四人は今度は町の広場に移動していた。豊かな緑と名残の花がまだ咲いている。ここは貴族のものでも王のものでもない庭だった。いわばイーサウという町の庭。誰もが――旅人ですら例外なく――入って好きに楽しんでいいと言うのだから驚く。子供たちの手には色鮮やかに温泉と町の様子が描かれた木製の酒杯。旅の土産になるように、というのだろう。中々商売熱心なことだとタイラントは内心で微笑む。 「って、うわ! シェイティ! 驚くだろ!?」 杯の中身はそれぞれだった。タイラントは葡萄酒を、フェリクスとエリナードは柑橘の果汁を、イメルは発酵乳を選んでいる。もちろん店にはエールもほかの果汁もある。観光資源豊富な町らしく、こんなところでも様々だ。そしてその酒杯の中が一瞬だけ、凍っていた。すぐさまさらさらと溶けて行く。 「どうしてあなたはそうやって一々驚くの? 魔法に怖がる癖は直せってあれだけしつこく言ったのに、まだ直ってない。いい加減にしなよね」 「だから! 怖がってない! 驚いただけ! 急になんかあったら驚くだろ、普通!?」 「ふうん。普通だってさ。タイラントのくせに普通を主張するなんて生意気だよ」 ふん、と笑ってフェリクスは飲み物を口に運ぶ。冷たくて心地よい。温泉に温められた体にはこういうものの方が気分がいいだろうと思ってしたことだったのに、やはりタイラントは大袈裟に騒ぐ。少し、それが不満だ。が、子供たちはきゃっきゃと喜んでいたからフェリクスの不機嫌もすぐさまどこかに行ってしまった。 「結局さー、悪いのはいっつも俺でさー。ま、いいんだけど。なぁ、二人とも? 魔法ってびっくりするようなものでもあるよな?」 葡萄酒を飲みつつタイラントは笑う。子供たちは少しだけ残してやった氷をかりりと噛んで首をかしげていた。 「あぁ、そっか。俺はさ、大人になってから魔法に出会ったんだ。勉強したのも訓練したのもそれから。だからかな、普通の人たちみたいに色々驚いちゃう」 イメルとエリナードは顔を見合わせていた。自分たちはほんの子供のころ星花宮に引き取られた。だから魔法に驚くことはない。 そう思ったのでは、なかった。二人が同時に溜息すらつきたくなるような気持ちで思ったのはタイラントの偉大さ。自分たちより遥かに訓練の開始が遅かった彼が、いまは四魔導師の一人に数えられているその異常。タイラントの努力であり才能でもある。そのことのほうにこそ、遥かに驚きは強かった。 「普通の人たちってさ、いろんなことに驚くだろ? ちょっと珍しいことがあるとすぐ魔法だってびっくりしたりさ。俺たち魔術師はそれが珍しくても自然現象だって知ってたりするようなことでもね」 「……たとえば、師匠。虹の向こうには妖精の住む国があるとか、そういうのですか?」 「うん、そうそう。俺たちにとって虹って言うのは――?」 突然始まってしまった講義に、けれどイメルは嬉しそうだった。きらきらとした目をしつつ師を見ている。そんな友の姿に先ほどの不安も多少は薄れたのかエリナードもくつろいでいた。 「大気の中の水滴に光が屈折して起こる現象、です」 「そのとおり。どんな条件で起こる? エリナード」 「――え。あ、はい。えと……。雨上がりが多いです。その後、急に晴れて陽射しが出るとき。観測者の背中側に光がある時に見えます」 「うん、完璧な回答だね。ほらな? 君たちだってもうそう言うことは知ってる。俺はね、大人になるまで知らなかった。だから、魔法に驚く。癖だね。シェイティにはこうやって怒られてるけどさ、直らないんだ」 肩をすくめて笑うタイラントは、本当は驚いているのではない気がエリナードはした。巧くは言えないけれど、驚いているとしたならば、それは魔法というものに喜びを見るせいだと。まだまだ幼すぎて言葉にはならなかったけれど。 「でも……」 珍しくエリナードが何かを言おうとした。普段は師の直接の講義の時にはあまり反論をしない彼だった。吸収することのほうがいまは楽しいのだと思っていたフェリクスはわずかに目を見張る。そして子供の成長に目を細めたくなってはこらえた。 「うん、なに。エリナード?」 「あの……。俺は、さっきのイメルの話だったら、妖精ってなんだろうってことのほうが、気になります」 「え? 妖精は妖精だろ? 昔話って言うか」 「だからさ、イメル。昔話になるような、元の話があったんじゃないかって思うんだって。どこで妖精なんて話になったのかわからないし、もしかしたらほんとにいたのかもしれないだろ」 首を振るエリナードを笑うものはいなかった。まるで子供の言い分だ。妖精さんはきっといるの。小さな子供が一度は口にする言葉。けれどエリナードのそれは。思わずフェリクスは彼の頭を撫でていた。 「僕もエリィに賛成、かな。現状、旧シャルマーク王国も入れて三王国時代の文献しかほとんど残ってないからね。それ以前のことは闇の中だよ。古王国時代にはこの大地にもっといろんな異種族が本当にいたのかもしれない。それを研究するのも悪くないなと思う。やってみるんだったら応援はするよ、エリィ」 自分は忙しくてとても手を出せない分野だから、とフェリクスは笑った。エリナードはほんのりと頬を赤らめる。なぜかはわからない。けれど師のぬくもりに包まれているのだけは、わかった。 「そう、それがさ。