子供たちはたいてい六、七歳でこの星花宮にやってくる。魔力発現の兆候が見られるのはほとんどの場合はこれくらいの年ごろだった。そして初期訓練を終えて属性ごとの師につくのが十五歳ほど。それまではみっちりと訓練訓練の日々だ。とはいえ、まだまだ幼い子供たちのこと、朝から晩まで訓練漬けではまいってしまう。――というのは言い訳で、実は師のほうの体が持たない。なにしろ子供というのは体力のお化けだ。 よって五日に一度、休養日がある。休日だからと言って子供たちがのんびり過ごす、などと言うことはなく、魔法ではない遊びに一日中大騒ぎだ。もう少し年嵩になってくると自分の好きな研究をしてみたりする子供もいるのだけれど、まだ十歳のイメルとその仲間たちは遊び興じる方だ。もっとも、イメルはその中に入っていない。一人、子供に許された図書室から借りた本を読んだりする。 「イメル。ちょっといい? 暇だったら付き合ってくれない?」 借りてきた本を手に子供部屋に帰ろうとしていたイメルを呼び留めたのはフェリクス。思わず飛びあがりそうになってしまう。 「は、はい!」 「そんなに緊張するようなこと?」 首をかしげられてしまったけれど、イメルにとっては充分にそんなこと、だった。フェリクスの後ろ姿にイメルはついて歩く。たぶん、と思っていたら案の定、フェリクスの私室だった。 「入って」 自分の部屋だから当たり前と言えば当たり前だったけれど、フェリクスはいつも無造作だ。イメルは一度、この部屋に招かれたことがある。あれはもう二年も前か、と思って少しだけ笑ってしまった。そして室内にタイラントではない人影を見て驚く。 「あ――」 思わず声を上げてしまえば自分より小さな子供はびくりと竦んだ。まるで二年前の自分のようだ、とイメルは思う。 「はい、イメル。それ持ってちょっと座んな」 熱い茶を渡されてイメルはほんのりと笑う。あのときは熱々の牛乳だった。茶を淹れてもらえたことが少しだけ嬉しい。大人扱いしてもらえた気がして。 「この子、エリナードって言うんだけど」 そしてフェリクスが本題に入った。エリナード、と呼んだ子供の隣に彼は座り、何気なく話をしている。もちろんイメルだとてまだ子供だ、フェリクスが細心の注意を払っていることになど気づくはずもない。庇い過ぎないように、かと言ってエリナードが心細い思いをしないように。それだけをフェリクスは心掛けていた。 「あなた、この前会ったでしょ? まぁ、見かけただけだけど。ちょっと珍しいかな、と思って」 「……なにが、ですか? フェリクス師」 「うん、あなたがあんな顔して手を振ってたの、僕ははじめて見たから。この子と仲良くできそうかなと思って」 首をかしげて問うてくるフェリクスにイメルは顔から火を噴きそうだった。それは偶々だとか、フェリクスに頑張っている自分を見てほしかったからだとか。言い訳がたぶんいくらでもある。けれどイメルは言えなかった。フェリクスの袖口を必死になって掴んでいるエリナードの、けれど真っ直ぐな藍色の目。きゅっとつぐんだ唇にイメルは気づけば微笑み返している。 「もしあなたが仲良くできそうだって言うなら、ちょっと頼みがあってね」 どう、とフェリクスが問う。そのときにはイメルの心は決まっていたようなものだった。その代わり、と言うわけでもないだろうけれどエリナードのほうが不思議そうな、あるいは不満げな顔をしてフェリクスを見上げる。 「あぁ、あなたにもまだ話してなかったね。ごめん」 ふ、と微笑んだフェリクスの口許に、エリナードがつられたように微笑む。けれどすぐに引き締まっては彼を真正面から見上げていた。 「初期訓練をするよって言ったじゃない? だからそろそろ子供部屋に移ってもらおうと思ってね。どうしても大勢といるのが嫌な子もいるけど、あなたは違うだろうと僕は見ていて思った。大丈夫じゃないかなって」 「……はい」 「うん、だからね、イメルと一緒の部屋にしようと思って。イメルのほうがちょっとお兄さんだから、いろいろ教えてもらうといいよ。ここの遊び方とか、ここにどんなものがあるかとか。悪いことも教えてもらうといい」 「フェリクス師! 僕は――!」 「あのね、イメル。僕らを舐めるんじゃないよ。あなたがた子供たちが何をしてるか知らないと思ってるの。ほんと、悪戯ばっかりしてるじゃない。――でもね、どんなとんでもないことしでかしてもね、それでいいんだよ。あなたがたは小さな子供で、そうやって悪いことしたり失敗したりしながら生きることを学んでいくんだから。致命的なときだけ、僕らは怒る。わかるでしょ?」 本当に危ないときには手を出す。そしてイメルにはその実感があった。フェリクスから、そうやって助けられたイメルだった。 「あなたはね、エリィ」 イメルを見ていた眼差しがエリナードにと戻る。そしてイメルはエリナードのなんとも言いがたげな顔を見ることになった。実際、エリィとはずいぶんと可愛らしい呼び名にすぎる。まして女の子のように可愛らしいエリナードだ、これはまた悪ふざけの対象になるな、とイメルはぴんときた。だからこそ、フェリクスはイメルを指名したのかとも思う。ならばはじめからそんな名で呼ばなければいいようなものだけれど、フェリクスほどの魔術師の考えなどイメルにわかるはずもない。ただ真っ直ぐとエリナードを見て微笑んでいた。 