「と言うわけで、なんとか保護してきましたよ」 星花宮の魔導師、セリスは疲れたよう告げていた。実際、子供の故郷の村からこの星花宮に戻るまで、かなりの強行軍だった。セリス一人ならば転移で済むが子供が一緒だった。魔力があるだけで右も左もわからない子供を連れて無茶はできない。 「ご苦労様」 こくりとうなずいたのは氷帝フェリクス。あの子供と並べば兄程度にしか見えないだろう、とセリスは思ってしまって苦笑する。幼いほどに若い容貌が信じられない、老練な魔術師だった。この星花宮を主導する四魔導師の一人でもある。 「いまはどう? ちょっとは落ち着いているといいけどなぁ」 そう言ったのはタイラント・カルミナムンディ。世界の歌い手の名も高い吟遊詩人にしてセリスの師。こちらも四魔導師の一人、風系魔法の使い手だった。 「落ち着いているというか……ずっと落ち着いてはいたんですけどね」 セリスの苦笑にフェリクスが首をかしげる。そこでセリスはようやく道々の子供の様子を語ることになった。 「なに、喋らないの?」 話せないわけではない、とセリスは言った。事実、声を聞いたことはある。ただし偶発的に、だ。話しかけても返事はしない。だが反発しているわけではない、とも言う。 「たぶん――」 「もう真っ暗で、何も見たくないってことなのかな。ここに来る子供たちはけっこうその傾向があるけど」 「傾向がある、じゃなくてね、タイラント? そういう状況にならざるを得なかった子供なんだってあなた、わかってるの」 「わかってるよ! わかってるけど……」 タイラント自身、幸福な幼年期を送ってなどいない。けれど信じたくなってしまうのかもしれない。否、だからこそ、信じたいのかもしれない。どの子供も父母の愛に包まれて生きているのだと。きゅっと唇を噛みしめたタイラントにフェリクスの目許だけが和んでいた。 「ちょっと様子、見てみようか」 何気なく言ったフェリクスにセリスが首をかしげる。タイラントがほんのりと頬を染めていたから、二人の師の間で何かがあったのだろうとは見当がついた。が、星花宮の魔導師を名乗るものは誰でも知っている。四魔導師の関係に首を突っ込むのは馬鹿を見るだけだ、と。無論セリスもよくよく知り抜いている。だから黙ってフェリクスの様子を見ていた。 いまフェリクスは子供の様子をここから魔法で窺っている。星花宮は常に探している、魔法の才ある子供を。なにも人材発掘だけが理由ではない。魔法とは敬して遠ざけられるもの。それだけならば、いいのだ。 けれど田舎では違う。悪魔の使いと言われてしまうことすらある。ラクルーサはまだそれでもいいほうなのだけれど、ミルテシアまで行くとそのまま闇に葬られることも多々ある。星花宮の魔導師たちは、それが看過できない、したくない。別けてもフェリクスは熱心に子供を救い上げようとする。 だからこそ、吟遊詩人の技を持つものは旅をする。旅をして情報を集め、事態が切迫しているときには子供を連れ去りもする。星花宮にはそのための予算まで組まれているほど。 そうして連れてこられた子供たちはまず、一人にされる。ここには望んで魔法を学ぶ子供もいる。貴族の子供も、裕福な商家の子供もいる。そんなところにいままで「気味が悪い悪魔の子供」と言われていた幼い者を放り込んだらどうなるか、火を見るより明らかだ。 「あ――」 そうして一人、小さな部屋にいる子供を窺うフェリクスが声を上げた。あからさまな驚きの声に、タイラントこそ驚いたらしい。 「どうしたの、シェイティ?」 背を折って覗き込む師の姿をセリスは見なかったふりをした。星花宮ではよくあることだったし、求められる技術でもある。 「あの子……。気がついたね、僕が見てるの」 「え……、それって」 「僕がいま魔法で見たの、気がついた。魔法だとはわかってないかな? でも、覗かれたのには気がついたね。セリス?」 「そうなんです。あの子――家では地下の貯蔵庫に放り込まれてたんですけど」 そう言えばはっきりとフェリクスが顔を顰めた。慣れているセリスですら恐ろしさに身を縮めてしまったほどの嫌悪。仮にも親か、と子供の両親を罵りたかったのだろう、たとえ無駄だとしても。 「私が親御さんと話しているの、聞こえてたみたいなんですよ。貯蔵庫ですよ? 聞こえるはずはない、というか、自前の耳じゃ聞こえないはずなんです。でも、聞いてた」 「――すごい才能、だよね?」 フェリクスに問うタイラントに彼は首を振って見せた。才能そのものは認める。だがしかし、と。ほっそりとした吐息が安堵をも語っていた。 「ぎりぎりだったね。お手柄だよ、セリス。よくやった」 「は――」 「え? シェイティ?」 「あのね、あなた馬鹿?」 溜息をつくフェリクスにタイラントが怯む。ずるずると下がりそうになる彼を目で縫い止めて、フェリクスはじっとタイラントを見る。そしてセリスへと眼差しを向けた。 「えー、その。……けっこう暴走寸前だったのかな、と。才能があるのは間違いないんですが、精神的にも限界だったみたいで。