道は続く

 星花宮の魔導師は宮廷魔導師とはいえ、市井に出ることが多々ある。今現在のこの世界で何が起きているか、見て学べ、吸収しろ、そしてその上を行け。四魔導師のそれは叱咤だ。
 とは言え、魔術師それぞれの性格の向き不向きもある。すべての魔術師が市井に出るわけではなかったし、一度も外に出ず研究に励む者も中にはいる。エリナードの同期で言うのならばミスティとオーランドは星花宮に残っている口だった。ミスティは納得できるものの、オーランドは不思議だな、とエリナードは思う。無口の権化のような男だけれど、好奇心は強い。そしてエリナードもまた、市井に出た。
「だからな、剣をぶん回してどうするんだっての。お前らは町の無頼じゃなくってちゃんとした兵隊だろうが」
 青き竜を引き継いだラグナだった。ダリウスの当時より若い兵がずっと増えている。そのぶん、と言おうか隊の雰囲気まで若返ってしまって締りがないのが最近のラグナの悩みだ。
「へーい」
 上の空であからさまに聞き流しているのは要領悪く捕まってしまった副隊長のコグサ。もう一人置いた副隊長のフィンレイは逸早く逃げ出している。
「ったく。要領ばっかよくなってんじゃねぇぞ、おい」
「いや、要領いいのは俺じゃ……」
「お前らまとめてだ」
 睨んでやれば照れ笑い。そんなところは可愛いのだけれど、どうにもこうにも学がなくて困ったものだ。フィンレイとコグサが並んでいると下町で子供が遊んでいるのと大差ないような気がするラグナだ。また一くさり、執務室に引き留めて説教をしようとしたラグナがぴたりと動きを止める。コグサも気配を固くしていた。
「失礼します」
 子供と大差ない、と思ったフィンレイの険しい声。機嫌が悪いのか、相手が悪いのか。何者かを伴っているとはっきりと気配が告げている。
「おう、どう……」
 どうしたのか、誰を連れてきたのか。あえて言えば揉め事か。問おうとしたラグナがかすかに溜息をついた。
「隊長?」
 コグサの怪訝そうな眼差し。なんでもない、と首を振って改めてラグナは来客に相対する。そのときにはすでに彼も執務室に入り込んでいた。
「これなんすけど。いちおーは一人前?の魔術師だそうですよ。どっから見ても騙りだけど」
 はん、と鼻で笑って隊長に怒鳴られればいい、とフィンレイの目が客に言っている。ラグナとしては可哀想に、としか言いようがない。
「ほんとに一人前なんですけどね。ラグナさん、お久しぶりです」
「あぁ、久しぶりだな、エリナードよ。で、あんたが傭兵隊になんの用事だよ?」
「そう警戒しなくても」
「するっての。あんたが伝令かと思うとひやひやだぜ」
 肩をすくめた隊長に、副隊長が揃って目を丸くしている。フィンレイは目でコグサに一人前の魔術師とは本気だったのかと問い、コグサは知るかとばかりそっぽを向く。
「いや、伝令じゃなくて。――その、雇ってもらえるとありがたいなぁ、と」
「はい!?」
 綺麗に揃った声の三重奏。エリナードはひょいと肩をすくめる。それほど驚かれることだろうかと。少々高望みすぎるとは思っていたけれど。
「そりゃ俺だって大陸最強の呼び名も高い青き竜に一発で雇ってもらえるとは思ってませんけどね。知り合いはここにしかいないし。だめならだめで俺が通用しそうなのはどの辺か教えていただけるとまぁ、ありがたいな、と。顔見知りの誼ってことで、どうか」
「あれから十年くらいか? お前の人見知りはどうやら直ったらしいな」
 にやりとするラグナにエリナードは頬を赤らめる。それでラグナは彼の緊張具合を感づいてしまった。従軍経験が内気を直したかとも思う。が、直っていないのだと知ってしまった。いまの台詞は道々ここまで一生懸命に考えてきたのだろう。微笑ましいやら可愛いやら。思いが目に表れたのだろう、ぷい、とエリナードに目をそらされた。
「ちなみに。雇えってことは?」
「馘首になっちゃいませんよ。いまの俺はエリナード・アイフェイオン。師匠に嘆願して、やっとなんとか外で働いてもいいって許してもらったところです」
「ははぁ、そりゃまた立派な肩書だわな」
 星花宮の魔導師を名乗れるほどの魔術師が隊にいるその贅沢。くらくらとしそうだった。ダリウスだとてこんな贅沢はしたことがない。
「ちゃんと名前を許されて、そんでここにいるんだな? 俺はお前のお師匠さんに怒鳴り込まれるのは勘弁だぞ」
「……ほんと、すいません。師匠にはちゃんと言って聞かせときますんで。たまーに、見てくれのいいガキがどっかから覗き見してるかもしれませんけど、見かけたら遠慮なく矢でも撃ち込んでやってください。当たりゃしませんから」
「ひでぇ言い草だな、それでも弟子か!」
「一番被害を被ってんのは俺なんですよ、ラグナさん」
 はぁ、と長い溜息をついたエリナードをラグナは笑う。そして無言で手を差し出した。一瞬だけエリナードの目が丸くなる。乾いた音を立て、二人の手が打ち鳴らされる。それで契約だった。
「よろしくお願いします、隊長」
 態度を改めたエリナードの一礼。副隊長たちは目を白黒とさせたまま泡でも吹きそうな様だ。なにがなんだかさっぱりわからないのだろう。いずれ学べばいいし、親しくなってエリナードに聞く手もある。ラグナに説明してやる気はなかった。
「そうか……星花宮の魔導師か……」
 感慨深げなラグナの声。まだ弟子として、従軍する魔導師の使い走りをしていたエリナードをラグナは知っている。当時ですら、隊の魔術師とは格が違うと思ったものを。
