辺りを圧する轟音が響き渡る。秋の草原だった。魔法の炎が爆発し、けれど草の一枚も焼け焦げはしなかった。 「お前なぁ」 咳き込みながらリィがサイファをねめつけている。それにサイファは申し訳なさそうに目を伏せた。 「ごめんなさい」 ちらり、炎の名残を見た。言われたとおりにしたはずなのだが、多少と言うよりはずっと威力が強すぎた。 これでリィが結界を張っていなかったらどうなっていたことか、考えてサイファはぞっとする。 二人は小屋を出て、シャルマーク近くの草原に来ていた。小屋のある森ではいくら結界を張ったとしても炎の魔法を試すわけにはいかない。まして近くには月神サールの神殿もある。騒がすのははばかられた。 それでここにいるのだ。人気のない草原ならば、魔法の練習をするにはうってつけ、と言える。が、草原を焼き尽くすわけにもいかないのでリィが結界を張ってその中で練習をしている。だから、草は焼けていないのだ。 「気をつけろ、と言っただろう?」 まだ咳き込んでいるリィをサイファは見やり、再びうなだれる。もう自分ではずいぶん上手になった、と思っていたのだ。そしてリィもそう思っているからこそ実際に試させてみた。 「……はい」 けれど、二人が思っていたほど、サイファはまだ上達してはいなかったらしい。リィが指示したより遥かに威力の勝る炎が出現してしまっていた。 すでにリィと出会ってから何ヶ月かが経っている。人間の字も覚えたし、魔法も習得した。元々サイファの中にあった魔法を、理論立てたと言ったほうが正しいのだから時間がさほどかからなかったのもうなずける。 「集中しろって」 「はい」 「なにかに気を取られるから、制御が甘くなる」 「うん」 「死ぬぞ」 怖い顔をして言うリィにサイファは肩をすくめた。リィはそんなサイファの側に行き、肩に手をかける。緊張に強張っていたそれがほどけていく。 「私はこの程度じゃ死ねないもの」 ぽつりと言うサイファの肩をリィが強く掴んだ。サイファが振り仰いだリィの顔はまだ、怒っていた。 「馬鹿」 「ごめんなさい」 「あのな。俺が死ぬんだぞ」 「あ……」 一瞬にしてサイファは青ざめ、リィの顔をまじまじと見つめる。唇が震えた。 「ごめんなさい」 またそう言って顔を伏せるサイファの髪にリィは手を置き、もういい、とそれを撫でつける。 「サイファは俺が死んでも平気なんだな。うん」 「そんなこと……!」 抗議しようとして見上げれば、リィの深い青をした目が微笑っているのにぶつかった。それにサイファはからかわれたことを知る。 「ひどい」 「なにがだ」 「だって」 「お前がぼうっとしてるのがいけないんだぞ。ほんとに危険なんだからな」 「うん」 「ちゃんと集中すること、いいね?」 「はい」 殊勝げにうなずくサイファの髪をリィが満足げに撫でれば、彼もまた安心したよう笑顔を見せる。それにほっとしてリィは指の間、彼の髪を滑らせた。その手が止まる。 「ほら、焼けちまってるじゃないか」 「なにが」 「髪。おいで」 それだけ言ってリィは座り、自分の前へとサイファをも座らせる。 「なにするの」 「焼けたところ切ってやるから。じっとしてろよ」 「うん」 肩を覆う黒髪の下の一部が焦げて縮れていた。リィは残念そうにそれを見、短刀で切り整えていく。量の多いサイファの髪がぽってりと手に冷たい。 「できたぞ」 一度リィが両手でサイファの髪をさばけば、まるで櫛で丁寧に梳きすかしたよう、彼の髪は艶かになる。 「ありがとう」 振り返ってサイファは笑った。 「どうした?」 「別に」 「変なやつだな」 「そう?」 言ったサイファが、けれど声を上げて笑い出す。片手を口許に当てているのをリィは乱暴に引き剥がし、その頬をつまんで笑いながら睨みつけた。 「なにがそんなにおかしいのかな、うん?」 「痛いってば、やめてよ」 「言えばな」 「もう……」 大袈裟な溜息をついて見せるのに、リィはぴしゃりとサイファの頬を叩いて離してやる。それを痛そうにさすってサイファは彼を睨んだ。 「それで?」 「しつこいよ、リィ」 「うるさいな。言えよ」 「あなた、私の頭を触るの本当に好きだなと思っただけ」 あっさり言ったサイファにリィが驚いて目をみはる。