道は続く

「師匠、風呂場の改造したいです」
「計画書――」
 出せと言われるより先、エリナードはフェリクスの執務机に書類一式を滑らせる。それににやりとしたフェリクスがざっと目を通し、うなずく。
「いいよ、やってみな」

「――と言うわけで、頼む」
 無口この上ないオーランドに計画の概要を話せば、案の定黙ってうなずいてくれた。目は笑っているから、楽しんでくれているらしい。
 地系の弟子では飛び抜けて腕のいいオーランドだった。その手を借りるのにエリナードはなんのためらいもない。自分はフェリクスではない。四魔導師と張り合えるような腕はない。いまは、まだ。だから仲間の手を借りる。フェリクスのあの笑みはもしかしたらそれをよし、としてくれたものなのかもしれない。共同浴場でふとエリナードは思う。
「その辺を――」
 浴槽の改造をオーランドに頼むつもりだった。石造りのそれならばオーランドのほうが適している。が、計画書は読んだ、とばかりオーランドはうなずいて説明は要らないと手振りで示す。
「んじゃ、頼むわ」
 わかった、と目顔が言っていた。その間に、とエリナードは自分の仕事をすることにした。星花宮の浴場は、もちろん人力で水を汲み、火を焚いているのではない。そのすべてを魔法で賄っている。
「この辺だっけな」
 浴槽の下に組み込まれた火炉が、溜められた水を温める仕組みだ。浴槽の下板が一枚ばかり外れるようになっていて、日常の点検整備はここからする。エリナードはそちらに手を付けるつもりはない。まだまだ未熟な弟子だ。しかも水系の弟子となれば、火炉は手に余る。問題はそちらではなかった。
「あれ、エリナード? って、オーランドもか。何してんの」
「ちょうどいいとこに来たよな、イメル。手伝えよ」
「いいけど。何を?」
 脱衣場に計画書があるから読め、と言い捨ててエリナードは水口の点検をする。浴槽に、ここから水を流し入れていた。
「あいよ、だいたい把握した。俺は何をしたらいい?」
 脚衣の裾を捲り上げて入ってきたのは、水に濡れるのが嫌なせいだろう。物が浴場であるだけにいつ何時濡れるかわからない。それを思わず笑ったエリナードにイメルが少しばかり嫌な顔をする。
「そっち。外すから受け取れよ」
 水口を徹底して直すつもりだった、エリナードは。どうにもこうにも気になっていたのだが、やる気になったのはいいことだとばかり。
「なに、浄水機構を直すつもりなの、お前」
「気にならないのかよ? この前から気になってたんだ」
「んー、別に? オーランドは――気になってたんだ。そっかぁ、俺は鈍いのかなぁ」
「鈍い。鈍すぎる。あのな、イメル。昔はよかったんだと思う。これで充分だったんだと思う。でもチビどもが増えたんだろ。これだと対応しきれない」
 循環して湯を綺麗にしているはずの魔法機構が処理過多になっている。子供が多い星花宮だ、しかもその子供たちは田舎の子供同様に泥まみれになって遊びもする。大人の魔術師たちも似たようなものだ。頭から薬液を被った、爆発で残骸まみれになった、そんなものが日常的にごろごろといる。
「もうちょっと無理だろ。だったら整備するより一度まっさらにしてやりなおしたほうが早いわ」
 そのとおり、と無言のオーランドが同意していた。イメルとしては特に問題を感じていなかったけれど、二人がそう言うのならばそういうものなのだろう、と苦笑して手伝いに専念する。
 着々とエリナード考案の新機構が組み込まれて行った。オーランドは一人で浴槽の大改造をしている。時折イメルはそれをちらちら見やり、首をかしげてみたりうなずいてみたり。
「あー、ミスティ呼べばよかった」
「なんだ、呼んでこようか?」
「いいよ、もう呼びに行くのも手間だろ。なんとかする」
「そんなこと言って、お前。ミスティ苦手なんだろ?」
 にやりとしたイメルをオーランドが笑う。もちろん声は立てずに。エリナードは天を仰いで肩をすくめた。別に嫌いではない。苦手なだけだ。それを仲間がからかいの種にできる程度でしかない。もちろんミスティのほうもエリナードを苦手にしているのだから問題もない。
「火系とは相性が悪い。それだけ」
 ふん、と鼻を鳴らしたつもりなのに頬が膨らんでしまった。これではあまりにも子供じみている。幸いイメルはにんまりとしただけで何も言わずにいてくれた。
 浄水機構はそれだけでは当然働かない。火炉と接続する必要があるのだけれど、どちらも魔法で動いている以上、接続も魔法でする。火系が不得手なエリナードとしては溜息をつきたい。が、イメルもオーランドも自分が代わるとは言わなかった。これはエリナードの仕事。二人ともそれを尊重してくれている。どことなく照れくさくて、エリナードは真剣に接続に取り組む。済んだときには額が脂汗塗れだった。
「ほんっとに、苦手だわ。ミスティ最初から絡ませるんだったよ」
 嘆きの声にイメルが拍手をする。オーランドが目を細める。二人とも無事の成功を彼らなりに祝ってくれた。
「それでさ、エリナード。浄水機構はいいけどさ。こっちはなんなのさ?」
