子供たちはもちろん知らない。彼らにはみな、仲のいい大人の魔術師が一人はいる。悪戯を教えてくれたり、寂しいときには側にいてくれたり。そんな魔術師たちだ。 いわば兄姉として子供たちを導く魔術師たちはおおよそ子供たちが星花宮に引き取られてから一年ほど、いわゆる「精神の指先を引っかけた」状態のままだ。子供たちは常人の世界から、この魔術師たちの住処に慣れて行かなくてはならない。まったくの別世界とも言える魔術師たちの住処に。常人に言わせればここは魔物の巣窟だそうだ。 「だから誰かが気をつけていないとね」 四魔導師の、それが考えだった。第一、常人の世界から来たばかりの子供にとっては見ず知らずの他人しかいないのだ、ここには。ならば誰かが親兄弟の代わりともなって見守るのが筋というもの。そもそも星花宮には危険が多い。むしろ危険しかない。そんなところに右も左もわからない子供を放り出すわけにもいかない。一年もあれば星花宮にもだいたい慣れる。それまで担当の魔術師は緊張続きだ。無論、魔術師に否やはない。自分たちもまた、そうやって年長の魔術師に育てられてきたのだから。 「どう、シェイティ?」 自分の部屋にいてもだからフェリクスは気が抜けないでいる。エリナードはもう子供部屋に移った。初期訓練の、最初期に入っている。まずは自分の魔力を制御することを彼は学ぶ。 「半年もあれば覚えると思うよ。あの子、飲み込みは抜群にいいからね。あなたと違って」 「それを言うなよ! そりゃ……俺は、まぁ。出来がいいほうじゃないと思うけどさ。でも……」 しゅんとする銀髪の魔術師からフェリクスは目をそむける。思わず口許が緩んでしまっていた。その後ろ姿に目を留めたのだろう、タイラントがくすりと笑う。 「なに」 「別にー。ってさ、そうじゃなくて。エリナードだよ、エリナード。訓練のほうじゃなくて、あの子本人はどうなのかなって。君が見てるんだから元気なのは知ってるけどさ」 「まぁね」 いまもフェリクスは見ている。まだまだ未熟と言うもおろかな子供たちだ。精神の接触を受けているなど気づきもしない。もちろん魔術師たちは子供の行方を追っているだけであって――どこに入り込むかわからない子供のことだ、目を離すのはあまりにも危険だ――その心の動きまで追っているわけではない。 「ちょっとさ、聞いてもいいかな、シェイティ? 君は、イメルとエリナードの気が合うだろうって言ったよね。それはそのとおりだった。でもさ、俺は――」 「心配?」 「そりゃね。あの子供部屋はちょっと問題があるだろ」 肩をすくめたタイラントからフェリクスは目をそらす。タイラントのほうも心得たもので照れたフェリクスを丁重に視界から外した。途端に飛んでくる痛み。 「君な! 痛いだろ!?」 「タイラントのくせに生意気なんだもん。なんかすごく偉そう。いいでしょ、別にそれくらい。それほど痛いわけないじゃない」 「痛かった! 絶対に痛かったんだからな!?」 言い募るタイラントの抗議をフェリクスは聞かないふり。こうやって口喧嘩をしているのも、言葉は悪いけれど馴れ合いだ。タイラントは本当に痛いとは思っていないし、フェリクスの暴言はタイラントに言わせれば「ちょっと照れて甘えてるだけ」となる。 「子供部屋の問題、とか偉そうじゃない? だいたいあなたがさっさと介入する問題じゃない、あれは」 「イメルはそりゃ将来的に俺の弟子になる予定だけどね。でも今は君の担当だろ」 唇を尖らせたタイラントの目が笑っていた。実際タイラントの言うとおりだ。子供たちを担当するのは何も若い魔術師に限ったことでもない。四魔導師もその中には含まれる。そして偶々イメルの時にはフェリクスだった。いまはもう精神の接触はしていない。イメルはすでにその段階を越えている。それでも師につくまで、あるいは星花宮を出るまで、気にかけるのもまた魔術師の役目だ。 「あの部屋は……。ちょっとなぁ。色々あるだろ。君が介入して少しましになったけどさ」 「あの子もつらいんだよ、それはわかってあげなよね」 以前イメルは同室の子供からいじめを受けていた。いじめられているイメルは大変な思いをしたわけだけれど、いじめていた方もつらかったのだろうとフェリクスは言う。タイラントとしては少しばかりうなずけない。 「あのね、あの子は貴族の子でしょ。ここにきてはじめてただの子供として扱われたんだよ。しかも魔力があるからって家から放り出されたんだって、あの子自身理解してる」 「それは――」 「せめて一人前になって見返してやりたいって思いがね、イメルに向かったんだ。それは確かに問題だよ。だからたしなめた」 子供に注意を促したのは当の子供の担当だった魔術師だ。フェリクスがたしなめたのは、その魔術師のほう。ここまで放置するとは何事かと滔々と訓諭を受けた魔術師は危うく自信喪失する寸前だった。が、フェリクスは一切の容赦をしなかった。子供を預かる、導くとはそう言うことだと。 「それでもあの子はまだ威張ってるだろ。そんなところにエリナードを放り込んで大丈夫だったのかなって。それが心配だよ、俺はさ」 「大丈夫……だと思うよ。たぶん。きっと」 はなはだ頼りない言葉だった。