道は続く

 星花宮の薬草園も充実したものだったけれど、こちらはなにしろ種類の豊富さが違う。あれこれ見てまわるだけでも二人には充分に楽しい。
「あれ?」
 不意に幼い声がして驚いてしまった。大方働き手の子供だろう、と思っていたところに飛びだしてくる影。あちらのほうが驚いたらしい。ぱたりと止まった手元から花が零れる。
「落ちたよ。お花摘みしてたのかな?」
 人見知りをするエリナードだった、ならばここは自分が、とばかりイメルは前に出る。そう思う自分がイメルは少し、不思議だ。ほんの少し前までは彼もまたエリナードと同じくらい人見知りをしていたはずなのだから。そんなイメルに目の前の幼い子供はこくりとうなずいた。六歳ほどだろうか、大きな目をした可愛い女の子だった。
「……それ」
 ちらりとエリナードの視線が落ちた花に向く。拾ってやれということだろうと思ったイメルは急いで集めて渡してやろうとしたとき、ようやく気づく。エリナードが言いたかったのはこちらか、と。
「あー、これ……まずいかも」
 薬草園にはさまざまな植物がある。中には無断で摘み取っては罰せられるものも。そんなことはきっとこの小さな女の子にはわからなかったのだろう、じっと二人の少年を見上げていた。イメルは悩んでしまう。このままではこの女の子が叱られてしまう。けれど取り上げれば、せっかく集めた花だ、泣き出してしまうかもしれない。
「……もっときれいなの、あっちにあるよ。行こうか」
 そこにかけられたエリナードの細い声。こんな女の子相手でもエリナードは緊張しているらしい。微笑ましいイメルの前、彼女は激しく首を振っていた。
「いや! これがいいんだもん!」
 二人は顔を見合わせ、はたと困ってしまう。さてどうしよう、と思っていたところにまずい人が来てしまった。
「おや、坊主ども。どうしたね」
 庭師頭のパトリックだった。二人とはすでに旧知だ。薬草園にはもっと偉い人もいるらしいけれど、本当に一番偉いのはパトリックだと二人は知っている。何気なく子供の前に移動しようとしたイメルにちらりとパトリックが目をやり苦笑した。
「ミナちゃん、それは摘んじゃあだめだって言ってるだろう?」
 やはりここに勤めている誰かの子供らしい。パトリックはもう何度も言い聞かせているらしい。二人には彼のまいったな、と言う呟きが聞こえる気がした。ミナと呼ばれた子供はぎゅっと花の茎を握っていやいやをするばかり。どうやらお気に入りらしいけれど、決まりは決まりで、けれど子供相手に規則を言いたてるのも大人げない。そんな風に困っているパトリックが二人は大好きだ。ミナも同じなのだろう、パトリックを見上げる彼女は無邪気に笑っていた。その彼が顔を上げて厳しい目をする。
「マギー、子供にちゃんと言い聞かせなきゃだめだって言ってるだろう。だめなものはだめなんだ。ちゃんと教えないと苦労をするのはこの子だぞ。あんたは人の親なんだ、ちゃんと教えるのが務めだろうが」
 はっとしてエリナードが目を上げた。いままでイメルの背に隠れるようにしていた彼だった。不思議そうにエリナードを振り返ろうとしたイメルだったけれど、それより先に彼が前に出てくる。そして真っ直ぐと現れた女を見ていた。仕事の最中に娘を探しに来たのか、花鋏だの鎌だのを持ったままだった。疲れた顔をしたミナの母だろう女は、痩せてぎすぎすとして、あまり好きではないな、とイメルは思ってしまう。ただ仕事疲れをしているだけかもしれない人に向かって酷いことを考えてしまった己を恥じるよう、イメルは隣を見やる。エリナードならばちゃんとした判断をしているかもしれないと。そして驚いた。何も見ていないようなエリナードの大きく、丸い目。かすかに息を喘がせていた。