 浴槽の改造はそれとは何の関係もないだろう、とイメルは言う。それはそれとして、けれど素晴らしい出来で素敵だ、とオーランドに言うのは忘れていなかったが。
「あん? ガキどもが溺れそうなのが気になってたんだよ」
「はい?」
「ていうか、俺がガキのころ、溺れそうになったから」
 オーランドにはまず浴槽に段差を作ってもらった。大勢が一度に入ることも多々あるこの浴槽は、とにかく深い。縁から一段下がって、そして底になるようにしてもらった。
「お前、意外なところで意外と優しいよな」
「別にガキのためでもない。この前ぼーっとしてたら沈みそうになったしさ。考え事してると、沈まない?」
「そんな間抜けはお前だけ。ていうかさ、そこまで風呂場で考え事するなよ」
「ちょうどいいけどな。静かだし」
 わかるな、とオーランドがうなずく。彼もまた浴室で考え事をするのだろう。イメルはどちらかと言えばさっさと出て行ってしまうほうだ。
「あとは……自衛」
 ぼそりとエリナードは言う。言いつつ浄水機構がきちんと働くかどうか、早くも水を溜めはじめている。
「自衛ってなにさ? 一応言っとくと、ここはお前に手を出そうなんて馬鹿はいないよ、エリナード? あ、馬鹿って言うか、趣味が悪いやつ?」
「それだと褒めてるように聞こえるっての。つかな、馬鹿イメル! 俺は確かに性指向がそっちだよ、あぁ、そうさ。否定はしないさ! だからってな、野郎だったらなんでもいいかって、そんなはずあるか、馬鹿! それ、ものすっごい侮辱だからな」
「お前が誰でもいいとは思ってないよ? むしろなんか身の危険を感じでもしたのかなぁって思っただけ。だって自衛って言ったじゃん」
「俺のせいかよ!」
 笑ってエリナードはもう半分ほど溜まっている水を跳ねかした。濡れると騒ぐイメルとにこにことするオーランド。得難い仲間だなと思う。二人ともたぶん、異性愛者だ。そのせいだろうと自分では思う。イメルの言葉に過敏になってしまったのは。それを笑っていなしてくれたイメル。気に留めないと無言で示してくれたオーランド。照れくさくなってくる。
「この前さー、師匠に乱入されたんだよ。俺が一人の時を狙って。あれは……まいった」
 長話になるのはいい。それ自体は別にかまわない。が、出るか入るかしか選択肢がないのは非常に困る。肩まで浸かったまま長話はつらい。
「かといって、縁に腰かけて真っ裸で師匠と話すってのも……ガキじゃないんだし。かなり、その……」
「それで入ったまんま座れる場所が欲しいって? 思いっきり私欲じゃん。オーランド、なんでこんなの手伝ったんだよ」
 からからと笑うイメルにオーランドが肩をすくめる。自分も欲しかったからちょうどいいと。なぜか、喋りもしないのに通じてしまう。
「それにしてもお前、ほんとフェリクス師に可愛がられてるよな? 知ってるか、けっこう危険な噂話が立ってるぞ」
「……知ってる。ものすっごい不愉快!」
「そうなの? お前、変なやつだから意外と喜ぶかと……」
 笑顔のエリナードがイメルの目の前にいた。いまこの瞬間まで、機構の点検をしていたはずなのだが、彼は。どうして襟首を捩じりあげられているのだろう。
「イメル。よーく考えて物は言おうな? 俺は師匠の浮気相手って言われて喜べるほどひねくれてない!」
 締め上げていた手が離れたかと思ったら、ぽかりと頭を叩かれた。涙目になって見せるイメルをエリナードは笑う。オーランドにまで笑われて、イメルは少しばかり落ち込んだ。
「……下手」
「あのな、オーランド! そういうときだけ口開くなよ!? けっこう傷つくから!」
「でも下手だよな、涙目。タイラント師に教われよ」
「涙目の練習なんかしたくないって。俺は師匠に憧れてるけど、あの人の恋愛だけは見習いたくないと思ってる」
 だな。とその場の全員がうなずいてしまった。タイラントが涙目になっているのは常に間違いなくフェリクスの前だ。
「どう? あぁ、もうできたんだ。へぇ。いい出来だね、ご苦労様。オーランドも、趣味がいい。たまには僕も入りにこようかな」
 ひょい、とそこにフェリクスが来た。噂話に興じていた弟子たちは揃って硬直してしまう。それをどう思うのかフェリクスはできあがったばかりの浴槽を楽しげに眺めている。
「ねぇ、エリィ。もしかしてまた僕と一緒に入りたくってお風呂場綺麗にしたの? なんだ、言えばよかったのに。可愛いね、エリィ」
 わなわなと震えるエリナードなど風ほどにも気に留めず、フェリクスは笑っていなくなる。そっとイメルが下がっては口許を覆う。
「お前、やっぱり……。そっか、そうだったのか。頑張れよ、うちの師匠からフェリクス師を奪うのは無理だと――」
「そんなこと断じて思ってねぇ! あのクソ師匠! 絶対俺で遊んでやがる! もう大っ嫌いだ!」
 石造りのよく響く浴場に、エリナードの絶叫がわんわんと反響した。イメルが顔を顰め、オーランドは肩をすくめ。けれど二人してくすくすと笑いあっていた。




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