道は続く

 エリナードは驚異的な速さであらゆるものを習得し続けていた。十一歳にして早、地属性の初期訓練を終えようとしている。あとは水属性を残すのみだった。
 星花宮の子供たちは同時期に学習をはじめ、同じ勉強をし、同じように進んでいく、などと言うことは決してない。そもそも引き取られてきてすぐに訓練を開始するのだから時期すらまちまちだ。覚えのいい子供は次々と進んでいくし、じっくりと学ぶ型の子供は時間をかけて吸い取っていく、それだけのこと。とはいえ、エリナードの進み方はあまりにも速い。
 何もここでは魔法の訓練だけをしているわけではなかった。引き取られた子供はほぼ平民の子供だ。文字を知らない子供のほうがずっと多い。まずはその文字を覚え、単語を学び、文章を書くことからはじめないと話にならない。
 もちろん、直接魔法の才を使わない勉学もすることになる。植物学や鉱物学は必須だ。後々市井に出て魔術師として身を立てるならばそれらは是非とも必要な知識であると知ることになる。星花宮の魔導師と呼ばれるのは、こうして机を並べて学んでいても同期の中で一人か二人、その程度だ。そして座学だけではない、本来の魔法の扱い方をも学び続ける。普通の子供ならば音を上げかねない。合間合間に体力づくりもするのだから、常人の子供たちだけではない、大人でもぞっとするような日々だ。が、星花宮の子供たちは誰一人としてそれを苦にしない。四魔導師が目を光らせて体調に気をつけているせいでもあるし、星花宮の魔導師たちが子供一人一人に心配りをしながら導いているせいもある。中々できることではなかったけれど、星花宮の魔導師は常人より遥かに体力がある。おかげで大変な毎日ではあるけれど、子供たちはみな嬉々として遊ぶように学んでいた。
「それにしたってさ」
 星花宮の敷地内にある薬草園だった。植物学の講義で何度もここを訪れている子供たちにとっては手近な遊び場の一つ。
「なんだよ」
 ぷ、と頬を膨らませるのはエリナード。隣でせっせと手を動かすイメルを横目で睨む。二人はいま、写生に勤しんでいた。何度となく描いた植物ではあるけれど、ならば今度は手で絵筆を使うのではなく、魔法で挑戦してみよう、ということらしい。休みの日だというのに熱心だ、と通りすがった魔術師にからかわれたところだった。
「お前、速すぎるよ。俺の立場ないじゃん」
「イメルの立場なんか知ったことかよ。俺は別に普通にやってるだけ。楽しいからやってるのに、そんなこと言われたって困るし」
「……でもさ、嫌なこと言われたりとか、しない?」
 してる、と呟くように言ったエリナードは不機嫌そのものだ。いまだに引っ込み思案な子供ではあるけれど、すでにイメルとも四年を越す付き合いだ。仲のいい相手にはこうしてぞんざいな口もきく。
「俺がフェリクス師に贔屓されてるとか。馬鹿じゃないの。贔屓されたいんだったら頑張ればいいじゃん。フェリクス師は別に俺がどうのじゃないよ、よくやってるねって褒めてくれてるだけじゃん」
「でもお前、お気に入りっぽいし」
「イメルまでそういうこと言うわけ?」
 少しばかり傷ついたエリナードだった。確かに目をかけてもらってはいる。けれどそれは努力に対する正当な評価だ、とエリナードは思う。
「いや、その! だから! ……ごめん」
「別にいいけど。イメルって絶対迂闊すぎ。よけいなこと言って失敗するよ、いつかきっと」
「断言するなよ!」
 自分より三つも年下の少年だというのにエリナードは遠慮も会釈もあったものではない。が、イメルはそれが嫌いではない。時々はお兄さんぶってみたくなるけれど、どちらかと言ったら面倒見てもらっているのは自分かな、と思わなくもない。多少の情けなさはあるものの、現状では自分はこうなのだ、とイメルは冷静に思う。何よりも大切なのは平衡感覚、何物にも染まらず真っ直ぐに物を見ろ、聞け、分析しろ。常々授業で言われていることだった。だから情けない自分もいまの自分、少なくとも、今は。
「あ、失敗した」
 考え事をしながら魔法を操っていたせいで色が滲んでしまった。溜息をつくイメルにエリナードがちらりと笑う。あっと思ったときには滲みが正されていた。
「……ほんとお前、すごいよな。水系ってまだやってないだろ?」
「いままで習ったことの応用だろ。それに、俺はたぶん器用なだけ。イメルみたいにじっくり取り組むとかたぶん無理」
「俺は要領が悪いだけ!」
 途轍もなく情けないことを大声で叫ぶ羽目になったイメルはそれこそ情けない顔をする。眉を下げて今にも泣きそうなその頬をエリナードは軽く叩いていた。くつくつと笑いながらするものだから、イメルもいつまでもそんな顔はしていられない。
「ほんとお前といると楽しいって言うかさ。なんだろ……気が楽」
「それは俺も、かな。イメルは気を使わなくっていいし。緊張しないし」
「それ、ちょっと酷くないか?」
「どこが?」
 褒めたつもりだったのだ、とイメルは彼の表情に知る。あまり褒められた気のしないイメルだったけれど、星花宮には会話に絶えず罵声を伴う人がいる、すでに言語表現がおかしい人たちというものを見慣れてしまっていた。おかげで肩をすくめてやり過ごす。
「イメルこそ、いいの。俺に付き合ってこんなことしてて」