うっかり間に合わなかったらどかん、と」 ゆえに、常人の間では魔術師が忌避されることにもなるのだけれど。魔法の才があるから起きる事故。それは訓練をされていないからなのだけれど、常人にはその違いはわからない。魔法そのものが恐ろしい、そう思ってしまっても無理はない。 「そう言うこと。あなたも四魔導師の一人に数えられてるんだから、いい加減にその程度のこと、弟子に言われるまでもなく理解したら?」 淡々と責められるタイラントはばつが悪そうな顔をして、けれどセリスに向かって片目をつぶる。つまり、セリスは試されたらしい、己の師に。理解をしているのか、と。溜息も出なかった。 「――あの子は、悪魔の子、取り換えっ子って呼ばれてました」 う、とタイラントが息を飲む。タイラントにも覚えがあることだった、それは。彼はいまでこそ世界最高の吟遊詩人と称えられる。けれど子供時代は違った。左右色違いの目を邪眼と言われたものだった。 「だったら……俺の出番、かな」 似たような経験があるから。続けたタイラントにフェリクスが首を振る。それからどこかに視線を投げ、うなずいた。 「あっちの了承は取ったけど、タイラント。あなた、僕にあの子をくれない?」 真っ直ぐとした眼差し。あちら、とはたぶん今は別の仕事をしているカロルとリオンのことだろう。むしろタイラントが不可解なのはあの子供が欲しいと言った言葉。 「セリス、あなたはどう見た?」 「間違いなく水系です、それは断言できます」 「だよね」 いまちらりと魔法越しに見やっただけ、それでもフェリクスにもそれは間違えようもない確かなことだった。あの子供は絶大な才能がある、それも水系魔法に途轍もない親和性を持っている。 「でもね、それだけじゃない。だから欲しいってのはあるよ、僕だって魔術師の端くれだ。いい弟子は欲しい。でも、そうじゃない。あの子は、悪魔の子だって? だったら僕を見ればいいんだ。そうだよね、タイラント?」 ここにいる闇エルフの子を。どこから見ても異種族の自分を。その自分であってもここでは、星花宮では当たり前の人として扱われているのだと。 「……まぁ。でも」 「あなたほど最低な人間そうはいないから平気だと思うよ、タイラント?」 「だから、それを言うなって! あれは俺が悪かった。ううん、違う。俺も、悪かった! そう言うことで話は決着してるだろ!?」 「してるよ? だから冗談の種になってるんじゃない。違う?」 冗談には聞こえなかった、と叫びを上げるタイラントにセリスは溜息をつく。この師匠たちときたらいつ何時どこで痴話喧嘩がはじまるかわかったものではなかった。 「セリス、助けろよ!?」 「私も命は惜しいので。だいたい師匠がたの喧嘩に口を挟んでも馬鹿見るだけですし。それで、フェリクス師、どういたしましょうか」 「タイラントがいいって言ってくれたら、あの子は僕が面倒見るよ。落ち着いたら、子供たちに混ぜる。本人の希望次第だけど……魔法を嫌がりはしないんじゃないかな」 「ずいぶんはっきり断言するね?」 「勘だけどね。なんだろう……なんだか、初対面なような気がしないくらいだよ、あの子。ついでだ、名前も僕がつけていいよね」 「え、もう?」 タイラントが驚くのも無理はない。普通、ここに連れられてきた子供たちはまず星花宮がいかなる場所かをゆっくりと覚えて行く。その後ようやく初期訓練がはじまる。いずれ才能だけはある子供たちだ。己の魔力を暴走させないためにも必要なことだった。 けれどその後はみなが魔術師になるとは限らない。多くは違う職につく。それを斡旋するのも星花宮の仕事の一つだ。そして魔道を歩くと決めたものの中でもさらにひと握り、否、一つまみほどが星花宮に残り、星花宮の魔導師を名乗ることになる。それほど魔法とは難儀なものでもある。 同じように問題になるのが名前だった。彼らはほとんどが庶民の子。己の呼び名がそのまま真の名であることも多い。それで魔道を歩くのはあまりにも危険が過ぎる。よって、子供たちは初期訓練を迎えるときに呼び名を与えられることになっていた。タイラントが驚いていたのは、だからそういうわけだった。 「ちょっと早いけどね。どうせお喋りするんだったら、呼び名がないと面倒じゃない」 「お喋りになるのかなぁ」 「ならなくってもいいんだよ、別に。僕が喋ってるのを聞いて、見て、学べばいい。ここがどう言うところで、自分はどうすればいいのかをね」 闇エルフの子が暮らす、この星花宮を。王宮を。それにまつわる人々を。ただ、見ればいい。フェリクスは言う。 「まだあんなちっちゃい子に無茶言うよな、君ってさ」 「どこが? 子供だからわからないなんて、僕は思ってないよ。そうでしょ、セリス。あの子、道々あなたを見てたんじゃないの」 「たぶん」 苦笑するセリスにフェリクスはどうだとばかり胸を張る――かといえばそのようなこともない。淡々とタイラントを見つめている。そしてタイラントが小さく笑ってうなずくに至ってほっと息をつく。セリスは慌てず騒がず退出した。星花宮での教訓の二つ目、師匠たちはいつ何時雰囲気を作るかわかったものではない。 |