道は続く

 エリナードが魔剣の生成を許されたのは二十五歳の時だった。騎士に比べて剣の鍛錬などできないに等しい魔術師だ、しかも魔剣の生成には途轍もない技術が必要ときている。これでもエリナードは早いほうだった。騎士と比較してよい点があるとするならば、彼らより魔術師は肉体の衰えが遅い。思うように鍛錬できなくとも、時間をかければ同じ程度の水準までは行く。
 ――って言っても、力だけはどうにもならないな。
 単純な腕力はやはり、騎士や戦士には敵わない。星花宮の魔術師たちは剣を使った物理攻撃も可能としてはいるけれど、所詮は魔術師の攻撃だ。どうしても魔法の補助という側面は捨てきれない。
 そのあたりも加味してエリナードは色々考えていた。いったいどんな剣にしようか。おそらく星花宮で訓練をはじめた子供たちは一度は必ず夢に見る。その夢を見続けてきたひとりがエリナードだった。
 幼いころフェリクスの剣を見て以来、案はいくらでもあった。自分がそこまで到達することができた日にはこんな剣にしようか、あんな剣にしようか。夢想しては計画する。眠りにつく前の楽しい遊びの一つだ。そして許された今、幾振りかは実際に試してみた。
 ――なんか、しっくりこねぇな。
 どうにも剣を振ったときの感触が悪い。いままでは鋼の剣で体の鍛錬をしていたせいかとも思った。けれどどこかが違うと言っている。がしがしと頭をかきむしり、エリナードは星花宮の中を散歩していた。歩いていると何か思いがけないことがある。それが切っ掛けになれば、と願ってのこと。幸い、思いがけないことではなかったけれど、よいものに出くわした。
「――師匠、お邪魔していいですか」
 大広間でカロルとフェリクスが模擬試合をしていた。もちろん観覧しているのは訓練中の子供たちだ。きらきらとした幼い眼差しにエリナードはくすぐったくなる。ほんの数年前までの自分を見る思いだった。
「いいよ。黙って見てるの? 一緒に混ざればいいのに」
「あん? エリナードだけ鋼の剣でやれってか? どんないじめだそりゃ。テメェも無茶言って、やがるってもんだぜ!」
「誰、が! いじめなの! 僕はエリィがこんなに可愛いって、言ってるじゃ、ない!」
「……師匠がた。言い合うか立ち合うか、どっちかにしないとチビどもが目をまわしてますよ」
 頭を抱えて笑うエリナードに双方が揃ってふん、と鼻を鳴らす。青い炎がそのまま硬化したとしか見えないカロルの魔剣。透き通る氷に血が通ったかのようなフェリクスの魔剣。どちらもが目を奪われるほど美しい。
「どっちが好きだ?」
 ひょい、と身をかがめてエリナードは子供に尋ねる。ほんの少し自分がおかしい。これくらいの年頃の自分は言葉を発することすら苦手だったのに、今はと思えばこそ。
「カロル師の! すっごく、きれい」
 屈託なく笑う子供にエリナードは苦笑する。周囲の子供たちの誰もがカロルの剣が綺麗だとうなずいていたから。
「俺はフェリクス師の剣、好きなんだけどなぁ」
 ぼそりと言えば小声で自分も、と囁くような響き。どこからともなく一人、二人と。そちらを見やれば逃げてしまいそうでエリナードは笑みを浮かべて魔導師の試合を眺めていた。
 鋼の剣で切り合えば火花が散る。魔剣もやはり、煌めきが飛び散る。が、それは魔力が形を取るほどまでに凝ったもの。二人の魔力が高いからこその恐ろしい滓だった。
 当然にして、二人は魔剣で切り合っているだけではない。防御魔法に補助魔法、その合間合間に剣で牽制しながら攻撃魔法を放つ。
 ――相変わらず化け物じみてるよなぁ。
 星花宮の四魔導師は国王直属機関の長とはいえ、滅多なことでは戦場に立たない。一人でも彼らが戦場に赴けば、それだけで戦いは終わってしまう。そう言わしめるだけの魔導師がここにいる。
「こんなもんだな。ガキども、ちゃんと見てたか? 目ェ養え、頭を使え。武器ばっかり振り回す馬鹿になるんじゃねェぞ」
 剣を引くと同時に炎と氷が溶けて行く。ひどく儚くて、何より美しい。子供たち同様、エリナードまで溜息をついていた。
「エリィ。用事はなんだったの」
 するすると歩み寄ってくるフェリクスに一切の滞りはない。あれほど激しい模擬試合であったのに、と思えば苦笑の一つもしたくなる。が、エリナードはもう知っている。彼らにとってこれはその程度のものだったのだと。だからこそ、ここは大広間であって呪文室ではない、攻撃魔法まで使っているというのに、だ。簡易結界で充分な程度でしかなかった。
「用事って言うか、その。……師匠の剣を見れたんで、それで充分です」
「あぁ、そういうことか。――エリィ、動くな」
 言われても逃げたいエリナードだった。何を言う間もなくフェリクスが背を向けて自分の前に立つ。そしてそのまま体を預けるようもたれかかってくる。逃げたい、とても。が、師の命とあっては逃げようもない。
「両手を伸ばしてごらん」
 言われて素直に両手を広げたのはできることなら何も考えたくないせいだ。まだその辺をうろちょろしている子供たちに笑われたくないせいもある。エリナードが指示に従うと同時に、フェリクスも同じ姿勢を取った。それを見ながらふとエリナードは気づく。少しばかり仰のけばフェリクスの頭に顎が乗りそうだと。ひときわ小柄な師ではあったけれど、自分とここまで違うとは思っていなかった。