「こんなって写生? あのな、エリナード。言ってるだろ、俺はものすごく要領が悪いんだってば! もう、ほんと……地属性は苦手」
 はあ、と長い溜息をつくイメルをエリナードは笑う。イメルは確か最初に地属性を習ったと言っていた。どうにもこうにもできなくて手を焼いたのだと。いまだにエリナードの傍らで四苦八苦しているのだから、よほど苦手なのだろうとエリナードは思う。
「なんかさ、言っていいのかな、こういうのって」
「なんだよ? 俺にだけ言ってみればいいじゃん。内緒でさ」
「イメルにだけー? いいけどさ、絶対に言うなよ? イメル、なんかぽろっと漏らしそうでさー」
「ってお前な!」
 冗談ぽく言われたけれどイメルはひやっとしている。実際に自分ならばやりかねない、そう思ったせい。背筋に冷たいものを感じながら、それでも精一杯の努力で秘密を誓う。
「別にそんな大したこととかじゃないんだけど。あのさ……属性って、向き不向きがある気がしない?」
 エリナードの言葉にイメルは目を丸くした。ある。確かにそれはある。けれどエリナードはまだ知らないはずのことだった。それを言えばイメル自身、知ってはいけないことのはず。もっとも、それをイメルに教えたのは四魔導師の一人だったのだけれど。
「あ、やっぱりあるんだ。イメルは知ってたんだな。……そっか」
「いや、エリナード、その!」
「別に秘密にしてたからって怒ってなんかいない。って言うより、イメルがちゃんと言っちゃだめなことを言わないでいられるんだって、ほっとした」
「お前なぁ!」
 戯れにごん、とエリナードの頭に拳を落とす。けらけらと笑ってエリナードも殴り返してきた。子猫のように取っ組み合う二人をひょい、と引きはがしたもの。
「なにしてるの。遊ぶのはいいけど、ここでやらないようにね、大事に育ててる人がいるんだから、人の努力を無にしないこと」
 子供の襟首をそれぞれ片手に掴んでにっこり笑うフェリクスだった。これでうなずかないほど鈍い子供は星花宮にはいない。
「はい、すみませんでした!」
「……ごめんなさい」
「エリナード、あっちに行こう」
 面白いものだな、とイメルは思う。決してエリナードはフェリクスを恐れてはいない。むしろ強い憧れを持っているのではないかと思っている。それなのに目の前にすると小さくうつむいてしまう。大人ならば憧憬の強さにこそ、含羞むとわかるのだけれどさすがにまだ十四歳、そこまではわからない。
「二人とも、遊んでたなら一緒に来る? 僕は薬草園に行くけど」
 ラクルーサの北部に王室所有の薬草園はある。星花宮の薬草園も相当に広いのだけれど、それでも用が足りないことはあるし、気候が合わない植物もある。フェリクスの言葉にはっとエリナードが顔を上げた。
「エリィは来るって。あなたはどうする、イメル?」
 もちろんついて行く、イメルは顔を輝かせてうなずいていた。それにフェリクスは小さく笑ってうなずき返す。
「おいで、エリィ」
 伸ばされたフェリクスの腕の下に潜り込むよう抱き寄せられたエリナードを反対側にいるイメルが笑う。まだまだ小さなエリナードだった。
「……ずるい」
 こんなときばかり小さな子供と笑うのは。聞こえたのだろうフェリクスがくつりと笑った。子供たちの肩を抱いたまま二人の顔を覗き込む。
「僕は立派な大人だけど、いまだに背は高いほうじゃないけどね、イメル?」
「あ……いえ、その……。ごめんなさい」
「外見をどうこう言わないこと。僕から見ればあなただって可愛い子供にしかまだまだ見えないんだからね」
 子供扱いされたイメルを今度はエリナードがそっと笑う。途端にこつん、と頭に拳が落ちてきた。
「叱られてる友達を笑うような躾をした覚えはないよ、エリィ」
 ごめんなさい、言いながらエリナードは恥ずかしそうに微笑む。きゅっと縋りついている小さな子供の手。フェリクスはそれ以上を言わなかった。二人ともきちんと理解している。そしてフェリクスが詠唱をはじめ、呪文が完成した次の瞬間には三人はラクルーサ北部の薬草園に到着していた。
「僕は偉い人と話があるから、二人は遊んでていいよ。気をつけてね」
 軽く手を振って行ってしまったフェリクスに二人は一礼する。そしてほっと息をつきあっては顔を見合わせて笑いあう。
「だからだったんだな、フェリクス師」
 イメルが何気なく言う。エリナードもうなずいていた。フェリクスは、いつものフェリクスではなかった。王宮にいる彼はその素顔を隠したことなどない。けれど外に出るときにはこうして人間に見えるような幻影を被る。
「慣れちゃったけど、なんか嫌な気分だよな」
 フェリクスは言う。闇エルフの子にとって幻影とは衣服のようなものだと。あなただって裸で外には出ないでしょうと彼は言う。
「俺、フェリクス師の素顔のほうがずっと好きだよ。なんかかっこいいじゃん。似合わない服着てるって感じ、しない?」
「お前ね、エリナード。そういうこと言うから色々言われるんだぞ、覚えとけよ?」
 偉そうに言うイメルにエリナードはきょとんとした。さすがに三つも年下の少年にはまだ意味はわからなかったらしい。なんでもない、と手を振ってイメルは彼の手を引いて歩きだした。見るべき楽しいところはいっぱいある。




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