傭兵隊の宿営地だから、という充分な理由はあっても、男二人の家に同居とあっては少女は気兼ねがするのではないか、と案じていたのはライソンのほう。エリナードはまったく頓着していなかった。しかも、カレン本人も気にしていないらしい。 はじめのころに緊張していたのは、初対面なのだから当然だ。それもしばらくすると慣れた様子で、カレンは修業に励んでいる。 「お前、飯の支度できるか」 ふ、とエリナードが首をかしげて尋ねていた。そう言えば聞いてなかったな、とでも言うようなのに、ライソンには注意を払っていることが感じられる。内心で微笑めば、黙っていろと言いたげなエリナードの目。 「できますが」 「じゃあ、明日の朝飯から交代な」 「は……?」 きょとん、としたカレンの後ろ姿をライソンは見ていた。刈り上げられてしまった襟足が寒々しい。男でもあそこまで短くするものは多くはないというのに。頭頂部を見ればわかる。カレンの髪は艶やかで綺麗だ。伸ばせばいいのに、ライソンは思う。 「なんだよ?」 ライソンの内心など気づきもせずエリナードは不思議そうにカレンを見ていた。もっとも、不思議そうに見せているのであって、心の中では大笑いをしているが。 「いえ……教えを受けている身なので、やって当然なのですが。全部やれと言われるのかと」 「あぁ、交代だって言われたのがそんなに不思議か? そこでにやにやしてる若いのが俺の手料理を食いたがるからよ。どっちかって言ったらそいつのほうが料理は巧いんだがな」 「エリンさんは食える程度ってとこだよな。俺は好きだけど」 「うっせぇな。細かい作業は苦手なんだよ」 顔をそむけてエリナードは言う。ライソンはどこがだと思っていた。これ以上ない精緻な細工物を作る手だというのに、料理だけはうまくならない彼だった。 「もしかして、あれかな。女だからやれって言われると思ってたの?」 カレンとはどう接していいのかいまだ迷っているライソンだった。思っていたほど彼女は年若くはなく、十七歳になったと言う。が、ライソンとしては戸惑うに充分なほど若い。 「えぇ、まぁ……」 歯切れの悪い声にエリナードがからからと笑っていた。カレンをではなく、そんなことを言うような輩がいたら大笑いをする、と宣言をするような。 「そう言えばさ、なんでそんなに髪の毛短いんだ? せっかく綺麗なのにもったいねぇよなぁ」 ついでだとばかり思ったことを尋ねてしまうことに決めたライソンにカレンの向こうでエリナードの渋い顔。それでもライソンは引かない。本当に立ち入るべきでないのならばエリナードはもっと強固な態度に出ると知っている。 「邪魔なので」 髪のようにばっさりと断ち切ったカレンの言葉。ライソンは少なからず驚く。ここまで拒絶されるとは思っていなかったせい。 「別にいいだろ、長かろうが短かろうがよ。好きでやってんだったらどうこう言うことじゃねぇや」 「ま、そうなんだけどさー。女の子だし、長くしたいとか思わないのかなって思うだろ?」 「女だろうが男だろうが好きずきだろうが、そんなの。タイラント師を見ろよ、あのきらっきらの長い髪の毛。あれ見てお前、女みたいだから切れって言うか?」 「言わねぇよ!」 「だろ? だったらなんで女だから髪伸ばせなんて言うよ? 見目形は好きずきだろ。自分で好きでやってんだったらそれでいいんだっつの」 繰り返された「自分の意志」の言葉。ライソンにはぴんとくる。カレンは本当に自分が好きでそうしているのか、エリナードの無言の問い。カレンは答えずじっとしていた。あるいは、真剣に考えているのかもしれない。この生真面目な少女がライソンには好もしい。亡き妹のように、では決してない。妹は、たとえ長じていたとしてもこんな少女にはならなかっただろう。だからこそ、カレンを妹のように思えるのかもしれない、ふとそんなことを思う。 「ついでだ、カレン。聞いときてぇことがあったわ。――お前、基本の性教育は済んでるよな?」 言った瞬間だった。ライソンが飲んでいた茶を吹き出したのは。呆れ顔でエリナードは台所から布を放ってやる。慌てて顔と零した茶を拭くライソンをくすりとカレンが笑った気がした。 「なんだよ、それ!? なんでそんなのいるんだよ!」 「いるぜ? 魔術師の基本は平衡感覚だからな。自分のよって立つ位置ってのの一番はまずてめぇの肉体だろ。否応なく学ばされるぜ。で、どうよ?」 「あ、はい。済んでいます」 「そりゃよかったわ。まださほど知った仲でもねぇってのに性教育はいくらなんでも荷が重いわ」 ぼやくエリナードにどうしてだろう、カレンがほっとした顔をするのは。それはエリナードに性教育をされることはない、と安堵した笑みではなかった。エリナードに向けて、彼が彼であることに安堵したとでも言うような。 「エリンさーん。あんたもそう言うのってやったの? つか、性教育って……」 「俺なんざ悪夢だぞ悪夢。お前も知ってるかな。アントラルに、双子神の神殿兼ねた娼館があったろ?」 ライソンも存在は知っていた。が、最愛の人の前でもちろん知っている、とは言いだせない。結果として曖昧な態度を取るライソンからカレンが視線を外す。笑いをこらえたらしい。 「あそこにな、師匠に連れられてな、目の前で神官の実演だぞ、実演。