道は続く

 中庭の片隅でエリナードはイメルに付き合ってもらっていた。呪文室を使うほどではなく、だが魔法の実験ではある。そんな時にここは都合がいい。簡単な結界が張ってあるおかげで、万が一の時にも被害は最小限に抑えられる。いつもならば子供たちが運動している中庭も、いまの時間は静かだ。今頃は訓練に楽しい悲鳴を上げているのだろう。
「それで、どうよ。エリナード?」
 二十歩ほど離れた向こう側でイメルが風を操っていた。ちょうど二人の中間に水の塊が浮いている。もちろんそちらはエリナードだ。
「どうってなにがだよ」
 むつりと言いながら軽く手首をひねる。動きに従って水の塊がつるりと滑る。それがもう、エリナードは不満でならない。自分は確かにまだまだ弟子と言うのが恥ずかしくなるほど未熟だ。が、フェリクスの魔法を見てしまったあとでは、この未熟さ加減にすら腹が立つ。彼が水を操る時、動きなど生じない。一言二言、ただそれだけだ。完全に彼の支配下にある水にエリナードは感嘆する。感嘆しているだけでは一向に進まないから、努力をする。その努力が自らへの立腹と言う形になる。
「お前何がしたいのさ?」
 イメルには風を起こしてもらっていた。偶発的な自然の風に頼っていては研究が進まなくてかなわない。が、魔法の風を起こしながら水も操るなどという芸当はとてもまだ無理だ。
「だからさ。なんて言うんだ? 水がどんなもんか知りたいんだよ」
「はい?」
「だから、水の本当のところが知りたいの、わかる? 水ってもんがどんなものなのか、完璧に理解してれば、そこに何を足しても水は水だろ。抜くも足すも自由自在だし」
「あー、それって。えっと、なんだっけ。……静性でありながら流動し物質の三体を併せ持つ、だっけ」
「それは性質だろ。俺が知りたいのはなんて言うんだろう、本当の水」
 訓練中にいくらでも性質のことならば学ぶ。エリナードが知りたいのはそれではない。水とは何か、を知りたい。
「たとえばさ、エリナード。それを知ってお前は何がしたいの」
「とりあえず知りたいだけ。できることって言うなら、なんだろ。何ができるかな。情報収集とか、できるかもな」
「はい? どっから出てきたんだよ!」
 笑ったイメルの声に合わせるよう風が吹く。それにも沿わせてエリナードは水を操る。滑るよう、流れるよう。それでいて固体であり流体であり気体でもある。少し頭痛がしてきたが、これが楽しい。
「だからさ、俺らの体ってなにでできてるわけ? ほとんど水じゃんか。血の流れを制御できたらそっから個人の情報抜くくらい楽だと思うぜ」
「お前ねぇ。けっこうな過激思想だよ、それ」
「実行するかどうかは別問題だろ。できるとやるは違うんだろうが。研究だけなら問題ないじゃん」
 エリナードの言うとおりだった。星花宮ではどんな研究でも奨励されている。例外は魔族がらみくらいなものだ。さすがに宮廷魔導師が手を出すには危険が大き過ぎる。こればかりは四魔導師の認可が必要だが、それだとて頭からやめろとは言われないのが星花宮だ。
「熱心なのはいいけどさ。なんか段々お前に追い抜かれそうで俺はちょっと怖いよ」
「もう抜いてると思うけど。ていうかな、イメル。抜くも抜かないもないだろ。俺とお前とじゃやってることもやりたいことも違う。比べてなんかいいことあるかよ」
「わかったから、怒るなよ!」
 子供っぽい言いぶりでからかったかと思うと一瞬後には転じてたしなめてくるこの年少の友がイメルは好きだった。エリナードと共にいると自分もまた先に進もうという気力が湧いてくる。励まされる。たとえ本人にそんな気がないのだとしても。
「でも急になんでほんとの水なんて言いだしたのかは、わかんないなぁ」
 首をかしげるイメルの魔法制御が少し、甘くなった。咄嗟にエリナードが介入し事なきを得る。それに青くなって詫びてから、イメルは疑問に思う。自分の力が本当にこの友には必要なのだろうかと。
「あのな、イメル。ちょっと手を出すくらいだったらできるよ、俺だって。でもずっとは無理。お前、俺をなんだと思ってるんだよ。俺はまだやっと十二の誕生日が来たばっかなんだよ!」
「その態度のでかさでガキだって思えって? 絶対無理!」
 笑って制御を確かにする。それにエリナードがにやりと笑った。フェリクスの前のエリナードとは全くの別人のよう。よほど特大の猫でも被っているに違いない。
「イメル。顔に出てるから。別に猫かぶってるんじゃない。緊張するの!」
「いや、だから! 別に、その!」
「いいけどさ、別にさ。――猫だよ、猫。この前サガが遊んでくれたじゃんか。あれ見てて水ってなんだろって思ったんだよ」
 エリナードの言葉にイメルは軽い頭痛を覚える。脈絡がないにもほどがある。自分だとて決して話術に長けている方ではなかったけれど、これはもうそう言う問題ではない気がした。
「なんでサガと水がくっつくんだよ。お前の頭はどうなってるんだ! だいたい猫に水は厳禁だろ。普通、猫ってのは水たまりでさえ嫌がってよけて歩くだろうが!」
「サガのどこが普通の猫なんだか、まずその定義を聞かせろよ、イメル」
 にやりと笑ったエリナードにぽかんとし、次いでイメルの頬が赤らむ。確かにあれは猫にして猫ではない。
