道は続く

 エリナードが従軍するようになったのもその頃からだった。三十歳の声を聞こうかというあたりで初陣なのだから、騎士としても戦士としても遅すぎる。がエリナードは魔術師だ。
 とはいえ、弟子の身分でもある。だから星花宮の魔導師の補助をする、いわば使い走りとしての従軍だった。
「君と組むのははじめてだな。よろしく頼むよ、エリナード」
 出発のとき、ようやく誰と組むのか知ることになったエリナードは驚いている。知らず立ち尽くすエリナードに彼は首をかしげて苦笑していた。
「もしかして、忘れちゃったかな? 私のこと」
「とんでもない!」
「それはよかった」
 にっこりと微笑む魔術師の顔を忘れるはずはなかった。幼い、今とは違う名で呼ばれていた自分を生まれた村から救い出してくれた魔術師、セリス。いまはもう風系の魔導師として名を馳せている、と知っている。
「君とはあんまり顔を合わせたことがなかったよな」
 星花宮の魔導師たちは総じて乗馬も巧みだ。否が応でも騎士隊に連なって従軍することがあるのだから慣れもする、というところなのかもしれない。エリナードはその風を切る感覚が好きで同期の中では巧いほうだ。
「ちょっと不思議には、思ってます」
「だろうね。――四魔導師のね、考えでもあるんだよ。ほらさ、子供を連れ出した魔術師は本人にとっては誘拐犯か救い主だろう? どっちにしても本人がちゃんとした大人になるまではあんまり関係を深めない方がいいってね」
「……そういうことだったんですね」
 なるほど、といまにして納得するエリナードだった。誘拐犯がどうのと言うのは冗談だろうけれど、自分はやはりセリスによって救われたと思っている。セリスがフェリクスに会わせてくれたのだ、と。大人になったいまですら彼にはどれほど感謝しても足らないと思っているのだ、幼いころならば歪んでしまったかもしれない。厳しいような、優しいような、四魔導師の心だと思う。
「――今回は、ちょっと厳しいことになるかもしれないよ、エリナード」
 セリスの眼差しの強さにエリナードもまたうなずいていた。今回の従軍は、初めて大規模な戦闘が予想されている。
 ラクルーサは――それを言えばミルテシアも大差はないらしいが――大小の戦闘を常に抱えている。貴族同士の諍いの調停、ミルテシアとの国境争い。何くれとなく小規模な戦闘はよくあることだ。いままでのエリナードの従軍経験もそのようなもの。
「ちょっとね、侵犯が過ぎるってことらしいね」
 国境大河をミルテシアが侵すことが続いた、らしい。エリナードは研究と勉学の日々だ。政治には興味がないし、フェリクスからもかかわるな、と厳命されている。だからよくわからないのだけれど、騎士団の規模と言い、セリスの目と言い、怖くないと言ったら嘘だった。
 王都から数日。一人で騎馬の旅をすれば半分以下の日数で到着する。魔術師ならば瞬きの間にここまで来る。だが軍隊の行軍とはこのようなものだ。
「なるほどねー」
 セリスが周囲を見回すともなく首を巡らし、軽く耳を傾ける。ふわりと風が騒いだような、軽い感触の魔法。それなのに、圧倒的な情報量をエリナードは感覚する。それに目を留めたセリスがにやりとした。
「さすがフェリクス師の秘蔵っ子だな。いい目をしてるよ、お前は」
「……とんでもないです」
「でも自分でも下手だとは思ってないだろ? もっと傲慢でもいいと思うけどなぁ」
 若いんだし。けらけらと笑うセリスの声に周囲がほっとしている。魔術師が厳しい顔つきをしていれば、周囲は緊張するものだとエリナードもすでに何度かの従軍で気づいている。
 そしてそのほっとした気配は騎士団のものではなかった。どうやら自分たちは軍を共にしている傭兵隊の目付でもあるらしい。騎士団にも複数名、星花宮の魔導師が随行している。エリナードはそちらとの伝令役でもあった。もちろん肉体でするのではなく、精神の接触をもって。
「いい隊だよな」
 国境大河の渡河地点は多くはない。数少ないそれを侵されたラクルーサとしては当然に奪い返す。宿営地もその付近だった。騎士団ならば粛々と設営するのだろうけれど、傭兵隊のそれは賑やかだ。
「なんでしたっけ。『青き竜』でしたか」
 ダリウス隊長率いる青き竜は、今現在ラクルーサで最も評判が高い傭兵隊だ。あるいは大陸最強かとも言われている。ラクルーサ国王が雇用者となっているのも竜だけだった。
 なにしろ竜の隊長は評判がいい。戦闘能力ではなく、貴族社会の受けがいい。礼節を弁え、謙りはしても卑下はしない品位ある佇まいが貴族たちに好感を持って受け入れられている。まるで同じ身分の人間のようだね、と。もっとも、そう言うぶん、決して貴族が傭兵を同じ人間と見做していないのがあからさまなまでにわかるのだけれど。
「おう、さっさとやんな! 陽が暮れちまったら火がいるだろうが火がよ。真っ暗ん中で飯食うのか、冷てぇ行軍食齧る羽目になんぞコラ!」
 あらら、とセリスが顔を覆って笑っていた。笑いながら声を荒らげているのは貴族受けのいいあの、ダリウスだ。隊に戻ると彼はこちらが本来なのかこんな態度を取る。芝居気がある男なのだろうとエリナードは小さく笑う。
「魔術師さん方はどうするよ? 天幕いるかい?」
