道は続く

 イメルは去年、吟遊詩人として初めて人々の前で演奏をした。二十歳と言えば決してこの世界では若すぎると言うわけではなかったけれど、本来の彼は魔術師だ。思うように演奏の練習ができない環境にあってイメルは上手にこなしてきた、と言える。
「まぁ、いいんじゃないかな」
 こっそり隠れて聞いていた――人目につけばイメルの演奏どころではなくなってしまう――タイラントにとりあえずは合格をもらってイメルは殊の外に喜んでいた、とエリナードは知っている。
「いるかな」
 時折それから城下に弾きに行っているイメルだ。これも練習らしいけれど、星花宮でいつもいつも顔を合わせると言うわけではなくなってしまったのを思う。子供ではないのだな、と思うと少し、寂しい気がした。
 そんな自分を小さく笑い、エリナードはまずイメルが普段よく使っている呪文室に向かう。一人前になれば自分の部屋を探すところなのだろうけれど、まだまだ二人とも未熟者。個室をもらえるほどではない。ほんの子供のころからいまだに二人はなにかと同室のままだ。当時ほどの大勢で寝起きすることはなかったけれど、いまでもまだ四人ほどで同じ部屋を使っている。だから自分たちの部屋にいないのならばイメルは呪文室だ。そこにもいないなら。
 ――また城下かな。
 そちらにまで探しに行くほど急用ではない。というよりむしろ、ただの雑談でしかない。いなかったならばどうしようかと思うより先にとにかく呪文室を当たれば。
 幸いだった。普段より大きめの呪文室にイメルの印がある。燦々と照る真昼の太陽。その中央に輝く、しかしこればかりはイメルの性格を表してか慎ましい大きさの竪琴の印。どんな斜線も引いていなかったからエリナードはためらいなく室内に踏み込む。
「イメル――。あ……。すみません、訓練中でしたか」
 一人でいると思っていたらタイラントが一緒だった。どうやら呪歌の訓練中だったらしい。ならば入室禁止の斜線を引いておいてほしい、内心で苦情を言えば聞こえてしまったのだろうイメルが申し訳なさそうに肩をすくめた。
「いいよ。別に。訓練ってほどじゃないからね。ちょっとした助言と忠告だよな、イメル?」
「……思いっきり絞られた気がします、師匠」
「それは君が人の話を聞いていないからだろ。俺は何度も言ってるよ。何度も何度も、何度も何度も、言ってるよな? 技巧に走り過ぎるなって、言ってるよな?」
「う……はい」
「まぁね、君の気持ちはわかるよ。君はまだまだ若いからね。若い時はどうだって見せびらかしたくなる。俺だってそうだった」
「そう、なんですか?」
 思わず問うてしまったのはエリナード。当然だろうとタイラントが笑う。エリナードはそれが不思議だった。見せびらかす必要など、彼にはなかったはずなのにと。
「あのな、エリナード。俺だって若いときはあったんだって。生まれて物心つかないうちに世界の歌い手だなんて呼ばれたわけじゃないんだよ?」
 こんな間抜け面をさらしてしまった場面にフェリクスが居合わせなくてよかった、つくづく思う。顔を覆ってしまったエリナードをイメルが笑う。
「お前だって、そう思ってたくせに。俺だけ笑うなよ」
「うん。一緒だなって思って。よかった、エリナード、馬鹿は俺だけじゃなかったんだってさ!」
「全然嬉しくないから」
 むつりと言えば大らかに笑うイメル。最近は自分の代わりにとでも言うよう朗らかなイメルだった。少しだけ癇に障る。兄貴面をされるほど年上でもないのにと。
「話は戻るけどな、イメル。技巧に走ってもいいことなんかなんにもないんだ。満足するのは自分だけ。そんなのつまんないだろ? 君はなんのために弾きたいんだ」
「楽しんでもらえるように、です!」
「だろ。だったら自分一人が楽しくっちゃだめだろー。呪歌も同じなんだからな。呪文の詠唱だけに気を取られるな。君が弾いてるのは、楽器なんだ、歌なんだ。わかるだろ? 君の感情が、何を考えてどうしたいかが呪歌は思いっきり反映される。その点、鍵語魔法よりまだ不安定な魔法なんだ。それを肝に銘じて忘れないように!」
 はい、と姿勢を正して返事をするイメルがエリナードはほんの少し、羨ましい。同時に、風系魔術師は大変だなと思ってはそちらに気を取られた。風系は、鍵語魔法だけではなく、呪歌をも鍛えることになる。もちろんどちらか片方だけ、という弟子も大勢いる。が、イメルほどの才能と努力があれば両方を修めることになる。何より本人がそれを望んでいる。イメルが憧れてやまないタイラントは両魔法を操るのだから。
「あぁ、ちょうどいいな。エリナード、君は怪我してるだろ。ちょっとイメルの実験台をやってくれるか」
「え、お前。なんで言わないんだよ! どこに怪我した。誰にやられた。なんで、エリナード!」
「……そういう反応が面倒くさいから言わなかったんだろ。大した怪我じゃない、ちょっと切っただけ。怪我したのはさっきで、切ったのは師匠」
 文句を言いながら律儀に質問に答えつつ、エリナードは袖をまくった。その傷にイメルは思い切り顔を顰めた。ずいぶんと痛そうな長い傷ができている。
「あぁ、シェイティか。だったらほんとに掠り傷だな」
「師匠! なんてことを言うんですか、これが――」