まだ抵抗する、と思っていたのだがサイファはただ言葉遊びをしていただけらしい。 「そりゃ、綺麗だからな」 言った途端、サイファの顔が曇った。だからリィはもう一度彼の髪に手を滑らせる。サイファはそれを嫌そうに振り払った。 「神人の子だからだとは思ってないからな。お前だから綺麗だって言ってる。わかるな?」 もう一度伸ばされた手を、今度はサイファも払わなかった。温かい大きな手で撫でられているのを、決して嫌ってはいないのだから。 しかしサイファは下から彼を見上げ、あからさまな溜息をつく。 「よく、そういう恥ずかしいことが言えるね」 「なにがだ」 「だって」 「綺麗だよ、お前は」 「いい加減にして」 「はいはい」 この数ヶ月の共同生活で、サイファは知っていた。こういう返事をするリィは信用ならない、と。どうせまた、なにかの機会に言うに違いない。ここは自分が慣れた方がずっと早そうだった。 「髪、伸ばさないのか?」 なにかの機会、は予想を遥かに超えて早いらしい。サイファは諦めて一度自分の髪を指で梳く。 「どうして?」 「似合いそうだと思ったからな」 「ふうん」 髪をつまんでサイファはそれを見る。取り立てて人間と違うようには見えない髪だった。けれど神人の子と人間とはやはり違うのだろう。 「あなたは。伸ばさないの?」 「俺か。似合うと思うのか、お前」 「思わない」 きっぱりと言ったサイファに、リィの方が笑い出す。おかげでサイファは笑い損ねてしまった。 「人間だって、伸ばしている事あるじゃない」 「あるな」 「どうしてそんなに短いの」 「この方が性にあうんだ」 「無精なだけって、言わないの?」 「そうはっきり言うなよ」 情けなさそうに言うリィにサイファは微笑う。短く刈り込んだ銀髪が好きだった。だから伸ばして欲しいなど、思ってもいない。サイファはそれを伝えるよう、リィの頭に手を伸ばし、髪に触れる。それから思い直してリィの頬に触れた。 「どうした?」 不思議そうに問うのに、サイファは意地の悪い顔をして唇を歪める。 「私の頭のことなんかより、自分の身なりにかまったら」 「うん?」 「無精ひげって言うの? 伸びてるよ」 髪よりも硬い、けれど少し伸びたひげの手触りが気持ちいい。そこからサイファが手を離せば、リィ自身が自分の頬に触れ、わずかに視線を上向ける。 「確かに伸びてるな」 「でしょう」 「うん、帰ったら剃ろう」 「いま剃れば」 ちらり、サイファは自分の髪を切った短刀を見る。それにリィが顔を顰めた。 「お前ねぇ。痛いんだぞ」 「なにが?」 「ひげを剃るには水と石鹸がいるの。こんなもんで剃ったりしたら傷だらけだぞ」 「ふうん。不思議」 「そう言えば、神人の子達はひげ、生えないんだな」 「それを言うなら神人もね」 「確かに」 「どうして人間は生えるの」 「そんなこと俺に聞くなよ」 「じゃあ、誰が知ってる?」 「知らない」 「教えてよ、お師匠様でしょ」 茶化して笑うサイファの頭を、リィがいたずらに拳で打てばわざとらしく痛がって見せる。他愛ないやり取りだと、二人ともがわかっているというのは心地良いことだった。 「サイファ」 その間に午後の陽が進んでいた。リィは視線を飛ばしサイファを呼ぶ。彼の口調が変わったのにサイファは素直にうなずき、リィに背を向ける。 背後から柔らかく抱きかかえられた。はじめこそ、抵抗があったもののすでに慣れてしまっていた。二人の間で、魔法を習得するための真言葉の伝達は、このような形が最も効率がいいと相互理解ができている。 問題は、別の誰かをリィがあるいはサイファが弟子にとった場合どうするかではあったが、今のところまだ理論自体が確立していないのだから問題はないことだった。追々考えていけばよいこと、と思っている。 サイファの精神にゆっくりとリィのそれが触れる。異種族の精神はお互いになにか不思議な感覚をもたらす。伝達に支障を及ぼすほどではない。ただ互いにいつまでも触れて、探求していたいと思うことだけが困ることではあった。 「もう一度。試してごらん」 リィが精神の手を引きサイファのそれを解放したとき、どことなく不満げに振り返ったサイファはリィの苦笑にぶつかることになった。 おかげでまた、魔法の制御に失敗したサイファは今度こそはしたたかに叱られたのだった。 |