三日というものエリナードの態度がおかしかった。妙にはしゃいで明るい。はじめは久しぶりにまみえることのできた師との再会がよほど嬉しかったのだろうと思っていたライソンだったけれど、さすがに訝しくなってきた。 「エリン、ちょっといいか?」 言えば今まで機嫌よく喋っていたというのにぱたりと黙る。そして横目でライソンを窺う、という普段の彼らしくはない態度。自分でも気づいたのだろう、向き直ったエリナードは苦笑していた。 「……けっこう、こたえてんだよ」 「やっぱな。あんた、お師匠さんと仲良すぎだし。あれだよな、よくタイラントさん、疑わねぇよなぁ」 「あ? 馬鹿言ってんじゃねぇぞ。俺を師匠が可愛がるからってんで、あの人は俺の真似して見習いたいってぬかしたとぼけた男だぞ?」 「……それはそれでどーなんだよ、おい」 「直後に師匠に締められてた」 だよな、と呟き笑うライソンは、内心では違うことを考えている。すべてを失ったエリナード。原因、というより遠因なのかもしれないけれど、結局は自分のせいだろう。それでもエリナードは一言たりともライソンを責めたことはない。 「おい、そこの若いの。なんかよけいなこと考えてる面してんぞ?」 「あー、ばれた?」 「おっさんにはバレバレです。さっさと吐きな」 ふん、と鼻で笑う仕種もまたフェリクスに酷似していた。これほどまで互いを大事にしている師弟なのに、そう思えば忸怩などで済ませていいものではない、ライソンは思う。 「あんたさ……俺のせいだろ? なんで俺を責めないよ?」 「なにがだよ」 「だから! あんたが追放されたの! あれから何年経った? 一回も言わねぇじゃん」 「言うわけねぇだろうが、んなこと思ってもねぇもん。誰かのせいって言うなら直接はイメルの馬鹿がポカやらかしたせいだし、そもそもお前と付き合ってんのは俺だからよ。自業自得だろ」 「でも!」 「あのな、ライソン。そりゃ師匠の顔見りゃ嬉しいし、別れりゃ寂しいさ。でも俺も師匠もいい大人だぞ。べったりし続けられるかってんだ」 「……してたいくせに」 「まぁ、否定はしにくいよなぁ。ガキやってると守られてる居心地のよさってやつか。ぬくぬくしてるのも悪くねぇし。でもな、そればっかってのはどうなのよ? 俺は俺でやりたいこともあるしな、師匠だってそうだろ」 肩をすくめるエリナードは、そう口にすることで自らに確認をしているかのよう。数年ぶりに再会したフェリクスとの会談は彼なりに思うところがあったのだろう。 「あんたにとっちゃ、親父みたいなもんだろ? あんな心配してくれてさ、ちょっとガキ扱いが過ぎるかなとは思うけど。いい親父かもなって思う」 もしも父が生きていたらどうだろう、ライソンは思う。あまり想像はできなかった。けれど一つだけ思う。父はフェリクスのようではない心配の仕方をしただろうと。そう思ってくすりと笑い、笑える自分に自信を持つ。 「あのなぁ、ライソン」 ライソンの笑みにエリナードもまた、自信を持てる、そう思う。さすがに精神的にこたえるものがあった。変わらないフェリクスではあったけれど、顔形など魔術師の身だ、さほど変わるわけもない。それでも互いの間に時間の流れを見てしまったような切なさ。まだまだ未熟と痛感させられるほど、フェリクスは確固と立っていた。だからこそ、前に進みたい、エリナードは思う。 「なんだよ?」 「俺はな、あんな性別も年齢もいい加減な化けもんを親父って呼ぶのにものすごく抵抗があるんだがよ」 「年齢はそんなに変わってなかっただろ、氷帝元々童顔じゃんか」 「馬鹿言うんじゃねぇよ。あの姿だと大差なかっただけでな、あの人は七歳の幼児にも化けられんだ」 「……どうやってんだ、それ」 これでもライソンは傭兵だ。一流の変装術、というものも心得てはいる。まったく別人にしか見えない技術というものがこの世にはある。そしてそれを更に推し進めて魔法ですることも星花宮の魔導師だ、可能というより確定だろう。だがそれにしても体格はどうしているのか。 「超強力な幻覚と肉体変成だな。元々あの人はあれだろ、闇エルフの子だし。人間の皮かぶってふらふらするのに慣れてるからな。そのせいもあるんだろうけど、それにしたってあれは……すげぇわ」 「あんたには真似できない?」 「んー、さすがに七歳の幼児はつらいわなぁ。せいぜい十五歳くらいまで育ってればごまかせるかもしれねぇけど」 「それだってすごいだろうが。それ、たとえばうちのアランとかはできそうか?」 暁の狼にはアランと言う魔力には劣るが技術はエリナードですら一目を置く魔術師がいる。隊長としてはできるのならば活用したい。そんなライソンにエリナードは苦笑した。 「言っただろ、超強力な幻覚だってよ。相手方に魔術師がいたら一発バレすんぞ。ちなみに、師匠はそれを抑え込むために別の魔法使って隠蔽してる。あれだと四魔導師と、あとは俺くらいだな、師匠だって気がつくのは。だからまぁ、普通の魔術師には無理。俺でもきついぜ」 「だよなぁ。まぁ、聞いてみただけなんだけどよ。にしたって、自信家ですな、エリンさんは。四魔導師に自分だけ?」 にやりと笑うライソンをエリナードは戯れに打つ。フェリクス訪問に打ち沈んでいる自分と気づいてくれているライソンだともうわかっている。内心で呟いてみる。俺は平気ですよ、こんな男と一緒ですから、と。