ラクルーサの貴族とは、このようなものなのか。ビンチェンツオの手勢が青くなっていた。あまりにも違う。自分たちの主と、アリステアと。 気のせいではあった。アリステアは意図してあのような行動を取った。もっとも、半ばは嘘ではない。一人二人、怪我人でも看てやろうとしたところ、結果として全員看てしまったのはアリステアが神官であるせい。だがそのようなこと、ミルテシア勢は知らない。 疲れ切ったアリステアがリーンハルトの下に戻っていく。出迎えたリーンハルトは、そのようなことになると察していたかのよう苦笑していた。 「いいから、座れ。いや……横になってしまえ。気にするな」 アリステアの手を引き、長椅子に腰かけさせ。そのまま横にさせた。あまりにも酷い顔をしていると、この男は気づいているのかどうか。気づいていても、同じ振る舞いをしたのだろうな、と思えば苦笑しかできない。 「従兄上……」 「うん?」 「別に。なんでもないです」 膝枕で疲れを取りつつ、アリステアは苦笑する。奇妙に心許ない気持ちになってしまって、なぜかふと幼いころを思い出した。 「昔は可愛いアリステアだったのだがな」 リーンハルトも同じことを想起していたのだろう。そんな風にも笑う。見上げつつアリステアも小さく微笑んだ。 「今も、そうお思いでは?」 「言うようになったものだ。思っているがな」 くすりとアリステアが笑った。それでずいぶんと気分もよくなったのだろう。顔色もよくなっている。体力的な疲労、と言うわけではないらしい。リーンハルトに神官としての疲労は理解できない。肉体の疲れでないものをどう癒せばよいのかも。 「こうしていてくれるだけで、充分ですよ。本当に」 「そうか?」 「頭でも撫でてくれますか?」 悪戯っぽい言いぶりに、本気でリーンハルトはアリステアの頭を撫でる。真顔でするものだから今更冗談だとは言い出せなくなったアリステアに、彼はにやりとする。 「従兄上!」 「撫でろと言ったのはお前だろう」 「……言いましたけどね」 溜息をついてアリステアは起き上がる。そのままでもよかったのに、と思ったリーンハルトだったがいまは止めなかった。報告がある、と察したのだろう。 「お察しの通り。――誑かしてきましたよ」 「その言い種はないだろう」 「そうですか? 従兄上を誑かした男だそうですので、俺は」 ふん、と鼻を鳴らしてアリステアが笑う。自虐的な口調ではあるが、アリステアは笑っていた。本気ではないらしい。そのぶん彼の疲労が透けて見えた気がした。 「まぁ、公爵危険論が出るのも、わかる気はするのだぞ。私にも」 「はい!?」 ちょん、と頬をつつかれステアは目を瞬く。リーンハルトの昏い蒼の目が笑っていなかったならば、青くなっていたかもしれない。 長くアリステアは言われ続けている。スクレイド公爵反逆の意志を。実際エレクトラが反旗を翻したことによって、その論は強くもなり、逆に弱くもなった。その間ずっとリーンハルト一人はアリステアを信じ続けていたものを。 「私がどうの、ではないと言っているだろう? そのような論が出るのも理解はできる。それくらいお前には人望があるからな」 「人望、ですか?」 「あっという間にミルテシアの人心を掴んだだろう?」 アリステアが戻るより先に近衛騎士が知らせに来た、とリーンハルトは苦笑する。騎士に他意はない。一足先にご報告に、素晴らしかった、と言いに来ただけだ。それでもあれがたび重なればアリステアが危険視されるのも理解はできる。 「従兄上……」 アリステアはどう何を言ったものか、そう迷う。ただ一人、リーンハルトのためにこそしている。彼だけはそれを理解している。何を口にしようとも、こうして危険論を持ち出そうとも。その上で何を言えばよいというのか。 「気にするな、アリステア」 「ですが――」 「いまのはな、私の可愛い従弟殿。ただの嫉妬、というのだ」 「……はい?」 「アリステアが他人の注目を集めるのは、あまり気分のいいものではなくてな」 「ですから従兄上!」 「だからただの焼きもちだ、と言っているだろう? お前が国に逆らうとは考えたこともない。どれほど人望を集めようともな、それだけはない」 「違いますよ、従兄上」 「うん?」 「俺は国に逆らわないのではない。従兄上に、逆らわないんです。この違いは大きいですよ?」 もしもリーンハルトの玉座が不当に奪われることがあったならば、自分は何をおいてもリーンハルトにこそ助力する。たとえそれがラクルーサという国に害を与える行為であったとしても。 「それを口にするなよ?」 にやりとしたリーンハルトにアリステアは答えず。ただそっとくちづけをした。何よりの誓いであり返答でもある。リーンハルトもまたそれを待ち望んでいた。 交渉の使者は日々行きかっていた。交渉が長引くことを想定し、リーンハルトは王都にも使者を向かわせる。国事に関して、そして軍の発令。内政はあれ以来スクレイド公爵親派に成り代わったオード卿がその手腕を発揮している。そして近衛騎士団他、王都に在する国王直属の騎士団が続々と準備を整える。支度でき次第、こちらに向かう手筈だった。 それだけの手配を済ませ、国王と公爵は当たり前の日常を送っているような顔をして砦に詰めている。