「細かいことを言わないでくださいよ、もう……。そんなどこにでもあるような見栄えの悪い花くらい、どうでもいいじゃないですか」
「あんたにはそうでも、こっちは違うんだ。草花のことを知ってるのはあんたじゃない、わしだ!」
「ほんとに、うるさいんだから……。別にこんなもん、王様の飾りになるわけでなし――」
 溜息をついた女がふとエリナードに目を留めた。みるみるうちに青ざめて行く顔。咄嗟にイメルは前に出ようとして果たせない。どういうわけか体が動かなかった。怖かったのだと後でわかったけれど、今はただ動けないだけ。
「――悪魔の子! どうしてこれがここにいるのよ! 人殺し! 魔物! パトリックさん、殺して! これが生きてるだけで禍の元だわ、殺して!」
 狂気じみた女の悲鳴。息も止まるほどイメルは動けない。エリナードがきゅっと手を握ってくれた。励まされているのはわかった。わかってしまった。励ましたいのは、自分だったのに。
「これのせいで村は酷いことになったのよ! そいつが出て行ってから、あっという間に疫病が流行ったわ。そいつの呪いだ、悪魔の仕業だって言われて。何よ、私が悪いみたいに。私だって酷い目にあったんじゃない。私が産んだのはちゃんとした男の子だったのに! そいつのせいで夫には捨てられて、村を追い出されて。――この子だってそうよ。あの悪魔の子の妹だからって、勝手なことばっかり言って! 私だって思うわよ、この子も悪魔になるかもしれないって、思うわよ、でも!」
 お母さん、ぽつんとしたミナの声。愕然としてイメルは女の子を見ていた。実の母に、そんな言葉を投げつけられて傷つかないはずはない。エリナードは、まして。立ち尽くすミナの小さな肩、パトリックが大きな手を置いていた。
「なに馬鹿なことを言っとるのか。このお子がたはな、星花宮の子だぞ。いずれ王様の側まで上がろうかって子供たちだぞ。馬鹿も休み休み――」
「だったら王様が間違ってるんです! 悪魔の子ですよ!? そんなのをお側に置く王様なんていていいはずがないわ! えぇ、そうよ。最初からいなきゃいいのよ!」
 言い様に、マギーは花鋏を投げていた。ぎとぎととした鋏が一直線にエリナードに向かっていた。女の力とは思えない、物凄い勢い。エリナードは何一つ口にすることなく、動くことなく、ただそれを見ていた。
「馬鹿!」
 前に出るだけの余裕はない、イメルはできるかどうか考えもしないで風を呼び起こす。硬い風が二人の前に立ちはだかり、ぎりぎりのところで鋭い音を立てては鋏を弾いた。
「よくやった」
 ぽん、と頭の上に乗せられた手。いつの間に現れたのか、そこにフェリクスがいた。怪我はないかと二人を確かめ、そしてじっと女を見据える。
「フェリクス様!」
 さっとパトリックが片膝をついた。二人の少年にして、パトリックのそんな姿は見たことがない。驚きに目を丸くする暇もなかった。
「だったら、その子は僕がもらおう」
 ひょい、とフェリクスがミナを抱き上げる。いまになって怖くなったのだろう、小さな女の子が泣きじゃくる。
「何を……あんた、誰よ!」
「さぁね。どうでもいいでしょ。この子、いらないんでしょ? あなたが育てられるとも思えないしね。育てる気もなさそうだし。だったらもらうよ」
「フェリクス様、お待ちを。どうかミナは私にお預けを。ミナ、パトリックおじちゃんと一緒に暮らそうな?」
 必死になってパトリックが伸ばす手に、ミナもまた手を伸ばす。はじめから知っていたのではないか、と後になってイメルは思った。小さくフェリクスの口許に笑みが浮かんだ気がしたから。やはりフェリクスは優しい。イメルが目顔で同意を求めたときもエリナードはじっと固まったままだった。
「いいよ、任せる。それからね、パトリック。あなたに責任がないのは重々承知。でもね、陛下の口にも入るものを育てる人間が魔法を悪魔の所業だなんだって言うのは困るんだよ」
