アリステア本隊に帯同していたダトゥムは一旦、国境大河付近に展開させた軍中へと合流している。そちらで他の宮廷魔導師たちと連携の確認をするために。すぐさま伝令が飛び、内々にこちらの砦へと魔導師はやってきた。
「陛下――」
 突然の呼び出しに、ダトゥムも驚いてはいるのだろう。が、それを顔に表すことなく彼は優雅に一礼する。その姿にこそ、二人は息をつく思い。むしろ魔導師の態度に自分たちがどれほど狼狽しているのかを悟らされたかのような。
 アリステアは一度リーンハルトと別れ、周辺の探索の結果を自ら精査し直した。ビンチェンツオが血の魔術師の支配下にあり、何かを画策し続けているというのならばその形跡があるはずと。
 その間リーンハルトもまた情報を取りまとめていた。砦近隣のことはアリステアが調べてくるだろう。ならば自分は捕虜と接していた騎士より彼ら捕虜の日常の呟きを聞くべきと。
 国王直々の下問に騎士たちもさすがに驚いたらしい。だが幸いにして近衛騎士団と、スクレイド公爵家の騎士団だ。リーンハルトに近い位置にいる騎士たちとあって、さほど戸惑うことなく彼の問いに答えて行く。
 曰く、ビンチェンツオは人が変わったかのようだった。曰く、それまでも猪突する型の男ではあったけれど、少々向う見ずに過ぎる振る舞いが目立つようになった。曰く、自らの生まれを唾棄すべきものと恨むことが多くなった。
 捕虜たちはそうぽつりぽつりと口にしたそうだ。自らの主人であった男を悪くは言いたくないのだろう。その中で出てきた言葉とあれば、実態は更に酷いものと考えるべきか。
 それぞれが情報を収集し、二人して突き合せる。嫌な予感が確定しそうだ。顔を見合わせ、長い息を吐く。
「国元に、怒鳴られそうですな」
「アリステア?」
「陛下御自らこのようなことをなさるなど、とね。公爵は何をしていたのだと怒鳴る古老の顔が見えるようですよ」
「ならば老人どもがここまでやって来い、というのだ」
「来たら困るのでしょう、従兄上?」
「面倒が増えるだけだからな。元々私は自分一人で、いや、お前と二人で片づけたい質だからな。幸いだと思っているのだが」
 それが国王だというのだからある意味では困ったものではある。国王など、一番後ろに控えていていただかねば困るものだというのに。
「なに、古くは国王とは自ら剣を取り民を守るものだったという。ならばあながち私のしていることも間違いとは言い切れまいよ」
「伝説の古王国、ですか?」
 そうだ、とリーンハルトは微笑んだ。実際にそのような国があったのかすら、実のところは確証がない。一応は古王国から分かたれいまの三王国ができあがった、ということになってはいるが。
「本をただせば兄弟国だというのに、情けない話もあったものだよ」
 戦乱が絶えない三王国。シャルマークは断絶し、いまは魔族の住処となり果て。それですら、ラクルーサとミルテシアは手を結べない。
「とりあえず、いまは目先のことを考えましょう、従兄上。大陸の平和より、目の前の戦乱ですよ」
 そうしてきたからこそ、戦争が絶えないのではないか、ちらりとリーンハルトは思う。大局に立つものが少なすぎる。自らも含めて、だと彼は内心に自戒する。もっとも、すぐそこに迫った戦いを回避しなければ改めることもできなくなりそうであったが。
 そうしてやってきた魔術師に二人は情報の結果を伝える。それもまた異例なことだった。宮廷魔導師とはいえ、一介の魔術師に国王が率直にすべてを明かすとは。だがしかし、それがリーンハルト王だった。
「お話の筋は理解しました」
 ダトゥムがゆったりとうなずく。その額にかすかな汗が浮いていた。アリステアは知る、予想は正しいのだと。ダトゥムが彼に向かってうなずいた。
「公爵閣下のお考えの通りにございましょう。おそらく、何らかの手段をもってして、ドゥヴォワールは生きている……いえ、死んではいない、というべきか……なんと言えばよいのか……」
「亡霊なり死霊なり、要は悪霊と化しているという理解でかまわんか?」
「はい、それで結構です。悪意ある霊、というのが正しい表現でしょう」
 ダトゥムにアリステアはうなずく。用語の問題であって、実態はいずれどうあれ害意があるとわかっていれば問題はない。首をかしげたのはリーンハルトだった。
「なにが違う?」
「色々と違いますが、問題は従兄上を狙ってくるだろうという一点だけです」
「なぜだ?」
「従兄上が国王だから、です」
 そのとおりだ、魔導師もうなずく。血を捧げるのならば高貴の血にしくはない。平民の血を海ほど集めるより、王ひとりの血の方がどれほど贄として価値があるか。理解はできないまでもリーンハルトは顔を顰めた。
「血は血だろうに」
「それに含まれた意味、の問題です。触媒として貴重だという共通認識があれば魔術というものは強まるのです」
「わかった。よくはわからんが、そのようなものだと理解する。それで私が狙われると。なぜ私だ? 遠くはない場所にミルテシア王がいる」
 すでに近衛の斥候がミルテシア国王の出陣を知らせてきている。リーンハルトが国境大河の渡河を許さないよう、ミルテシア王も自軍に一定距離から近づくことを許していない。遠く、互いに対峙している状態だった。ただ、内密に国王が移動しているのをリーンハルトは掴んでいる。スクレイド公爵家の斥候が掴みとってきた情報だった。少数の手勢――こちらの手勢とほぼ同数――を連れ、ミルテシア王もまたこの砦に向かって来ている。
 それは通常ならば、取引の成立を示すものだった。賠償金の支払いと条約の締結、そのために国王同士が面談を果たす。よくある手続きに過ぎない。
 だが、ミルテシア王がビンチェンツオがどのような状態に陥っているのかを知らないとすれば。逆に、熟知した上で利用しないとも限らない。いずれにしても窮地であるのは確かだった。
 事はラクルーサとミルテシアの諍いでは済まない。大陸が、魔族の手に落ちる瀬戸際、とリーンハルトは判断している。だが。
 ――それを。ミルテシア王が信じるか?
