もうもうと埃が舞い上がった。落ちてくるものを乱暴によけることもできず、サイファは体を縮める。 「あぁ、また」 ようやく一段落して、サイファは呟く。体中が埃まみれだった。溜息と共に見回せば、床の上、本が散乱している。 サイファはリィが着ているのと同じような白いローブをまとっていた。髪は少し、伸びた。いまだ半人前ではあったけれど、魔術師と呼べる程度の魔法は身につけている。 再び溜息をついてサイファは本を手に取る。はじめてリィの小屋にきてから早数年。加速度的に増える本に二人の居場所はなくなってしまった。 だから別に本をしまうためだけの小屋を建てたのだ。そこに蔵書を移す作業だけでも一苦労だったのだが、それを管理するとなると、とてつもない努力が必要だった。 「いい加減になんとかしてほしい……」 言っても仕方ないことだと知りつつ、そう言いたくなってしまう。身動きするだけで本が崩れてくる書庫など、なんの役に立つのかと思う。 ゆっくりと思念を凝らしサイファは手を振る。崩れた本が宙に浮き、たどたどしいながらも元に戻る。それにサイファは少し、微笑んだ。 「おい、大丈夫か」 その頃になってようやくリィが顔を見せた。そして埃だらけのサイファを見ては顔を覆う。 「また、崩れた」 「みたいだな」 「なんとかして」 「努力はしてる」 「どこで?」 「まぁ……そう言うなよ」 言ったリィの情けない表情を見てしまっては、サイファもそれ以上は言えなかった。 「サイファ」 「なに」 「手。見せろよ」 何かを問うまでもなく手を取られた。見ればわずかに血が滲んでいる。本が崩れたとき、切ってしまったのだろう。 「リィ!」 サイファは抗議した。リィが傷を負った指を口に含んでいたから。嫌悪を感じたからではなく、ただ放っておけば治るものを。そう思っただけではあった。 「たいしたことないな」 「私は平気だって、言ってるのに」 「俺が嫌なんだ。好きにさせろ」 にやり、笑ったリィにサイファは逆らえない。呆れて笑うしかなかった。そもそも何度どう言おうともリィは自分のしたいようにしか、しない。何年も繰り返されてきた言い争いを、この埃だらけの場所でしたいとは二人とも思わなかった。 「出よう」 「待って」 リィが手を引くのにサイファは抗う。薄暗い書庫を見渡し、自分が片付けた本を確認した。 「サイファ?」 リィが肩を落としたサイファに声をかける。彼は落ち込んでいた。その肩に手を置けば落胆した表情で見返してくる。 「どうした?」 「できたつもりだったのに」 「うん?」 「本、片付けたの」 「あぁ……」 リィはサイファが見た方向に視線を向ける。書庫、とは言え当座の物のつもりだったから、本は積み上げられているだけに等しい。 リィとしては本当に当座、のつもりなのだ。早急に対処しなければと思ってはいるのだが中々思うに任せずこんな有様になってしまっている。 その積み上げられた本はすぐに使わないものばかりだった。かといって処分するなど考えられない。サイファの勉強に使うものなのだから。そしていまもそのうちの一冊を取ってくるよう言ったばかりだった。 「まぁ、練習に次ぐ練習だな」 リィはサイファを慰める。本は乱雑に積み上がっていた。リィがしたよう、きちんと分類して積み上がってはいない。 「どうして」 サイファはリィが何度も魔法でそれをするのを見ている。実際、魔法を使わなければ小屋からこちらに本を移すだけでも重労働だったはずだ。魔法を使ってさえ、大変だったものを。 リィは易々とそれをなした。単純に積んだだけに見えて、けれどそれは種類別になっている。サイファには、どうしてもまだそこまで出来なかった。 「うーん、言葉のせいかなぁ」 「人間の言葉は覚えたもの」 「読めるだけだろ」 「それだけじゃ、だめなの」 「真言葉と同じかもしれない」 「どういうこと」 「ちょっと待て。考える」 言ってリィは軽く手を振り本を元通り分類しなおす。それをサイファは尊敬に満ちた眼差しで見つめていた。 「出よう」 上の空のリィに腕を引かれて二人は外に出た。乾燥した空気が心地良かった。こんな爽やかな日に、何も暗い書庫で埃まみれになっていることはない、とサイファも思う。 リィは考え事をするときの常で小屋の側の木の根元に腰を下ろし、そのまま草地にごろりと横になる。時にはそのまま眠ってしまうこともあったけれど、彼はそうしていると良く頭が働く、と言うのだ。 あまりいつもそこにいるものだから、サイファは冗談でそれをリィの木、と呼んだ。