ビンチェンツオの手勢たる騎士たち兵たちは、砦の大きな部屋にひとまとめにしておかれていた。まるでひしめくよう、詰め込まれている。騎士たちはまだよかったのだけれど、兵たちの動揺は激しい。
 ――シャルマークに送られる。陛下がそれをお許しになった。
 そのような噂話が聞こえてきていた。シャルマークと言えば、最前線だった。それも人間ではない、異形の魔物たちとの。行けばほぼ確実に死ぬ。ラクルーサ兵の生きた楯として使われて、無様に犬死するしかない。
「貴様ら、動揺するな!」
 騎士たちがひそひそと話す兵たちを一喝したけれど、兵たちは静かな眼差し。冷ややかですらあった。騎士たちと自分たちは違う、そんな眼差しに騎士こそが怯んでしまった。
 兵たちの不安もいわば当然のもの。騎士ならば、使い潰すにも限度というものがある。甲冑と剣と槍とを与えられ、華々しく散ることを彼らは望みすらするだろう。けれど兵は。ただ殺されるだけ。その恐怖はいかばかりか。
「そのようなことにはならんと言っているだろうが!」
 主立った者の一人だろうか。先ほどから兵をたしなめている騎士だった。兵からの信任は篤い、否、篤かったと見える。それでも兵たちはいまなお彼の話を聞こうとはしているのだから。
「ですが……」
「なんだ!?」
「王子殿下を、陛下は――」
「そうだそうだ。我が国の王子ではないと仰せになったって」
「ご側室の前の夫の子だって、陛下は仰せになったって」
 まだ年若い兵たちから上がる声。それに騎士は言葉もない。騎士たちにも、それは伝えられていた。事実として。ラクルーサもそのあたりは抜かりがない。ミルテシア側からの正式な書状を騎士たちには回覧させている。その上でシャルマーク送りの風聞。これが効いていた。
「王子様ですら、お見捨てに……」
「陛下は殿下をお見捨てになるようなことはないと言っているだろう!」
「でも――」
 それきり兵は黙り込む。ありがたいほどだった、騎士にとっては。本当は、反論の余地がない。いかに策略であったとしても、ビンチェンツオを国王が我が子ではない、と否定した事実は残る。彼が無事に解放されても、ビンチェンツオは終わったも同然だった。同時に、彼に仕える騎士たちの人生も。
 いまビンチェンツオはどうしていることか。騎士たちは不安に思う。さすがにこの部屋に彼はいない。いれば兵がここまで騒ぐことはなかったかもしれない。逆に、更に大きな騒動になったかもしれない。騎士たちの目にもおののきが浮かんでは消える。
 それを見澄ましていたアリステアだった。風聞が充分に行き渡り、兵に動揺が満ちたころ。アリステアは捕虜たちの下を訪れる。何気なく、供すら連れずに平服で。ラクルーサの騎士の一人が見に来た、とでもいう様子。
「な……っ」
 さすがに扉を守る騎士が息を飲む。スクレイド公爵自らが視察か。そうも思ったけれど、意味はないような気もする。
「静かに。私は何者でもない。いいな?」
 にやりと笑った公爵に騎士は目を丸くする。そして口許に浮かぶ笑み。何かを公爵は考えているのだろう。ならば、と騎士は扉を守り続けるのみ。それでいい、とアリステアは一人室内へ。さすがに扉を守る騎士が誰かに知らせたのだろう、すぐにグレンが飛んできたが。
 何を言うべきか、迷った挙句にグレンは無言になって主人を見つめていた。お館様、そう呼びかけようとしたのはアリステアにもわかる。が、グレンは扉を守る騎士にアリステアは手出し無用を告げた、と聞かされていた。おかげでグレンまで言葉を封じられることになる。そんな自らの騎士にアリステアはただ笑った。
「……何者だ」
 ぼそぼそと話す声が聞こえる。大きな部屋ではあったけれど、これほどの人数が詰め込まれていては窮屈だろうとアリステアは思う。もっとも快適を約束してやる気はなかったが。
 付き従うグレンは、はらはらとしているのだろう。それをミルテシアの騎士たちが訝しげに見ている様。これは失敗するかな、とアリステアは内心で肩をすくめる。が、アリステアにとっては幸いなことに怪我人がいた。
「怪我をしているな?」
 兵の一人、まだ若い兵だった。頬など赤みが抜けていない、田舎から出てきたばかりで捕虜になってしまったとでも言うような。
「放っておいてくれ!」
 さらに酷い傷を与えられる、と思い込んででもいるのだろうか。腕を抱えて叫んだけれど、その拍子に傷が痛んだのだろう。額に脂汗が滲んだ。
「よいから見せろ」
 兵の腕を強引に取れば、声にならない悲鳴があがった。よほど酷いらしい。アリステアは思わず顔を顰めてしまう。
「グレン――」
「一応の手当てはしたはずなのですが……」
「見せなかったものもいると?」
 それは避けられないことです、と腹心の騎士が目顔で言う。気持ちはわからなくはないアリステアだった。敵の手当てなど信じられない、かえって酷い目に合わされる、そう考えるのは不思議でもなんでもない。
「誰か手を貸せ。グレン、俺の背中に」
 ミルテシアの騎士たちがいまにも飛びかかってきそうな顔をしていた。武装解除はしているが、アリステアはグレンと二人きり。多勢に無勢にもほどがある。青い顔をしたグレンを背後に置き、アリステアは兵を取り押さえる。