魔術師ってものだよな?」 にやりと笑ったタイラントの声。そちらを見れば少しばかり不満げな彼がいた。フェリクスは内心で溜息をつき、わずかに接触をして彼をたしなめる。弟子を相手に妬かれるのはたまったものではなかった。タイラントは彼にしてはずいぶんと勇気を振り絞った結果だろう。堂々と無視をした。 「師匠。どういうことですか?」 イメルの言葉にフェリクスは諦めて子供たちに注意を戻した。エリナードもタイラントを見つめている。確かに少し、気に食わなくもないかな、と思ったところでタイラントを許している自分に気づいては小さく笑う。 「だからさ。いまの話だったらね、文献調査とかってのは魔術師の仕事でもないだろ。それでも、面白そうだったらつい、手を出しちゃう。あんなことがしてみたい、こんなことがしてみたい。自然現象のこれが再現したいなとか、君たちだって色々あるだろ。そうやって突き進んじゃうのが魔術師だなってこと」 「悪いことではないんだよ。ただ、自分が何をしたいか、一番したいのは何かは考えておいた方がいいね。いくら寿命の長い魔術師でも、やりたいことのほうがずっと多いから。あっちこっち手を出すと結局何もできないよ」 はい、と子供たちの揃って綺麗な返答。今からわくわくとしているのがありありと窺える。それに師たちは笑みを浮かべ、それぞれの小さな弟子の頭に手を置いていた。けれど口を切ったのはタイラント。 「なぁ、二人とも。魔法はまだ好き? あんな事故があって、まだ続けて行こうと思う?」 「もちろんです、師匠!」 「俺もです。やめようと思ったことはないです」 「そう? 魔道を歩いていればね、あの手の事故はなくならない。というよりなくしようがない。言っただろ。見たい、やりたい、それだけで突き進んじゃうのが魔術師なんだ。万全の対策を取ったつもりで大事故なんて、どこにでも転がってる。それでも?」 今後さらに大きな事故もあり得る、とタイラントは断言した。真正面からその色違いの目で子供たちを見つめていた。イメルは怯まない。エリナードも。二人とも、平素の内気さをどこに置いて来てしまったのだろうと思うほど、真剣に。タイラントの口許がほころんだ。 「そっか。うん。それならそれで、いいんだ。俺たちは君ら子供たちに事故がないようできるだけ気をつけてるけどね。それでもあんな事故は起こり得るんだってこと、覚えておいて欲しいんだ」 エリナードの心にふと思い出が蘇る。事故の話ではなかった。いつかフェリクスに言われた言葉。怪我はさせたくない、体を痛めつけるような真似はしてほしくない、そう言った師の言葉が。返事のできないエリナードの代わりとでも言うよう、イメルが大きく、はい、と声を上げていた。 「さて、と。シェイティ。君はどうする? 俺はちょっと散歩してこようかなと思ってるけど」 「僕は宿に戻ろうかな。エリィがおねむだしね」 「師匠!」 「眠くて当たり前なんだよ、エリィ。あなたはまだ魔力が回復しきってないんだから。元気に見えるのは見た目だけ。食べて寝て治すって言うのは案外有効なんだよ」 子供扱いすると言って声を荒らげたエリナードをイメルがくすくすと笑っていた。それに唇を尖らせたエリナードをちょい、とイメルがつつく。そんな顔をするとよけいに子供っぽいぞ、と。それにはエリナードも赤くなるだけだった。 「イメルはどうする?」 「お邪魔じゃなかったら師匠と一緒に行かせてください!」 「もちろん。じゃ、シェイティ。あとで宿で会おう。夕食までには戻るよ」 「あんまり遅くまでふらふらしてると知らないよ?」 親密な会話にイメルがそっと赤らんだ頬をこすっていた。エリナードはそれににやりとする。彼だとて、似たようなものだと思ったせい。イメルは師たちの親密さに照れてしまったのだけれど、エリナードはイメルもまた師と共に行動するのが楽しくて、そんな自分に照れたのだと思っただけ。この年齢の三歳差は大きかった。フェリクスはそれを見てとったけれど何食わぬ顔をして立ち上がる。 「さぁ、行こうか。エリィ」 手を差し伸べれば、恥ずかしそうにそっぽを向いた。手を繋いで歩くほど子供ではない、と言いたいのかもしれない。が、フェリクスはかまわなかった。手を繋ぎたくないならば、と肩を抱いてしまう。くつくつと笑うから、エリナードにも師の心は通じただろう。溜息まじりの笑い声が下から聞こえた。 「エリィ、何かおやつ買っていこう。僕はちょっとお腹空いたよ」 何か食べたいか、と聞けばこの子供は要らない、と答える。タイラントではないけれど、幼いうちに染みついたものはなかなか直らない。 「へぇ、あれはなんだろ。エリィ、知ってる?」 広場を囲むようにして屋台が出ていた。軽食から菓子まで選り取り見取りだ。二人は菓子の一角に足を進め、見比べる。 「えと、あっちは――」 なにがどうなっていると説明するエリナードにフェリクスは一々うなずく。子供相手だから、ではなく本当に知らない。世間に疎い自覚はあるフェリクスだった。 「さすがだね。甘いものの流行だったら子供に聞くのが一番だ。エリィ、あれとそれ、どっちがいい?」 言えば含羞んだよう一方を指さす。そうでもしないとどれがいいとは言えないエリナードだった。いつか好き勝手を言えるようになればいい、フェリクスは思いながら菓子を求めた。 |