リィがごそごそと自分の袖を捲り上げるのをサイファは見ている。きっと何かとんでもなく面白いものが出てくるのだろう。リィの顔を見ればよくわかる。
「なに」
 質問して欲しそうな雰囲気を感じ取ったサイファは、首をかしげてリィに問いかけた。それに嬉しげな表情を浮かべリィは言う。
「腕、出しな」
 疑問ひとつ感じずサイファは腕を差し出す。袖を捲り上げれば白い、人間とは違う肌が目に入る。リィに見られたサイファは少し、気恥ずかしげな顔をしていた。
 それを見ないふりをしてリィは彼の腕に腕輪を嵌める。幅広の金に単純な繰り返し模様を彫り込んだ物。多少、無骨でサイファに似合っているとは言いがたかった。
「リィ、これ……」
 また驚きに目をみはっている。リィは満足げに笑い、腕輪を撫でて袖を下ろした。
「付与魔術を施してある」
「あなた、本当はすごい魔術師だったんだ」
「可愛いサイファ。もう少し他に言いようはないのか?」
 情けないリィの顔つきにサイファは笑い声を上げた。
「これを作るのに思ったより時間がかかっちまった」
 袖の上から、サイファが腕輪に触れていた。わずかにうつむいた顔が彼自身にもわからないだろう羞恥に染まっている。リィは心からそれに満足していた。
「すごい」
「だろう?」
「うん」
 簡単な言葉のやり取り。それにこめられたものに気づけないほどぼんやりとしているリィではなかった。サイファの、心からの感嘆を受けてリィは微笑む。
「でも……」
 目を上げて言い淀んだサイファにリィはうなずいてみせる。続ければいい、と。
「これ、危険感知でしょう?」
 正確に読み取ってみせた。間違いなくリィがその腕輪に封じこめたのは危険感知の魔法だった。まだまだ半人前、と思っていたのに、上達するとなるとあっという間だ。リィは思う、どこかそれは嬉しく、寂しい、と。
「そうだ」
「だったら……私には必要ない」
 言ったサイファはリィが微塵も顔に出さなかった感情のように、寂しげだった。
「私は神人の子だもの。人間よりずっと感覚が鋭いから……だから」
「それでも、してな」
「どうして」
「可愛いサイファ」
「なに」
「俺を、安心させると思って。な?」
 言いながらリィはサイファの二の腕に触れた。薄いローブの下、自分の作った腕輪が嵌っている。自分とよく似た白いローブに淡く金色が透けて見える、そんな気がする。サイファに必要のないものだと、わかっていた。だからこそ作った。否。リィ自身、しかと理解して選んだ魔法ではなかった。
 心の奥底でそれを選んだ理由。必要のない魔法。サイファに嵌めさせるわけ。何も心底理解などできなかったけれど、それでいい。リィはいまここにいる神人の子にいつも笑っていて欲しかった。
「……うん」
 リィのその手の上から、サイファが自分の手を重ねる。リィの大きな手にサイファの小さな手が重なる。うつむいたサイファの顔は、リィには見えなかった。
「さて、と」
「なに」
「いや……もう一眠りしようかな、と」
 普段より少しだけ、問いかけが早くはなかったか。普段より少しだけ、声が上ずってはいなかったか。サイファを見てリィはそれを探る。なんら変わりはなかった。
 見たいものを見、聞きたいものを聞く。人間などそういうものだとリィは思う。だから苦笑をすることもなくサイファの頭に手を乗せて軽く叩いた。
「明日から、新しい魔法の練習しよう」
「どんな?」
 喜びに弾んだサイファの声。彼に授ける知識がある間は、離れて行きはしないだろう。それは嬉しくも苦い感情だった。
「下僕化」
 そのせいかもしれない。リィがそれを教えようという気になってしまったのは。良い魔法ではないはずなのに。まだ彼には早いかもしれないと思うのに。ただ、サイファならば難なくやってのけるだろうこともリィはどこかで予想していた。
「あまり、気持ち良さそうな魔法ではないね?」
「まぁな。でも覚えないと危ないから、知っておくに越したことはない」
「はい、リィ」
 うなずいて笑みを浮かべるサイファに、リィは黙って笑みを返し寝室へと退いていった。


 朝の日課を終えたサイファが小屋の前で待っていた。最近は、狭い小屋は本でさらに狭くなっている。書庫に入れられない本があふれはじめて、おちおち室内で魔法の練習もできなかった。