「イメルー。よく見ろよー。これが重傷に見えるか? エリナードの顔色は? こんなに派手な傷がほんとに大きな怪我だったらな、もっと痛そうなはずだろ。だいたい、ここが重要だけど! シェイティがエリナードに本気で攻撃するはずないだろ、馬鹿!」
 ぽかん、と頭を叩く気持ちのいい音。イメルが情けなさそうに身を縮める。エリナードはつい笑ってしまって、思い出したよう顔を顰めた。
「たまには本気になって欲しいです、子供扱いされてるみたいで」
「あのな、エリナード」
 ふう、と長く深い溜息をタイラントはつく。なにを馬鹿なことを言っているのだとばかりに。それがかすかな不快さを呼ぶ。まるで舌先にぴりりとした味を感じたように。
「君はシェイティの本気をわかってない。俺だったら断固として御免こうむるよ? シェイティが本気で攻撃? 君は自殺願望が強いのか?」
 そこまで言うか。一瞬は思った。が、なぜか納得してしまった。まじまじと真剣な顔をして覗き込んでくる左右色違いのタイラントの目。疲れているのか、正気かと問うように。はたと気づく。真剣な顔をして遊ばれたらしい。溜息をつけば生意気だぞ、と笑われた。
「いいよ、イメル。実験台になる」
 はい、と腕を差し出せば、それでも痛そうな顔をしているイメル。浅手とわかっていても、想像してしまうのだろう、その痛みを。この共感能力はどちらかと言えば神官向きではないだろうかとエリナードは思わなくもない。もっとも、鍵語魔法には存在しない治癒呪文を操ることもできる呪歌の使い手とは、そう言うものなのかもしれない。
 タイラントより高い声をしていた。若い男であるイメルの声は、成熟した男性の声には程遠い。そのぶん、どことなく柔らかな熱を感じなくもない声だった。友情による幻聴の可能性もあったけれど。思わず笑えば、考えていることが想像つくよ、と言わんばかりのタイラントの笑い顔。エリナードはそっと笑い返す。
「んー、どう?」
「痒い」
「って、それだけ!?」
「傷が治る時って、そんな感じだろ。だからたぶん、治りかけ?」
「あー」
 納得したような、少し落胆したようなイメルの姿だった。遥かに劇的に傷が完治する、とでも思っていたのか。
「君はまだ未熟なんだって言ってるだろ。俺じゃあるまいし、そんなにすぐ治るもんか」
「師匠だったら?」
「んー、一小節歌うくらいかなぁ。掠り傷だし。その程度だろ」
 何気なく肩をすくめたタイラントにイメルは落ち込まなかった。いずれそこまで達して見せるという野望ではなく、切々とした憧れでもなく。イメルの眼差しはなんだろう。覚えがあるようで、エリナードはわからなかった。
「それで、エリナード。なんか用事だったのか?」
「別に。ちょっと話し相手が欲しかっただけ」
「ってお前さー。友達少なすぎ。遊ばなすぎ!」
「それ、師匠にも言われる」
 途端にエリナードはむっつりとした。タイラントがわずかにうつむいて忍び笑いをしている気配。イメルは首をかしげ、けれど問わないでにやりとする。
「君はいま、魔法が楽しくて仕方ない時期なんだろうな。色々できることが増えるって面白いだろ。俺にもわかるよ。でもな、エリナード、君の若い時期はいましかないんだ。十八歳は二度はやってこない。わかるか? シェイティは、それを大事にしてほしいんだと思うよ」
「……はい」
「まぁ、あの人、ちょっと過保護すぎるからな。遊べ遊べって言われても、戸惑ったり腹立ったりはするよな。それもわか――」
 理解できるよ、と微笑んでくれていたタイラントがぴたりと止まる。笑顔がそのまま凍っている。エリナードはわざわざ振り返って確認などしない。そのままぷい、と呪文室を出て行った。
「ほんと、なにあれ。よもやあなたが変なこと吹きこんでるんじゃないだろうね、僕のちっちゃな可愛いタイラント?」
 にっこり微笑むフェリクスに、めげないイメルが口許を覆って笑いだす。己の師が無言でちぎれるほどの勢いで首を振っていたにもかかわらず。
「なに、イメル。言いたいことがあるならどうぞ?」
「いえ……。フェリクス師。エリナードのことですけど。たぶんあれ、反抗期です」
「反抗期! そっか……あの子もそんな年になったんだ……」
「――そこで嬉しそうな顔するから、エリナードが怒るんだと俺は思うんだ、シェイティ」
 ぼそりと言ったタイラントにフェリクスはかまわない。むしろその方が恐ろしかったのだろう、弟子の前でタイラントは涙目になって見せる。もっとも、慌てたイメルに片目をつぶって見せているのだから完全に演技だったらしい。
「でも可愛いじゃない? 苛々して、我が儘言って。僕はとっても可愛いと思うよ」
 笑うフェリクスの本気がタイラントにはわかっていた。そこまで甘えを見せるようになったエリナードをフェリクスが本当に嬉しく思っていると。が、甘かったらしい。ばたんと音を立てて扉が開く。
「そういうことわざわざ俺の精神に接触して聞かせるから師匠なんか大っ嫌いなんです!」
 また、閉まった。言うだけ言って閉めたらしい。イメルが腹を折って笑っている。タイラントは呆れ顔をし、フェリクスはこの上ない満足を浮かべ。不機嫌なのは一人、エリナードだけだった。




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