道は続く

 薄い小麦粉の皮にたっぷりと甘い蜜漬けの果物を包んだ菓子。ぱりぱりの皮にあふれんばかりにクリームを詰め込んだ菓子。果物の赤、砂糖漬けの緑、黄色や薄紅。濃い目の茶には乳を入れてまろやかに。色とりどりのそれにエリナードは嬉しそうだった。
「屋台のお菓子って思ってたけど馬鹿にしたものでもないね。結構おいしい」
 指についた蜜をぺろりとフェリクスが舐めていた。子供じみた仕種に小さくエリナードが笑いを漏らす。それに冗談とあからさまにわかるひと睨みをくれた彼だった。
 宿に戻った二人はフェリクスの言葉どおり、菓子と茶を楽しんでいた。いつもならば中庭か呪文室で研究をしているころだな、とかすかにエリナードは思う。やりたいことから引き離されているのが不満ではあったけれど、これはこれで楽しい。何より師が手の届くところにいてくれて、自分だけをかまってくれる。そればかりはたまらなく嬉しかった。
「でも――」
「うん、なに? お気に入りは他にあったの。言えばよかったんだよ、そういうときには。あなたが欲しいものが僕にはわからないからね。欲しいものがあったら言えばいいんだ。まぁね、すぐにはできなくても覚えて行けばいいと思うよ、エリィ」
 ゆったりとしたフェリクスの言葉。エリナードは少し目を丸くする。違うことを考えていたのだけれど、師はこんなにも自分のことをちゃんと見てくれていたのかという驚きが強すぎてそちらに気を取られそうになる。慌てて首を振った。
「いえ。そうではなくて……」
 些細なことを言おうと思ったはずだったのに、こんな風に改めて言わねばならなくなると、どうしてだろう。途轍もなく恥ずかしいことを言うような気がした。
「……師匠のお菓子のほうが、好きだなって。やっぱりそう思って。これもすごく、おいしいけど、でも」
 うつむいてしまったエリナードにフェリクスは笑みを零す。その目にちらりと不快さが浮かんで消えた。こんなにもいたいけな子供を狙った人間の気持ちがわからない。むしろ、わかりたくない。あの事故を画策したものは確実に事故を起こせる対象として弟子を狙ったのだとカロルの調査が告げてきている。弟子は幼ければ幼いほどよかったと。だからあの人物は、自分が事故を起こすことでイメルとエリナードがどうなるか、わかっていた。幸い、彼らは生き延びた。けれど。
「師匠?」
「ううん、なんでもない。本当にあなたの味覚が心配だなと思っただけ」
「……別に」
「ねぇ、エリィ」
 室内でも光を放つような綺麗な金髪だった、エリナードの髪は。カロルも金髪だけれど、彼の髪はもっと色が薄い。透けるような金髪だ。比べてエリナードは遥かに健康そうな溌剌とした色合いをしている。その髪に手を伸ばし、外で遊んでいるうちについてしまっていたのだろう、枯草を取ってやる。
「あのね、さっきあなたはタイラントに魔道を歩き続けるって言ったでしょ」
「はい」
「あれはね、タイラントの聞き方が悪いと僕は思ってる。別にあいつを責めてるわけじゃないけどね。あなたとイメルと、二人一緒に聞いたら自分の意志じゃないことでも返事しちゃうんじゃないのって思ってる」
「俺は――!」
「僕はね、エリィ。あなたはとても優秀な魔術師になると思っているよ。だから、同じくらい他のことでも優秀になれると思う。書記でもいい、文書管理官でもいい。商売は……どうだろ、やればできるかもね? やりたかったら止めないけど、廷臣はやめた方がいい、あそこはほんっと変だから。だからね、エリィ、もう一度こっそり聞くよ。あなたは、どうする?」
 じっと子供の藍色の目を覗き込んだ。その目に怒りが閃くのをフェリクスは見つめていた。自分の覚悟を疑われたと思ったか、それとも友に追随するだけの人間でしかないと思われたか。いずれ理解が足らないと師を責める目。
「もしもね、エリィ。あなたが魔道から離れたとしても、僕はあなたが可愛いよ。それは心に留めておいて。その上で、あなたの答えが聞きたい」
「……師匠」
「なに」
「もう一度、また! 答えなきゃならない。それが嫌です。さっき言いました。俺は、魔法が好きです」
「どうして?」
 あれほどの事故が起こる魔法。今回は人為的に起こされたものではあった。けれどそんなものがなくとも、起きるときには本当に事故は起こる。
「好きなものは好きです。師匠、変なこと、聞いてもいいですか」
「うん、いいよ。僕に答えられることならね」
 気軽に返答をして、フェリクスは少しばかり後悔をした。まさかそう来るとは思ってもいなかったものを。
「師匠は、タイラント師のどこがどうして好きなんですか?」
 エリナードは真っ直ぐとそう尋ねてきた。フェリクスは唖然とし、次いでくすくすと笑いだす。これ以上ない完璧な回答だった、エリナードのそれは。
「確かにね。これは僕の負けかな。好きなものは好き。そうとしか言いようがないね」
「……だから、俺は。星花宮にきたとき、はじめて師匠が魔法、見せてくれたあの日から、俺は魔法が大好きです」
「そっか」
 好きだから、この道を続ける。何より強い動機。いつまでそう思っていられるだろう、エリナードは。できることならば一生そう思っていてもらいたい。が、先のことは誰にもわからない。いまここでのエリナードの覚悟は決して嘘ではないとしても。ぽん、と頭に手を置けば師が認めてくれたとわかったのだろう、エリナードの表情が華やぐ。それから一瞬の後にまた曇った。