男女、女同士、男同士。全部見せられたわ。いやもう、夢も希望もあったもんじゃねぇ。しかもだぞ、ライソン。すぐ隣に師匠が座ってんだぞ? 仲良く一緒にご見学、だ。悪夢以外のなんだってんだ」 溜息までついて嘆くエリナードにライソンは身を震わせる。隣にあの氷帝が座していてそんなものを見せられたならば自分など生涯役に立たなくなるのではないだろうか。 「十五だったかな、そんとき俺は。もうだいたい自分の性指向は把握してたからな。だから師匠も早めにしたって言ってたけどよ」 「……十五歳でそんなもん見せられたら俺は立ち直れねぇよ」 「こっちは魔術師だからな。師匠に見られてると思うだけで冷や汗もんだったけどよ、必要なことだとわかっちゃいたからな。俺は男で、しかも男にしか興味がねぇわけだし。知識はいるだろうが」 当たり前のことをエリナードは言っているつもりだろう。こんなときに彼は魔術師だな、とライソンは思う。エリナードにもそれが見てとれる。けれどライソンは、その差異をただ面白いと思っている。それがエリナードには嬉しい。 「だからな、カレン。お前にも必要なことだってのは、わかってるな?」 「あ、はい。心得ています」 「本当にか? お前が自分をどう思ってようがな、カレン。お前のその肉体そのものは女の体だ。万が一のことがあれば心身ともに傷つくのはお前だぞ」 すっとカレンの頬が青ざめる。この数日でもエリナードは不安を感じていた。たぶんカレンは男性魔術師の中で伍していきたいという思いが強すぎる。男の中に平気で入って無茶をする。いまだ少女でしかないカレンだ。生意気だと取られかねない。それはカレンが男の身であって、少年であったとしても同じだ、とカレンにはまだわからない。少年であれば殴られて済むところが、少女の身には何が起きるか。 「あんまり無茶はやらかすんじゃねぇよ。ミスティに泣かれんのはごめんだぜ」 ぽん、とカレンの頭に手を置きエリナードは内心で苦笑した。自分のいまの仕種がフェリクスに酷似していて。あるいはこの瞬間かもしれない。カレンを弟子に取ると決意したのは。いまはまだ預かっているだけの少女だった。ふとあの十五歳の日のことを思う。いずれもし女性の弟子ができれば女の肉体がどうなっているのか知らないでは済まないと言った師。偶然、実現してしまった。遠いラクルーサでフェリクスが笑っているような、そんな気がした。 「あー、その、な。エリンは別にだから家から出るなとか、魔術師なんか諦めろとか言ってないからな?」 うつむいていたカレンが驚いて顔を上げる。蒼白になった頬は充分にそう考えていたのだと語っていた。 「ん、やっぱな。あのさ、聞きにくいこと聞くけど。言われたりしたわけ、そう言うこと?」 「……はい。女は家にいろとか、神殿に入れとか」 「魔力がある女は神職になる例が多いからな。だからと言って魔術師になっちゃいけないわけでもなし。男だって神職になるんだったら別にいいだろうが、そんなの」 聞き流せ、と軽くエリナードは言う。そうできるのならばきっとカレンは悩まなかったのだろう。言ったエリナード本人も、そう思っている。 「ほんと、最近の星花宮はどうなってんだかな。まぁ、あれか。俺がガキの頃からいじめっ子はいたからなぁ」 「そう、なんですか?」 「おうよ。イメル、知ってるか?」 お目にかかったことがある程度です、とカレンは言う。星花宮は在籍する魔術師が多い上に時間感覚が常人と違うと来る。しかもイメルは吟遊詩人でもあることから、カレンに親しく接する機会はさほどなかったのだろう。 「あいつと俺とな。もういじめられるいじめられる。けっこう酷いもんだったぜ?」 「エリン、あんたが!?」 「俺が。人見知りするガキだったからな。癇に障ったんだろ、その辺が。あとあれな。師匠に可愛がられてるからって嫌がらせもされたなぁ」 それでも止まらず進んできたからこそエリナードはいまここにいる。カレンは彼をそう見た。嫌がらせなど何するもの、と突き進んできたのではたぶんないのだろう。どことなく優しい目が、それでも魔法が好きだったからだと語っているようで。 「結局な、どこにいてもどんな世界でも、嫌がらせはされる。万人に好かれてるからあいつは嫌いだって言うようなやつがいたってなんの不思議もないんだからよ」 「そこで、どう進むか。自分は……私が、どうしたいのか」 「そーゆーことだわな。他人の評価にふらふらしてるようじゃまだまだ頭に殻乗っけたひよっこだぜ?」 ふふん、と笑って架空の殻を割るように、エリナードの手がカレンの頭上で動く。それからつい、と梳けるほどの長さもない髪を梳いていった。 「で、さっきからあんた。台所で何してんだよ?」 考え込みはじめたカレンを放っておいてやろうとのライソンの心遣い。エリナードはそっと微笑む。出来上がったばかりの瓶を掲げれば、ライソンの嬉しげな顔。 「ほんっと、いつになっても甘いもんが好きで嫌になるよな」 「男だって好きなもんは好きなんだよ! いいだろ、別にさー」 「悪いたぁ言ってねぇだろうが!」 取りのけてあった果物の蜜煮をライソンの口に放り込んでやれば、満面の笑み。気づいたカレンが呆然とし、そしてほんのりと笑った。 |