道は続く

 フェリクスがその部屋を訪れたとき、若き魔術師たちがちょうど退出するところだった。背筋を伸ばして一礼して通り過ぎて行く彼らにフェリクスはうなずき返し、室内へと足を進める。
「ねぇ、ちょっといい?」
 気持ちのよい部屋だった。魔術師の部屋と言うよりは貴族の邸宅にある日光浴室のような。とはいえ、ここは魔術師の住処になって長いが元をただせば離宮だ。日光浴室くらいあって当然と言うべきか、それともよくぞ元の形のまま残っていたと言うべきか。ふと首をかしげるフェリクスの前、中庭から降り注ぐ陽射しが優しく室内を照らしていた。
「おうよ。なんだ?」
 そんな優雅な部屋で聞くとは思えないがさつな返答。もっともフェリクスは気に留めたことがない、なんと言っても我が師のことだった。
「いい加減にあの子なんとかしないといけないと思って。その相談」
 ゆっくりとフェリクスは室内を見回す。壁紙に落ちる影、開け放した窓から吹き込む風が揺らす窓の掛け布。使い込まれた机にもいまは光が射す。入ってきた扉はまだ半分がた開いたまま。そこから風が抜き抜けて行った。
 相談、と言っているわりに緊迫感が少なかった。何か懐かしいものでも見るような、そんな目をしている。
「あぁ、あれなぁ。――師匠がいてくれりゃあな、ちったぁマシだったんだろうけどよ」
「どうかな。半エルフだって駄目なものはだめでしょ」
「あの問題児め」
 溜息をつくカロルもまた室内に目をやった。この部屋はかつてサリム・メロールと言う偉大な半エルフの魔術師が好んでいた場所。もう旅立ってしまっていない彼を思う。
「あのね、カロル。問題児って言わないで。問題があるのは本人だけじゃないでしょ。大本は親のほうじゃない」
 フェリクスが顔を顰めていた。イメルをいじめていた例の子供はいまもまだ懲りずにイメルをからかっている。幸いなのはイメルが気にしなくなったこと。エリナードと言う友を得たのも大きいけれど、何より魔法に熱中している。
「じゃあ問題親か? とにかくなんとかしなきゃならねェってのは理解してるんだがよ」
 長い溜息にカロルの頭痛を見る思いだった。実際、カロルとて対策を取っていないはずはない。あの子供は火属性だ、いまだ訓練中ではあっても管轄を言うならばカロルのもの。
 そしてジョウナスは星花宮の子供には少ないことながら両親と関係が続いている。何より問題なのは貴族の家系にあることだった。自分は平民ではなく、かつ両親から捨てられたわけでもない、そう誇示するしかない子供が哀れで仕方ないフェリクスだ。なんとか導こうとしてきたものの、どうにもこうにもどうにもならない。
「――僕は本人の希望を知らないんだけど。話だけでも聞いてくれる? ちょっと小耳に挟んだだけで裏も取ってないんだけどね」
「いいから話せっての。話が長ェんだよテメェはよ」
 肩をすくめてくれたカロルにフェリクスは小さく笑う。笑って彼を促しては開いた窓へと。そこから出れば美しい露台だった。そこから見下ろせる中庭は、かつて離宮時代には優雅な場所だったのだろう。いまは花々で埋まっているはずの中庭の一部は運動場と化している。なにしろ子供たちが大勢いる、体を動かす場所も必要だった。
「あぁ、うっせェな。ガキの騒ぐ声は苦手だぜ」
 言いながらカロルの目は優しい。遊んでいるようで子供たちはこれでも訓練中だ。研究一筋で外にも出られないような魔術師を育てる気は四魔導師たちにはなかった。
「で?」
 カロルの促しにフェリクスは慌てて目を戻す。エリナードが引き取られてすでに二年。いまは火属性の魔法に四苦八苦している彼だった。その鬱憤を晴らそうというのか、運動場できらきらと金髪が光っている。
「――僕の知り合いの知り合いにさ、メートラ伯爵ってのがいると思って。その伯爵はちょっと面白いことを考える人だそうでね」
 騎士たるもの、どのような場面であっても十全に力量を発揮できなければならん、と胸を張るのだそうだ。が、問題がある。通常、騎士は魔法攻撃には何もできない、一方的にやられるだけだ。そのために従軍魔術師というものがいるのだから。
「そこで伯爵は考えたんだそうだ。魔法の才能がある騎士がいればいいって」
「そりゃ、なぁ? まぁ、わからなくはねェぞ。でもちょいとばかし無理だろうが」
「だと思うよ。魔法はそんなに簡単になんとかできるものじゃない。おんなじくらい、騎士の訓練って言うのも簡単じゃないでしょ」
「両立させてる変態がそこにいるけどな」
 ちょい、と顎先で横柄にカロルは中庭を示す。フェリクスが渋い顔をした先には無論リオンがいた。子供たちの監督をしているのだろう。
「しかも神聖魔法付きでね。ほんと、変態にもほどがあるよ。だからね、あんな変態ごろごろいないでしょって言ってるんだけど?」
 厳密に言えばリオンは騎士ではない。叙勲を受けていないだけで騎士など片手でひねる神官、だ。もっとも軍神マルサドの神官には武闘神官と言う位階もある。神官が武装しないわけでもないが。
「あれでもあの野郎は一応は青春の女神の神官なんだがな」
「教義がおかしいんだよ。別に僕はリオンが何を信じていてどう考えてるのかなんてどうでもいいんだよ、本題はそれじゃないでしょ。カロル、聞いてるの」
「はいはい聞いてますよ。で、メートラ伯爵に預けてみるってか?」
「まずは騎士見習いってやつなのかな。わからないけど。でもね、利点があるんだよ」