「は、申し訳――」
「だからあなたのせいじゃないのは知ってるって言ってるでしょ。対応してくれれば充分」
 どことなく困った顔をしたフェリクスだった。パトリックに畏まられて困っているのかもしれない。普段は庭師頭として鷹揚な彼だったから。
「いい加減にしてよ! あんたはそれがなんだか知ってるの! 知っててほっとくんだったら、あんただって人間の敵だわ! それは生きてていいようなものじゃないのよ!」
 いつの間にだろう、フェリクスは二人の少年の前に立っていた。その背に子供たちを庇い、フェリクスはマギーを見ていた。ただ、見ているだけなのにじわじわと彼女の額に脂汗が浮かぶ。恐怖、と彼女は知らなかっただろう。ついに緊張が切れたとき、マギーは鋭い鎌をもってフェリクスに切りかかる。エリナードが小さな悲鳴を上げた。
「……だから、人間は嫌い。ほんと、勝手な思い込みで何しでかすかわかったものじゃない。さぁ、これであなたは犯罪者だ。こんなことを言うのは本意じゃないけどね」
 切られた腕からたらたらと血を流し、フェリクスはちらりと笑う。パトリックはぞっとしていた。だから、子供たちを背に庇ったのかと。そんな自分の顔を見せないために。わざと切られるために。
「これで僕は陛下の寵愛深き臣下ってやつだ。その僕を傷つけた? なんて立派な犯罪だろうね」
 薬草園の管理官が連絡をしたのだろう。みるみるうちに役人たちが集まってくる。そして血を流すフェリクスに揃って顔面蒼白だった。
「連れて行って。できれば神殿に放り込んで勉強させて。こっちも迷惑してるんだ」
 は、と答えて役人たちが泣き喚く女を連れて行く。そろそろリオンにまた神殿を動かしてもらう頃合かもしれない。魔術師がどれほど何を言っても駄目でも神官の話ならば聞く耳を持つ、それが人間でもある。長い溜息をつくフェリクスの腕がそっと掴まれた。
「怪我はなかった?」
 流れる血を止めようと必死の顔をしたエリナード。問いにも無言で首を振るだけ。今にも泣き出しそうな顔をしていた。傷ついていないほうの手で思わず抱きしめてしまう。縋りついたエリナードに苦笑して、イメルを目顔で呼び寄せた。
「よく仲間を守ったね。偉かったよ。もうちょっと早く来てあげればよかった、ごめんね、二人とも」
 声もなく首を振るイメルはやっと恐怖を感じたか小さく震え、まだ膝をついたままミナを抱きしめるパトリックも青い顔をしていた。
「……フェリクス師」
「ん、何? どこか痛い?」
「……平気ですから」
 腕の中から見上げてきたエリナード。藍色の目が濡れていた。フェリクスは後悔をしている、激しく。こんなところに不用意に連れ出してしまったのを。偶然ではある。まさか彼の生みの親がここで働いているなど誰に想像できたか。
 小さなエリナードが、伸び上がっては黙ってフェリクスの頬に触れた。両手で包むように、けれど小さな彼の手ではそうできない。驚くフェリクスにエリナードの真っ直ぐな言葉。
「俺なら、平気です。だから……フェリクス師がそんな顔、しないでください。大丈夫です。だって――俺の家族は星花宮にいるから、平気です。フェリクス師が闇エルフの子でも、俺が人間でも」
 いままで我慢していたのだろう、なぜかイメルが泣き出した。嗚咽にエリナードは振り返り、小さく笑う。その頭の上フェリクスは手を置いた。
「僕を励まそうって言うの。百年早いよ、可愛いエリィ」
 くすくすと笑い、今更のように血止めをする。フェリクス負傷を感知したのだろう、タイラントが真っ青になって跳んできていた。




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