道は続く

 各種問題が山積だった。
「わざと切られた君が悪い。俺は同情しないからな!」
 珍しくタイラントには断言され、よほど彼が怒っているのも思い知らされる。怒らせたいわけでも嘆かせたいわけでもなかったフェリクスはそれにも頭を抱えている。
 薬草園から戻ってすでに一月。怪我などとっくに治っている。そもそもタイラントが到着してすぐ、彼は歌ってくれた。それだけで傷跡すらなくなってしまう。残らなかった傷の代わりとでも言うよう、問題が山のように構えていたけれど。
「だからそんなに怒らないでよ、もう。僕だって頭に血が上ってたんだ、あれくらいしか咄嗟に思いつかなかったんだから、仕方ないじゃない」
「咄嗟に思いつかなかったんだったら時機を見ろよ!」
 これまた返す言葉がない。黙ってしまったフェリクスにタイラントは色違いの目を険しくさせる。それでもそこには懸念があった。
「……俺でできることなら、手伝うけどさ」
 ぽつりと言ってくれた言葉に内心でフェリクスは笑みを零す。締まらないこと甚だしいけれど、これがタイラントだった。そしてこんなタイラントだからこそ、自分は彼と共にある。
「イメルのことを聞かせて」
 予想していた問題とは違うことを聞かれてタイラントが戸惑った気配。困ったやつだな、とでも言いたげにタイラントは肩をすくめ、けれど話してくれた。
「知ってるだろ。イメルは風系の初期訓練をしてるよ。俺としてはもう終えていいかな、と思ってる」
 初期訓練の最後は自分の属性にあったものをすることになっている。いままで習い覚えてきたことの応用、という意味合いもあって、ある意味ではそこで最後の適性を見ることになる、今度は魔術師としての。
「本人の希望は」
「もちろん魔術師志望。外に出ることは全然考えてないみたいだね。誰かさんがそそのかしたせいじゃないのかなー、シェイティ?」
 普段だったらこのあたりで魔法が飛んでくる頃合。が、いまのフェリクスは肩をすくめるだけ。よほどこたえているらしい。
「エリナードのこと?」
「まぁね。あの子、地系も終了宣言されちゃったじゃない? だったらもう最後の訓練だ。ちょろっと水系の子が見てくれたんだけどね、初期訓練なんかいらないって青くなってたよ」
「エリナードだからねぇ。わかる気がするな」
「どこが?」
「あの子の才能が――魔法のじゃなくって、努力の才能がさ。ほんと、すごい子だよね。君は、わかってるのかなぁ」
「なにがさ。あの子のことだったら僕だって――」
「そうじゃない、違うよ、シェイティ」
 タイラントが小さく笑う。疲れ切ったフェリクスのため、茶を淹れてやればすん、と鼻を鳴らした。彼のほうがずっとうまい茶を淹れるけれど、こうして自分が淹れる茶をフェリクスは喜んでくれる。
「あの子はさ、君に近づきたい一心で頑張ってるんだ。少なくとも今はね。もう少ししたらきっと、違う目標ができると思う、そりゃね。でも今は大好きな君に近づきたくて頑張ってる。これってさ、ちょっとくらい俺が妬いてもいい状況だと思わない?」
「あなた馬鹿? 子供相手になに言ってるわけ。ついに頭に花でも咲いたの。あなたの頭に咲く花だったらさぞかし見事に派手派手しいだろうね。綺麗に咲いたら摘んで飾ってあげるよ、ちっちゃな可愛いタイラント」
「だから、まくし立てるな、その手をどけろ! 殴るな、蹴るな、魔法を飛ばすなって言ってるだろー、シェイティ!」
 最後は悲鳴だった。その順番でやられ放題のタイラントだった。が、フェリクスは知っている。そうやって少しでも気分を明るくしてくれたタイラントだと。
「ほんと馬鹿の相手をしてても話は進まないしね。とりあえず王宮を片付けてくるよ」
「ほんっとに酷いよな、君って! それと、エリナードのことだったら本人に話すのが一番だろ。あの子は君が思ってるほどちっちゃな男の子じゃないよ、もう」
 タイラントの声を背にフェリクスは部屋を出る。わかっているよ、と内心で言う。が、本当にわかっているとは自分でも思えない。小さな自嘲の笑みが浮かんで消えた。
 エリナードの生みの親に意図的に切られたのが尾を引いている。あの場でフェリクスは王の寵臣、と言ってのけたけれど甚だ困惑することに、事実だった。フェリクスがマギーに怒りを見せた以上に、国王自身が怒りを爆発させてしまった。極刑だ見せしめだと騒ぐ国王をなだめるのもすかすのもフェリクスの役目。自業自得過ぎて溜息も出ない。
 そしてリオンにも頭を下げることになった。こうしてまた僻地では魔法に対する偏見が広まりつつある。自分自身のことならばどう言われようと歯牙にもかけないフェリクスだったけれど、幼い子供が殺されかねない事態となれば放置などできない。
「知ってます、フェリクス? 最愛のエイシャの神官なんですよ、私」
 だから他の神殿になど介入できない、そういうリオンをなんとか説得する。実際問題として、他の神殿の教えにリオンが口を挟めるはずはない。が、そこはそれ、これでも彼は総司教の地位にある。表だって話し合いをし、暗躍までしてくれた。リオンだとてわかってはいるのだ、魔法排斥は望ましいことではないと。渋るのは単にフェリクスに対する嫌がらせだ。
「ほんっとに、いけすかない……」
