カレン。うちの師匠だ、これ」
 瞬きの間に素顔に戻ったフェリクスにカレンが立ち尽くす。気持ちはわかるよ、と彼女の肩に手を置くライソンをフェリクスが悪戯に睨んでいた。




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