フロウライトが見たもの。それは風にはためくスクレイド公爵家の旗。のみならず――ラクルーサ王旗。ずらりと並んだ軍勢に、フロウライトは言葉もない。 時間は少し遡る。離宮に突入するとしてあった軍勢すべてがアリステアの下に到着したのは夜明けのことだった。フロウライトの小城、国境大河の砦、それぞれに向かった軍から少数ずつが離脱し、あるいは入れ替わり、主人の下へと馳せ参じた。 「朝、だな――」 アリステアはじりじりとしながら待っている。夜明け間近に集結したこともあり、いまから夜討ちをするのは無理だった。多少であっても騎士たちには休息を取らせねばならない。 「お館様。焦られますな」 グレンのたしなめにアリステアが苦笑した、正にその時。騎士たちが騒めく。離宮に届くことないよう、抑えた声ではあった。だが確かに。 立ち上がり、斥候を出そうとしたアリステアは絶句する。駆けてきた一群の騎士に見覚え。近衛騎士団を寄越してくれたのであれば、どれほどありがたいことか。確かに彼らは近衛騎士団。だがしかし、その中に夜目にも鮮やかな金の髪。 「従兄上!?」 なぜここに国王がいる。近衛は何をやっていたと責めたい気持ちが半分はある。無論、大半はリーンハルト本人を責めたい。 「従弟殿。壮健にしていたか」 続々と到着する近衛騎士団。ただ、一隊だけを率いているのだろうとアリステアは察する。いかにも軽装にすぎた、王の軍としては。およそ、近くに潜ませているのだろう。 「従兄上。何をしておいでだ!?」 近衛騎士が聞かなかったふりをした。そうしてくれることがいまは実にありがたいアリステアだった。リーンハルトは気にした素振りもない。 「軟弱な同性愛者と言われては私もいささか不快でな」 ならばこの剣を味わえ、とリーンハルトはにやりと口許で笑った。不快は理解する。アリステアとて同様だ。だが王が玉座を離れていいと思っているのか。アリステアの目にそれを読み取ったリーンハルトの昏い蒼の目。かすかに詫びる。 「王子を救出に赴くのに私が玉座に座っているだけ、というのも、な」 「陛下はそうあられますように」 「そう言うな。私とて血が滾ることはある」 そもそもここまで来てしまったものを今更帰れと言っても離宮に察知されるのが落ちだ。アリステアは苦々しい顔をせぬよう心掛けながら、リーンハルトに深い礼をした。 「土産話もあるぞ。聞くか?」 「……承ります」 「従弟殿が探り出した拠点のうち、二カ所は潰してきた」 「……はい?」 「フロウライトの小城はすでに私が赴いて潰した。砦の方はそろそろ潰れるだろう。伝令が落ちる間近、と言ってきたから私もこちらに来たのだからな」 「……従兄上」 「従弟殿はこの離宮を包囲していたのだろう?」 相手に気づかせることなく、それでいて確実に包囲をしていたとリーンハルトは疑っていない。ならばフロウライトに伝令が走る気遣いはない。走ったとしても、それは確実にアリステアが捕えている。フロウライトに情報が伝わらなければそれでよい、リーンハルトはそう割り切って相手の兵を潰してきた。 「再度挙兵されると厄介だからな」 もっともな言ではある。が、それを国王自らするな、とアリステアは言いたい。誰ぞに命ずればよかったものを。 とはいえ、アリステアにもわかってはいる。電撃戦で確実に殲滅する、それはリーンハルト以外には重荷が過ぎただろう。リーンハルトだからこそ、短時間かつ気取られることなく潰し得た。再結集を防ぐという意味でこれ以上ない正解ではあった。 「さて、朝には突入かね?」 「そのつもりです」 「では任せた」 「陛下はいずれにおわしますか」 「従弟殿に指揮は任せる、と言っているのさ」 片目をつぶりリーンハルトは笑ってみせる。近衛騎士団がスクレイド公の指揮やいかに、と目を輝かせているのだからこちらの方がよほど厄介だとアリステアは内心で溜息をつく。 「従弟殿はお忘れかな。お前はマルサド神御自ら剣を授けた、現世においての軍神とも見做されているのだぞ?」 「それは私ではなく陛下にこそ相応しいと存じますが」 「私は軍神の守護を得ているのだそうだ」 これ以上なく心強いことだろう、リーンハルトは笑ってみせる。近衛騎士たち、スクレイドの騎士たち双方がそんな二人を眩しげに見ていた。朝までしばし、あとは言葉も控えがち。 「従弟殿」 「……なんですか」 グレンも離れ、近衛も離れた。多少であっても休息を、という彼らの心遣い。アリステアの目は真っ直ぐと離宮を見ている。 「そう、怒るな」 「怒っています」 「……そこは怒ってなど、と言うところではないのか」 「怒っていますから。従兄上は何をお考えなのか。まったく」 「玉座でのんびりしているのは性に合わないのだよ。知っているだろうに」 「知ってはいますが。こんなところにまでお出ましとは」 騎士たちの耳があるからではない。アリステアの硬い口調はそれだけ彼の怒りを物語っていた。リーンハルトとて、突然に軍を率いて行けばアリステアがどう感じるかは理解していた。