「あ、ご心配なく。自分たちでやりますよ。ちゃんと持参してますからね」
「そりゃあよかった。だったら手だけは貸そうかい。魔術師さんは力仕事なんざぁ苦手だろうからな。――ラグナ、おめぇ暇だったら手伝いな!」
「うい、隊長!」
 飛んできたのは三十代も半ば程度だろうか、青き竜の副隊長だった。隊の中では地位が高いはずなのに、ダリウスの前では少年のよう。
「ありゃりゃ、すいませんね。助かります。感謝」
 片手を掲げてダリウスとラグナに笑顔で礼を言うセリスに倣いエリナードは無言で頭を下げる。別に隔意があるわけではない。単にいまだに人見知りが直っていないだけだ。彼らとは初対面と言うわけでもないのだけれど、ここまで近々と軍を共にするのははじめてだ。まして大勢の人間がいる。それだけで少しばかり許容量を超えている。
「あー、と。そっちの若い人。手伝ってくれるかい?」
 ラグナに言われて思わず目を瞬いてしまった。若い、と言われたことに不思議な違和感。こくりとうなずいてエリナードは天幕張りを手伝う。セリスはその間に、とダリウス共々騎士団に赴く。あちらで軍議があるらしい。
「実戦は、はじめてかい?」
 どうやら気を使ってくれているらしい。首を振るエリナードにラグナは苦笑していた。あちらを持て、こっちに来い、次々と指示が飛び、天幕は自分とセリスがするより遥かに速くできあがる。
「魔術師修行ってのは大変なんだろう?」
「……剣の鍛錬も、同じだと、思う」
「そうかぁ?」
 副隊長、誰かが叫んだ拍子にエリナードは体を竦ませるところだった。危ないところで恥はかかずに済んだけれど、隣にいるラグナには感づかれた気がしてならない。
「お、気がきくな。ほれ、魔術師さんよ」
 ひょい、と水袋を放ってくれた。口をつければ中身は葡萄酒。思わず口許がほころぶ。
「どーもなぁ。水が悪いみたいでなー。ちょっと酸っぱいよなー」
 白々しいとはこのことだった。ラグナはこれを水だ、と言い張るつもりらしい。騎士団ならば断じて許されないだろうが、エリナードは傭兵隊のこの空気は好きだと思う。
「――ありがとう」
 少しばかり飲んで返した水袋にラグナが目を細めて笑った。それにようやくエリナードは名乗ることを思い出す。かなり恥ずかしかった。
「へぇ、可愛い名前してんだな。魔術師さんってのは凝った名前が多いせいかね。そう思うのは」
「……師匠は俺をエリィって呼ぶよ」
「そりゃなんの嫌がらせだ」
 からりと笑った声に嫌味がない。エリナードは気づけばつられて笑っている自分に気づく。気持ちのいい男だな、と思っていた。
 ほどなくセリスも戻り、二人で天幕にこもる。ちょっとした魔法ではあるのだけれど、周囲に気が散るものがあってはやりにくい魔法でもある。
「頼んでいいかな、エリナード」
 任せろ、とは言えないエリナードだ。が、気持ちは言っている。うなずいて詠唱。すぐさま用意の水盤に水があふれる。そのまま静止し、さらさらと映像が流れはじめた。水鏡による敵情偵察は魔術師の特権だ。
「あ、その辺で止めて」
 セリスが眺め、次の指示。エリナードは軽く視線を落としただけでそれに従っていた。もういい、とセリスが言ったとき、ずいぶんと満足げだった。
「さすがいい腕してるよ。私はものすごく楽ができるな」
 褒められて、エリナードは今度は顔ごとうつむいた。天幕の中でよかったと思う。薄暗くて、頬の赤みが見えないだろう。何かにつけてフェリクスは褒めてくれるけれど、己の師ではない一人前の魔術師に言われるのはやはり違った。
「フェリクス師がうちのエリィうちのエリィって言ってるからさ。どれほどのもんだよ?って思ってるやつもいるみたいだけどね。今後は私が保証するよ、お前はいい腕してる」
 ふとエリナードは疑う。セリスに確かめさせるためにこそ、フェリクスは今回の従軍を命じたのかと。その程度のことはしそうな気がした。
「ありがとうございます。励みます」
「まぁ、お前は誰が励まさなくっても間違いなく突き進んでくんだろうけどな。魔道を歩き続けなきゃ生きてけない型の人間と見た」
 くつくつ笑うセリスこそ、エリナードはそうなのだと思う。否、星花宮の魔導師と呼ばれるものはみな。いずれその一人に数えられたいものだと思っては口許に笑みが浮かんだ。
「ん?」
 不意に天幕の外が騒がしくなった。敵襲のそれではなく、もっと困惑の深い騒めき。二人、顔を見合わせて外に出れば確かに異常だった。
「ちょっと待てって、おいこらガキ!」
 ラグナが子供に振り回されていた。するすると逃げ回り、はしゃいで笑う子供はせいぜい七歳くらいか。少なくとも今から戦場にならんとしている場所にいるような年齢ではなかったし、そもそも隊の見張りを掻い潜り入ってきたことがまず異常だ。ダリウスは見張りに気を抜かせるような隊長ではない。
「おい、エリナード! 手伝ってくれ!」
 そちらに行った、とラグナが叫ぶ。それに子供がきょとんとした目を向けてきた。一瞬セリスの目が丸くなり、唇が歪んでは目許が痙攣する。
 エリナードは逃げようとしたものの、逆に子供に捕まった。きゅっと縋りついてくる小さな手。見上げてくる眼差し。セリスがついに腹を折って笑いだした。




モドル   ススム   トップへ