月に一度の御前会議は一番大きな謁見の間で行われる。日常の会議とは性格を異にして、どちらかと言えば儀式的な色合いが強い。が、今月は違う。玉座の側に控える侍従長が他に議題はないか、と周囲に問うたとき進み出てきたのは。 「どうぞ、ホーンウィッツ伯爵」 重々しくうなずいて伯爵は玉座に座るイェルク王に一礼をした。少し、辺りがざわめく。伯爵が何を持ち出すのか、と。小さく伯爵の唇がつり上がる。 「先日、星花宮で事故があったと聞き及ぶ。我が一族に連なる騎士が――死亡した」 すっと周囲が静まり、そして沸騰する。だから魔法は。だから魔術師は。呟き囁きかわす貴族たちの声。侍従長が静粛を求めた。 「しかも、星花宮より何の謝罪も報告もない。これはいかなることなのか」 「――メロール・カロリナ師。前に」 侍従長はわずかに国王を振り仰ぐ。王は淡々とした無表情のまま、続きを待っていた。カロルはそんな王の前、進み出る。 「メロール・カロリナ、御前に。――伯爵が述べられたことは事実」 端的にそれだけを言えばやはり、宮廷は騒ぎ立てる。ここが王の前だということまで忘れてしまったかのように。再び侍従長が静粛を求めた。 「だが、星花宮の魔導師は懸念しております、陛下。問題の死亡した騎士は星花宮を訪れる前、若き魔術師をからかってやろう、と申していた由」 「ならば死んでも咎はないと申すか、そなたは! 若き騎士ならばささやかな悪戯はするもの。それで一々殺されていたのではたまらんわ!」 まるで星花宮の魔導師が共謀して殺したと言わんばかりの伯爵に、宮廷は寂として声もなかった。今度ばかりは。 なにが起こっているか、その時点で貴族たちは正確に察知している。ホーンウィッツ伯爵は、イェルク王の第一王子――そして唯一の子――であるアレクサンダー王子の最大後援者だ。だからこそ、言われなくとも誰もがわかる。王子はやはり、魔法がお嫌いなのだ、と。 「ささやかな悪戯、と申されるか。――陛下、僭越ながらしばしお時間を頂戴できましょうや? ありがたき幸せ。では」 イェルクが無言でうなずくと同時にカロルが手を掲げる。そして扉から現れたのは星花宮の残りの四魔導師たち。リオン・アル=イリオ、タイラント・カルミナムンディ、そしてカロリナ・フェリクス。宮廷でもこの四人が勢揃いするところを見たものは少ない。 「問題の騎士がいかにして事故の現場に居合わせたか、陛下にもご覧いただきましょう」 少しばかり意地の悪いカロルの声にイェルクは危ういところで笑いを噛み殺す。表情は毛ほども動いていなかったが。それが付き合いの長いフェリクスには感じられた。 「何を言うか、ご覧いただくだと! 陛下を危険にさらすおつもりか、カロリナ師」 「これは不可思議を仰せになる。ささやかな悪戯、と申されたは伯爵にございましょう」 「だが――!」 「よい、カロリナ師。はじめよ」 は、と一礼したカロルが背後を振り返る。そしてうなずきと共に進み出てきたのは一人の若き騎士だった。 「第三歩兵団長殿にご協力を願いました。歩兵団は魔法とはかかわりを持たぬゆえ」 騎士は自ら二つの藁人形を担いで持ってきていた。ひどく不様で、目を見張るほどに美しい騎士であっただけに無惨なほど。そして彼はカロルの指示を待つことなく、広間の中央、二十歩ほどの間を置いて人形を向い合せに据え付けた。 「問題の騎士が持っていたものです」 言いながらカロルは一振りの短刀を示す。焼けたのか腐ったのかとても元の色がわからない状態ではあったけれど、かろうじて短刀だということはわかる。 「大司教猊下、ご確認いただけますか」 玉座の側にはラクルーサの伝統として、マルサドの神官が控える。カロルの元にこだわりなく進み出た大司教は短刀を手に取るなり顔色を変えた。 「これは――。なんと! 私は魔法に精通しているわけではないが、酷い邪念を感じる。あえて言えば、魔法を害するとでも言おうか」 「ありがとう存じます」 「では大司教猊下、陛下に万が一のことがあってはなりませんから。結界を構築いたします。ご協力願えますか」 「もちろんです、聖下にご助力致すは喜びとするところ」 「ありがとう」 にこにことしたいつものリオンだった。が、緊張が四魔導師たちにはわかっている。そこにいる、伯爵への、あるいは背後にいるものへの警戒と言った方が正しいが。 マルサドの大司教は剣を抜き、リオンは自らの武器である魔法のハルバードを出現させる。互いが切先を重ね合わせ、そして徐々に下がっていく。二人が下がり切ったとき、結界の中には二体の藁人形とカロル、フェリクス、タイラントが残されていた。 「タイラントが短刀を投げ入れます。我々残る二人は当時、研究中であった弟子の役を致しましょう。ただし、魔力のみ。弟子の姿はこちらの藁人形、といたします」 言ってカロルが風を操りはじめる。少しばかり嫌そうな顔だ。カロルは風の魔法が群を抜いて嫌いだ。苦手なのではない、嫌いだ。それは間違いなくそこにいるタイラントのせいなのだが。フェリクスのほうはエリナードの役を振られているだけあって楽なもの。淡々としたまま魔法を操る。 