「星花宮には卒業試験なるものがあるって聞いたがな。お前も済ませたんだろう?」
「はい。大惨事でしたよ」
 にやりと笑ったエリナードにラグナは肩をすくめる。大方フェリクスが何かしでかしたのだろうとでも思っているのだろう。
 事実は似ていて違う。星花宮の弟子たちは、独立を許されるために試練を課される。それが俗に言う卒業試験だ。その日には星花宮の呪文室を大小取り混ぜて転移呪文で繋ぎ――当然にして発動させるのは受験者だ――試験が行われる。弟子の能力に合わせてそれぞれ得手不得手を取り込んで組み上げられる試練は、受験者の試験終了後に開放されるのが常だ。力試しをしたい弟子は誰でも取り組むことができる。
 必ず組み込まれる呪文もいくつかはある。星花宮の魔導師を名乗りたかったならばこの程度ができなくてはならない、という四魔導師の総意だ。が、あとは弟子を導いた師の心一つ。
 エリナードの試練、と聞かされた弟子たち、あるいはすでに独立した魔導師たちは日頃のフェリクスの溺愛ぶりを無論のこと知っている。よって、試練は軽いものになるだろうと揶揄していたものだ。
「隊長もご存じのとおり、うちの師匠はあれでしょう? おおよそ甘い試験だと思ってたらしいんですがね、たいていのやつらが」
「……違った、のか?」
「隊長までそんな顔することないでしょうに」
 驚いた、疑っていなかったと瞬くラグナにエリナードは苦笑する。魔術師でなくともフェリクスの溺愛ぶりは知れ渡っているのかと思えば苦笑くらいしかできない。思わず手首の革紐細工に触れていた。
「うちの試験は俺が終わったら誰が試してもいいんです」
「ほう、どうなったよ?」
「恐慌状態に陥って半狂乱になったのが三名、むやみに逃げ出そうとして怪我したのが五名、その場で座り込んで救助待ちの間に泣き続けてたのは数えるのも嫌になった、だそうですよ」
「……はい?」
「リオン師がいい加減にしろって師匠に苦情言ってましたから。救助するのも面倒だったらしいです」
 自分は受験者で、結果待ちだったのだから詳細は知らないのだとエリナードは笑う。そう言う問題か、とラグナは思ったものの、漏れ聞こえてくる星花宮の噂話と、己の目で見て知っているフェリクスをはじめとした魔導師たち。さもありなんとうなずいてしまった。
「それをお前は潜り抜けたわけ、だな」
「そりゃそうですよ。俺は師匠の弟子ですから。あの性格の悪い親父がなに考えてどう罠を設置するか、俺が一番よく知ってるんです。――それにね、隊長」
 ほんのりとエリナードの頬が赤くなる。青春の盛りにあるとしか思えない滑らかな頬だった。かつて交わした会話からすると彼は自分よりほんの少し年下であるだけのはずなのだが。
「師匠は……俺に何かがあったら困るから、だから試練が無茶苦茶なんです。これを突破できるなら、あとは自力でなんとかできるだろうって言いたいんですよ、あの人」
「一貫してどろどろに甘いわけか。それでよくぞまぁお前を傭兵隊に入れようなんて気になったもんだ」
「嘆願に次ぐ嘆願ですよ。最後はタイラント師を巻き込みました。俺が出てけば師匠といちゃつき放題ですよって言ったら一発だったな」
 どんなところなんだ星花宮は。笑うエリナードを副隊長たちが今度は白い目で見やる。ラグナとしては、そんなところなんだとしか言いようがない。配下の頭痛に思いを馳せ、ラグナは何も見なかったことにした。
 一方エリナードとしてはあまりフェリクスの話をしていたくなかった、本当は。星花宮を出る間際のフェリクスの、あの表情がまだ目に焼き付いて離れない。当分は忘れられないだろうと思う。なんとも言い難い顔をして、励ましながらも不機嫌に、喜びながらも不安そうな、そんな師。留まった方がいいなら、自分はそうする。何度口をつきそうになったことか。旅立ち間際、ひどく不機嫌な顔をして手首に結んでくれた「帰還の紐」。きっと一粒ずつ山査子の飾り玉を彫り、一目一目自分の手で編んだのだろう祈り。外に出る彼の弟子はみながそれぞれ贈られる。それでも。
 タイラントを巻き込んだというのも冗談だった。事実、巻き込みはした。が、あんな戯言で彼が乗ったのでないことをエリナードは気づいている。ためらうフェリクスの後押しをする、その他愛ない理由が必要だっただけ。あとで怒鳴られてあげるよ、無言のうちにタイラントが言ってくれたのだとさえ、気づいてしまっている。
「あー、隊長。で、こいつ……つか、エリナード? なんだよ、めんどくせぇ名前だな。で、これ。どこに置いとくんですか」
「ちょっと顔貸せ、フィンレイ」
 言うなり立ち上がったラグナが盛大な拳をフィンレイの頭に落とす。目に涙まで浮かべているから本気で痛かったらしい。
「置いとく、だぁ? ふざけたことぬかしてんじゃねぇぞ、このガキが!」
「いや、だって! 別に、俺は!」
「隊長ー。フィンレイの馬鹿は頭が悪いだけなんです。悪気はないんですって」
「お前、コグサな! 褒めてねぇよそれ!」
 当たり前だ褒めていない、と言い合う副隊長二人。まだ怒っているラグナ。どことなく星花宮の雰囲気にも似ていて、エリナードはほっとする。知らず浮かんだ笑みを見られた、そんな気がした。




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