「これは全然説明できないから、なんでだって言われても困るんだけど。サガがさ、空中を踏むみたいにして跳ねてただろ? あんとき、俺はサガの動きが水に見えた。……違うな。水に棲む生き物に見えた。って言うのも違うな」
 首をかしげて考え込むエリナードに連れて二人の間に浮かんだ水が形を変える。ついには疑問符の形になってしまって、気づいたエリナードが苦笑しては一塊に戻す。
「んー、たとえばさ。どんな生き物に見えたわけ?」
「感覚でよかったら――鮫」
「鮫!? どうしてそうなる。どっちかって言ったら……蛇のほうがまだ近くない?」
「どこがだよ。ていうか、俺は感覚の問題だって言ってるだろ。別に鮫に見えたわけじゃないんだよ」
「なるほどねー。ぜんっぜんわかんないわ。なんかさぁ、ほんと自信失くしそう」
「だからイメル――」
「そうじゃない。違う。俺とお前が見てるものなんか違って当たり前。ただ、お前は俺が見ているものの先がたぶん、見えるんだろうと思って。それがちょっと羨ましい」
「イメル、馬鹿だろ」
「って、おい!?」
 長々と溜息をつかれてしまった。ひょい、とエリナードが水を動かす。ためつすがめつ見つめているから、たぶん演技だ。何か言いにくいのか、と思ったら単に照れているだけだった。
「――俺は見えてるよ、たぶんな。でも、だから何? それが俺の魔道にとっていいことかどうかなんかわからない。イメルが見えないことが何? それがイメルの魔道に悪いことなわけ? 俺たちは違う魔術師の卵で、だったら違う方法が絶対にある。それだけだろ。――イメルさ、自信失くしすぎ」
「それはさ……だって」
「俺より絶対に才能あるよ、お前」
「まさか!」
 驚くイメルにエリナードは小さく微笑む。真っ直ぐと見つめてくる少年の藍色の目。イメルは風を操るのも忘れて見ていた。
「手が止まってるよ、イメル。――でもな、才能があるだけ、だろ。イメルには百の才能があるかもしれない。でもいまはまだ五しか使ってないのかもしれない。俺は十しかなくて、十全部使ってるのかもよ? でもさ、魔道を歩くって才能がすべてなわけじゃないだろ。俺たちに必要なのはたぶん――覚悟なんだ」
 果て無く続くこの道をどこまでも歩き続けるという覚悟。いつか倒れて死ぬそのときに、他の誰かに引き継いでもらえる場所まで歩み続ける覚悟。
「……それが言えるお前がすごいと思う。お前のさ、友達だって言える俺は、なんかそれがすごく嬉しいんだよ。わかる?」
「ここでわかるよって言ったら、なんか物凄く恥ずかしくない、イメル?」
「だからそんなんじゃないから!」
 十二歳の子供にからかわれてイメルは真っ赤になっていた。奥手の自分にはとても理解できない。が、理解などできなくてもいいのだと思う。ただエリナードの隣を歩いて行かれれば。魔術師として、広い広い魔道を歩みながら、少し離れたところにいる彼と共に行かれれば。手を伸ばせば届くところにいたい、そうイメルは思う。お互いに、助け合える位置に。
「それにしても」
 こほん、と咳払いをするイメルをおかしそうにエリナードは笑っていた。身をよじって笑うものだから水の塊が変に動いている。
「サガを見て鮫を連想して、水の性質を探りたいって思うお前の発想の飛躍加減がおかしいよな」
「褒めてる、それ?」
「全然」
 にやりと笑ったイメルだからこそ、言葉以上に褒められているのをエリナードは感じ取る。イメルがどう思っているのか、見当はついている。けれど自分こそ、イメルにはどれほど感謝していることか。彼がここにいてくれて、どんなによかったか。もしイメルがいなかったならば、自分はフェリクスにだけ依存していただろうと幼いながらエリナードは悟っていた。イメルと言う友がいるからこそ、様々なことに挑戦し続けている。誇らしく、伸びやかに。
「でもさ、それほど飛躍はしてないだろ。魔術師にだって、属性はある」
 正式に弟子となって二人はそれを知った。道理で扱いにくい属性があったわけだった。イメルはフェリクスにそれとなく知らされていたけれど、エリナードははじめてそこで納得した。
「俺はやっぱり火系の扱いがすっごい苦手。イメルは地系、死ぬほど苦手だよな? だったらさ、属性ってのは魔術師だけのものなのか? 最低限、サガは違うだろ」
「なんでさ?」
 にんまりとしているから、イメルには答えがわかっている。その上で言ってみろと誘ってくれている。時々イメルはこうして年上ぶる。それがエリナードは嫌いではなかった。
「だってサガ、猫じゃないじゃん。もしかしたらもっと勉強して分類ができるようになったら本物の猫だって属性があるって思うようになるのかもしれないけどさ。今んとこ、サガは違うだろ。どっちかって言ったら魔法寄りの生き物なんだから、属性があってもおかしくないだろ」
 そこまで言っておいて、ないはずがないと言い切らないエリナードがすごいと思う。自分だったらたぶんある、と決めつけているなとイメルは思い、けれど溜息の代わりに笑っていた。




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