「魔術師としてモノにならなかったとき、か? 確かに騎士としちゃモノになってるだろうよ、その時にはな」
「なってるかどうかは本人の努力次第だろうけどね。でも今のままここにいてもあの子のためにはならない。僕はそう思う」
 断言するフェリクスをカロルは横目でちらりと見やった。そして中庭を見るふりをして息を吐く。気恥ずかしくなるくらい、腹の中がくすぐったい。フェリクスがこうして子供の将来を案じる姿は。
「いいぜ。裏は俺のほうで取っとく。伯爵家の騎士見習いってんなら、親のほうも説得できるだろうよ」
 カロルの言葉にフェリクスはあからさまにほっとしていた。もしもこれが自分の可愛がっている子供がいじめられているから、などという理由であったのならばカロルはもっと厳しい目をしている。断じて違った。いじめている当人をこそ、フェリクスは心配している。それがむず痒くてカロルは言う。
「これであのチビもいじめられなくって済むってか? あの二人、いまだに遊ばれてんだろうがよ」
「馬鹿なこと言わないでくれる? エリィは平気で睨み返すし、イメルなんていじめられてるの気がついてないと思うけど?」
「さすが風系、頭のつくりがおかしいな。あれで気づいてないってなァどうなんだよ。エリナードもエリナードだな。あのちっこさで睨み返すだ? 血は争えねェな、テメェのガキだわ」
「別に血は繋がってないし。それと風系がどうのってどう言う意味? 言っとくけど! タイラントがおかしいんであって、風系がみんな馬鹿なんじゃないから!」
「それ、一応は派手野郎を庇ってるつもりなんだよな?」
「……自分で言ってて馬鹿だと思うよ」
 長く深い溜息にカロルは大らかに笑う。その声が聞こえたのだろう、中庭の子供たちがさっと顔を上げた。そして露台に立つ二人の魔術師に気づいては目をきらきらとさせて頭を下げる。中には手を振る子供もいた。
「おかしなもんだぜ」
 手を振り返してやりながらカロルは呟く。もう星花宮に来て二年だ。勉強も訓練も進んでいる。それなのに、と。
「ほんとだよね。そこがまぁ……可愛いんだけどね」
 あのときにはあれほどの啖呵を切ったエリナードだというのに、まったく内気さは変わっていなかった。どうやら彼は極端に人見知りをする質らしい。いまでもまだ何もかもが恥ずかしいのだろう。いまもフェリクスを見上げるなり、顔を伏せては建物の陰に入ってしまった。
「言ってろ親馬鹿が」
 喉の奥で笑うカロルにフェリクスは反論のしようがない。内心では、言っている。自分が親馬鹿ならばきっとあなたもだ、と。自分はあなたにこうして育てられたのだから、同じことを子供たちに返しているだけ、と。さすがに羞恥が勝って口にはしない。
「実際どうなんだよ、エリナードは」
 陰から顔を出してはまだいる、と慌てて隠れたエリナードを子供たちが笑っている。二人は苦笑して一歩下がる。そうすれば子供たちからは見えなくなる。リオンが子供たちより遥かに明るい顔をしてカロルに手を振って笑っていた。
「どうって? まだ火系の訓練中でしょ。僕がどうこういうような年じゃない」
「関係ねェだろ。初期訓練中だろうが、あのガキはテメェんとこのガキだろうがよ」
「――苦労してるよ、ものが火系だからね」
 言った途端にカロルが笑う。だから言いたくなかったのだ、とフェリクスは小声で呟く。これでは誰よりエリナードの才を買っていると公言したも同然。
「別に才能がどうのって言うならね、あの子には何より才能があるよ。学ぶって言う才能がね。ほんと、すごい集中力だよ。あんな子見たことない」
「俺は見たことあるぜ、あの手のガキはよ」
「へぇ、そうなの? ちょっと記憶にないんだけど。どんな子だったの、参考までに聞かせてよ」
「――鏡見ろってんだ、馬鹿弟子め」
「はい?」
 ぽかんとしたフェリクスがみるみるうちに赤くなる。そんな顔をして照れられると自分のほうが恥ずかしい、そう思うカロルは何も言わない。黙って外を眺めていた。無言のまま、フェリクスの頭に手を置く。
「ちょっと、やめてよ。子供じゃないんだから」
「俺から見りゃまだまだ馬鹿弟子だろうがよ」
「やめてって言ってるじゃない!」
 憤然と言いながらフェリクスは決してカロルの手を払おうとはしなかった。乱暴に髪をかき回されても抗議をするだけ。
「ほんと、生意気になりやがってよ。あいつもテメェに似るかと思うとお先真っ暗だな、おい」
「僕はあんなに内気じゃなかったと思うけど? そのわりに、あれで僕には言いたいこと言うしね」
「なに言ってやがんだっての。テメェは立派に内気なガキだっただろうがよ。言いたい放題できるようになったなァ塔の事件以後だろうが。人の腹に風穴開けやがって」
「ちょっとカロル! いつの話をしてるのさ、もう。――それで、いつまで眺めてるの、そこの派手鳥」
 振り返ったフェリクスの厳しい眼差し。カロルの獰猛な目。タイラントは扉の影に隠れたくなってしまう。とっくに気づかれていたかと苦笑しながら。
「別に隠れてたわけじゃ、なくって、その!」
 ただ出て行かれなかっただけだった、タイラントは。師弟の姿があまりにも美しくて、なぜか涙が出そうで。言い訳無用、と師弟が笑う。また涙が出そうだった、今度は恐怖の。




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