道は続く

 気持ちとしては蹴り飛ばしたかった。本当にそうしたかった。が、やるわけにはいかないだろう、色々と。その逡巡をセリスがまた笑う。
「……いやに見覚えがある色彩なのは、俺の気のせいですかね」
 ぼそりと呟けば、声もなくセリスは悶絶していた。鮮やかな金髪に、濃い青の目をした子供。無邪気な顔をしてエリナードを見上げる。
「あー、エリナードよ。隠し子か?」
 散々に翻弄されたのだろうラグナの嫌味。顔は笑っていたから、それほど気分を害してはいないだろう。害したいのは自分のほうだ、エリナードは思う。
「誰が隠し子ですか。俺はまだ独身ですよ!」
「独身でもなぁ? 子供ってのはやることやりゃあできるもんだぞ?」
 作り方を知らないなら小父さんが教えてあげよう。どこからもなく傭兵たちの野卑な声。教わらなくとも知っていると言い返すべきか、それとも男の自分に何をするつもりだと言うべきか。迷っている間に子供が手を伸ばしてきた。抱き上げろ、と言っているらしい。
「抱っこしてあげれば、エリナード?」
「……セリス師。他人事だと思って」
「だって他人事だからな。まぁ、いいだろ、可愛いじゃないか」
 見た目だけはな。小声で付け足したセリスに子供は気づかなかったらしい。とは思うもののどうにも疑えてならない。
「さて、と――」
 なにとなく、子供を見下ろしてしまう。抱けと言われても、ためらってしまう。きょとんとした笑顔の子供。無邪気すぎて溜息も出ない。
 こんな危ないところに置いておくわけにはいかなかったし、せめて天幕の中にでも放り込もうか、思ったときにさっと傭兵たちの気配が変わる。
「馬っ鹿野郎が! 総員配置につけ!」
 配下と一緒になって笑っていたダリウスが声を飛ばす。セリスさえ真面目な顔になって周囲を窺う。何かに耳を傾け、唇を噛みしめる。
「後ろが破られたね。伏兵があったらしい」
 言われてエリナードも身構える。まだ何の準備もできていない、少なくとも騎士団は。青き竜隊はいつでも即応が可能だ。たとえ背後の補給隊を奇襲されようとも、動じない。
「魔術師さんよ、下がってな! あと、そのガキはあんたがちゃんと面倒見ろよ」
「天幕に――」
「いいや、だめだ。危ないだろうが。魔術師は前線にゃ出ないんだ、あんたがちゃんと抱いてな」
 ラグナに言われてエリナードはうなずく。言い返す手間が惜しい。すでにセリスが馬を引いてきている。手渡された手綱に咄嗟に従ってエリナードは子供を抱え上げて馬上の人に。七歳児とは思えないほど、軽かった。まるで羽でも抱いているように。舌打ちを一つ。縋りついてくる子供の忌々しさ。が、いま邪険にすればどう誰が見ても八つ当たりだ。それは避けたい。
「エリナード!」
 セリスが駆けて行く。その間にエリナードは伝令の役を。騎士団にいる星花宮の伝令にこちらの状況を。向こうの魔術師からの指示だろう、なんとか持ちこたえてくれ、と伝言があった。
「そっちでなんとかしろってことみたいです!」
「だろうな! 行くよ!」
「はい!」
 戦闘の興奮がエリナードを包んでいく。馬が上手でよかった。片手で子供を抱いて守っていてもさほど不自由ではない。
「おい!」
 思えば青き竜とこうして完全に組むのははじめてだ。前線に出てきた魔術師に傭兵たちが驚いた顔をする。けれどそのときにはすでにセリスは己の弓を、エリナードも剣を取っていた。いずれも魔法の産物、この世のものでありながら、何かが違う。その美しさも含めて。
 そしてエリナードは戦いに身を投じて行く。もちろんダリウスは星花宮の魔導師がどんな戦い方をするか事前に知っていたことだろう。セリスにうまく合わせて兵を起動させていた。
 幸いだったのは、相手がミルテシアであることだった。魔法文化が極端に遅れたミルテシアはまさか最前線に魔術師が出てくるなど思ってもいなかったらしい。おかげでセリスが魔法を放つたび、さっと波が割れるよう兵が退く。それを狙ってダリウスが自兵を進める。その繰り返しだ。無論のことセリスは狙われた。あの魔術師が。その思いは恐怖が強ければ強いだけ膨らんだことだろう。そのためにこそ、エリナードはいる。セリスの背を守るために。
「な――!」
 もう一人魔術師がいるとは思っていなかったらしい。エリナードは不思議でならない。一人いるなら何人もいると思うのが普通ではないだろうか。首をかしげている暇があれば魔法を放ったけれど。怨みもつらみもない、見ず知らずの他人だったし、エリナード個人の思いとしてはラクルーサ王国に忠誠を誓った覚えはない。その国土がどうなろうとたいして気に留めたこともない。まして国境大河付近は人口が少ない、というよりないに等しい。渡河地点は紛争地域になりやすいせいで両岸のどちらにも人は住んでいない。だから誰かを守るためでもない。相手になんの思いも抱けずに戦うのはどうなのだろうとどこかで思ってはいる。それでも、戦いの場に出てきておいて疑問や逡巡はしなかった。誰かを守るためではないかもしれない。けれど、今ここで共に戦っている青き竜ならば、自分の手で守ることができる。なんの意味があるのかもわからない戦闘ではあるけれど。
「……ちゃんと掴まってないと」