「あの。聞いてもいいですか? ――あの事故、本当は何があったんですか、師匠。一人、亡くなってますよね。あの人は、誰で、何があったんですか」
 フェリクスは驚きに目を瞬く。あの事故の瞬間、エリナードがそれを知覚していたとは思いもしなかった。ためらうフェリクスをエリナードは正面から見つめ続ける。小さく溜息をつき、エリナードの手を取った。
「本当はね、これは話すべきじゃないことだ」
「師匠が黙ってろって仰るなら、黙ってます。イメルにも。イメルはたぶん、気がついてないから」
「あの子は先に気絶したからね。そのせいかな」
「たぶん。俺は、ぎりぎりまで、見てたから」
 思い出すだけで、怖い。それは嘘偽りない感情だ。目の前が真っ赤になるような、頭の中が真っ白になるような。何もできない不甲斐ない自分だけがそこにいた気がする。だからこそ、エリナードは努力を決心する。次はない、と。次は、決してただ棒立ちになるだけではない、と。
「――カロルが、短刀を見せてくれたの覚えてる? あれが原因と言えば原因かな。魔法に反発するような魔法がかかってたでしょ。あそこに投げ入れればどうなるか、わかっていて、投げたんだ、あの人は」
 さっとエリナードの顔が青ざめた。悪戯でも、からかわれたのでもなく、意図して自分とイメルは殺されそうになった、師は確かに今その意味で言ったとエリナードは理解してしまう。
「その通り。星花宮の弟子、としてあなたがた二人が狙われた。死んだ人間はこの際どうでもいい。あの人個人がどうのって話じゃないからね」
「それは……実行者であって、主人がいるってことですか」
「まったく。悪い本を読みすぎだよ、エリィ。そのとおりなんだけどね」
「それは、誰なんですか」
 かすかに震えたエリナードの声。それでも顔を上げてフェリクスを見つめる。強がっているのではなく、怖がっているのでもない。明日に続く道を見出した魔術師の眼差し。繋いだ手をきゅっと握り、フェリクスは首を振った。
「それは、内緒」
「それは、俺が子供だからですか」
「一理あるけど、正解でもないかな。あなたを本当に子供だと思ってたら、こんな話は聞かせるべきじゃないってことはわかるね? でもあなたはもう理解ができる。だから話すけど。幼いあなただから内緒にするのはね、エリィ。特定の人物に狙われていると知ったあなたは、どうしても油断をする」
「あ――」
「そう。その人だけに注目して、他に目が向かなくなりかねない。だから、危なくて僕は言えない。エリィ、危険はね、どこにでもあるんだ」
 手を握ったままのフェリクスだった。反対の手で髪を撫でるフェリクスだった。それでももしかしたら師は不安なのかもしれない。気づいたときには抱き寄せられ胸の中に包まれていた。
「できることなら、僕ら大人の魔術師で解決したいことではある。現時点でカロルがそれを計画してもいる。でもね、それで解決するようなことだったら、あなたたちみたいな小さな子供を狙ったりなんてしなかったんだと、僕は思うんだよ」
「師匠――」
 尋ねていいことなんだろうか。いけないことのような気がする。ためらいなく問えるほど幼くはない自分をエリナードは思う。
「人間が、嫌いですか?」
「ん、どうして?」
「だって、何か悪いことをしようとしてる人たち、人間なんですよね。なんとなく、ですけど。そんな気がして。やっぱり、師匠は人間が好きじゃないんだなって、そんな気がして」
「……ほんと、いい勘してるよね、あなた」
「じゃあ」
「違うよ、僕が褒めたのはそっちじゃない。確かにあなたの言うとおり、それは人間だからね。あいつらこそ死ねばいいのにくらいは思ってるよ。だって考えてごらんよ、エリィ。僕の可愛い弟子を殺そうとしたんだ、死んで詫びればいいんだ、ほんとに」
 それこそ子供相手に言うことではないだろう、子供であるエリナードは思って笑ってしまった。胸の中で笑うエリナードにフェリクスは溜息をつく。だから師の本気が見えてしまって少し怖い。同じくらい、嬉しかった。
「それとね、エリィ。あなたは覚えてないの? 僕が人間なんか嫌いだって言ったとき、あなたは自分も人間だって言い返したんだよ?」
 腕の中がひくりとした。言い返したとはエリナードは思っていなかったらしい。実際、フェリクスの感覚としても違う。あれは、子供が必死になって励ましてくれたのだと思っていた。いずれエリナードが大人になったとき今日のことをもし覚えていたのならば彼は知ることだろう。フェリクスが照れていたのだと。
「僕は大半の人間が嫌いだよ、それは否定しない。でもね、エリィ。あなたがいるじゃない? イメルたち、他の子供たちだっている。だから、全部が嫌いなわけじゃないよ」
 ふっと顔を上げてエリナードがその師を見上げた。そして彼にしては珍しく、師の前でにやりとする。
「師匠、忘れてます。――タイラント師が一番最初です」
「ふうん、いい度胸だね。師匠をからかうな!」
 ぎゅっと悪戯に抱き締めれば苦しいと声を上げてエリナードは笑う。ちょうどそこに戻ったタイラント師弟。そしてまたひと騒動だった。




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