「ほんと、叫んでもいい、カロル?」 あれから一月。エリナードは本当に実行してしまった。自力で改善策を見つけ出し、魔法陣を改良し、更には今までになかった方法まで取り込んで使いやすいものにされている。フェリクスが絶叫したくなるのも当たり前だった。 「しつけェぞ、コラ」 笑いながら言って熱い茶を手渡してくれたのはカロル。フェリクスの自室だった。タイラントはカロルが来ると察した瞬間、逃げた。以前に比べればこれでも怖がらなくなったほうではあるし、怖いと口にすることはなくなってもいる。が、それと苦手かどうかというのは別問題らしい。 「だってさ……。言いたくならない?」 タイラントには偉そうに説教をする。リオンには冷笑をする。カロルにフェリクスは、時にこんな風にも甘える。いまだに弟子だと言いたくなる気分の日があるのかもしれない。 「まぁ、なるわな。なんだありゃって絶叫したくもなる。その気持ちはよーくわかるがな。馬鹿弟子よ。それ、間違っても――」 「本人になんか言ってるはずないでしょ。そんなはずない。僕だって――」 「四魔導師の一人ですってか? 言うようになったもんだぜ」 ふふん、と笑ってカロルが茶をすする。どうやら熱すぎたらしい。自分で淹れたくせに、と思ったフェリクスはまたも騙されたことに気づく。照れたカロルが表情を隠しただけだった。 「で、用事ってのはなんだよ」 エリナードが実験に成功した、その愚痴を言いたいわけでは当然にしてないフェリクスだ。そのエリナードとはつい先日、褒美をやると言った言葉どおり銀細工師のところに共に出かけた。 少し試させてみたいことがあった。訓練時代にエリナードは水で物を形作るのを楽しんでいた。ならば造形は比較的得意かもしれない。フェリクスは、四魔導師中随一の腕、と造形に関しては自負している。できればエリナードにも自分の技を習い覚え、発展させてほしい。いままでは受け継いでくれそうな弟子がいなかったのだからよけいにそう思う。 結果として、ご褒美は銀細工、ということになったわけだった。フェリクス自身が手本を作ってやってもいいのだろうけれど、何しろ技術差があり過ぎる。転じて、目当ての職人はまだ駆け出しで、エリナードが目標にするにはちょうどよさそうな人材だった。いまエリナードは褒美に、と作ってもらった透かし彫りのメダルを手に嬉々として造形に励んでいる。 「エリナードか?」 だからカロルに問われたとき、フェリクスは素直に首を振る。そちらではないと。エリナードの進み方は魔術師として叫びだしたくなるほどだったけれど、それはそれだ。 「あっちだよ、遠足」 あぁ、とカロルが嫌そうな顔をしてうなずいた。星花宮にはなにしろ大勢の子供がいる。訓練中の子供を入れれば総勢で百人は優に超える。それほど大勢の子供たちで、しかも下は六歳から上は十五歳くらいまで。ここまでが訓練中の子供だ。イメルとエリナードは今の世代の例外だ。 魔法の訓練をしなければならない、それを理解していても子供のことだ、元気はあり余っている。魔術師が音を上げかねないほど余っている。そこでフェリクスが提案したのが遠足、だった。もうずいぶん昔のことになる。当時は子供の数も少なくて、年若い弟子を合わせてすら五十人程度だったか。思えば倍になっている。 もっとも、星花宮の四魔導師が揃って遠足の引率、と言って王宮を空けるわけにもいかない。年に二度、火系地系、水系風系に別れて実施している。このあたりは多少の私情も入ってはいたが。 「見つかったんだろうが。問題ねェんだろ?」 カロルの言うとおりだった。先方から今後の訪問はご遠慮願いたい、と言ってきたのは春のこと。火地系の遠足が終わったあとだった。カロルには言えなかった――おそらくは恐怖で――から、自分に言ってきたのだろうとフェリクスは思っている。それにも呆れるけれど、こんなに急にしかも文書一本で知らせてくるとは星花宮に喧嘩を売りたいのかと思ったものだ。 その報復は後でするとして、問題は遠足だ。本格的に秋の遠足が迫ってきたというところに来て受け入れ先がようやく見つかった。銀細工師の職人の縁者だった。 「なんかややこしい人たちだけどね。喜んで来てって言ってくれてるからそれはいいんだよ」 長い溜息をフェリクスはつく。半数とはいえ五十人からの子供が宿泊できる場所などそうはないから、いままでも知遇を得た貴族の領地を利用させてもらっていた。代替わりで断られてしまったが。 「あちらさんも貴族だろ? 新興の家だから問題ねェってリオンは言ってたぜ?」 「チエルアット男爵のスタンフォード卿だよ。知ってる? 僕は彼のお祖父ちゃんとは知り合いだったけど」 「あぁ、あれか。知ってるぜ。ジジイのほうだけどな。孫は何やってんだよ」 「歩兵団の団長。――だから、そっちはいいの。今時珍しく僕ら魔術師を歓迎するって言ってくれてる奇特なお人だからね」 「マジで奇特だな。貴族がよ」 「だからね、カロル。問題はそこなんだってば!」 声を荒らげたフェリクスにカロルは驚いて見せる。どうにもこうにも演技くさい。フェリクスには身近にタイラントという、非常に演技の下手な男がいるのだ、それをからかわれているとしか思えなかった。きっと睨み据えれば苦笑する。