「気がついた、エリィ?」
 どうしてそういうことをするかな、と内心で盛大な苦情を述べていた、エリナードは。フェリクス自身は何も意識していない。ただそのまま振り返りもせずにエリナードに向けて仰のいただけだ。吸い込まれそうな漆黒の目も、熟れた果実のような頬も蜜のような唇も特には感銘を覚えない。なにしろ相手は魔法の師で、あるいは父親だ。ただ、どきりとはする。それを言ったらイメルには、その辺がどうかしている、と笑われたけれど。こればかりは自分の性指向とフェリクスの生まれのせいだろう。
「気がつきましたから、それ。やめてください」
「なに? あぁ、どきどきした? 弟子にそんな気分になられてもね」
「だったら! もう……ほんとにやめてくださいよ」
 くすくすと笑うフェリクスはそれでもまだ背を預けたままだった。処置なし、とばかりカロルが向こうで肩をすくめている。最近になってエリナードにも察するものがあった。どうやらカロルはカロルでフェリクスと言う己が弟子を溺愛しているらしいと。その弟子がこうして一人前になって若人を教導している場面というのは殊の外に嬉しいものらしい。眺められているエリナードとしてはたまったものではなかったが。
「あなたと僕とはね、腕の長さが全然違う」
 ほらね、と言わんばかりにしてもう一度腕を合わせてきた。確かにこうしてみれば掌一つ分以上に長さが違った。
「身長もだね。頭一つ分くらいは充分違うでしょ。あなたはずいぶん背も伸びたからね。カロルと同じくらいあるんじゃないの?」
「さぁ、たぶん」
「だからね」
 同じくらいだろうと言いつつフェリクスはカロルと並んでみろ、比べろとは決して言わない。カロルはそれをにやにやしつつ眺めている。何か非常に居心地が悪くなって咳払いをすればくるりと背を向けたカロルの肩が震えていた。
「あなたは僕の剣がお気に入りなのは知ってる。まぁ、あれだよね。僕に憧れてて一生懸命なのも知ってる」
「師匠!」
「そんなに変なことじゃないでしょ。僕だって同じだったからね」
「へぇ、そりゃ知らなかったぜ。テメェが俺に憧れてた? どんな戯言だ。つかとんだお笑い草だな」
「昔の話だよ。気が違ってたとしか思えないね。僕も年齢重ねて正気になったんだ」
「けっ。言いやがるようになったもんだぜ、可愛くねェの」
 にやりと笑ってカロルが片手を上げる。扉のほうを振り返れば若き星花宮の魔導師が一人。子供たちの訓練の続きをしに来たのだろう。いまだ弟子の身分であるエリナードが彼に向けて軽く目礼をすれば、向こうは向こうでにっこり笑ってくれた。それを機にカロルが大広間から出て行こうとする。その足がなぜか止まり、首をかしげたエリナードが尋ねる間もなくリオンとタイラントが訪れる。子供たちにさっと緊張が走った。幼い彼らはまだまだ四魔導師が勢揃いしたところに出くわすことは滅多にない。
「あぁ、残念。終わっちゃいましたか、模擬戦。お見せしようと思ったんですけどねぇ」
 飄々と言うリオンの影に一人の貴族がいた。どうやら星花宮の案内を仰せつかったらしい。四魔導師ともなればそのような雑務もしなくてはならない。魔法だけに専念できればどれほど彼らは幸せだろう。思うエリナードは充分に守られている弟子の身のありがたさを痛感していた。
 だからこそ、気づかなかった。気づかなくていいとフェリクスは思っている。エリナードに背を預けたまま、ちらりタイラントを見やったフェリクスの目。タイラントがそっとうなずいた気配。この貴族は王子派だ、と。だからこそ、なにもない顔をするべきだった。
「話の続きだよ。だからね、あなたが僕と同じ剣を作っても、あなたの肉体に合うはずがない。僕の体に合うように調整してあるんだからね。あなたには軽すぎるし、短いはずだよ」
「言われるまで気がつかなかったのが恥ずかしいです」
「それは仕方ないんじゃない?」
 ――大好きな僕と同じものが欲しかったんでしょ?
 フェリクスはわざわざエリナードの精神に接触してこっそり囁いてくる。顔を顰めたエリナードを、勘づいたカロルが笑っていた。
「ほう?」
 それを貴族が笑っていた。何か嫌な笑い顔だな、とエリナードは思う。笑顔なのに、気味が悪い。タイラントが密やかに顔をそむけている。それに内心でほっとした。自分一人の思いではなかったと。
「やはり、闇エルフの子だな。ここには若く美しい、お前好みの男がいくらでもいる、ということかね。やはり噂どおりお前はタイラント師の魔法にだけ用があるらしい、いやはや、弟子を誘惑する師と言うのはいただけ――」
 カロルが睨む隙もなかった。リオンが殴る暇もなかった。フェリクスが反論する間も。ざっと広間の中、風が荒れ狂う。
「フェリクス、手伝え、馬鹿弟子が。ぼさっとしてんじゃねェ、ボケ神官、テメェもだ!」
「うるさいな! エリィ、子供たちを連れて逃げて。とりあえず中庭。追って指示する!」
 刻一刻と暴風が酷くなる。貴族の襟首を掴んだタイラントが、切り裂く風の中、にっこりと微笑んでいた。
「師匠!」
 逃げるもなにも動きようがない。咄嗟に展開させた水の楯が子供たちの身を守る。背に守った子供たち、眼前に見据える四魔導師。エリナードは一人、そこで動けなかった。




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