いつの間にかすっかり、それが定着してしまって、リィ自身までもが俺の木、と言うようになっている。 サイファはちらりそれを見、そのまま小屋に戻った。ちょうど時間は午後の半ば。二人がいつも休憩をする時間だった。 サイファは手際よく茶を淹れ、菓子を用意する。焼き菓子は、リィが作ったものだった。サイファがする、と言ってもリィは聞かないのだ。 まず火を使うのが危ない、と言う。サイファだとてそれくらいはできると言っても聞く耳持たない。そして自分がするほうが旨いと言う。それは事実とサイファも認めた。 実際、リィに隠れて試したことがあった。菓子はどうにもならないほど焦げて食べられたものではなかった。二度目には少し焦げすぎただけで留まったものの、味のほうが酷かった。 そして試すたび、サイファは火傷をした。リィは何も言わず傷を治し、物言いたげな目をするのだった。 「いつになったら、上手にできるかな」 リィの焼いた狐色の菓子を見てサイファは溜息をつく。香ばしいよい匂いがして、とてもかなわない。 「サイファ!」 呼び声に、慌てて茶と菓子を持ち、サイファは彼の元へと歩いていく。 「おい、危ないだろ」 「大丈夫」 「待て、止まれ」 「平気」 たった小屋から木までの距離にリィが不安そうな顔をするのが面白くてならない。いくら熱い茶を持っていても、この程度の距離でこぼしたりしない、とサイファは思うのだがリィはどうもそうは思っていないようだった。 「悪かったな」 サイファが横に腰を下ろしてはじめてリィは息をつき、そんなことを言う。 「なにが」 「茶の支度をしてたとは知らなかった」 「だって、ちょうどいいでしょう」 「知ってたら呼ばなかった」 「今日は外、気持ちいいから」 首をかしげてサイファがリィの目を覗き込む。それに応えて彼の目から懸念が消えていく。それを見るのがサイファは好きだった。 黙って茶を渡し、菓子器を草の上に置く。そのサイファの頭をリィは撫で、満足そうに笑う声を聞いていた。 「どうしたの」 「うん?」 「用があったんじゃないの」 「あぁ、それか。いやな、ちょっと考えたことがあってな」 「なに」 「後で」 その後、リィは茶を飲み終わるまで、何をどう尋ねてもそれ以上言うことはしなかった。サイファも良くわかっていて、しているのだ。 ただ、何も言おうとしないリィに色々なことを聞くのは楽しかった。リィもまた、その質問を喜んでいる。二人にとってはある種の遊びのようなものだった。 「さて、と。紙、持っておいで」 リィの言葉に一も二もなくサイファは従う。これから何が始まるのか、と思えば楽しみで仕方ない。そんなサイファをリィはローブに落ちた菓子の粉を払いながら見ている。 決して人間ではありえない神人の子の、軽やかな動きが目に楽しい。それだけではないと知ってはいるが、リィは何も言わずただ彼を見ていた。 「リィ、持ってきた」 期待に目を輝かせながらサイファが覗き込んでくるのにリィは苦笑する。 「ちょっと書庫の掃除してきな」 「……はい」 追いやられた、と思ったのだろうか。サイファがあからさまに寂しそうな顔をする。 「サイファ」 呼びかければ振り返った顔はやはり、暗かった。 「可愛い俺のサイファ。邪魔にしたんじゃないよ」 「じゃあ、なぜ」 「お前をびっくりさせたくってな」 リィの言葉にサイファの顔が輝く。それから笑って書庫へと駈けて行った。その後姿を見ながらリィは笑みを浮かべ、そして緩んだ顔を引き締める。 「さて、どうしようかね」 呟いてしばし、何事かを考えていた。それから筆を走らせ始め、サイファが何度書庫から覗いてもリィはずっとその姿勢のままだった。 「サイファ、おいで」 ようやくリィの声がしたのはもう日も暮れてだいぶ経った後のことだった。 「おや、こんな時間だったか」 それに気づいてリィは驚く。いつの間に暗くなっていたのか、と。書き物をしていたのに少しも知らなかった。見回せば、手元にも周りにも魔法の小さな明かりが浮かんでいる。 「サイファ」 「邪魔だった?」 「どうしてそんなことを。とても上手にできた」 笑ってリィが言えばサイファは嬉しげな顔をし、首を傾ける。それに応えてリィはサイファを抱きかかえ、大きな手で頭を撫でた。 そうしながらも、ぼんやりとサイファの作った明りを見ていた。以前、彼は自分の作る魔法の色合いが好きだと言った。けれど自分にはサイファの魔法の色合いこそ、何よりも美しく見える。そんなことを思いながら。 |