一歩でも動けば、あるいは一瞬でも集中が削げれば、二十人ほどはいる子供たちが傷を負う。それは何よりフェリクスが厭うことだ。いま師はこの手に子供たちの安全を委ねた。だからこそ、エリナードは動けない。 「エリィ!」 幼い者たちにこんなものを見せ続けるつもりか。怒鳴られても動きようがなかった。舌打ちを一つ。それだけで子供たちの震えが酷くなる。 「悪いな。――イメル、オーランド、ミスティ! いたら手伝え!」 わざわざ声に出して怒鳴ったのは四魔導師のせいだ。精神の声だけではとても届かない。それほどの魔力がここに集まってしまっている。まして未熟な弟子の身だ。肉声での補助がどうあっても必要だった。ために子供たちが怯えようとも。 「それって、お前の好感度順?」 ふざけたことをぬかしながら、それでも息せき切って駆けつけたのはイメル。異変を察知したのか四魔導師に呼ばれたのか、もうこちらに向かっていたらしい。イメルに踵を接するよう、オーランドもミスティも現れた。 「な……。お前の好感度が高くても、別に嬉しいこともないが、だからと言って最後は納得しがたい」 「うるせぇ! 馬鹿言ってる場合か! それとミスティ! あんたが最後なのは単に呼びにくいだけだ!」 「エリナードと言う名も充分呼びにくいと思う」 ぼそりと言いながらミスティは四魔導師から目を離さない。ここの状況を見て驚いたのも彼一人。オーランドは元々地系だ、沈着冷静という言葉は彼のためにこそある。 「だから、うるさい! まずはチビっこどもの避難だ避難!」 「あいよ、任せて」 にっと笑ったイメルの表情に震えを見た。子供たちに安心しろ、と彼は言っている。少なくとも自分たちは子供たちよりはずっと訓練を積んでいるのだから大丈夫と励ましている。敵わないな、とエリナードは思いつつ水の楯を厚くした。ここは伝説のシャルマークの大穴かと言いたくなってしまうような有様に成り果てている。 「正しくチビどもの教育によくない、だな」 魔術師の暴走をおそらく子供たちははじめて目にしたはずだ。エリナードとてそう何度も目にしたわけではない。まして四魔導師の暴走など。何度もされては困るけれど。 「エリナード」 軽く片手を上げたオーランドの指示。ミスティがオーランドを補佐する。その間にイメルがなんとか魔法を紡ぎあげ、タイラントの風を緩和する。 「チビども、遅れるなよ!」 言いながら走らせる。まるで水の筒だった。タイラントの暴走した風だけではない、カロルの魔法もフェリクスのそれも、リオンまで漏れなく参戦しているのだ。こうでもしないと子供たちを守り切れない。ちらりとタイラントを激怒させた貴族のことが脳裏をよぎったけれど、それは自分が考えても仕方ないことだ。フェリクスがなんとかするだろう、たぶん。 「エリナード!」 イメルが青い顔をして高い声を上げた。自分で最後。だから走れ、もう持たない。そんなぎりぎりの彼の声。走り抜けたエリナードの背後で風が荒れ狂う。 「行くぜ、中庭だ!」 ひときわ小さな子供をエリナードは掬うよう抱き上げた。肩に一人、小脇に一人、抱えて走る。他の三人も同じことをしていた。さすがに魔術師の体だ、息が切れそうになる危ういところで中庭にたどり着く。 「できればへたり込みたいところだがな」 「だよな。でも?」 「そういうわけにもいかないだろう。来い、エリナード」 ミスティがさっさと走り出そうとする。困惑して立ち止まってしまうのも彼ならば、思い切りがつくなり突き進むのも彼だ。 「イメル、お前は戦闘向きじゃねぇ。チビの面倒見ててくれ。オーランド、手伝ってやってくれよ」 こくりとうなずくオーランドの頼もしい返答。イメルが青ざめたままぎゅっとエリナードの手を握る。無事に帰って来いと励まされ、エリナードは目だけで笑った。 「雰囲気を作っている暇があったら子供を助けに行きたいんだがな!」 「誰が雰囲気だ誰が! イメルはダチだ、そんな気はねぇよ!」 「だったら早くしろ!」 言い捨ててミスティが今度こそ駆け出す。その口許が笑っていたからおそらくは冗談なのだろう。どうにも相性が悪いというか、勘所が掴みにくくてミスティは苦手だった。 「お互い様だ」 「ま、協力できるんだったら別にいいよな?」 「同感」 にやりと笑う少し年上の仲間にエリナードも笑い返す。星花宮の中はタイラントの暴走の波及効果だろう、魔力が荒れている。思わず二人して顔を顰めてしまった。 「目で見た方が早いな」 ミスティが呟くのは、精神の接触ができないと知ったせい。ここまで酷いことになっていると弟子の身の拙い精神の声など届きようがない。 「魔導師級ならともかく、チビの声なんか普段でも聞き取れねぇしな」 「独立した諸先輩方は自力でなんとかしてるだろう。そっちはほっとけ」 「なんとかできないような間抜けはいないってか?」 「いたら困る」 ごもっとも。