道は続く

 貴族が関係していたわりに、あの事件はあっさり片がついたらしい。もちろんエリナードは弟子の身分であるからして宮廷事情など知りもしない。それでも漏れ聞こえてくる話はある。
 噂話によれば、あの貴族。星花宮を案内させている間中、ねちねちとカロルとフェリクスをあげつらっていたらしい。リオンとタイラントに聞かせる目的で、だ。実に性格が悪いが、それを咎めるわけにもいかない。リオンに聞き流せてタイラントに聞き流せなかった最後の一言はエリナードも聞いたあの言葉だった。
「闇エルフの子と蔑むとはいかなることか。カロリナ・フェリクス師は陛下御自らお認めになった星花宮の魔導師、陛下の臣下であるぞ!」
 国王の御前で例の貴族は侍従長より叱責を受けた、と聞く。つまりそれは国王の声、ということに他ならない。フェリクスの生まれがどうであろうとも、いまの彼はラクルーサ国王の臣。フェリクスを貶めることはすなわち国王を貶めること、反逆だ、と息巻く侍従長をなだめるものはいなかったらしい。
 結果として、星花宮は何も変わっていない。というより、ようやく普段の日常を取り戻した。四魔導師の大乱闘のお蔭で星花宮はぼろぼろだった。外観こそなにも変わっていなかったけれど、内部は魔力渦巻き調度は壊れ、大嵐でも吹き過ぎたのかと言うような有様。魔導師たちと弟子に訓練中の子供まで加えて大掃除の毎日だった。さすがに四魔導師も悪いとは思っていたらしい――殊にタイラントが――けれど、四人には宮廷で事を収めるための工作がある。こればかりは他の誰にもできない。
「結局、掃除掃除掃除掃除。しばらく掃除はしたくない」
 箒も塵取りも見飽きた、とエリナードは薬草園で伸びをする。中庭にいてはまた誰かに捕まって仕事をさせられかねない。魔法の修行ならば厭わないけれど掃除道具は当分見るのも嫌だ。とはいえ、致し方ないことではある。星花宮には数多の魔法具が収蔵され、魔法空間が構築されている。おかげでこれだけの大掃除になると魔力のない召使たちには手の出しようがない。迂闊に物を動かすだけで新たな魔法事故が起こる。結果的に大部分はエリナードたちのよう修行の進んだ弟子と魔導師が掃除用具を手にせっせと励むことになる。
「あ、エリナード。見つけた」
「だから! 逃げて隠れてるんだ! でかい声出すなよ、もう」
「悪い悪い」
 にやにやしながら体を縮めたのはもちろんイメル。なんとも言い難い顔をして辺りを見回していた。彼もまた掃除はしたくないのだろう。そう思ったものの、こらえきれなかったイメルの表情にエリナードは小首をかしげる。
「好物とっ捕まえた猫みたいな顔してるぜ、イメル」
「うん、そんな気分。なぁ、お前、まだ聞いてないだろ?」
「何をだよ。それじゃわかんないって」
 くすくすと笑いながら薬草の中、イメルもまた座り込む。こうしていると幼いころ二人で遊んでいたのを思い出す。
「例の貴族の話。すっごいこたえたらしいよ」
「はぁ? あんだけの暴言吐いて、陛下に怒られてごめんなさいって? あり得ないな」
 現場で耳にしたエリナードだ。星花宮の仲間内の冗談ならばまだわかる。フェリクスがエリナードを溺愛するからこそ、浮気だなんだと騒いで見せる。そんなことはあり得ない、と全員がわかっているからこそ、冗談にできる。そして際どい冗談が言えるだけ、聞けるだけの信頼が仲間内にはある。あの貴族にはそのどれもがない。
「違う違う。そうじゃないって。まぁ聞けよ」
 大笑いをこらえながらイメルが語る。本当に痛快だったと。どうやら例の貴族の一族の元から、一斉に吟遊詩人が引きあげたらしい。
「もちろん家名を漏らしたのは風系の誰かだろうけどね。うっかり口が滑ったんだろうねー」
 白々しいとはこう言うことか、と冷たい眼差しでイメルを見やる。そのエリナードの口許もまた笑っていたけれど。
 吟遊詩人たちは世界の歌い手への侮辱を殊の外腹立たしく思ったようだった。タイラントが彼らを束ねているわけではない。吟遊詩人に組織めいたものはないのだから。あるいはだからこそ。吟遊詩人たちにとってタイラントは伝説の人。自らが至高と仰ぐ吟遊詩人に貴族がしてのけた仕打ちを彼らが怒っても無理はない。
「貴族の家には奥方様のためにとか、姫君のためにとかって吟遊詩人がたくさんいるだろ? 全員いなくなったんだよ。当然――」
「後釜なんざ見つかるわけはないって?」
「あるわけないじゃん。当分あの一族は吟遊詩人なしで過ごすんだね」
 けらけらとイメルは笑っていた。一族中の女性にあの貴族は責められることになるわけだ。しかも一族の中で最も尊いと言うわけでもないだろう、あの様子では。ならば上の人間にも責められることになる。
「いい気味だぜ」
 ふん、とエリナードは鼻を鳴らした。本当ならば公的に責めを負ってほしい。が、タイラントが暴走したのも事実だ。魔術師は危険だと言われかねない事態に陥ったのだから星花宮としても強くは出られない。このあたりがせいぜいだろうとエリナードは思う。
「お前はほんと師匠贔屓だよな、エリナード」
「当たり前だろ。お前だってタイラント師がぼろくそに言われてりゃ腹立つだろうが」
「立つ立つ。だから一緒だなって思ってさ。星花宮の仲間内のいいところだなって思ってた」
 そういうことを笑顔で言わないでほしい、恥ずかしくなってくる。言い返そうとしたけれどそちらのほうが恥ずかしいと気づいてエリナードは黙る。手近な葉っぱでもちぎろうとしたけれど、ここは薬草園。気づいて手も止めた。代わりに舌打ち。