 子供の手が解けそうになる。激しく移動する馬の上なのだから、ある意味では当然か。こんな小さな子供の手では縋りついているのも一苦労だろう。エリナードは子供を抱く腕に力を入れ、それでも不機嫌だった。傷を負わせるつもりはない。放り出すつもりもない。それでも。
 緒戦が終わったのはそれから間もなくだった。奇襲の失敗を受けてミルテシアの第一陣は退いたらしい。青き竜がダリウスの上げた片手の元に戻ってくる。伝令がいるわけでもないのに見事なものだった。
「お疲れ様、エリナード。いい出来だったよ」
 セリスも汗に塗れてはいるものの、怪我をした様子はなかった。これでも背を守る務めがあったエリナードだ、そのことにはまずほっとする。馬上から滑り降りて子供を地面に立たせた。
「お前なぁ、子供抱いたまんま戦ってたのかよ? 危ないことするもんだ。ガキは宝もんだぞ? ちゃんと守ってやんなきゃだめだ」
 ラグナの声にエリナードは肩をすくめる。それからじっと子供の目を見つめる。小首をかしげて見上げてくる眼差しになど誰が騙されるものか。
「さて、どう言うことだか説明してくれるんでしょうね!」
 両手を腰に当て、子供相手に難詰するエリナードを傭兵たちが唖然と見ている気配。エリナードは決して引かないとばかり子供を見据えていた。
「いい加減にしてください。そんなんだから俺は過保護だって言われるんです、師匠!」
「……はい、師匠?」
「ですよ、ラグナさん。これ、うちの師匠です。天幕に放り込んどこうが戦場のど真ん中に放り出そうが傷一つ負わなかったに決まってるんですよ!」
「酷いこと言うね、エリィ。放り出すはないじゃない?」
 溜息をつく子供に傭兵がぎょっとした瞬間だった。瞬きの間もなく姿が変わる。幼児から、若き青年に。すんなりと伸びた肢体はまだ少年のようだったけれど、佇まいには成熟した雰囲気。そこには黒髪黒瞳の小柄な魔術師が。
「氷帝フェリクス師!? なんであなたが!」
 さすがのダリウスも声を高めた。当たり前だとエリナードは溜息をつく。なんでこんなところに四魔導師がいるのかと。
「邪魔するつもりはなかったから、姿を変えてたんだけどね、ダリウス。うちの子のせいでばれちゃったみたいでごめん」
「俺のせいですか!」
「せいだよ? あとでこっそり天幕の中かどっかで事情を教えろって言えばいいのに、こんなところで堂々と詰問するんだからね、あなたは」
「それで、本当に悪いのは誰ですか、師匠」
 セリスが慌てず後ろを向いた。肩が思い切り震えている。笑いをこらえきれなかったのだろう。ダリウスもそれでどうやら非常事態ではない、と察したらしい。
「……ん、僕、かな?」
「ですよね。俺は絶対に悪くないですから」
「ちょっとエリィ。それはないんじゃない?」
「どこがですか。悪いのはご自分だっていま、お認めになったじゃないですか! だいたいですよ、なんでここにいるんですか、師匠!」
 一瞬まずいことを言ったかとエリナードは後悔をした。フェリクスは何も冗談でここにいるわけではないのかもしれない。彼は四魔導師として政治にかかわっている。自分はそれを知らない。フェリクスの意図を知らされていないだけなのかもしれないと。少しばかりもじもじとしたフェリクスに、そんな懸念はあっさりとシャルマークの北壁の彼方だったが。
「だってさ……その。あなたの初めての激しい戦闘じゃない?」
「だから、なんですか」
「心配だったんだよ、それだけ。影から見守ってようかなって思ったのに、さすがダリウスだよね。見張りがあんまりにもいい仕事してて見つかっちゃったんだよ、それだけ」
「それ、だけ? そうですか、それだけ、ですか!」
「もう、エリィ。怒らないでよ」
「怒らないわけないじゃないですか! いつまでも子供扱いしないでください!」
 爆発したエリナードをついに傭兵たちが笑いだす。言ってしまってから自分でもそれこそ子供じみた言い分だと思ったけれどもう遅かった。溜息をつけばセリスがこれ幸いと大笑いしていた。
「セリス師まで、酷いですよ」
「いや、さぁ。だってなぁ? フェリクス師の魔法は素晴らしいよな、エリナード? お前がちっちゃかった頃のまんまだ。再現力がすごい」
「当然じゃない? 息子の顔を忘れる親はいないよ、セリス」
「……そういうところで自慢しないでください! あなたの息子はいつまでも親に見守られてなきゃならないほど小さくないんです!」
「でもね、エリィ。いつまで経ってもあなたは僕の息子だしね。ちょっとくらい心配してもいいじゃない?」
「――親馬鹿具合も素晴らしい」
「セリス。何か言った?」
「とんでもない。なにも言ってませんとも!」
「歌にしたりしたら承知しないからね。僕がタイラントに怒られるじゃない」
「俺はもう怒ってますからね?」
「怒るだろうと思ってたから隠れてるつもりだったんだってば。見つけたダリウスに文句を言って」
 責任転嫁もここまで来ると立派だと思ってしまった。人のせいにするなと文句を言いつつ笑っているダリウス共々できれば殴りつけてしまいたい。長々と溜息をつくエリナードをフェリクスがくすりと笑った。
 フェリクスがその場にいたのは過保護ゆえではなかった、とエリナードは後々まで知らなかった。知ってみれば当たり前のこと、ちらりと想像した通り、政治絡みだった。




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