いい加減、喉が嗄れてきたのかリィが黙る。サイファはその間じっと叱られていた。自分が悪いことはわかっている。それがリィにも伝わったのだろう、ようやく説教がやんだ。 「ごめんなさい」 何度目になったのだろう、サイファは謝りうなだれる。その髪にリィの手が置かれた。 「もういい」 「怒ってる」 「もう怒ってない」 「嘘」 「本当に」 「じゃあ」 言いよどんだサイファの目を、リィは覗き込む。天上の青をした目が懸念に曇っていた。 「どうした?」 「うん……」 「言えって」 言ってリィはサイファの髪に手を滑らせる。大きな手に撫でられているのが快いのだろう。サイファの肩から緊張が取れていく。 「私に失望してる」 ぽつり、サイファが言うのにリィは一瞬息を呑み、次いで笑い出した。 「ひどい」 「どこが? あんまり見当違いで笑っちまった」 「どこが?」 リィの口真似をしてサイファは言った。唇を引き結び、そしてかすかに開く。 この、会ってから間もない人間の男に失望されると思うとサイファは不安でならない。決してリィがそんなことを思っていないと知っていても、だから言わずにいられなかった。 「全部」 そしてリィはサイファが知るよう、それを保証してみせる。 「馬鹿だね」 何度も言いながら、頭を撫でる手にサイファはうつむいてしまう。それが言葉通りの意味ではないとわかっていながら。 「サイファ」 呼ばれた、と顔を上げかけそしてサイファは引き寄せられたのを知る。何が起こったのかわからない、と動揺した顔をするのをリィは興味深げに覗いていた。 「なに」 湧き上がってきただけの言葉。意味などない。リィはそれに微笑し、唇を歪めた。 「質問は的確に」 意地の悪い口調にサイファが唇を尖らせる。おかげで不安が消えていく。代わりに浮かんでくる別の揺らぎは消えなかったけれど。 「なに、してるの」 ようやくそれだけを口にした。なにがどう、と言うわけでもないのだが、どこか恥ずかしかった。リィに抱き寄せられているのは。 「別に」 そう言ったくせ、リィはサイファを抱く腕にさらに力を入れた。人間の大人並みの体格をしていても神人の子としてはまだ少年にも等しい。彼らの特性でもあるのだろうが、サイファはまだ細かった。肩の辺りも背中も、ずっと。 「離して」 「どうして?」 「嫌だから」 「そうか?」 「うん」 「まぁ、我慢しろよ」 サイファの頭上から降ってくる笑いの気配。それにほっと体の力を抜いた。それを察したリィが軽くサイファの肩を叩く。それでサイファの緊張は完全に溶けてなくなった。 「なぜ」 けれどサイファは問う。なぜ自分が我慢しなくてはならないのか、と。 「寒くないか?」 「私が? 全然」 「じゃ、俺が寒いと思ってな」 「寒いの?」 「多少な」 「ふうん」 リィの腕の中からサイファは目を上げる。辺りは薄く黄昏はじめていた。ゆったりと降りてくる夕闇が美しい。 リィの手が再びサイファの髪を撫ではじめる。すっかり気を許したサイファは頭を彼の肩に預け、宵闇になりつつある草原に見惚れる。 「綺麗だね」 「……そうだな」 「どうしたの」 「なにがだ」 「少し、間があったから」 「そうか? なんでだろなぁ。気のせいじゃないのか」 ぬけぬけと言ったリィにサイファは笑う。まだ知り合って短いけれど、こういう言い方をしたときのリィは決して追及を許さないことを知っていた。 他の誰かであったならば不快だろうと思う。茶化されるのは好きではない。けれどどういうわけかリィであるならば、気にならなかった。 「いて」 けれど気晴らしにサイファは彼の胸を拳で叩いた。大袈裟に痛がって見せるのが楽しかった。 「サイファ」 「なに」 「寒くないか。大丈夫か」 「平気って言ってるでしょう」 神人の子にとって、月で計る単位など無意味に等しい。そんな瞬きよりまだ短いほどの時間で知ったことがもうひとつ。 サイファは笑う。