 おかげで練習は外でする習慣が付いてしまった。気候が良いせいもあっただろう。さわやかな大気の中で集中するのは、神人の子にとっては喜びそのものだった。
「いいか?」
「はい」
「じゃ、はじめるかな」
 自分の用事を済ませ、リィは扉から歩み出る。すでにサイファは自習なのだろう、今まで教えた魔法を少し試してみたりしていた。それにリィはかすかに微笑んだ。
「その前に」
 言ってリィはサイファの髪を手に取る。初めの頃よりは長くなったそれを束ねて編もうとしていた。
「嫌」
 と、珍しくサイファの抗議に合う。リィは目を丸くしてサイファのそれを覗き込んだ。
「どうした?」
「髪、編むのは嫌」
「邪魔になるぞ」
「どうしても……だめ?」
「できるだけ、邪魔はないほうがいい」
「……はい」
「そんなに嫌か?」
「恥ずかしいもの」
 言われてリィは思い出す。共に暮らすようになってからつい忘れがちだった。神人の子は肌をさらすのを好まない。思えばサイファは水浴びもリィの目の届かない場所でしている。
「リィは、恥ずかしくない……」
 聞きかけてサイファは苦笑した。恥ずかしいも何もリィの髪は短い。首筋はさらされている。
「俺とお前の違いのひとつだな」
 さらりとリィは言った。あまりそれを突き詰めて彼が考え込んでしまわないように。
「ひとつ? それほどたくさん違うの」
 けれどサイファは笑って尋ね返す。
「違うさ」
「例えば、どこが?」
「お前は可愛い」
「……あなたは?」
 そういうサイファの声は呆れて低い。しかし、僅かばかり笑いを含んでいるせいでリィには何の感銘も与えなかった。
「さて、ね。お前はどう思う?」
「……知らない!」
「おやおや、どうした、可愛いサイファ。なんか言いたいことがあるなら言っとけよ。俺の耳はお前にだけは開かれてるからな」
「なにも言いたくない。早く教えて」
「だめ。なに言いかけた?」
「なんにも!」
「早く言わないと教えないぞ」
「リィ?」
「なんだ」
「あなた、意地が悪いね」
「なにをいまさら。とっくに知っていると思ってた」
 そう、リィはからからと笑った。いまはこれで満足だった。サイファの、朝の光の中でさえ顕著なほど上った頬の赤み。怒って見せる目許の艶。リィは視界の端で充分にそれを堪能していた。
「さ、遊びはここまで」
「遊んでいたのはあなただもの」
「いいだろ、別に」
「うん。楽しいから」
「そうか、楽しいか」
 サイファの飾り気のない笑顔にリィは視線を向け、いたずら半分髪をかき回した。
「リィ!」
 抗議に耳も貸さず、リィは一度指で彼の髪を梳く。綺麗な髪だった。人間とは違う。こんな些細なものでそれを見せつけられる思いだった。
 サイファの背後に回り、彼の髪を編む。しっとりと手に重たい髪を編んでしまうのはもったいない、そうも思う。
「動くなよ」
 言ってリィは片手で編んだ髪を持ったまま体をかがめ、長い草を引きちぎった。
「なにしているの」
「よく聞いておけよ」
「はい、リィ」
 これも練習の一環、とばかりに言うリィの声をサイファは耳を澄ませて聞いていた。短い真言葉が聞こえた。
「なにをしたか、わかったか?」
「うん」
「言ってごらん」
「草を強化したように思った」
「どうして」
「紐の代わりにできるように」
「正解。よく聞いてた」
 リィの褒め言葉にサイファは頬を緩める。リィに褒めてもらうのはいつでも、何度でも嬉しかった。
「どんな物にでも使える?」
「そうだな、たいていは使えるはずだ」
「なら、髪その物でも良かったはずでしよう」
「あってるよ」
 さすが神人の子だとリィは思う。理解が早い、応用もきく。いや、彼は応用しているつもりではないのだろう。物事の本質を捉えるのが早いだけだ。そしてそれこそが、真言葉魔法の真髄だった。
「なら、どうして草を使ったの」
「そのほうが可愛いサイファに似合うから」
「リィ。本当は、なぜ」
「本気、本気。可愛いよ、サイファ」
「もう、知らない」
 ぷい、と顔をそむけた拍子にサイファの髪がリィの頬を打った。




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