道は続く

「お前さ、十二のときにはもう、真言葉の何たるかを掴んでたんだって?」
 穏やかな村だった。小さくて、村人同士、全員が知り合いだ。まるで昔、自分が生まれた村のようだな、とエリナードは思う。ただ、そこと決定的に違うことがある。この小さなチェル村は魔法をまったく忌避しない。それどころではない、村人たちは小さな魔術師の卵たちをこの上なく歓迎してくれる。
 チェル村への「遠足」が行われるようになってもう三年目だ。エリナードは十五歳になっていた。本来ならばこの遠足は訓練中の子供が参加するもの。小さな子供たちのために、と開催されているのだから当然だ。が、エリナードはその子供たちと大して年が変わらないうちに正式な弟子として星花宮に迎えられてしまった。だから最初の年、フェリクスは気軽に来るか、と問うた。ためらうエリナードにイメルも一緒だよ、と。以来、十八歳になったイメルもいまだに参加を続けている。
「だから?」
 きんきんと子供たちが騒いでいる。耳をつんざくような声にわずかにエリナードは怯む。星花宮でも大騒ぎをするけれど、こうして外に出てくるとより一層ひどくなる気がした。
「だってさ。すごいなって思うだろ。友達として?」
「イメルだってもう、掴んでるんだろ。だったらいいじゃん、そんなの」
「そりゃそうなんだけどさ」
 最近になってイメルはその話をタイラントに聞かされたらしい。いままで黙っていてくれたタイラントの心遣いにエリナードはほっとしていた。いくら友人とはいえ、やはり競り合う気持ちがないわけではない。タイラントはイメルが事実を受け入れられるようになるまで、待っていてくれた。あるいはフェリクスも同じことをしているかもしれない。イメルが先に掴んで、そして自分がいまだ到達できていない何かがきっとある。それをきっと師は黙って見ている。そんな気がしてエリナードは小さく微笑む。
「お前はやっぱりすごいなって思うよ。俺には真似できないって言うかさ」
「真似なんかする必要がどこにあるんだよ? お前はお前、俺は俺。――お前はさ、性格は大雑把なくせに魔法に関してだけは緻密だろ? だから、一個一個、きちんと積み上げて行く。俺はめんどくさいんだよ、そういうの。だからあっちこっち手を出して、間違ってたら引き返せばいいやって思う。たまには大当たりするってやつ。だろ?」
「その辺の飛躍が俺にはできないって言ってるんだってば」
「する必要ないだろって言ってんの」
 ぽんぽんと言い合っていたくせに、子供がちょろりと顔を出して遊びに誘ってきた途端、エリナードは黙ってしまった。ぎこちなく首を振って、硬い笑みを浮かべている。
「お前さ、子供相手にそこまで緊張するか?」
「うっさいな。ちびどもの相手は苦手なんだって」
「お前もたいして変わんないよ、まだ?」
 にやりとするイメルにエリナードは戯れに殴りかかる。まだ三歳の年齢差は大きかった。イメルはもう充分に背も伸びて若き男性の体をしている。エリナードはまだまだ少年の域を出ていなかった。
「お前、やっぱあれかな。フェリクス師の弟子だし。おんなじように小柄かもな」
 なんの関係がある、師とは血の繋がりなんかない。エリナードは言い返そうとして、けれど何事かをもごもごと呟くばかり。師と似ていると言われて素直に喜べるほど子供ではなくなってしまっていた。内心では、すごくすごく嬉しいのだとしても。
「魔法って、面白いよな」
 そんなエリナードを微笑ましく思ったのかイメルが唐突に話題を変えた。今度はエリナードがにやりとする番。
「イメル、話の変え方が下手くそすぎ。それでもタイラント師に教えてもらってるのかよ?」
「うるさいなぁ。まだまだだってわかってるけどさ。それより、お前のこの前のあれ! 面白かったよ」
「それじゃわかんないって」
 くすくす笑いながら、エリナードは肩をすくめる。本当は、わかっている。イメルの素直すぎる賛辞にくすぐったくもなっている。このあたりがイメルのすごいところだとエリナードは常々思っている。率直で、真っ直ぐで。自分にはできないことだな、と。
「なんかさ、あれだよな。魔法って、文字だけ教わって、あとはどう単語を作って文章にするか、それは魔術師次第みたいなところがないか? だから俺が作るもんとお前が作るもんは違う。おんなじことしても、表現が違う。な、イメル?」
「……お前、吟遊詩人向きだよ、それ」
「向いてない。絶対!」
「だよな、俺も言ってから思った。お前の内気さで吟遊詩人は無理だわー」
「お前が言うな!」
 イメルだとていまだに人前に出るのが苦手なのだから。ただ苦手、で済ませられるようになったイメルがエリナードには眩しい。いつか自分もそうなりたいと思う。視線を感じたイメルが首をかしげるのに黙って首を振った。そんな恥ずかしいこと、とても言えない。
「あ、キャラウェイ卿だ」
 イメルの話題がまた違うほうへと。くるくると万華鏡のようだ。苦笑してエリナードもイメルが示したほうを見やる。
「あ、ほんとだ。相変わらず美形だよな」
 金属光沢のある金髪、などというものにはじめてエリナードがお目にかかったのは四年近く前だ。以後、何度見ても驚くほど美しい。煙るような青灰色の目も、物憂いいかにも貴族的な佇まいも。彼がキャラウェイ・スタンフォード、以前あった事故の再現実験に宮廷で協力してくれた第三歩兵団の団長だとはエリナードは知らない。別口で、知っていた。彼はフェリクスがはじめてくれた「ご褒美」を作ってくれた銀細工職人の双子の兄だ。