フェリクス以外の誰が言ったとしてもタイラントはうなずかなかった。が、彼だった。ならば信じてついて行くだけ。にこりと微笑んだタイラントからフェリクスは目をそらす。そして小さく笑った。 「あの子とイメルの初対面、面白かったよ」 この部屋で二人を引き合わせた後のことだった。フェリクスは一度席を外している。自分がいたのではエリナードはずっと自分の影に隠れたままだ。 「ちょっと用があるから僕は出てくるけど。イメルと遊んでなね。夕食までには戻っておいで。ここでお話ししててもいいけどね」 それだけ言って本当に姿を消してしまったフェリクスに子供二人は顔を見合わせもしない。もちろん離れたところから見ていたフェリクスだ。 「なに、どうしたの? 面白かったってさ」 「だってさ、あの子たち。内気なのは知ってたけどね、あれほどとはちょっと思わなかったよ」 「俺は言ったよー?」 ふふん、と笑うタイラントを軽く打ち、フェリクスはあの日のことを話してやる。本当に思い出すだけで笑えてしまう。 この部屋に残された二人は実にフェリクスが戻る夕刻までというものついに一言しか口にしなかったのだから。 「恥ずかしそうにうつむいてさ、頑張って顔を上げてあのって言って、それでまたうつむいて。その繰り返し。おかしなもんだよね、二人とも僕が相手ならちゃんと……でもないけど、けっこう喋るのに」 くすくすと笑うフェリクスをタイラントは嘆かわしげに見ていた。面白いと言ってはあまりにも子供たちが可哀想だ、と思う。フェリクスに悪意がないのは知っている。むしろフェリクスほど星花宮で子供を慈しむ人はいないのだけれど。 「君さー、口のきき方があれなんだよな。すっごい悪い人に見えるって、知ってるんだろ、ほんとはさ」 「誰が? 僕のこと、それって。酷いことを言うね。ちっちゃな可愛い僕のタイラント?」 目の前でにっこり笑う悪魔にタイラントは震えて見せる。煽っておいて言うものではないけれど、やはり恐ろしい。が、突如としてフェリクスの雰囲気が変わる。 「なにかあった、シェイティ? って、エリナードだよな。行く?」 異変があったのは見なくともわかる。が、フェリクスは目を丸くして、のみならず吹き出しては腹を抱えて笑いだす。問いただすより見た方が早いとタイラントはフェリクスの精神に接触した。そして彼が見ているものをまた、目にすることになる。 「驚くでしょ?」 「そう言う問題!?」 「だよね」 話題の子供部屋だった。件のいじめっ子の前、エリナードは胸を張って立っていた。小さなその背にイメルを庇って。 「どっちがお兄さんだかわかったもんじゃないね」 イメルにエリナードを頼んだのであって逆ではないはずなのだが。とりあえずイメルとの関係は良好なので順番は問題にしていないフェリクスだった。 「あ――」 フェリクスが声を上げたとき、エリナードは思い切りよく腕を振り抜いていた。いじめっ子のその頬を、力一杯にひっぱたく。ぎょっとしたタイラントが身をすくめたのを感じながらフェリクスは子供たちの声を聞いていた。 「な……なにするんだよ! 新入りのくせに! 生意気だろ!」 呆然と頬を押さえたジョウナスは、けれどきっと眼差しだけはきつくエリナードを見据えている。イメルがエリナードの背に隠れて震えていた。 「……新入りだからなんだよ。イメルは勉強してたんだ、それをからかって邪魔して、馬鹿にして。悪いのはどっちだよ」 「そいつが勉強なんかしたって無駄なんだってのをわからせてやろうって言う親切なんだぞ。お前みたいな平民の子供には――」 「貴族だからなんだよ! イメルのほうがずっと偉い。そんなこともわからないでほんっとに馬鹿だ。イメル、行こうよ」 「行かせるか、ガキが!」 エリナードの前に立ちはだかったジョウナス。竦んで動けないイメル。エリナードの頭を殴りつけようとする寸前、子供の体が吹き飛んだ。 「俺に触るな――!」 フェリクスは眺めながら頭を抱えている。とんでもない魔力だった。生の魔力をよくぞあそこまで制御したと褒めるべきか、それともそんなことをしてはいけませんと叱るべきか。 「どっちがいいと思う、タイラント?」 「……とりあえず止めた方がいいと思うけど。怪我するんじゃないの」 「ジョウナスがね。エリィは平気だと思うけど。それにしても聞いた、タイラント? 一人前に俺だってさ。可愛いよね」 二人は当然にして子供部屋の前にすでにいる。向こうからいじめっ子の担当者も駆けつけた。そちらを厳しい目で見やれば慌てて回れ右をして駆け戻りたそうな顔をする。 「逃がさないよ、わかってるだろうね?」 観念した魔術師と共に子供部屋の戸を開ける。そのときには肩で息をするエリナードに縋ってイメルが泣いていた。必死になって小さな友達を止めているらしい。 「そう言う優しいところがあなたの美点だけどね」 ひょいとイメルを抱き寄せ、フェリクスはエリナードを見つめる。断固として謝らない、そんな顔をした小さな子供を。 「エリィ、生の魔力の扱いには気を付けるようにって、もう習ってるはずだよ。喧嘩なら素手でしなさい」 それだけを叱ったフェリクスにエリナードはぽかんとする。それからおずおずと近づいてきたエリナードを反対の手でフェリクスは抱き寄せた。 |