アリステアに至っては、騎士たちの訓練までする始末。 わっと上がる歓声が窓から聞こえ、ミルテシア勢はおずおずとそれを覗いた。もちろん捕虜として扱われている彼らだ、窓には太い鉄格子がはまっている。ここは砦で、そのような部屋も多い。そして窓から見えた光景に彼らは一様に愕然としていた。 「なにが見える?」 騎士が兵の肩越しに窓を覗こうとする。兵は無言で場所を譲った。あの日の衝撃が、彼らにそうさせる。見ればいいと。 そして目撃した騎士もまた、呆気にとられて言葉もない。砦の中庭は騎士たちが鍛錬をしていた場所。そこでいまはラクルーサ勢が鍛錬に励む。明るい景色だと思った。自分たちと似たような鍛錬をするのだとも思った。 だがしかし、決定的な差異。騎士たちに混ざってスクレイド公爵がいた。軽い胴着だけを身につけた、あの日の姿と大差ないもの。剣だけは素晴らしい。そぐわない剣を持っているように見え、けれどその佇まい。しっくりと馴染んだ剣は彼が相当な使い手だと嫌でも理解させられた。ミルテシア勢の中にはあの日、直接スクレイド公を見たものもいた。太刀筋にそれと知る。武装した彼といまの彼はまったくと言っていいほど重ならない。 その姿で、彼は騎士たちと立ち合っていた。装備が違うことから、近衛騎士と公爵家の騎士、双方が混ざっているのだとミルテシアの騎士にもわかる。それでいて分け隔てなく。 「参る!」 近衛騎士の短い言葉に公爵もまた応、とのみ答えて剣を合わせる。火花が散るような激しさ。騎士が手を抜いていないことが彼らにも見てとれる。 「うそだろう……」 知らず、呟いていた。相手は公爵位にある高位の貴族だ。しかも王の従弟と言う。まかり間違って手傷でも負わせれば首が飛びかねない。ミルテシアならばそう考える。ラクルーサでは、違うのか。 「うわ!」 室内から声が上がる。兵の一人だろう、あまりの凄まじさに目を覆ってしまったらしい。わからなくはない、騎士は思う。決して殺し合いではない、鍛錬の一つである試合だ、騎士として、それは理解できる。だが公爵相手に。それが理解できない。公爵もまた、真剣に立ち合っているのだろう。目の輝きが違った。 ――勝てない。 ミルテシアとラクルーサ、国力に差はないだろう。だがしかし、あの公爵が戦場に立ったとき、自分は勝てる気がしない。騎士は思う。否、騎士たちが。否々兵たちが。その場のミルテシア勢のすべてが。 「アリステア」 物陰から声がした。公爵を呼ぶ声の無造作な響き。剣を引き、公爵が声の主を迎える。その時になってようやく姿が見えた。やはり、ミルテシア騎士は思う。国王リーンハルトの金髪が見えた。部屋の中からははっきりとは窺えない。それでも鮮やかな金の髪は見てとれる。 「従兄上!」 屈託のない声だと騎士たちは思った。国の貴族ならばどうするだろう、想起する。公爵位にあると同時に彼は王族の一人でもある。事実、王子の称号をも有すると知るものも中にはいた。 ならば自国の王族は。国王を前にどのような態度を取るだろう。ビンチェンツオという、側室から生まれたとはいえ王子である男の騎士たちはまた王宮にも程近い場所にいる。高位の貴族を見慣れてもいた。 だからこそのあり得ない景色を見た。スクレイド公爵は忠誠をあらわにしたりしなかった。膝をついて出迎えたりもしなかった。ゆえに強い憧憬。幼子のように無垢な尊崇。真っ直ぐと憧れる眼差しが彼の王を迎える様。 「鍛錬か?」 「えぇ。近衛はよい使い手が多い。さすが従兄上のお側近くにいる騎士と感嘆しました」 「ほう、それは嬉しいことを聞く。――どうだ?」 「閣下はあまりにも素晴らしく存じます。我々では勝利の目はなく」 無念そうな近衛騎士だった。勝つ気でいたのか、ミルテシア騎士は愕然とする。また勝ってもよいのか、とも。高位の貴族に騎士が勝つなど、たとえ近衛であろうともあり得ないというのに。 「陛下、ぜひ我々の仇を取ってくださいませ!」 「お館様、ここは力量を発揮なさる場面ですぞ!」 双方の騎士が二人をけしかける。まるでラクルーサの王宮にいるかのような風景だった、彼らにとっては。多少くつろいですらいる。双方の騎士は二人を誤解などしないせい。 「ではアリステア。一手指南していただこうか」 「とんでもない。ご指南くださいませ」 にやりと笑った二人が剣を構える。騎士たちが囲み、やんやと上がる歓声。ビンチェンツオの手勢は口まで開けたままその立ち合いを見ていた。いつまでも、勝負が終わるまで。三本立ち合い、二本を国王が取った。 「危ないところだった。また腕を上げたか?」 「従兄上も、変わらず素晴らしい。もう少し鍛錬に励まねば、負け続けになりそうですよ」 「なんの、そろそろ抜かされそうだ」 にやりと笑ったのだろう国王の声音。それを笑って受ける公爵。無理だと否応なしにミルテシア勢は悟らされた。この二人に勝てるはずがないと。あれこそラクルーサの双輪。彼らがいる限りラクルーサは無敵ではないのかとすら感じた。 捕虜の部屋から見られているのは知っていた、二人とも。見せている二人でもある。目を見かわし苦笑とうなずきと。戻っていく最後まで、室内からの視線に追われているのも感じていた。 |