肩の力を抜けとでも言われたかのよう。溜息をつき、フェリクスは小さく唇を尖らせた。 「あのね、わかってるの、カロル。僕らはいいよ、まだね。星花宮を敵にまわしたらどうなると思ってるのって言えるからね」 「口にしたらおしまいだろうがよ」 「言わないよ? 言わないけど、無言で悟らせるくらいの芸当はできるからね。だいたい、ほとんどの貴族って言うか人間?より僕らは年上なんだし。化け物でしょ、僕らは」 「俺より上ってのはもう半エルフくらいしかいねェわな。だけどな、フェリクス――」 「わかってる。化け物って言ったのは僕の失言。というか、お貴族様がたはそう思ってるでしょってこと。僕らは立派に地上の生き物だよ、ちょっと寿命が長いだけの。――それを理解してくれそうにないけどね」 「だな」 理解してくれるのならばこんなことにはなっていない。子供たちの遠足先が拒絶してきたのもそうだ。エリナードやイメルが親から惨い扱いをされていたのもそうだ。 「……魔法排斥が、僕は怖い。僕らはいい。まだ全然問題ない。でもカロル、考えて。あなたが可愛がってるミスティのことを考えて」 「テメェの可愛い可愛いエリナードのこともな」 「別にタイラントのところのイメルだってリオンが弟子にする予定のオーランドだっていいんだよ、そんなのは。次の世代のことを考えてって言ってるの。わかってるでしょ、もう」 にやりと笑ったカロルからフェリクスは目をそらす。自らの師にこんな目で見つめられるのだけは、いまでも少し恥ずかしい。一人前の立派な魔術師になった、そう褒められるのだけは、まだ。 「遠足のあれは、アレが元凶だろうなぁ」 「ちょっとカロル。僕にわかるように言ってくれる? それともそれ、年寄りの独り言なわけ?」 「口の減らねェガキだな、おい。あれはあれだ、あのガキだ。わかんだろうがよ」 「あぁ……あのガキか……」 「それでわかるテメェもテメェだろうが。だいたいガキはねェだろうが、一応は王子様だろうが」 「先に言ったのはカロルでしょ。いいんだよ、別に誰に聞かせるわけでもないし。……そうか、あれか……」 難しい顔をして黙り込みそうになったフェリクスの頭にぽん、とカロルは手を乗せた。まるで子供にするように。むっとして顔を上げれば苦笑する師がいた。 「王子は、一応は魔法が好きだぜ」 「知ってる。だから僕は疑ってるんだよ、イェルクの教育をね。王子は魔法が好きだよ、確かに。でも魔力がない。勉強する気もない。だから、嫌いになったって、ほんとイェルクは何やってたわけ?」 「それを俺に言うんじゃねェよ。だいたい王とダチやってんのはテメェだろうが。陛下に何やってらしたんですかって聞けよコラ」 「そんなの決まってるじゃない執務に励んでたって言うに! 仕事熱心なのはいいけど、帝王学くらいは自分で仕込んでよ、ほんとに。で、カロル?」 「あぁ、元凶ってか? わかってんだろ。王子は魔法が嫌いになった。だったら王子に媚売るお貴族様はいかがしますかね?」 「なるほどね、簡単なことだったみたい。僕がぼんやりだったね」 「ガキに手間取ってるから政治から遠くなんだろうがよ。もうちっと気にかけとけっての」 「政治って言うほどのことじゃないじゃない。悪口蔭口の類だよ、そんなの」 「遺憾ながらな、馬鹿弟子よ。これが現在のラクルーサの政治だぜ?」 二人で溜息をつきあっていれば世話はない。情けないことだった。二人とも、前世代の善き治世を知っているのだから。 「そっちでなんとか工作してくれない、カロル?」 「かまわねェがな。陛下と仲がいいのはテメェのほうだろ」 「だからだよ。お父上様を魔術師が籠絡したんだ!って敵意を持たれたらたまったものじゃないじゃない。あなたのほうが宮廷で顔は売れてるしね、黒衣の魔導師の悪名もこの際は僕より効くでしょ」 「氷帝の名を轟かせてるくせによく言うぜ。まぁ、いい。承けてやる」 ほっと息をつくフェリクスだった。いつもいつもカロルには迷惑ばかりかけている気がする。そしてこの師は、これでいて弟子には少し、甘い。迷惑をかけられるのが師の役目とでも思っている節がある。 「だったら――」 僕もまた弟子たちの甘えを受け止められるようになる。呟きかけてしまってカロルの怪訝そうな眼差し。慌ててフェリクスは目をそらす。ちょうど具合のいいことに扉が叩かれる音。入っていいよ、との声と同時に飛び込んできたのはエリナード。カロルがいるのにぎょっとしたらしいけれど、それでもフェリクスの元に駆け寄ってくるのはよほどいいことがあったと見える。 「見てください! こんなの、できるようになりました!」 フェリクスは瞬きをしていた。エリナードの手にあったのはあの銀細工師から求めたメダルを参考にしたと思しき水の形。まるで雪の結晶だった、それなのに完全に水だった。 「そりゃいいな。テメェの印にしたらどうだ、呪文室のよ。ぴったりだろうが」 大笑いするカロルにであっても褒められたのはわかったらしい。きゅっとフェリクスの袖口に縋りながらもエリナードは嬉しげだった。 「そうしたらいいよ、あなたが気に入ったのならね」 頭を撫でる自分の仕種が先ほどのカロルに酷似していることに気づいてフェリクスは内心で顔を顰める。それをまたカロルが笑っていた。 |