道は続く

 半年ぶりにイメルが遊びに来ていた。ラクルーサの王都アントラルからこの竜の宿営地までは貴族の馬で二日ほど。隊の馬で飛ばせば半日だが。中々おいそれと行き来ができる距離でもない。もっとも星花宮の魔導師だ、一度訪れた場所には好き放題に転移してきてしまうのだけれど。
「よ。最近はどうよ?」
 だからイメルも半年ぶりの嬉しさは目に浮かべていても、長旅をしてきた風ではない。どこにいたのかわかったものではないな、とエリナードは思う。
「どうもこうも、普通?」
「ってことは、まだ別れてないわけ? さっさと捨てろよ、あんなの」
「まだ言うか!」
 エリナードは渋い顔のイメルを笑う。イメルが本気で言っているのは知っている。彼はフィンレイが嫌いだ。自らの基準に照らして評価に値する男ではないとはっきり言う。それを聞かされても怒らないエリナードだから、よけいに言うのかもしれない。
「だってさー」
 はぁ、と長い溜息。なにかあったのだろうかとそちらのほうが心配になるというのに。こんなとき、もう星花宮の弟子ではないのだな、と思ってしまう。いつもいつも一緒にいた子供時代。いじめられていたイメル。内気すぎてまともな会話もできなかった自分。共に育ってきた、友人というよりは兄弟のような。いまこうして共に自立した大人としてここにある。楽しかった時代は遠い。
「お前さ、あいつのどこがいいわけさ?」
「はい? 今更だな、イメル」
「今更だから聞けるんだって。付き合いはじめたときになんでよって聞いてお前がまともに答えられるわけないだろ」
 こう言うときだけ兄ぶるイメル。くすくすとエリナードは笑う。青き竜に入って以来、年若い傭兵たちとばかり顔を合わせているせいだろう、イメルと話しているとそれだけで子供に戻った気すらしてしまう。
「そりゃさ、最初の彼氏で浮かれてるのはわかるけど。でもさー、ちょっとあれはないよなって、俺はすっごく心配してるって、それはわかってほしい」
「あー、その」
「別に口説いてないし、その気はない!」
「いや、そっちじゃなくて。あのな……イメル。どーしてフィンが最初の男だって思うわけよ?」
 ぽかん、としたイメルを前にエリナードはぽりぽりと頬をかく。照れくさくてならない。兄弟のような仲であるからこそ、いまだかつてこんな話はしたことがない。
「はい!?」
「遅ぇよ!」
「だって! ちょっと待て、エリナード。どう言うことだよ!? なにお前、どう言うこと!?」
「だから、吟遊詩人の声量で絶叫すんな! 俺の部屋は狭いんだっての。響く場所もないだろうが。隣のやつの迷惑だって」
 大きく笑い、エリナードはまだ唖然としているイメルに片目をつぶって見せる。それでこちらがいまどんな気分でいるかわかってもらえるだろう。途轍もなく恥ずかしいのだと。
「あ……うん、いや、その、な。うん」
 通じてしまった挙句に、イメルまで子供時代に戻ったかのよう、口から言葉が出てこない。思い返せばイメルとて自分同様の口下手内気だ。なぜに吟遊詩人などしていられるのか理解がしにくい。あるいはタイラントの、それが教育の一環かとも思う。
「あのな、イメルさんよ。俺もお前も農夫だったらとっくにガキが一人前になってるような年でしょうが。それでフィンがはじめて? んなわけあるか!」
「俺はまだ清らかな体ですが」
「はい!? 前も!? 後ろも!? マジで!?」
「だから! 俺は異性愛者だ、後ろがあるか!」
「いやいや。世の中は広いぜー。男をお道具で責めたい女ってのもいるからなぁ」
「なんでいきなりかっ飛ばして特殊嗜好なんだよ!? 俺は奥手なだけで恋愛観はごく大多数的だ!」
「そこで普通って言わない辺りが好きだよ、イメル」
「はぁ? お前に言われても気持ち悪いだけだからな、エリナード!」
「なんだよ。お友達大好きって言ってるのに。冷たいやつー」
 いい加減にしろ。イメルの言葉にならない絶叫が再び。さすがにうるさかったのだろう、隣室から壁がどん、と叩かれる。ひょい、と肩をすくめて照れ笑いをしたイメルだった。
「で、エリナード。真面目に」
「俺は真面目だったって。ちょっと下品だっただけだ」
「自覚があるのがそもそもどうなんだよ……。フェリクス師にご報告するからな」
「やめろ、それだけはやめろ! 頼むから、イメル頼むから!」
「なに、フェリクス師。いまだに出没してるの?」
 イメルの笑い声にエリナードは溜息をつく。さすがにもう子供ではない。弟子可愛さにちょろちょろしているのだと思うほどエリナードも純朴ではなかった。
 だがしかし。たとえばラグナと内密の会談があるというのならば普通に訪問すればいいのだ。弟子の顔を見にきたよ、と笑って来ればいいのだ。
「師匠ときたらなぁ……。相変わらず手が込んでるって言うか、嫌がらせが過ぎるって言うか」
「今度は何さ?」
 フェリクスはいつも様々な幻影をまとって訪問する。というより、一応は見つからないよう隠れてくる。そのための幻影だ、ということになっている。それを信じるほどエリナードは人が好くない。あれは見つけられて笑われるための幻影だと断じてはばからない。溺愛する弟子の様子を隠れて覗きに来るなどという意外な面のある氷帝、という評判を確たるものにするために。だからフェリクスはいつも違う顔形、性別、年齢でここに来る。