 ぼやいても大半は自分が蒔いた種だった。刈り入れまで済ませるのが大人というものだろう。長い溜息をつきながらフェリクスが星花宮の中庭に人探しができるようになったころ、また月が一巡りしていた。
「ここにいたね」
 いるだろうと思って探しに来たフェリクスだった。エリナードが池の側でぱっと顔を上げる。仄かに赤らんだ頬に幼さを見るけれど、星花宮に引き取られたばかりの小さな子供ではもうない、と改めて思うような眼差しだった。
「話があるんだ。いい?」
 こくりとうなずいてエリナードはわずかに腰をずらした。隣に座りフェリクスはエリナードの手元を見る。いままで池の水で遊んでいたのだろう、頼りなくはあるけれどすでにそこには魔法がある。教えてもいない水での造形をエリナードは一人でやってのけていた。
「ふうん、綺麗だね。あなた、こういうの好きなんだね」
「……はい」
「ねぇ、エリィ。聞いてもいいかな。あなた、この前のこと、悲しかった?」
 タイラントがいたならばなんたる暴言と頭を抱えることだろう。けれどフェリクスにはそうとしか言いようがなかった。居心地悪そうにエリナードが身じろぐ。
「ほんとのことを、言ってもいいですか」
「もちろん。それが聞きたいから、こうやってあなたと二人で話してるんだ」
 よかった、と息をつくエリナードにフェリクスは視線を向けない。真っ直ぐに見つめられたくはない、小さな肩が言っていた。
「……ほんとは、全然、なんとも思わなくって。イメルなんか、俺が可哀想だってわんわん泣いてくれたのに。全然、悲しくもなくって。――だって、顔なんて、ほとんど覚えてなかったし。妹とも……はじめて会ったんです」
 そんな自分はやはりどこか冷たく歪んだ人間なのだろうとエリナードが思っているのがフェリクスには如実にわかる。ぽん、とその頭に手を置いた。
「あなたの気持ちだったら。僕にもわかるかな。僕も親の顔は覚えてないしね。けっこう罵られた覚えならあるんだけど、それが親だったのかは覚えてない。覚えてないものを悲しいもなにもないからね。赤の他人になに言われても、だから?としか思わないじゃない」
 肩をすくめたフェリクスをエリナードが呆然と見上げた。そしてみるみるうちにほっとした顔をする。よほど悩んでいたらしい。こんなことならばリオンとの折衝など後回しにするのだったと後悔する。
「……よかった」
「まぁね、それがいいか悪いかは、僕にだってわからない。でも、それでも僕はこうやって生きてるしね。とりあえずはそれでいいんじゃないかと思う」
「はい」
 晴れやかなエリナードの表情にフェリクスもまた、口許が緩んでしまう。こんなことではいけないと思うのだけれど、やはりエリナードが可愛い。
「あのね、エリィ。あなた、このあとはどうするつもり?」
「え……このあとって」
 初期訓練を終えた後のことだ、とフェリクスは言った。それにも彼は不思議そうな顔をするばかり。魔道を歩くとすでに心を決めた顔。愚問だったかとフェリクスは内心で苦笑していた。
「ちょっとね、心配事。あなたは水系の初期訓練はしなくてよさそうなんだ。あなたの先輩方が見てくれたでしょ。その意見でね」
 ぱっと顔を輝かせるエリナードに、これを言っていいものかどうかいまだフェリクスは迷っている。が、タイラントの言葉だった。ならば信じるだけ。
「だから、あなたが希望するならもう本格的な修行をはじめてもいいと思う。でもね、エリィ。そうするとあなたはイメルに追いついちゃうことになる。イメルもそろそろ修行に入るからね」
 イメルのことは知っていたのだろう、エリナードは驚かなかった。ならば間違いなく、イメル本人が告げたのだろう。
「あなたはイメルより三つも年下だ。魔術師になればね、そんなものはいずれ関係がなくなる。たかが三つになるよ。でも今の三歳は大きいでしょ。いままでお兄さんだったイメルが同期の仲間になる。イメルと気まずくなっちゃわないか、僕はそれが心配なんだ」
 困り切ったフェリクスの顔を真っ直ぐと見た、そしてエリナードはあろうことか吹き出した。すぐさま自分のしたことに赤くなってうつむいたけれど。
「エリィ?」
 困惑するフェリクスに、エリナードが含羞みながら顔を上げた。どうしようかな、と迷うような表情なのに、闊達さを見た気がした。それがフェリクスには嬉しい。こうして育って行く子供だと思えばこそ。
「――生意気を言ってごめんなさい。でも、イメルはそんなこと気にしません。俺だって、気にしません」
「どうして?」
「だって、友達ですから」
 当たり前のことだと笑う子供の頬にエリナードは手を添える。照れているのだろう赤みの強い頬。血が上って熱かった。
「わかった。だったら明日から僕のところにおいで。あなたは僕の弟子だ」
 輝かんばかりのエリナードの顔。そのくせきゅっと頼りなく袖口を握ってきたりもする。フェリクスは黙って励ましの代わり、エリナードを腕に抱く。
 エリナードと名付けられた子供の世界が広がった瞬間だった。ここから彼は歩いて行く、先の見えない魔道を。フェリクスの後ろ姿を追うように。




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