レクラン公子の初陣とあり、まして国王リーンハルトと軍旅を共にする。スクレイド公爵家の騎士団の士気は高い。近衛もまた、強壮を誇る騎士団に負けまいと意気軒高だった。
 その先頭を走っているのは、あろうことか国王本人と公爵自身。他の貴族の騎士団が見れば目を疑うに違いない。だが騎士たちは知っている、みな知っている。彼ら二人の優れた技量と胆力を。いまも馬を走らせるその腕の凄まじさ。騎士たちが遅れかねなかった。いまはただ、ひとえに時間が物を言う。その中で、けれど二人は悠然と会話をする余裕すらあった。そうすることで騎士たちに落ち着きを与えようとでも言うように。
「レクランはずいぶんと馬がうまいな」
 さすがに小馬ではこの速さに追いつけない。アンドレアスはレクランと相乗りだった。子供二人と完全武装の騎士とでは、子供たちの方が遥かに軽い。それをおくとしてもレクランは迷うことなく手綱を操り、遅滞なく軍についてくる。はじめて武装しているというのに、だ。
「鍛えられましたね、ずいぶんと」
「お前ではないのか?」
「違いますよ。神殿でしょう」
 直接に手ほどきをした経験があまりなかった。レクランは長く母と共にあったせいもある。引き離すべきだった、と思ってもそのときには手遅れで、結果として反乱直前までレクランは母親と共にあった。妻のいる場所には断じて近づきたがらなかったアリステアとしては、子息の養育が疎かになったことを悔いてもいる。
「そのわりに……レクランはお前によく似ているよ。佇まいも、考え方も」
 エレクトラの影響など皆無だ、とリーンハルトは思う。あるいは彼女と共にあったからこそ、父の方に惹かれたかと思うほどに。それにはアリステアも苦笑するだけだった。
「あの時の太刀筋を見たか?」
 ロックウォールの首を一刀の下に落として見せたあの技量。軟弱の柔弱のと罵った男の、幼少の息子に殺されたロックウォールは最後まで己への処遇が理解できなかったのではないだろうか。
「中々だ、と言っておきます」
 アリステアは息子が慢心しかねないから、とそんな風に笑った。慢心するようなレクランではない、と知りつつも。リーンハルトが褒めてくれるからこそ、父としては息子を厳しくしたくなる。もっとも、そのようなことができるほど近しい父子か、と言われれば悩むが。
 ――なぜレクランは母ではなく父を慕った?
 アリステアのそんな表情に子というものは近くにある親を慕うものと思い込んでいる様子をリーンハルトは見てとった。思わず馬上でふ、と笑う。
「従兄上?」
「お前はウィリアを慕ったか? 近くにいただろう?」
「それは――」
「父君は早くに亡くなられて、お前の傍らには母親がいた。どうだ?」
 近いというならば母親のほうがずっと近かっただろう。リーンハルトは笑う。距離ではないのだ、と言いたいのかもしれなかった。レクランはただ父を慕い、父のようになりたいと願っただけだろうと。
「お前はどちらになりたかった?」
「どちらにも。俺は俺でありたかったですよ。従兄上のお側にお仕えして、第一の臣と呼ばれて従兄上をお守りする。それが望みでした。子供のころからね」
 速い風に流されて、馬上の会話など騎士たちには聞こえない。アリステアの素のままの言葉はそのせいに違いない。軽く笑って見せるのもまた。
 同時に、リーンハルトは焦燥を感じてもいた。アリステアがそうして笑う、だからこそ、一刻も早く軍を進ませる。その意志を強く感じる。また少し、馬の足が速くなる。もうしばらくすれば、歩かせてやらねばならないだろう。
「私はな、レクランのあの一撃は、マルサド神の怒りの一撃かと思ったよ」
 それほど凄まじい太刀筋だった。アリステアに似た太刀筋でもある。ゆえに、リーンハルトにとっては神の一撃。ちらりとアリステアの腰の剣を見やる。
「お前に似た太刀筋だったからな。よけいにそう思うのかもしれない」
「似てましたか?」
「子供のころのお前にな」
 自分ではそうとは感じていなかったのだろう、アリステアが小さく笑う。くすぐったそうな笑いだった。幼いころはとにかく弱い子供だった。年齢差以上にリーンハルトに守ってもらってばかりだった、そんな思い出ばかりがある。剣だとて、勝てた覚えなど一度もない。
「お前はみるみると伸びて行ったからな」
 アリステアの父王が亡くなる直前のことだった。目を見張るばかりに上達したアリステア。そしてそのままマルサド神殿に入って神官となった。
 あれをリーンハルトは少し恨んでいる。寂しかったのだと、いまならば認められた。傍らにあって欲しかった。そうはできなかったと、いまは理解している。それでもなおそう思う。
「あれは、神の手だったと思うか?」
 一つ首を振り、リーンハルトは思いを振り切る。すべては済んだこと。いまここにアリステアがいる。隣にいる男を失わないためにも、この一戦は勝つ必要がある。自らが玉座に確固としてあれば、アリステアもまた堅固に立ち続けられると知るがゆえに。
「いいえ」
 それがアリステアの即答だった。リーンハルトが驚くほどの真っ直ぐな返答。アリステアは神官として何かを見ていたのか、目顔で問えば見ていた、と返答が返ってくる。