「すっげぇ美少女。年は……十五歳くらいかな。ほころぶ寸前の蕾って感じで、もう兵どもの目の色が変わる変わる」
「お前ってさ、女の子だめなくせにそう言うのは平気なのな」
「役に立たないだけで、別に女だからどうのってわけじゃないし。むしろ色気抜きだから綺麗なもんは綺麗だと思うぜ?」
「ふうん、そっか。あぁ、俺だってそうかもな。いい男はやっぱりかっこいいと思うし。うちの師匠とか」
「あれは類稀なる例外だと思うよ、俺は」
 顔で国が獲れる、と以前フェリクスはタイラントを評した。どこぞの王女の一人でもたぶらかせば軽々とできる、重臣連中もたぶらかして、国王陛下のできあがり、と。ただし、黙っていれば、と注文を付けたが。あれはフェリクスの嫌味で、後々知ったところによれば二人は喧嘩中だったとのこと。だからこそ本気にはしにくいが、できないとも思い難いタイラントの美貌でもある。
「どこから見てもお伽噺だもんなぁ、あれ。で、フェリクス師の話だってば。そんな美少女姿でさ、危なくなかったの?」
「兵の視界に入った瞬間、俺がうちの師匠だって叫んだ」
「……賢明だ。ものすごく賢明な対応だ。――それにしてもあれだよな。よくお前、一目でわかったよな。さすがエリナード?」
「別に師匠の弟子だからってわけじゃないさ。あれだったらお前でも一発でわかる。星花宮の弟子だったら誰でもわかる。……ものすごい美少女だったけどな……カロル師の顔だったんだよ……」
 げ、と蛙が潰されたような声をイメルは上げた。気持ちはよくよくわかるエリナードだ。むしろ、イメルに告げたのはあの日の悪夢をせめて想像の中だけであったとしても共有してほしいせい。
「エリナード、お前な! 吟遊詩人の想像力を舐めてるだろ!? 思いっきり、色付きで生々しく想像しちゃったじゃんか、どうしてくれる!?」
「うん、星花宮に帰ってから、カロル師の顔見て生温かい気持ちになればいいと思う」
「わざとだな、エリナード!」
 そのとおり、とエリナードは声を上げて笑っていた。こんな風に笑うことは竜に入ってから少ない。元が人見知りをする質だったし、兵たちとはどう接していいか戸惑っているうちに、なんとなく垣根があるようなないような。竜の魔術師として名を売りはじめてすでに数年が経っている。兵たちに垣根があるかと問えばないと言うに決まっているのだろうけれど。それでも市井では見ることのない絶大な破壊力、針の穴を通すような魔法精度を見せられた兵たちは親しんではくれない。尊敬はしてくれても。だからこそ張り合うように接してくれるフィンレイが好きだった。
「ほんっとに、もう。お前ってやつは。そんなんで大丈夫なのか、ここで?」
「心配してくれるのは嬉しいけどな。お前だってその迂闊さでよくぞまぁ旅暮らししてられると俺なんかそっちの方が心配。山賊とかに出くわしてないかと――」
「舐めすぎ。俺だって星花宮の魔導師だぞ? 自分の身くらい守れる」
「だから、山賊の身が心配になるわけで。絶対やり過ぎそうでなぁ」
「あ……、うん。それはちょっと不安、かも。俺さ、戦闘呪文は苦手だろ。怖いから、やり過ぎそうでさ、それが怖い」
 ここまではっきりと怖いと言えるイメルはやはりすごいなとエリナードは眼差しを外して目を細めていた。真っ直ぐに見るには照れてしまうほど、イメルがまぶしい。
「いざとなったら案外腰が据わるもんさ。お前だってタイラント師にみっちり仕込まれてるんだし。だろ?」
 そうありたいよ、とイメルが遠い目をしていた。星花宮の弟子として、魔導師として、イメルとて従軍経験がある。彼にとって戦闘とは目をそむけたくなる現象でしかなかったのだろう。自分とは違う、エリナードは思いつつもそれでいいのだろうとも思う。
「あぁ、なんだ帰って……や、イメルさん、来てたんでしたか」
 いきなり扉が開けば、当然にして入ってくるのはこの部屋の住人。ぎょっとした顔のフィンレイの前、イメルが苦笑している。ふ、と扉から風が入り込み、その色づいた風にイメルは顔を顰めた。
「フィン。久しぶりにダチが来てるんだ。悪いな」
「いいぜ。だったら俺は遊んでくるわ。じゃな」
「あいよ」
 イメルが何を言うより先、フィンレイを追い出した。たぶん、イメルには悟られている。が、友人と恋人が口喧嘩をはじめれば困るのはエリナードだ。
「……言いたくないけどな、エリナード。お前だって気がついたはずだ。なんでお前と付き合ってるのに、フィンレイは女の匂いをさせてるんだ? おかしいだろう」
「ありゃ、半分以上は俺の気を引きたくってやってるんだ。可愛いもんだろ? 浮気がどうのじゃないっての。酒場で女に絡まれたとか、その程度だろうさ」
 肩をすくめつつエリナードは違うことを考えていた。気を引きたいのは事実かもしれない。けれど、浮気でないはずがない。男女問わず違う匂いをさせて帰ってくるフィンレイ。言えばイメルは怒るだろう。けれど帰ってくるからいい、そう思っている。やはり怒るだろうなと思ってエリナードは言わなかった。代わりに黙って帰還の紐を撫でていた。




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