それでもなお、自らの思うところを通した。 何も冗談で言ったわけではなかった、先ほどの言は。軟弱な同性愛者、と今後も言われ続けるのならば国家の運営に支障をきたす。アリステアという最愛の伴侶があろうとも、リーンハルト王は強大な国王であると示さねばならない。それをわずらわしく思う気持ちはないとは言わない。が、それが王の重責の一部だと、彼は心得ているだけだった。 「中にアンドレアスはいるのだろう?」 まるでアリステアが確かめていないはずがない、と言わんばかりの口調だった。並んで座り、ただそこにいるだけ。手を繋ぐでも肩を寄せるでもない。それがどうしてだろう。いつになく近々とリーンハルトを感じるのは。アリステアの口許がふと緩み、リーンハルトに向けてかすかに微笑む。 「おいでですよ。潜入は、危険が過ぎるのでやらせていませんがね」 斥候が見つかる危険性ではない。それが見つかったことによって、こちらの軍勢を発見されれば一巻の終わりだ。スクレイド公爵軍にとって、勝機があるのは一瞬のみ。気づかれるより先に突入し、アンドレアス王子を即座に確保する、それしかなかった。もし先に発見されれば王子が人質に取られるだけだ。 「聖印が、ありますから」 その聖印にアリステアは異常を感じていた。なにも不安なものではない。むしろ神のお力を強く感じていた。マルサド神が、レクランの祈りに応えてくださっている、それを感じていた。 レクランが知らせてきた短い言葉。ロックウォールにウィリアが取り憑いているとの。レクランならばいかにするか、父には理解ができる。 「死霊の退散というのは、難しいものなのだろう?」 「それだけならばさほど。神官にとっては、ですが。ただ――」 自ら死霊と化したとしか思えないウィリアだった。血の魔術師の協力があり、ロックウォールに取り憑いているという現状があり、アリステアには察するものがある。あの海上修道院の死者たち。ウィリアの侍女に修道院長。あの二人は、贄として捧げられたのではないかと。ならばこそ、レクランの負担が大き過ぎる。幼い身で、修行が進んでいるわけでもない。マルサド神のお声を殊の外よく聞き分けている様子ではある。ただ、それでも。 「レクランも、なんとしても助けねば」 「王子が先です。息子のことはどうでもよい」 「私が、よくないのだ、従弟殿」 アリステアは周囲をちらりと見回した。騎士たちは誰もこちらを見ていない。遠慮なくリーンハルトを睨み据えた。 「従兄上は、国王陛下でいらっしゃる」 「だからこそ、我が臣下を見捨てるような真似を私にさせるな」 「……心得ました」 「順番は、心得ているつもりだよ、従弟殿。だが切り捨てる真似はせん」 愛する人の息子だから救いたいなどとは言っていない。リーンハルトの断言の中、裏側の意味をアリステアは聞く。小さく溜息をついた。 「優先順位をお守りくださるのならば、よいのです」 「私とて馬鹿ではないぞ?」 肩をすくめ、リーンハルトもまた離宮を見据えた。あの場に、王子とレクランがいる。囚われ、反逆者どもの餌食となって。国内ではレクランもまたあちらに加担した、と言われている。フロウライト側もそう風聞を流している。二人の間では一度もそれを信じたことはない。 「少し休む。肩を貸せ」 返答を聞くより先にリーンハルトはアリステアの肩先に頭を預けた。じっと座り続けるアリステアにもたれ、リーンハルトはしばしの休息を。彼が眠らないだろうとは知っていた。軍の態勢が整うのをアリステアは待っていただけだと。離れていても、言葉など交わさなくとも、互いにそれを知っている。 ――従兄上。 かすかな寝息が耳元で。アリステアはそっと微笑む。そうと知ってくれている人がいる。それだけでどれほどの歓喜か。己の片腕のよう、相手が動く。それも互いに。 アリステアがリーンハルトの眠りを守るころ、グレンもまた同じことを考えていた。目につかない場所を選んで主人と王の休息を守っていた彼だった。 ――お二方によって、ラクルーサは華開く。 それを確信するグレンもまた、気づけば眼差しを離宮に。皓々とつけられた明かりの中、囚われた公子と王子がいると思えばこそ。 近衛騎士団をも再編成し、早朝の突入が遅れたがかえって戦意は高い。フロウライトにとって不幸としか言いようがなかった。言い逃れひとつ許さぬ、眼前の軍から感じる強い意志。 「へ、陛下……」 ましてや王旗が翻る。申し開きなど無駄と悟ったフロウライトは騎士たちに叱咤をくれては軍に向かって疾駆する。軍の中から駆け出してきた一騎、否、二騎。陽に輝く金の髪。すぐさま追いついた神官姿。 言葉一つなかった。怒涛の勢いで走り込んできた騎馬二騎。すぐさま軍が続く。アリステアに突進したフロウライトの騎士は正に鎧袖一触、剣の一振りで切り捨てられ。 悲鳴を飲むことも忘れ、フロウライトは剣を構える。手の届くところに迫ったリーンハルト王。剣を掲げるより先、肩口から斜めに切り下され、そして追いついてきたスクレイド公の一撃が首を刎ね飛ばしていた。 |