遠すぎて返答は返ってこない。それでもなぜかしらフェリクスが肩をすくめたような、そんな気がした。 かつてエリナードを死の縁まで追い詰めたのが傭兵だったせいだろう。フェリクスは決してライソンをよくは言わない。だが一番弟子を自負するエリナードは知っている。あれで意外と師はライソンを気に入っているのだと。あるいはそれは自分が幸福であるからかもしれない。そこまで思ってエリナードは苦笑する。いずれにせよ、どこまでも甘い師だった。 「違うっての。俺は師匠の変装を見慣れてんだよ。もう、嫌ってほど見たからな。顔見た瞬間ぞわっと来るんだ」 どんな姿であっても、どんな年齢であっても。性別すら変わっていたとしても、フェリクスを見紛うことだけはない。それだけはエリナードに断言できる。 「ほんと仲良しさんで俺は氷帝に妬くべきかあんたに妬くべきか迷うっての。あれだろ、あんた。最初に会ったころってさ、氷帝の真似してたんだろ?」 「はぁ!?」 突拍子もない声を上げられてライソンは驚く。当時のことをエリナードは覚えていないのだろうか。半ば魔法を失っていたのだと言うエリナード。素顔をさらすことを嫌って、黒髪黒瞳に変えていた彼。 「氷帝の素顔だって、黒髪黒瞳だろ。大好きなお師匠さんの真似ってやつじゃないわけ?」 言えばエリナードは頭を抱えた。完全に自覚がなかったらしい。時折、親友のイメルを評して彼は言う。師の真似をしている彼は恥ずかしいやつだ、と。ライソンはどちらも似たようなもの、と思っていたのだが。 「あー、まぁ、その。色々あったらしいしな、あの頃は? それこそお師匠さん色でぬくぬくしてたかったとか、そんな気分だったんだろ、あんたは」 「それこそ問題発言だろうが」 「そうか?」 首をかしげるライソンにエリナードは笑う。フィンレイより、まだ若い傭兵だった。人とは年齢ではないな、そんなことを思う。こうやって、さりげない気遣いで慰めるようなことはフィンレイにはできなかったし、それはそれで楽しかった。フィンレイを失ったからこそ、ライソンの心遣いが胸に染みるのかもしれない。 「なぁ、エリン。リィ・サイファの塔だっけ? 行くわけにはいかないのか。あそこだったらラクルーサの管轄外だろ。だったら氷帝にも遠慮なく会えるだろうが」 言われてエリナードは驚く。事実を知っていたからではなく、そんな配慮を働かせられるようになっているライソンに。コグサの薫陶の賜か、と微笑ましくなる。 「そりゃ確かに事実だけどな。俺は一応は追放の身なんだぜ。星花宮の魔導師と鉢合わせるとお互いに面倒なんだよ」 ないとは言いきれないからこそ、エリナードはまだ警戒している。塔に出入りが許されるのは、星花宮の魔導師の中でもごく一部だ。その一部の中に、国王に通じかねない者がいないと、断言できるのだろうか。若いころのエリナードならば断言する。どれほど大金を積まれようと栄耀栄華を約束されようと、星花宮で学ぶ魔法にはかなわないと。だがいまは、わからなくなった。 「んー、だったらよ。遠くから窺っていないの確かめてからにするとか」 「転移して入るからなぁ」 「それって出た瞬間、鉢合わせたりとかするのか?」 「絶対にないとは言いきれないけど、普通はそれはねぇな」 「だったらさ、それでいいだろ。待ち合わせて会えるかどうかはわかんねぇけど、氷帝にだけわかる合図とか、あんただったらできるだろ。それで元気だって知らせてやりゃいいじゃん」 少なくとも、それでフェリクスは安堵するだろう。ライソンは笑う。そしてそうすることでエリナードもまた安心を得ると彼はわかっているかのよう。 「まぁ、様子見だな。まだラクルーサ王がどう出るか、俺にも師匠にも予断を許さねぇ事態ってやつだしよ。とりあえずこっちで地歩を築いて、向こうが諦めるのを待つってところだ。それまでは迂闊なことはしたくねぇ」 下手を打てば自分だけでは済まない。本当にフェリクスの命にすらかかわる。エリナードはそれだけの危機感を持っている。イメルでさえラクルーサ王の魔術師嫌いを真剣には考えていなかった。おそらく星花宮の過半数がイメルと同じだ。そして一部には、あちらに同調する者がいる、とエリナードは疑っていない。だからこそ、危険な橋は渡れない。 「だったらあれだ。隊長の話、承けろよ」 「あん?」 話題が何か、エリナードにも見当はついている。コグサは兵学校を作ると決めたときからエリナードに言っている。お前も魔法の学校を作れと。 「隊長の学校もそうだけどさ。あれ、半分官営だろ。隊長にはあれでイーサウの後援がついたわけだし。兵学校はイーサウって都市国家の一機関にもなってる。あんたが魔法の学校作りゃ、同じ扱いだろ。充分な地歩になるんじゃねぇの」 「ほんっと可愛くねぇな、お前! 昔の純朴なただの騎兵に戻れよ!」 「ご冗談。いまの俺だってけっこう好きって思ってるくせにな。エリン?」 「うっせぇわ!」 ぽかりと頭を叩かれてなおライソンは笑っていた。これでエリナードもたぶん魔法学校の話を承けるだろうと。だが以後三年近くにわたってエリナードが拒みに拒んだのがライソンには意外だった。 後々になってライソンは知る。自分が子供を導くのには不適格だとエリナードは悩んでいたのだと。覚悟を決めるきっかけになったのは、一人の少女だった。 |