道は続く

 当然にして、体に戻ったからと言ってフェリクスの言ってみれば「監視」から逃れたわけではなかった。エリナード自身、おそらく望んでいなかった、フェリクスの目が離れるのを。
 口では彼は言う、もう大丈夫だ、もう平気だ。師匠は過保護なんだ。そう言って笑う。事実かどうか、知っているのはフェリクスのほう。
「大丈夫だろうけどね。僕が不安だからもうちょっと付き合いなよ」
 軽くいなしてフェリクスは何度となく言い続けた。結局フェリクスはエリナードの心の半分を占め続けている。
「……ほとんど共生じゃねぇか」
 独立を許されていてよかった、とエリナードは思う。星花宮の中に自分の部屋がある。子供のころのよう、誰かと一緒の部屋ではなく、自分だけの部屋が。その中で一人、呟く。
 本心を言えばフェリクスが案じられた。半年にもわたる精神の共有。以後、現在に至るまで接触と言うには深すぎる精神の共生をしている。こんなことを続ければ、フェリクスの心がおかしくなってしまう。いかに強靭な師の精神とはいえ、かつての自分ではない自覚のあるエリナードだ、こんなものに触れ続けていればフェリクスのほうが病んでしまう。
 ――馬鹿なことは考えないように。そういうことは一人前になってから言うんだね。
 塔にいたころとは逆に、フェリクスの声が自分の中に響く。どことなく安堵する感覚で、だからフェリクスは離れてくれないのかもしれないとたまには思う。
「俺はもう、一人前ですよ」
 肩をすくめるフェリクスの気配。言葉にせずともはっきり伝わってくるそれにエリナードは溜息をつく。ここまで師の精神は健全で強靭。とても敵わない。
 ――僕はいい大人なんだよ。あなたみたいにちっちゃくないだけ。
 子供扱いされてエリナードは小さく笑う。ずっと子供のままでいられればよかったと、思うだけ大人になった。子供だったころは早く大人になりたいとばかり思っていたものを。
 結局精神の共生状態は五年近く続いた。この間にコグサが星花宮を訪れ、フィンレイがなぜ魔法の前に飛び出すような真似をしたのかを語った。直接顔を見せなかったエリナードではある。が、それでよかった。再び暴走しかけた彼の煽りを食らったフェリクスが悲鳴を飲んだと言う。意識を失くしたエリナードは詳細を知らない。四魔導師に手間をかけさせたのだけは後から聞いた。だからかもしれない。何をしていてもフェリクスが自分の中にいる安堵に慣れはじめている恐怖をエリナードが感じたのがその頃だった。
「師匠、ちょっといいですか」
 わざわざなんだ、そんな顔をしたフェリクスにエリナードが騙されるはずもない。師に弟子が敵うはずがないのだから、エリナードがいま何を考え、いままで何に悩み、そして決心してフェリクスの自室にきた、と彼はすでに知っている。
「俺は……星花宮を出ようと思ってます」
 ちょうどタイラントもその場にいた。二人の部屋なのだからいて当然ではある。が、それを狙ってエリナードはこの時間に訪問した。
「どう言うこと、エリィ?」
「そろそろ、タイラント師に師匠を返さないと恨まれそうで」
「はい? 恨まれたら僕に言えばいいんだよ、そんなの。僕がきっちり締めて――」
「だから師匠! 戯言を真に受けないでください!」
「冗談言うあなたが悪いの。で、本心は?」
 ふん、と鼻で笑うフェリクスをタイラントがはらはらしながら見ていた。それでいて君は好きにやればいいんだよ、と目で語ってくれてもいる。そっとうなずき返しエリナードは息を吸う。
「ここ、知り合いばっかで、顔合わせてるのが嫌なんですよ」
 それなのに声は震えた。生まれ育ったに等しい星花宮。知り合いばかりというよりは親兄弟ばかり、と言った方が正しいほどに。だからこそ、変わってしまった自分を見せたくない。見られたくない。姿を変えて塔から戻ったのも、そのせいだった。
「気持ちは、わからないでもない、かな」
 フェリスはそんなエリナードをじっと見ていた。彼はまるで理解していない。自分のことは自分が一番わかるなどと言うのは戯言だ。ある程度以上のことはわかり得ないものだとフェリクスは思う。そして今現在に限って言うならば、エリナードを誰より知っているのは自分だと。
 だからこそ、不安だった。今度一手間違えば、次は本当にエリナードが壊れてしまう。あの日、カロルも同じことを考えた気がしないでもなかった。自分の体に返されて、そして旅に出たいと言った自分をどんな気持ちでカロルは見送ったのだろうと。
「師匠も……カロル師に見送られたんでしょ。だったら、俺も気持ちよく見送ってくださいよ」
「共生してると、こう言うときに不便だよね。僕のほうも筒抜けじゃない?」
「でしょ。筒抜けだってわかってて師匠がいちゃつけるほど豪胆じゃないのも知ってますからね。タイラント師に禁欲強いるのも、さすがにそろそろ限界かと」
「あー、エリナード? そういうこと言うとな、俺は悪くないのに怒られるの俺だからな!」
 茶化したエリナードをタイラントが茶化し返した。すさまじい目つきでタイラントを見やるフェリクスをエリナードは目に焼き付けようとするかのよう。
 そんな目をするから、怖いのだとフェリクスは思う。そっとエリナードの精神から自分のそれを隠す。その中でフェリクスは考えていた。
 エリナードは、決して立ち直ってなどいない。それでいいと言ったのは自分だ。いずれ時間が解決する、というよりは時間しか解決のしようがないとフェリクスは思っている。それまでの間、守ってやりたいと願っていたものを。