 もし自分からそのような情報を知らせたとして、信じる根拠はあるだろうか。自分ならばミルテシア王から知らされたとして、信じるだろうか。
 ――信じたとしても、動けん。
 国内の貴族が何を言い出すか。隣国に対して弱腰と取られれば以後の内政が破綻する。ミルテシアの意のままにされた、と反逆されかねない。それではラクルーサが焦土と化す。
「魔術師の見解として、最も効果的な手段はなんだ?」
 ふと思い立った、そんな様子のアリステアだった。だが考え抜いた結果であることはリーンハルトにも察せられ、自分がどれほど思考の中に沈み行こうとしていたのかを思っては苦笑が浮かぶ。
「ビンチェンツオを殺すこと……は悪手でしょうね」
「なぜだ?」
「実体のない悪霊が、次に誰に取り憑くかを考えれば自ずから――」
「だな。理解した。とすれば……」
「悪霊を実体化させる手段を探るのがよいでしょう。ですが、時間がない」
「それもまたもっともだな。さて、まいった」
「私は一度下がって、手段を探ってみたいと存じますが」
「頼む」
 アリステアではなく、リーンハルトが言ったことでダトゥムはにこりと微笑む。いずれ彼にとっても海上修道院から続く一連の事件ではあった。それを国王が深刻なもの、と考えているのはやはり魔術師にとっては嬉しいらしい。
「従兄上、ご相談が」
 二人きりになってからだった、アリステアがそう言ったのは。何を今更、と言わんばかりにしてリーンハルトは眉根を寄せる。アリステアがわざわざ断りを入れてきたということはあまり聞きたくない類の話であるのだろう。
「従兄上に、というより。私の問題でもあるのですがね。――レクランを巻き込みます。よろしいでしょうか」
「従弟殿。何を考えている」
「従兄上の安全を」
 即答したな、とリーンハルトははっきりと顔を顰めた。息子の身より自分を取るな、言いたい気持ちは充分にある。だがこの身はアリステアのものというだけではない。ラクルーサという国を背負っていると思えば中々に言いかねた。
「ご気分は悪いでしょうがね」
「お前もだろう? レクランを巻き込みたくないのはお前もだと思っていたが」
「いままでレクランを下げていたのは、従兄上のためですよ。あれが相当に神聖魔法を使える、というのはいままでは秘しておいた方がためになった。いまはそうも言っていられないでしょう。悪霊を打破するのならば。一人でも多くの神官の手が私には必要です」
「国元から――」
「呼び寄せれば、相手に気取られます。ビンチェンツオは、レクランをどう考えていると思いますか」
「神官だと、認識してはいないのだろうか? レクランが血の魔術師を打ち破るのを見ていたのだろう、彼は」
「神の奇跡が宿っただけ、と認識していたとしたら?」
 にやりとアリステアは笑う。すでに捕虜たちからビンチェンツオがレクランをどう言っていたかは聞き出してある。子供が偶然あの一瞬、神に選ばれただけだと忌々しげに語っていたと。
「……現状認識に問題があるのではないか、ビンチェンツオは」
「それが血の魔術師の支配下にあるからなのか、本来の性格なのかは私にとってはどうでもいいことです。ビンチェンツオはレクランを神官とは考えていない、必要なのはそれだけです」
 だから自分に必要な手足として、レクランを使う。アリステアは言い切った。真っ直ぐな灰色の目がリーンハルトを見ている。甘いものではなかった。いまのこの目は、リーンハルトを愛する男の目ではなく、ラクルーサ国王を守る公爵のもの。そして神に選ばれし武闘神官の。
「――私に異存はない。レクランが嫌がるのならば考え直せよ」
「嫌がると思いますか?」
「……まぁ、思わんな」
 でしょう、とアリステアは晴れやかに笑った。一瞬で鋭い目が和み、リーンハルトを柔らかに見つめる。リーンハルトの唇に仕方ない男だとばかり苦笑が浮かんだ。




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