「では」 大丈夫か、そんな顔をしながらタイラントが二人を窺う。双方共に返事もしない。代わりに結界の外でリオンがにっこりと微笑んでいた。意を決してタイラントが短刀を投じたとき、宮廷中が度肝を抜かれる。半数近くが尻餅をつき、残り半分の半分ほどが失神した。気丈に立っているものはごく少数。それほどの大爆発だった。無論、塵一つとして結界の外には漏れてはいない。 「これが、実際に起こった事故、と言うわけです」 軽くリオンが手を一振り。それだけで結界は消えた。霞がかかって見えなくなっていた結界の中、中央にタイラントが立っていた。 「タイラント」 その背をフェリクスが叩く。はっとしたよう、何事もない顔をして元に戻るタイラント。決定的な瞬間、タイラントは耐えられなかった。二人の弟子役をしたカロルとフェリクス。事故の際、なにが起こったか。フェリクスは無事だろう、当然。エリナードとは積んでいる修練が違う。なんの問題もない。わかっていても。 「ごめん」 小声で呟けば肩をすくめられた。わかっていてなお、動いてしまった体。咄嗟に中央に飛び込んで、フェリクスを背に庇ってしまった。そんなことをする必要はまったくなかった。間違いなく、自分より力ある魔術師なのだから、彼は。 「あとで話があるからね、タイラント」 低い小声に背筋が震える。が、怒ってはいないらしい。呆れてはいるようだったが。二人のやり取りを聞きつけたのだろうカロルが凄まじい目つきで彼らを睨んだ。 「これが、伯爵曰くささやかな若き騎士の悪戯、の結果です。該当の騎士は、理解してなお事故を起こした。自ら我が弟子たちを殺害する計画を立てたもの、と星花宮は見做す。ホーンウィッツ伯爵、ご返答はいかに」 「これがそなたらの魔法のなしたことと――」 「伯爵閣下。お忘れなきよう、この実験――そう申してよかろうと思いますが、この実験は、我が結界内にて行われたもの。リオン総司教聖下と共同の結界とはいえ、猛きマルサドのご加護ありしことに違いはない。その中で虚偽、あるいは作為は許されぬ。これはありのまま、当時起こったことを再現したにすぎませぬぞ」 マルサドの大司教の言葉に伯爵が喉を詰まらせた。まさかそこまで断言されるとは思ってもいなかったのだろう。カロルはちらりと感じていた。次代の王を戴くようになったら、魔術師は日陰に追いやられるかもしれない。が、同時に神官もそうなる予感がした。 「――我々四魔導師は星花宮の主導者として、魔力と技術を誇る。が、若き弟子は違う。いまだ修行中の若人は、自ら身を守ることができなかった。一人は危ういところで私が守ることができたものの、もう一人は。僥倖に僥倖が重なった結果、生き延びたに過ぎない。若き騎士の悪戯? 悪戯で死者を出したのは誰か。そもそも伯爵に問う。星花宮は陛下のために存在し、陛下おひとりに仕える。星花宮の弟子も同じこと。伯爵の一族なる騎士は、その星花宮の一員を謀殺しようとした。それについてお言葉をいただきたい」 普段宮廷に顔を出すことがフェリクスはほとんどない。しかも発言する機会などないに等しい。そのフェリクスにここまで問い詰められるとは伯爵は思ってもいなかったらしい。それを言うならば四魔導師が反論する、とは思っていなかったのだろうけれど。 フェリクスは内心で溜息をついている。魔法は恐ろしいものではない。否、魔法は恐ろしい「力」ではある。が、魔術師は狂人と同義ではないし、善き魔術師が星花宮に仕えているのだということを示すため、控えめに控えめにと心掛けてきたことが裏目に出ているらしい。四魔導師の真実を知れば反論しないだなど、誰が考えられるものか。 「一族の騎士、という表現はやめていただきたい。一族に違いはないが、傍流の、しかも端に存在する騎士だ」 苦々しい伯爵にこそりとした声が周囲から上がった。が、大きなものではない。伯爵にも当然政敵がいて、その共感者たちが小さな喜びを上げたのだろう、彼の失点を目にして。ただ、それだけだ。星花宮に親近感を持ったのではない。 「いずれ遠かろうとも伯爵の一族の騎士に違いはない。伯爵こそ死亡した騎士の一族の長なのだから。異議があろうか」 カロルが切りつけたよう言えば、伯爵は目をそらす。リオンは温顔のまま、タイラントは忌まわしそうに、フェリクスは凍りつくような眼差しで、伯爵を見ていた。 「――星花宮の落ち度ではなかったことは、認めよう」 「けっこう。だが我々は若き弟子を守らねばならない。未熟な弟子をからかうなど言語道断。陛下の剣に悪戯をしかけるも同然。我々は陛下の武器なのだから。それを深くご理解いただきたい」 「カロリナ師の言葉を追認しよう。星花宮は我が武器。星花宮に剣を向ける者はすなわち余への反逆と見做す」 す、と国王が立ち上がる。平素は物静かな国王ではあったけれど、今は見違えるよう威風辺りを払う。王の手の指輪がかっと光を放った。さっと片膝をついたのは四魔導師。非武装の武官として。藁人形を持ってきた歩兵団長が鎧の胸を拳で打ち、忠誠を誓う音が広間に響いた。次々と従っていく騎士たち貴族たち。そつなく伯爵も加わっているのをフェリクスは目の端で捉えていた。 |