眠っていない、と言うのは本当らしい。サイファは眠るリィの側に膝をついてそう思う。 「リィ?」 起こすつもりなどないのに呼んでみた。熟睡しているのに、かすかに身じろぐ。それにサイファは笑みを浮かべる。 「また、ちゃんとしてない」 ぼそりと呟いてリィの頬に触れた。無精ひげがくすぐったいような感触だった。 窓から差し込む明りに彼の銀髪がきらきらとしていた。長く伸ばしたらさぞ見事だろうと思うのに、彼はそうしない。 サイファは想像して、笑う。まるで戦士のような体格の彼に長い髪は似合わなかった。 何人か、人間の魔術師と名乗る者をサイファも知らない訳ではなかった。ただ、神人の子からするとそれはいかにも稚拙で魔法などと呼べるものではなかった。 そして一様に彼らは貧弱な体格をしていた。なぜかは知らない。人間の魔術師と言うものはそのような傾向があるらしい、と思っていたのだ。 けれど彼は違う。サイファもその理由を知っている。真言葉を系統立てて確立しようとしているのは彼が最初だ。サイファも彼から学ぶうち、真言葉を操るというのは体力にかかっているのだということを知った。 だからリィはあの魔術師たちとは違うのだろう。きっと、何百年も経てばリィこそが魔術師の始祖と言われるようになることだろう。 そのことをサイファは疑問に思わなかった。そのとき自分がどうしているかも考えなかった。神人の子にとって時間は無限。人間には有限。それをまだ実感として、知らなかった。 規則正しい寝息を聞いているうち、サイファにも眠気が襲い掛かる。人間ほど眠りが必要ではないはずなのに、彼の側にいると眠たくなってしまう。 それにどこか苦笑して、けれど嬉しげな笑みを浮かべてサイファはリィの胸に頭を乗せる。ベッドの下に座り込んだまま、彼の体温を頬に感じているのは心地良かった。無意識のうちにリィの腕が伸びてくる。頭を抱え込まれ、サイファは安心して眠りについた。 「サイファ?」 重たくて目が覚めた。リィのその胸の上にサイファの頭が乗っている。そのことにリィは驚く。視線を上げれば早、午後も遅い陽が照っている。 「……ん」 呼び声にサイファが目を覚ます。天上の青い目がリィを見返した。 「こんなとこで寝るなよ」 「だって」 口答えをしようとするサイファを笑みのひとつで黙らせて、リィは意地の悪い顔をする。 「寂しかったか?」 問うても答えないだろうと知っていた。恥ずかしそうな顔をして目をそむけるだろう。けれどリィにはそれで充分だった。 「うん」 はじめ、何を言ったのかわからなかった。問いに答えたと知るまで、一瞬間があく。それを咎めるよう、サイファが目を細める。 「可愛いサイファ。ごめんな」 「嫌。許さない」 「そう言うなよ」 「嫌だったもの」 無邪気な神人の子の言葉を聞いているのが嬉しくもつらい。リィは黙って彼の髪を撫でるのみ。 「でもな、こんなとこで寝たらだめだ」 「だから……」 「ここにいたかったなら、入ってくればよかったんだ」 「どこに?」 「だから、ベッドに」 「嫌!」 「どうして?」 不思議でたまらない、そんな顔を作ってリィは問う。わずかに頬を赤らめたサイファを見れば答えなど一目瞭然だと言うのに。 「恥ずかしいもの」 「なにがだ」 「リィ」 「うん?」 「恥ずかしくないの、あなた」 「全然。どこがだ?」 言えばサイファが困った顔をする。恥ずかしいと言った彼自身、何が恥ずかしいのかわかっていないのだろう。 なにと言うわけではなく、どこがと言うわけでもなく。同じベッドで眠るという行為が羞恥を呼び起こす物だということだけは知っているらしい。そのことにリィはわずかに苦笑する。 「リィ?」 「おいで」 何かを言わせる前、リィは上掛けをめくりあげ、サイファを招き寄せる。腕を取れば嫌がるでもなく立ち上がる。 「リィは、嫌じゃない?」 「お前は?」 笑って問い返すリィにサイファも笑う。そして素直にリィの横、潜り込んだ。いままで彼が眠っていたベッドは熱いほどに温かい。 