フェリクスとの再会から二年が経とうとしている春のことだった、その少女がエリナードの元を訪れたのは。 「――フェリクス・エリナード師のお宅はこちらでしょうか」 硬い声の少女を出迎えたのはライソンだった。その声を聞かなかったならばきっと少年だと思ったことだろうとライソンは思う。痩せぎすな体に長い手足、少女らしいふくらみがまるでなかった。しかも髪など襟足を刈り込むほどに短くしている。 「おうよ、入んな」 家の中から聞きつけたのだろうエリナードの声。ライソンは苦笑して扉の前から退く。それに軽く頭を下げて少女は入ってきた。 「カレンと申します。ミスティ師の弟子です、いえ……弟子でした」 言いつつ一通の書状をカレンと名乗った少女はエリナードに差し出す。何かしらその姿に痛ましさを覚えるのだから自分も大人になったものだとライソンは思い、茶の支度をしてやる。エリナードが手紙を受け取りがてら目顔で礼を言っていた。 「……はい?」 手紙にきょとんとしても返事は返ってこないだろう。自分でそれに気づいたエリナードは苦笑し、ついでとばかり思い切り顔を顰めて手紙に再び目を落とす。 「まぁ、いいや。とりあえず――そうだな。俺の書斎があるから空けてやるよ。来な」 「エリン?」 「あぁ、悪い。ミスティからの頼み事でな。こいつの面倒見ることになったわ」 「へぇ、あんたの弟子ってことか。はじめてだよな、エリン?」 「さてなぁ」 まだ弟子とするかどうかはわからない。はっきりとした拒絶ではなかったけれどカレンが落胆したのがライソンにもわかる。ミスティという名にライソンも聞き覚えがある。エリナードの元同僚で星花宮の魔導師の一人だ。彼女はそのミスティの弟子だったのだろう。それがなぜエリナードの元に来ることになったのかは、ライソンにはわからないが。 「自分だったら、お気遣いはけっこうです。どこかに部屋でも借りて通わせていただきますから」 硬い硬い少女の声。ライソンは何気なく外を見る。思わず浮かんでしまいそうな微笑を隠すために。自分にもあのような頃があったのかもしれないな、と思い返す程度には彼女は年下だった。 「あん? ここはな、カレンよ。兵隊がごろごろしてる宿営地なんだ。お前みたいな小娘ふらふらさせられるか」 「自分の身くらい――」 「傭兵ってのは血の気の多い野郎どもなんだっつの。女と見りゃ子犬だってあぶねぇわ。頭に血ぃ上らせる前に引き離しとくのがお互いのためだろうが」 「あのなぁ、エリン。うちの兵を痴漢扱いすんじゃねぇよ」 「痴漢になる前に止めてやろうって言うおっさんの心遣いだろうが。ほれ、さっさと来な」 ライソンとエリナードのやり取りにカレンが驚いた目をしていた。それでも彼女はなにも言わずエリナードに続く。 ライソンにはそれが不思議だった。星花宮の魔導師たちはよく言えば屈託がなく、悪く言えば遠慮会釈が微塵もない。弟子とは言えその一員だったはずのカレンが口を閉ざすのが訝しい。 エリナードの書斎は家の中では裏手に当たる、さほど日当たりのよくない部屋だった。書物の管理もするのだから陽射しは不要、むしろ害になる、らしい。ライソンにはそれもよくわからない。明るいところで読み書きしたほうがずっと楽しいだろうに、などと思ってしまう。 「荷物は?」 にやりとしながらエリナードはカレンに尋ねていた。ないはずはないだろうと言うように。それはライソンも不思議に思っていたことだった。星花宮の弟子だったのならばカレンはラクルーサから旅をしてきたことになる。それにしては軽装、というより荷物らしい荷物を持っていなかった。あとから隊商で運ぶ、と言うような無駄な贅沢はしないだろう、やはり。 「はい、こちらに」 言ってカレンは手にしていた袋の中からいくつかのものを取りだす。ライソンはそれに目を見張っていた。細工物のような小さな本箱がいくつか、人形の物のような服の詰まった箱もある。他にも薬瓶が入った箱、雑多なもの、いずれも掌に乗るほど小さい。 「うわ、可愛いな。人形遊びのおもちゃみたいだ」 手に取れば壊してしまいそうでライソンは身を乗り出して眺めるに留める。そしてカレンにもう一度可愛い、言おうとしたとき彼女の強張った顔に気づく。 「――そいつにはな、まだちっちゃいときに死んじまった妹がいたんだ。思い出してたんだろ? 別にお前が女だから可愛いもん持ってるなんて言ったつもりはねぇと思うがな」 「え? あれ、そんな風に聞こえたか? いや、ごめんな。ほんと、懐かしくって、すっげぇ可愛くってさ」 「あ……いえ……」 「ライソン、いいけどあんまりじっと見んな。人の私物だろうが」 「はい!?」 「それ、持ち運びに小さくしてるだけだぜ」 にやりと笑ったエリナードに慌ててライソンはおろおろとする。少女が身につけている服を嬉しそうに眺めていたのかと思えば顔から火が噴きそうだ。 「別に、かまいません。特に可愛いものでもないですから」 「ん? ――ちょっとこれ見な」 訝しげなエリナードが、けれど何かを悟ったのだろう、にっと笑って書棚から無造作に一冊の本を引き抜く。分厚い本だった。