リィの過保護を。独学で魔法を習得してしまった人間が神人の子のことを何も知らないなどありえない。 彼らは人間ほど自然の法則に左右されない。それを知っているはずなのに問うリィがおかしくてならなかった。 「笑うなよ」 「だって」 「あっという間だからな、日が暮れるのは」 「秋だから?」 「そう、秋だから」 神人の子だとて、自然を愛でもするしその流れを感知もする。けれどやはり、人間ほどそれに敏感ではないようにサイファは思う。 「もうすぐ冬になるし?」 ためしに言ってみれば満足したような気配が降ってきた。それにサイファこそが満足する。 「だから、あんまり外に出られなくなるぞ」 「どうして」 「寒いだろ」 「あなたが?」 「まぁな」 渋い顔をして言っているのだろう、と思えばおかしい。リィの腕の中、サイファは笑いを噛み殺す。けれどとっくに悟っていたリィはサイファの頭をひとつ、拳で叩く。 「痛い」 「だろうなぁ」 とぼけて言うのに、また笑ってしまった。おかげで怒りなど湧きようもないのだから、これで毎日が楽しくなかったら嘘だとも思う。 「それ以外にもな、冬は雪が降るんだぞ。どうだ、驚いたか」 「ふうん。なんてことだろう、びっくりした」 「お前な……」 「なに」 「お師匠様をからかうなよな」 「先に冗談言ったのは、あなただもの」 「それでも!」 「はいはい」 いい加減な返事だけをし、サイファは胸に顔を埋める。温かくて気持ちよかった。そのサイファの体を抱いているリィも無論。 互いの体温で温めあうのは、どこか淫靡だとリィは知っている。けれどまだ若い神人の子はきっと知りもしないだろう。 「雪遊びをするのは楽しいけどなぁ」 「なに、それ」 「やったことないか?」 「どんなこと」 「飴を煮て雪の上に流して面白い形を作ったり、雪玉を積み上げて人形にしたり」 「したことない」 「そうか、そうか」 嬉々とした口調にサイファは間違いなく、雪が降ったらそうやって遊んでくれるつもりだと確信する。リィの口振りからは子供の遊びだと知れていたが、サイファがして悪いことはない。 これが同族とだったならばさすがにサイファも躊躇しただろう。けれどリィは異種族だ。その思いは何かサイファを哀しくもさせた。 「そうじゃなくてな」 それてしまった話をようやく思い出したよう、リィが言う。腕の中から見上げれば、困ったような表情にぶつかった。 「なに」 「こうやって練習に出てくるのもちょっと難しくなるな、と思ってな」 「そうか。困る」 「だろう?」 「うん」 「いずれな、もうちょっと小屋を改造してな」 「あれを? 無理じゃない?」 サイファは肩をすくめる。二人で生活する分には何の問題もない。けれどこの数ヶ月で、たった数ヶ月でリィの蔵書は確実に一山増えた。この分ではあっという間に小屋中を占領することだろう。 「別に現実に増築する、とは言ってないさ」 その言葉に見上げたサイファの目に映るのは自信ありげな笑みを浮かべたリィの顔。 「どうするの」 だから、即座に聞いてしまった。こういうときには面白いことがあるはずだ、と。 「魔法空間で増やす」 「そんなこと! できるの」 「できるから言ってるんだ」 「じゃあ、すぐにすればいいのに。手狭だもの」 無邪気なサイファの言葉にリィがそっぽを向いた。一瞬、サイファには何が起こったのかわからなかった。少し考えて理解する。 「まだ、できないんだ?」 「せめて研究不足、と言えよな」 「同じでしょ?」 「師匠の誇り、と言うものを考えろ」 笑い出したサイファの頭をリィが小突く。腕の中で笑い転げる神人の子の存在が、信じがたかった。こんなにも素直な神人の子がいるとは。人間と言葉をかわすのも好まない。まして心を開くことなどさらにない。 「まだ笑うか」 柔らかい頬をつまんで青い目を覗き込めば、笑いすぎて涙ぐんでいる。リィの口許もほころび同じよう、笑い出した。 |