「ほら、恥ずかしいことなんかないだろう?」 「うん」 満足げにうなずいて、サイファは彼の胸に顔を寄せている。それにリィはかすかな痛みを覚える。けれどそんなことは微塵も感じさせず腕の中にいるサイファの頭をリィは抱えた。 「ねぇ、リィ」 「うん?」 「どこにいたの」 「さて」 「なにをしてたの」 「どうかなぁ」 「リィ!」 「どうした?」 「眠ったら、話してくれるって言った」 「言ったか?」 とぼけて言えばサイファが抗議するよう胸を叩く。二人ともわかっていてしているのだ。サイファはリィが本気ではぐらかしている訳ではないことを知っていたし、リィもただ冗談にからかっているだけだった。 互いに知っていて、会話を楽しむと言うのは良いものだった。 「ねぇ、リィ。教えて」 覗き込むよう見上げてくる青い目に、リィは動揺しかけた。努めて何気ない風を装い、サイファの髪を梳く。 「喉が乾いたな、向こうで話そう」 「本当に?」 「なにが? このままだとまた寝ちまうぞ」 「嫌」 「だから、向こうに行こうって言ってるだろ。お師匠様は茶が所望だ」 茶化して言ってサイファを離し、リィは勢いよくベッドから起き上がる。軽やかなサイファはとっくに飛び降りて茶の用意をしに行っていた。見えないサイファの背中に、リィは苦く笑った。 「リィ、食べる?」 言いながらサイファは菓子の用意もしている。人間であるリィと暮らすようになって、彼らがどれほど食べなくてはならないのか覚えていた。サイファからしてみれば間断なく食べているとしか思えない。 「あぁ、腹も減った」 「寝てただけなのに」 「人間ってのはそういう生き物でな」 肩をすくめて言うリィにサイファは笑って菓子を出す。相違が不思議なだけで嫌なわけではないのだから。 「それで?」 隣に座って同じ茶を飲み、サイファはリィの顔を覗く。菓子を咥えた、いささか行儀の悪い格好のリィがちらりとサイファを見ては渋面を作って見せた。 「内緒がひとつ。もうひとつは話してもいい」 「どうして内緒なの」 「お前を驚かせたいから」 「いま話して」 「だめ」 はっきりとした拒絶にサイファはあっさりと諦める。 「じゃあ、もうひとつ」 そう言ってリィを安心させた。リィも話したくないのではなく、本気で言っているのだ。サイファを驚かせたい。せっかくの用意をここで無にしたくはなかった。 「実はお前に内緒で……」 「また内緒?」 「いいだろ。別に」 「嫌。ずるい」 「どうしてだよ?」 「私はあなたに隠し事しないもの」 言ってリィの半端に伸びたひげをつまんで引っ張ればリィが声を上げる。どうやら痛いものらしい、とサイファは離し笑った。 「お前ねぇ……。まぁいい。内緒にしてたのは驚かせたかったから」 「話しが混ざってない?」 「いいや。魔法の練習をな、してた」 「どうしてそれが内緒なの?」 「お師匠様の意地かね。無様に失敗するの、格好悪いだろうが」 「そうなの? わからない」 「そういうもんだと思っとけ」 「なにを練習してたの」 問いかけるサイファにリィはにたりと笑って見せる。少しは驚いてくれるだろうか。それを思えば不安にもなる。リィは人間で彼は神人の子。元々の魔法の素養が違う。それを振り払うよう、笑みを浮かべてリィは言った。 「転移魔法」 サイファが目を見開く。どうやら驚いてもらえたらしい。リィはそのことにほっと息をつく。 「リィ」 「なんだ」 「あなた、すごいね」 「そうか?」 「うん。私たちだって、できない」 「私たち?」 「そう。神人の子だって、できたなんて聞いたことない」 サイファの口ぶりにリィは知る。やはり、伝承通り神人たちはできる、と言うことのようだ。けれどそれを知ったことよりもサイファにわずかであっても尊敬してもらえることのほうがずっとリィは嬉しかった。 「それから、お土産」 もしかしたら、もっと驚かせることができるかもしれない。リィはにんまりと笑う。それをサイファは不思議そうな顔をして見ていた。 |