呟きつつエリナードは遅れず走る。幸い、探さねばならないのは訓練中の子供たちだけだ。それならばいる場所の見当はつく。自分たちがどこで訓練をし、どこで遊んでいたか。二人にとってもそう遠い過去ではない。 「無事か!」 呪文室の一つで十人ほどの子供を見つけた。魔導師が一人、彼らを守っている。波及効果で身動きが取れなかったらしい。 「ミスティ」 わかった、とうなずき彼は魔導師と二人で子供を守って中庭に退避する。魔導師一人で問題ない場所にたどり着くなりまた戻ってくるだろう。相性が悪かろうともそこは呼吸だ。信頼もできる。 ミスティが戻るまでに数人の子供を見つけた。幸いタイラントから距離があるのだろう、波及効果から逃れているおかげでエリナード一人でも充分守りきれた。子供を守ったまま、部屋から部屋へ移動する。まだどこかにいるかもしれない。焦っていた。 「きゃ」 恐怖につまづいたのだろう子供が崩れる。咄嗟に手を出して腕の中に抱き留めればほっとした笑顔。そのせいだった、対応が遅れる。 「な!」 波及効果の最悪な部分が出てしまっていた。タイラントの暴走に共鳴し、共に暴走した魔術師。しかもこれは。 「魔導師級ときたか」 子供を背にしたいま、一番会いたくない手合いだった。たらりと額に汗が浮かんでは流れる。魔導師は正気を失った目をしていた。それに子供がいるとは理解していない。エリナードなど目に留まってもいない。否、異物、邪魔者として認識してはいる。ざっと裾を乱して走り込んでくる魔術師。咄嗟だった。エリナードは回避する。子供をさらしたのではない、そちらにはこれでもかとばかり厚い水の楯を残して。途端にくらくらとした眩暈。暴走する魔力に当てられそうだった。 それでもエリナードはしっかと立つ。魔術師の首がぐるりと回りエリナードを見据えた。こちらのほうがより危険、と判断して。冷や汗が滴り、これが済んだら絶対に服から搾り取れるほどだと思う。苦笑がまたも対応を遅らせる。 それがたぶん、よかったのだろう。考える間もなく詠唱し、発動。 「集え凝れ大気の水、リエル<玉瑛剣>」 呪文構成だけはできあがっていたエリナードの魔剣。氷のように澄んでいて、なお水である彼の剣。フェリクスの剣とよく似て違う。同様に、剣身の中央に流れるのは澄んだ水。水の流れの中により深い流れがあるかのような。それが魔術師の一撃を迎え撃つ。手が痺れるほどの衝撃だった。 「エリナード!」 「遅い! なんとかしてくれ!」 「どっちだ」 「どっちもに決まってんだろ!」 子供か、攻撃か。問われてミスティに怒鳴り返す。ミスティが戻っただけで一気に余裕が出てきた。彼の炎の結界が水の楯に重なる。相殺しそうなものだったけれど、これで子供たちは二重に守られる。そして手の一振りでミスティもまた剣を取る。赤々と燃える炎の剣。師であるカロルのそれよりずっと派手に燃え盛っていた。 左右から切りかかられ突き上げられ、さすがに正気ではない魔術師には厳しい。本来ならば所詮は弟子の身だ、とても魔導師に敵うはずはない。 「エリナード! そっちだ」 声を上げたミスティの、それが最後の一撃。己の声すら牽制に利用した彼にエリナードは愕然とする。まだまだ彼の方が上だと思い知らされる。それに知らずにやりとしていた。 「いつかは勝つ、と言いたげな顔をしているな。お前は」 「まぁね。それよりチビども、無事か」 照れ隠しに振り返れば、目をきらきらとさせた子供たち。どうやら彼らにとっては緊迫感があるものでもあっただろうけれど、それ以上に見物だったようだ。 「エリナード、手を貸せ。まだ残っているかもしれない」 「はい? ――って、お前……!」 ぎょっとする間もなかった。肉体の手ではなく、精神の手を強引に掴まれる。そこから吸い上げられる魔力。正に炎の過激さでミスティが魔法を織り上げていく。 「ちっ。だめだな」 「……お前な。こんなめちゃくちゃなところで生体探知ができるか! やるならまず俺の了解を取れ!」 「許可を取るよりやって詫びた方が早い」 だから火系は。内心で盛大に文句を言ってエリナードはイメルに精神を接触させる。はらはらしながら待っていたのだろう、こちらでも手をもぎ取られそうになった。 ――エリナード、無事か! 「暑苦しい! 無事だから、そうせっつくな! いいから、イメル。チビども、あと何人だ、点呼!」 ここにいる人数を告げれば精神の向こう側、イメルの精悍な笑みを感じた。 「よし、全員揃ったな。おい、イメル、そのまま手ぇ持っててくれ。死んでも離すな。ミスティ、チビども囲えよ」 「おい待て、エリナード、なにを」 皆まで言わせずエリナードは詠唱にかかる。ぎょっとし、次いでにやりと笑ったミスティが子供たちを両手で抱くよう庇い、結界を張る。そして失神した魔導師もろとも全員揃って中庭に転移した。 「無茶苦茶だ!」 イメルの悲鳴が響き渡った。 |