「なにも見えなかった、というものが見えていましたよ、従兄上」
「む……?」
「つまりあれはレクランの技量だった、というだけのことです。確かに血の魔術師を滅したのは我らが神でしょう。ですがロックウォールのそれは違う」
 よほど腹を立てていたのだ、とアリステアは思う。レクランの気持ちがアリステアにはよくわかっていた。もしも、とアリステアは思う。アンドレアスに浴びせられた言葉がリーンハルトに向けられたものであったのならば。彼の身を穢す、と嬉々として言われたのであったのならば。
「アリステア」
「はい?」
「馬が怯えるような顔をするな」
「……見えないと思いますが」
「気配に馬が怯えていたぞ」
 からりと笑うリーンハルトに救われた。それほど凄まじい顔つきをしていたか、と思って首をかしげたものの、実際に馬の挙動がおかしい。慌てず騒がず手綱を取る。すぐさま馬は静まった。
「アンドレアスは、良き友を得たと思うよ。私は」
「そうあって欲しいですね」
 レクランがこのままずっとアンドレアス王子を守っていかれるかどうか。それはこの戦いにかかっている。アンドレアスが玉座に就いてなおレクランを友と呼び続けることができるかどうかも。
「レクランはよい男になる。神官としても、公爵としても」
 いずれ遠いいつかは。自分たちが去ったのちは。そのときのため、できる限り道を平坦にしておいてやりたいと願うのはやはり親ならではか。ちらりとリーンハルトは笑い馬に鞭を当てた。
「では私もお褒めいただけるよう、励みますか」
 アリステアも。速度の上がった主人たちに騎士たちがさっと続く。レクランはアンドレアスを乗せたまま、一瞬たりとも遅れずついていた。
 ミルテシア側は、そんなことになっているなど露知らない。ビンチェンツオ王子がラクルーサの虜を確保したと知らせてくるのを待っていた。王子の手勢がこの国境大河に程近い砦に集まりつつある。
 あのときビンチェンツオはレクランたちに五日はかかるだろう、と言った。あれから四日が経っている。ほぼ手勢は揃いつつあるはずだった、ビンチェンツオの予想では。
 だがしかし。砦に入ったのはまだ半数程度。ビンチェンツオの独走が原因だった。国王も知らないうちに事を起こし、手柄を引っ提げて帰還しようとしたがゆえに。
 ――幸いだったな。
 アリステアは五日目の明け方、まだ暗い木立の中からそれを見ている。隣には当然の顔をしたリーンハルトが。斥候に王がついてくるな、と言えば公爵がするようなものかと言われるのはわかっているからアリステアは何も言わない。幸か不幸か、リーンハルトは物音を立てずに歩くことができる、剣の技の冴えと共に。軽くうなずきあって、配下と共に戻る。
 前夜半のことだった。国境大河の渡河点は多くはない。それを押さえるために激戦になることもしばしばだ。ラクルーサ側が押さえている渡河点から、一気に渡った彼らだった。それも馬には木の板を噛ませ、嘶きひとつ立てさせない慎重ぶり。まったく音を立てずに渡り終え、今度は素早く藁で編んだ靴を履かせては蹄の音を消す。そして灯りもつけずにひた走る。先行している騎士たちが軍を導き、一人また一人と集結する。
 ミルテシア側は、その動きの一切を掴めなかった。のんびりとビンチェンツオの手勢が集まるのを待っている。当のビンチェンツオはラクルーサ軍の中にあって厳重に拘束されているというのに。声も出せないよう猿轡を噛まされたまま荷物のように運ばれている王子だった。何度となく声を上げようとしたのだろう、猿轡がどろどろになっている。
「従弟殿。頼みがある」
 急造の陣に戻り、リーンハルトはビンチェンツオを見下ろしてはアリステアを見やる。万が一を懸念していた。
「不快なことだとは思うが――」
「みなまで仰せになりますな。我が手は陛下の御為に」
 にこりと笑ったアリステアはレクランを呼び寄せる。手伝わせようとしたのではない。見ておけと。アンドレアスもまた友と共に父たちのすることをじっと見ていた。
「ぐ……ぅ……っ」
 ビンチェンツオのくぐもった呪いのような声。転がされたままアリステアを睨みつける。確かに危険だった。これから突入を開始する。その際に、もしも声の一つでも上げられたならば、こちらの方が他国にいる以上、危険になる。
 アリステアの灰色の目が静謐に。口許には軽い微笑。まるで侮るようだ、と感じたのはビンチェンツオが他者をそのような目で見続けてきたせいだろう。アリステアの静かな詠唱はレクランですら聞き取りにくいほど低く、短い。
「あ……」
 アンドレアスの驚きの声だった、それは。耳を憚って、小さなそれではある。それでも彼は悔いるよう口許に手を当てていた。
「気をつけるようにな」
 ぽん、とその頭上に乗せられた父の手。アンドレアスはこくりとうなずく。その彼らの前、ビンチェンツオは身じろぎひとつかなわず、声など出せずにわななく。猿轡をとられてさえ。いま彼の身は、アリステアの意のままだった。




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