「手荒な真似をさせるな、愚か者。手当てをすると言っているだろうが」
「でも……!」
「黙っていろ、いいから」
 かすかに笑ったラクルーサの騎士の顔。それに兵の一人が手を貸した。仲間の肩を押さえ、その体を支える。ぎょっとした怪我人が、仲間を振り仰ぎ、目で訴えかけているその間に。
 アリステアの詠唱が低く聞こえた。兵の驚きの顔。グレンは騎士たちを牽制するのに手いっぱいだった。もし暴力に及ぶのならば、こちらにも手段はあると剣の柄に手をかけたまま。
「あ……っ!」
 誰の声だったか。少なくとも、兵の声だ。仲間の顔色が、よくなっていく。その声に、当の怪我人が恐る恐ると自分の腕を動かした。
「い、痛くない……! 痛くない!? 嘘だろう!? 折れてたんだぞ!」
「骨折していればそれは痛いだろうに。まったく」
 嘆かわしい、と言いたげな顔をしたアリステアは立ち上がる。実に無造作に怪我を癒してしまった。そして周囲を見回した。
「他に怪我人は?」
 その言葉に。あるいは笑みに。ミルテシアの兵が陥落した。騎士たちの顔を窺いながら、おずおずと上がっていく手。騎士たちの憤怒の顔。
「敵の施しを受けるか、貴様ら――!」
「敵も味方もあるまいよ。怪我の手当てくらい、してやって悪いことはなかろう」
「貴様――!」
 いまにもアリステアに掴みかかりそうな騎士だった。けれど兵たちにはわからない。なぜ、その騎士が唐突に足を止めたのかは。アリステアの背中を見ていた兵は気づかない。
 ――さすが、お館様。
 眼光一つ。それも笑みを含んだままの眼差しで。アリステアは騎士を足止めしていた。国王リーンハルトと並び立つ武勇の持ち主にしてマルサド神の武闘神官。その本領を見た思いでグレンは歓喜のうちに身を震わせる。
「並んだ並んだ。一度には見られないぞ?」
 アリステアは何気なく兵を振り返り、和やかな眼差しで怪我人を看て行く。時には神聖呪文を詠唱し、時にはただ傷薬を与える。熱のある者には薬湯を準備するようグレンに申しつけ。まるで本物の看護人のよう。
 ――神官としては、放置は出来かねましたか。
 それほど優しい心持ちでしたこと、とはグレンは思ってはいない。これもまた、リーンハルトのためとグレンは悟っている。ただそれでも、最初の一人で充分だったはずだ、ラクルーサの恩を見せるのは。けれどアリステアは見てしまったのだろう、多くの苦しむ者たちを。
「傷薬が足らんな。誰かに言いつけてくれるか」
「かしこまりました」
「あぁ……言うなよ?」
「誰にです?」
「誰にも、だ。こんなことしてると聞かれたら雷を落とされるだろうが?」
 にやりと笑ったアリステアにミルテシアの兵たちの憧れの眼差し。自分たちの騎士はこのようなことをしてくれなかった、とでも言いたげ。下心のあるアリステアとしては心苦しいばかりだったが。
 リーンハルトには、兵を落としてくる、とは言ってある。リーンハルト本人がここに来てもよかったのだけれど、事実彼自身はそう言ったのだけれど、アリステアがそれはさせなかった。万が一と言うことがある。
 ――そもそも騎士が従兄上の顔を見知っていないとは限らん。
 知られていては作戦としては失敗だ。スクレイド公爵の顔を知るものがいない保証もなかったけれど、幸いにして平服姿のアリステアだ、気づかれてはいない。
 レクランにも、秘密にしている。本当は息子の手を借りたい気持ちにはなっている、アリステアも。ここまで怪我人が多いとは正直に言って予想外だ。神聖呪文の詠唱は真言葉魔法の詠唱と似て非なるもの。だが疲労と言う意味では大差はない。アリステアも己の体力を削って治療に励んでいる。レクランの手があれば、と一度ならず思った。
 ――借りるわけにもいかんな。
 息子がマルサド神に恩寵を賜った、熟練の神官にも匹敵する使い手だとは、まだラクルーサ国内にこそ知られたくないアリステアとリーンハルトだ。致し方なくアリステアは一人で怪我人を見続ける。
「……手伝おう」
 ついにはミルテシアの騎士の一人が言い出した。自分たちの兵が看護される中呆けているのはいかにも間が抜けている、と気づいたらしい。
「おう。助かる」
 磊落な騎士だとミルテシアの騎士たちは思う。この相手と戦ったのかと。負けたのも当然かもしれない、ふとそんなことを思うものまでいた。
「なにかあれば扉のところに誰かがいる。申し出ればいい。わかったな?」
 グレンが戻り、傷薬も薬湯もすべてを手配し終えた。怪我人はもう全員が治療を施された。そこまでしてアリステアは部屋を立ち去る。
 その晩。夕食を持ってきたものに恐る恐る尋ねた兵は卒倒しそうになっていた。騎士も顔色を失くしている。
「怪我を看てくださった騎士様に、お礼を申し上げてください。みながよくなったと。あれは、いったいどなたさまでしたのでしょう?」
 聞いてもわからないけれど、せめて恩人の名を記憶していたい。そう言った兵士にラクルーサの騎士は苦笑する。
「スクレイド公爵にして陛下の御従弟、アリステア様ですよ」
 絶句が音の漣となって室内を満たして行く。兵と騎士とが顔を見合わせ。ぞくりと背筋に震えを感じていた。




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