「小さな子供でいていい時間を奪われた子供だ。わかるね?」 たった七歳の子供であっても、フェリクスはそう言う。タイラントならばひやひやとするだろうけれど、フェリクスは事実は事実と断言する。そしてエリナードも充分それに応えてはっきりとうなずいた。 「だったらね、ここでそういう子供時代をやってもいいと思うよ。失くした時間は戻らないけど、違う場所で違う方法で、違う時間を過ごして子供をするのはそれはそれで楽しいんじゃないかな」 「……はい」 「僕もね、経験があるからね、それは」 「え――」 イメルもまた驚く。エリナード同様の声を上げてしまって、小さな子供にまじまじと見られてしまった。ばつが悪くなって目をそらせば、少しだけ親和の眼差し。 「僕は見ての通り闇エルフの子だ。あなたがた人間の子よりずっととんでもない子供時代を送ってる」 さすがに親に売られたのか誘拐されたのか、ほんの子供のころから男娼だったとは言わなかった。それでも子供たちは納得する。それだけの重さがフェリクスの言葉にはあった。 「カロルに――イメルはもう知ってるね。僕の師匠で、ここにいる魔術師の一人だけど。カロルに連れられてこの星花宮に来て、僕ははじめて子供になったんだ。ずいぶんカロルには甘えたよ。殴る蹴る切りつける。魔法が使えるようになってからは魔法飛ばしたりもしたね」 それは甘える、と表現していいことなのだろうか。呆然とするイメルと違ってエリナードはイメルより幼いというのに小さく笑う。フェリクスの言語という意味ではない言葉が通じているのだろう、エリナードには。 「いまは僕もこれで一応は大人の部類だからね。あんまり騒ぎは起こさないでよ面倒くさいなって思うよ、そりゃね。でも、子供はそう言うものだからね。そうやって自分が大きくなってきたのに、あなたがたにやるなとは言えないでしょ。――だからね、エリィ。急がなくていいよ、少しずついろんなことを覚えればいい。やりたいことをすればいい。ここはね、あなたの家なんだから」 一瞬以上もの間、エリナードはぽかんとしていた。イメルは黙って席を立つ。もう十歳だ。お茶の入れ替えくらいならば自分にもできる。 そうして立つイメルをフェリクスは内心で微笑んでいた。けれど眼差しはエリナードを見つめたまま。みるみるうちに涙の溜まって行く深い藍色の目。子供の目とはこんなにも美しいものだったかと見惚れてしまいそうになるほどのエリナードの目。涙がこぼれるより先、エリナードをそっと腕の中に抱いた。 あの時イメルにしていたよう、フェリクスは黙ってエリナードを抱きしめる。腕の中で声もなく泣く子供の体の熱さ。よくも親はこんなにもいとけない生き物を捨てられるものだと腹立たしい。 フェリクスは思う。自分にはタイラントがいる以上、子の親になることはまずないだろう。こうして魔術の師であることしかできない。それでもせめて巣立って行く子供たちが懐かしく思い出せる故郷であれるよう星花宮を整えるのが自分の役目だと。いまこうして新たに迎えたエリナードにもそう思ってほしい。安心して暮らしてほしい。 ――ただ、この子は本当に違うかもしれない。冗談みたいだけどね。 初期訓練も始めていない子供だ。魔力があるというだけの七歳の子供にすぎない、エリナードは。けれど真実、いずれ自分の名を与えることになるかもしれない。そうフェリクスは予感している。 ――だから可愛いってわけでもないと思うんだけどな。 もしかしたら後継者になるかもしれない子供だから、では決してない。フェリクスとて魔術師だ。後を追ってくれる弟子がいればこんなに嬉しいこともない。けれど、跡継ぎだけが欲しいわけでは断じてない。現時点でも統合して継ぐ弟子がいないというだけであって、フェリクスの拓いた魔道を歩む弟子はいくらでもいる。それなのにどうしてだろう。 ――相性ってやつかな。 内心で肩をすくめ、泣きやんだエリナードの頬を拭ってやった。照れくさそうに胸に顔を埋める子供にフェリクスはそっと微笑む。 「かっこ悪いとか、気にしてる? いいんじゃないかな、あなたは子供なんだし。そうやって大きくなっていくんだからね、エリィ」 くすくすと笑うフェリクスをエリナードは見上げた。こうして笑われて、恥かしいとは思う。けれど腹立たしくはない。十日というもの、ずっと側にいてくれたフェリクスだった。たかが十日ではある。けれど。 「あぁ、イメル。ありがと、気が利くね」 振り返ったフェリクスが所在なさげにしていたイメルから新しい茶器を受け取る。目顔で座れ、と言えばエリナードは慌ててごしごしと顔を拳で拭っていた。やはり、イメルに見られるのは恥ずかしいらしい。 「それでイメル。どうかな。この子と仲良くできそう?」 「はい、フェリクス師。……でも、僕は全然かまいませんけど。その」 「あのね、イメル。僕がこの子のことがわからないとでも思ってるの。あなたならこの子も仲良くできそうだから聞いてるんじゃない。……そう言えば、あなたにはまだ聞いてなかったけど。どう、エリィ。イメルとは仲良くできそう?」 実に今更だった。きょとんとしたエリナードが小さく吹き出す。それに慌てて口許を引き締めてはそっと横目でイメルを窺う。イメルはイメルでくすくすと笑ってから体を固くしてエリナードを窺う。フェリクス一人、泰然自若と微笑んでいた。 |