相当に読み込んでいるのだろう、革の表紙は手ずれで色が変わっている。その本には留め金があった。表紙を留めている銀細工の上下にも、同じような細工のメダルがはめ込まれていた。 「これはな、俺の魔道原書だ」 「……は?」 「お前だって持ってるだろ?」 そう言う問題ではない、言いたげなカレンにエリナードは苦笑する。そんなに簡単に人目にさらすものではない、そう思っているのだろう、彼女は。エリナードとてそんなつもりはない。ただ手近にある好例がこれだっただけだ。 「へぇ、なんかわかんねぇけど、きれいな本だな。このメダル? 可愛いじゃん」 「だろ? 留め金はな、俺の師匠がご褒美にって、銀細工師に注文してくれたんだ。下のメダルは、これを参考に俺が造形したもん」 よくよく見れば確かにすべて銀細工ではある、がすべてが違う。中央のメダルは繊細優美で、確かに職人技だった。その雪花模様を忠実に写した風でいて、下のメダルはけれど違う。雪の結晶がそのまま溶けて、けれど水滴にはならず結晶の形を保ったままのような、そんな模様。 「上のは、もうわかるよな? 師匠が自分だったらこう言うものを作るって参考に俺にくれたもんだ」 こちらは明らかに雪の結晶だった。銀細工の雪花模様とは、それでいてやはり違うとしか言いようがない。触れると指先に一瞬の冷たさがあり、そして溶けて儚くなっていきそうな気までするほど、雪の結晶だった。 「氷帝、意外だよなぁ。ほんっと、可愛いもん作るよな。まぁ、あんたもだけど」 「俺らはこう言うのが好きだからな。――男のくせにとか、思うか?」 「はい!? 思うわけねぇでしょうが。そんなこと言ったら俺なんか男で傭兵やってるくせにあれだぞ、いまだに蜜がけの揚げ菓子大好きだぜ!?」 「だよな」 からからと笑ってエリナードはけれど何も言わずにカレンを見た。驚いて、けれど思うところはあったのだろう。カレンの目が瞬く。 「あぁ、そうだ。忘れてたわ。ここは暁の狼って傭兵隊の宿営地だってことはわかってるな?」 「あ、はい」 「んで、こいつが隊長のライソンだ。俺の連れ合いだから、こいつもここに住んでる」 また驚いたのだろうカレンの瞬き。けれど感情をあらわにすることなく少女は黙って頭を下げる。エリナードとしてはミスティに文句の百や二百は言いたい気分でいっぱいだ。 彼の手紙にはただ外の生活のほうが向いている、とだけあった。預けるも弟子にしてくれもない。それはかまわないが預けるならば預けるで事前情報くらいは寄越してほしい。 ただ、カレンを見ていてわかることもある。星花宮に限らず女性魔術師は少ない。おそらくそれは魔力の発現した女児は薬草治療師になったり神職についたりするせいだろう。そちらの方面は女性のほうがより、拓かれている。 そのぶん、魔術師としての女性は色々と面倒事も多いらしい。男性魔術師の中に立ち混じるのも大変だと聞くし、そもそも師につくのも困難らしい。そして同じ弟子の中にあっても男女の壁がある。当然にして若い、あるいは幼い弟子だ。男女の差と言うのが区別ではなく差別になってしまうことも多々あるだろう。 「次、地下に来な。荷物の解呪は後でやってくれ。とりあえずどこまで何ができんのか見せてほしいからよ」 カレンはだからここに寄越されたのかもしれない。ミスティが自分の弟子だった、と名乗るのを許してここに寄越したのだ。技量も魔力も劣るとは思えない。 「お前はどうする? 見学するか?」 ライソンに言えばもちろんと嬉しそうにうなずく。昔から変わっていないライソンだった。事あるごとに魔法に恐怖はしないと示すよう、ライソンは魔法に目を輝かせる。 地下の呪文室に二人を伴い、そしてエリナードはライソンのために簡易結界を張る。ライソンも慣れているだけあってエリナードが出るなと言った場所からは一歩たりとも出ない。それを確かめたかのようカレンがエリナードを見やった。 「四大属性を一通りやって見せてくれ」 こくりとうなずき、カレンはゆっくりと息をする。そしてカレンは地系からはじめることを選択した。いい決断だ、とエリナードは腕を組んで眺めながら内心でうなずく。ミスティの弟子なのだから彼女は火系だ。緊張をほぐす意味でも相応しい。 カレンの操る魔法が、呪文室の中を優雅に、あるいは激しく飛び交う。地系からはじまり、火系へと。そして風系に移り、最後は水系で締めた。エリナードはそのカレンの目を見ていた。 四大属性を操る程度のことは星花宮で学んでいたのならば、ましてあのミスティの弟子ならばできて当然だ。だからエリナードが見ていたのはカレンの魔法では、ない。カレンが魔法を発動させる姿勢そのものを見ていた。あの地上での屈託のある表情からは想像もできないほどカレンはきらきらとした眼差しで魔法を使う。先を。もっと続きを。そんな彼女の輝く目。 「――なるほどな。さすがミスティって言っとくか。お前、水系だわ」 属性変化はよくあることだ、とエリナードは肩をすくめる。逸早く気づいたミスティこそ褒むべきか。愕然としたカレンだった。立ち尽くすかと思っていた彼女はエリナードをも驚かせる。咄嗟に現した水球に見入り、こくりとうなずいていた。 |