 ――どうしたの、エリィ。ずいぶん苛々してるね。ちょっとおいで、急用じゃないけど。
 思わず背筋が伸びてしまった。イメルは察するものがあったのだろう、小さく笑う。今すぐ向かうと返答しておいてエリナードは立ち上がった。
「師匠が呼んでる。行くわ」
「あいよ。俺の手が必要だったらいつでも呼んでー」
「お前の手なんかいらねぇよって言えるようになりたいよ、俺は」
 しみじみ言ってもイメルは笑うだけ。お互いに互角の腕と知っているがゆえ。そしていまだ至らないと双方が理解している。
 そうやって励まし合っているのか罵りあっているのかわからないやり方で精進をしあう。楽しいな、と不意にエリナードは思いつつ星花宮の中を歩いていた。行先はもちろん呼び出されたフェリクスの部屋だった。
「入りますよ、師匠」
 わざわざ扉の前で告げなくとももう感知はしているだろう。これは礼儀というものだった。案の定、いま淹れたばかりとわかる茶が卓の上にあった。
「聞きたいことがあってね。何かしてたの?」
「逃げてました」
「あぁ、なるほどね。気持ちはわかるよ。僕らがなんとかできればよかったんだけど、こっちも忙しくって」
 フェリクスもどちらかと言えば片付けものは苦手にしている。もちろん魔術師としては、というだけであって常人に比べれば格段に上手だが。魔術師は片付けができないとあっという間に荷物に埋もれることになる。
「それで、師匠。なんの用事なんですか」
「……そうだね。あなたが今後どうするのか、聞こうと思って」
「はい!?」
 さすがに驚いた。何を言われても大概のことには驚かなくなっているエリナードだ。そうでもないとフェリクスの弟子は身が持たない。それでもこればかりは驚いた。
「そろそろ他の三人も話を聞いてる頃合だと思うけどね」
 フェリクスは言う。あの騒動のときエリナード、イメル、オーランド、ミスティが果たした役割は大きかったと。四人がいたからこそよけいな被害が出なかったとも言った。
「違います、師匠。それは、違います。俺たちは、他の魔導師が背後に控えてくれてるってわかってたから――」
「でもね、その独立した一人前の魔術師たちは手一杯だったはずだよ。僕らの乱闘を制御するのに精いっぱいだった。違う?」
 フェリクスの言うとおりだ。星花宮とは、いつ切れるかわからない細い細い糸に結ばれた剣が天井一面に吊るされている部屋のようなもの。その中で乱闘をすればどうなるか、火を見るより明らかだ。星花宮の中には決して外には持ち出さない類の魔法具がいくらでもある。危険であったり研究中であったり。いずれも魔力には極めて敏感だ。その中でタイラントは暴走した。だからこそ、魔導師たちはそれを抑えるのに必死だった。乱闘を起こしたタイラントを抑えるのが四魔導師の務めならば、星花宮そのものが魔法事故を起こさないよう努力するのが魔導師の務めだ。
「だいたい見てたけどね。あなたはあの場で子供たちごと転移したじゃない?」
「イメルが目標点になってくれてたからですし、ミスティが魔力の供給をしてくれてました」
「だろうね。ミスティはあなたの魔力を使って生体探知をしてのけたし、イメルとオーランドだって情報封鎖に結界にと大活躍だったよ」
「できることを、できるだけ。師匠から教わっただけです」
「うん、そうだね。ちゃんとあなたは聞いててくれた。でもね、エリィ。あなたはもう一人前って言っていいだけのことができているんだよ、わかってる?」
 あの状況で、咄嗟にそれだけのことができた、してのけた。呪文の構成から詠唱まで、その場で組み立て制御した。他の三人も同じだとフェリクスは言う。
「もしあなたが望むなら、あなたは充分やってけるよ。外でね」
「星花宮以外で? 当然ですよね。俺はまだ星花宮の中ではその程度です。諸先輩方の手が空かなかったから、なんとかしただけのこと。魔導師級ならもっと簡単にもっと安全にできたはずです。だから俺はまだまだ至りません」
「だったら一人前になりたいと思わないの?」
「中途半端な一人前になんかなっても意味はないです。――まだ、師匠の側にいさせてください」
 星花宮以外でならば魔術師としてやっていける、フェリクスの断言にエリナードは困惑していた。認められて嬉しくないわけでは決してない。ここまで来たかとは思う。けれど、至らない自分を知っている以上、ここで外には出て行けない、その思いのほうがずっとずっと強かった。
「あなたね、エリィ。まだまだ僕から学びたいことがあるって言いたいのはわかってるよ? でもね、その言い方はないんじゃない? ほんと、付き合う友達が悪いんじゃないのかなって思うよ」
 長いフェリクスの溜息。知らずエリナードは赤くなる。自分が何を口走ったのかと思えばこそ。これだから妙な噂話をされるのだと今更気づいた。
「……友達のせいじゃなくて、親のせいだと思います」
 ぼそりと言い返したところが、もう幼くはない部分だとエリナードは自分で思う。フェリクスの目が丸くなり、大きく笑う。可愛いエリィ、呟いて頭を撫でられた。噂話を助長しているのは師のほうらしい。思ったけれどエリナードは言わなかった。




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