「お前、実はそっち?」
「そっちもどっちもないだろ。今んとこどっちもない。強いて言えば、あんまり女の子は好きじゃないかも。うるさすぎる、めんどくさいことばっか言うじゃん」
「そこがいいんだろ!? わかってないなぁ、お前」
「ガキで悪かったね。あ、ディルさんだ」
 本当はすでに自分の望みを知ってはいる。が、いかんせんそんな話題は気恥ずかしい。話題から逃げたいとばかりエリナードは手を振った。向こうで卿の双子の弟ディルが手を振り返してくれた。
「ほんとよく似てるよな、見た目。区別はつくけどさ」
 常人には区別がつかないみたいだよ、とフェリクスは初対面のときに言っていたとエリナードは思い出す。魔術師は感覚が鋭いものだから、顔が同じ程度では惑わされないとも。
「あれってさ、あの人は区別ついてんのかな」
 こっそりとイメルが囁きかけてきた。身を寄せて、思わせぶりに。見ればイメルの視線の先には壮年の男性。鍛え抜かれた肉体を見るまでもない、あれは軍人だ。かつてはキャラウェイ卿の副官格として歩兵団に所属していると言っていたけれどいまでもそうかは知らない。
「ついてなかったらものすっごく問題だと思うよ」
 ユージン・メイカーと言うその副官は星花宮の遠足の初年度、大問題を起こしている。というより、キャラウェイ卿、職人ディル、メイカー軍曹の三人が。さすがにフェリクスから笑い話、として聞かされたとき――星花宮の遠足は水風系、火地系とに分かれて春と秋に行われるから問題のその遠足のとき、フェリクスも当然エリナードもその場にはいなかった――エリナードは絶句したものだった。まだ十二歳で物事が、特にその方面の出来事が理解しにくいというのはもちろんあったけれど、それにしても。彼らは、三人で、誓約式を行ったらしい。リオンを司祭として、彼の女神の前、正式な伴侶として誓い合ったらしい、三人揃って。元々が貴族の双子の弟が平民の職人だというだけでも色々あるのだろうと思っていたけれど、それで貴族社会の一部では大騒動になったらしい。なるだろうな、といまでもエリナードは思う。が、当人同士が仲良くやっているのならばそれはそれでいいのだろうとも思っている。なにしろリオンの女神が認めたのだから。エリナード自身は信仰というものにあまり興味がなかったけれど、神々の存在を疑ってはいない。それこそ悪魔が実在しているのだから神々がいてもいいだろうくらいには思っている。
「なんかさ、歌になるような話だよな、それ」
 イメルもあの三人の騒動を思い出していたのだろう、くすくすと笑っている。が、目は優しい。貴族社会が何を問題にしたのかわからない、それが星花宮では一般的な所見だった。だから魔術師は、と言われるのだとしても。
「やるなよ。お前の歌は聞くに堪えないから。甘ったるすぎるって!」
「いいだろ! すっごく素敵な大恋愛なんだからさ。甘くなかったら恋愛じゃない」
「とか言って、お前だってまだ彼女の一人もいないじゃん。俺、知ってるよ、イメル?」
 う、とイメルが息を詰まらせた。それをエリナードは腹を抱えて笑う。恋愛のどうのと言っておきながら、イメルは彼自身としては興味を持たないらしい。まだまだ魔法が楽しくて、彼はそう言う。
「俺はさ、お前みたいにもてないの。美形は違うよな、エリナード!」
「俺? なにそれ。もてないと思うけど?」
 きょとんとしたエリナードだった。イメルは内心で溜息をつく。本人はまるで自覚がないらしい。確かに整った顔立ちと言うのならば客観的に見て自分もそうだ、とイメルは思う。が、エリナードには華がある。あちこちから男女問わずして熱い眼差しを浴びせられるくらいには。もっとも、この妙なところで無垢な友がそれに気づいていないのもまた好ましかったけれど。
「それより、師匠んとこ行こう。キャラウェイ卿との話は終わったんだろうしさ」
 軍曹が星花宮の子供たちを眺めていた。職人が一緒になって子供と遊んでいた。その二人を嬉しそうにキャラウェイ卿が見つめている。少し疲れた顔をしているから、フェリクスとタイラントとの会談は難しいものだったのかもしれない。
「ん、だな。俺らはちびっこ達のお守り役ってわけだしね。――って言ってたら出てきちゃったよ。師匠! シェイティ師!」
 呼びかけたイメルが固まった。向こうからタイラントが笑顔で歩いてくる、つかつかと。エリナードは内心で馬鹿、と呟いて一歩を下がった。
「ん、イメル? いまなんて言った、君?」
「いや、その! ただの呼び間違えですごめんなさい! エリナードとお三方の話してたらなんか頭に師匠がたのことが浮かんで、それでつい!」
「へぇ、ついね、つい。そっかー。ついかー。仕方ないよなぁ、それじゃ――なんて言ってやると思ったか、この馬鹿弟子ー!」
 これがラクルーサが誇る星花宮の魔導師か。両手を鉤爪のように曲げて弟子を追いかけまわすタイラントにエリナードは顔を覆ってしまう。
「ほんと、どっちが馬鹿なんだかね。エリィ、お茶にしようよ」
「止めなくていいんですか?」
「いいんじゃない? タイラントは本気だけど、イメルのほうがすばしこいからね。平気だよ、きっと」
 全然平気ではない、エリナードは思ったけれどあそこに飛び込んで行く勇気もない。内心でごめんと呟いてフェリクスに従えばその背中に裏切り者、と叫ぶイメルの声。フェリクス師弟はくつくつと笑っていた。




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