「あれだよ、シェイティ。そろそろ息子が一人で遊びに行ってみたいって言ってるんだからさ、お母さんとしては笑って行ってらっしゃいって言うところじゃないのかなぁ」
「誰が、お母さん、なわけ? 僕のちっちゃな可愛いタイラント? もう一度言ってみてほしいな?」
 笑顔でタイラントの首を絞めるフェリクスと悲鳴を上げるタイラント。所詮は悲鳴を上げられる程度でしかないのだから、これは二人にとっては愛の言葉と変わらないのだとエリナードは思っている。
「ちょっとエリィ? それはいかにも趣味が悪いからね。誤解しないように」
「間違ってるのは俺ですか? 師匠の告白が間違ってるんだと思いますよ、俺は」
「だよな。俺もそう思う」
「タイラント師もですからね? 二人揃って間違ってるから幸い問題ないだけってやつですから」
「あぁ、確かにね。この点、意見の相違があると問題だよね」
 もっともだ、とうなずいてしまってからフェリクスは顔を顰める。弟子に丸め込まれた気がしたのだろう。それに小さく微笑んだエリナードだった。
 丸め込まれたのも当然だった。フェリクスはいまだ考え続けている。エリナードも若き魔術師としては非常に技量に優れている。その彼に共生状態のまま思考を隠すのはフェリクスであっても容易ではない。
「……それで、エリィ。どこに遊びに行きたいの?」
「遊びにって。俺は生活のために出て行こうかって考えてるんですけどね」
「それが傭兵隊なら即座に却下。そんなの自殺願望でしかないからね、いまのあなたには」
「……まぁ」
「そうだね。接触できる範囲内にいてくれるなら、いいよ。具体的には王都の中だね。――鬱陶しいとは思うけど、僕の気持ちもわかってほしいな」
「お父さんとしてはさー、病気の息子が心配なんだと思うよ、エリナード。過保護で心配性のお父さんなんだしさ、ここは物わかりのいい息子の方が折れてあげるのがいいと思う」
 そうしないと離してくれないよ、タイラントは笑った。直後に強かに殴られたが。自分に味方してくれるのではないか、思っていたからこそタイラントが同席する時間帯を狙った甲斐があるというもの。エリナードはそっと頭を下げていた。
「王都にいます」
「ん、ありがと。で、あなたは何をするつもり?」
「さぁ? とりあえず、鑑定屋でもしましょうかね」
 あの暴走で、エリナードはその魔力のほとんどを失った。それを自覚したのは星花宮に戻ってからのこと。フェリクスは自分の中に抱えたときにすでに知っていた、と彼には告げた。
 けれど言っていないこともある。エリナードは失ったと思っている魔力。だからこそ、大陸最強の魔術師が集う星花宮にいたくないのだろうと思っている。フェリクスは事実誤認を知っていた。いまのエリナードに言っても負担になるだけだから、言わない。
 エリナードは魔力を失ったのではない。端的に言えば、心の問題だ。自分の魔法で恋人を撃ち殺したエリナードだった。その手に魔法が宿るのを恐れてもなんの不思議もない。エリナードは無自覚に自らの魔力を封印している。
 無論フェリクスはその封印の存在を知っていたし、解除もできる。しようと思ったことはないが。エリナードが強力な魔法を手にしたくないと言うならばそれでもいいと、本心から思っているせい。
「あぁ……師匠には」
「なに? 遠慮がいるような仲じゃないでしょ、エリィ」
「ちょっと……怒られるかなとも思うんですけどね。――こんな、魔力の搾りかすしかない俺が弟子じゃ迷惑かなって」
 フェリクス最愛の弟子と誰にも言わしめたエリナードだった。それがこの不甲斐なさだ。失望していてもエリナードは当たり前だとすら思っている。
 その彼の前、立ち上がったフェリクスがつかつかと歩み寄る。向こうでタイラントが顔を覆っていた。
「ちょ……! 師匠!? 痛いですから!」
「痛いように殴ったんだからね。痛くなかったらあなたは死体だよ。ずいぶんと僕を見くびってくれたものだね、可愛いエリィ? 僕は息子が自分と違う道を歩くからってがっかりするような男なわけ? あなたがそう思ってるんだとしたら、ほんとにがっかりだよ」
「あ……」
「ちょっと怒るかもってあなたは言ったけどね。ちょっとで済ませてやる気はまったくないからね? うん、決めた。ちょっとは自立させてやろうかと思ったけど。やめたよ」
「師匠、そりゃない!」
「王都で鑑定屋? 結構。家を買ってあげるよ。鑑定屋ってことは、それなりに魔法も使うしね。だったら工房がいるでしょ、それも作ってあげよう。あぁ、そうだね。薬品の類もいるよね。だったらそれも買い揃えてあげる」
「……師匠」
「誰が自立なんかさせてやるもんか。あなたはどこにいても僕の可愛い息子だってことを忘れないように」
 こつん、と頭を叩かれた。背伸びをしてまでそんなことをしないでもいいとエリナードは力なく溜息をつく。笑いをこらえているタイラントの気持ちなどわかりたくもない。
 そうしてエリナードは王都に店を持つ。むしろ持たせてもらった。流行らない、客など来ないに等しい鑑定屋だった。それでも立ち上がれなかった。その泥沼の停滞から引きずり出してくれたのは、またも傭兵だった。




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