目標はフロウライトの小城、と相手方は思ったことだろう。事実、アリステアの騎士たちはそう思わせるよう、最大限の努力をしている。アンドレアス救出のため、時間はかけられない。だからこそ急行する、ために兵が脱落しようとも。 「うまく行ってるな」 アリステア率いる本隊は、すでに放棄された離宮の側まで来ていた。その周辺、見つからないよう少数に分かれた兵たちが散開している。別働隊から脱落したように見せ、アリステアの本隊に合流している彼らだった。その本隊すら、元の本隊ではない。アリステアとグレンの方が脱落した兵に混じって離宮への軍に合流していた。 フロウライトの一門は、元々が武門の家というわけではない。おかげで斥候の技に長けたもの、軍事に優れたものが多くない。もっとも、ロックウォールという例外はあるし、血の魔術師がいる。アリステアも油断はしていない。だが、多くの兵を見張れるほどの人員がいないのは確かだ、と調査が告げていた。 「亡霊騒ぎがあったと、聞きましたが?」 グレンがしばしの休息に、とアリステアに水を差し出す。ありがたく受け取り飲めば、生き返るよう。それほどの強行軍でここまで走った。 「あったらしいな。私は知らんが。ウィリアがしたことかもしれないと、いまは思っている」 自分の目的にいつか利用するために。そのような計画的な女ではなかったとは思うが、いまのアリステアにとっては何を見てもウィリアの介入を疑いたくなるほど。 「疑心暗鬼に陥られますな、お館様」 「わかってはいるのだがな。どうにもいかん」 「ご理解あそばしているのならば大丈夫ですな」 にやりと笑う股肱の臣にアリステアも笑い返す。それだけ、緊張は高まっている。もう少しでアリステアがこの一戦にかける全戦力が集結する。本当ならば、全軍をもってあたりたい。だがそれをすれば、フロウライトが他の二カ所に集めた兵に襲撃を許す。 「まったくもって忌々しい」 ロックウォールか、それとも血の魔術師か。いずれフロウライトは傀儡に落ちていることだろう。斥候が探索してきたところ、フロウライトの姿を最近は見かけていない、と兵たちが噂していると聞き込んできた。長い溜息が、隠れ潜む場所にこだまするような気がして、アリステアはそっと息を詰めて待機に入った。 事実、フロウライトは傀儡となっている。仮にも伯爵として、彼には一門の指揮権がある。だからこそ、殺されていない。すでに全権はロックウォールに移っていたとしても。 「尊き血は、よいものです」 魔術師ドゥヴォワールがにんまりと唇を歪めた。尊貴な血はそれだけで充分な触媒になるのだ、と笑う。 「王の血、父の血。師の血。いずれも素晴らしい。ついで貴族の血もよい。男を知らぬ乙女の血には格別の使い道がある」 朗々と唱えるような声音にロックウォールは笑みと共にうなずき返す。それをフロウライトは見続けていた。己の体だというのに我が意志のまま動かすこともできず。壁際で、ロックウォールと魔術師が話すのを聞いているのみ。 ――これは、本当にアーチボルトか。 父伯爵にも仕えていた、多少血気盛んではあるけれど、忠義に篤い男であった。リーンハルト王への反感を口にすることもあった自分をロックウォールはたしなめたもの。 「いざというときのために、お口になさるな」 と、そうロックウォールは言っていたはず。だが、これは彼が考えた「いざという時」なのか。本当に。背筋が凍るような恐怖をようやくにしてフロウライトは感じる。自らの臣が、別人になり変わっているような。血の魔術師。ちらりと視線を向ければ、三日月のように笑う張り付いた唇。 「お客人の到着だ」 何も見ず、何も聞こえていない。誰が伝えに来たわけでもない。それなのにロックウォールはすらりと立ち上がった。ぞくぞくと背筋が寒い。この場に留まりたい、願うけれど魔術師がロックウォールに従うや否や、フロウライトもまた否応なしに動かされた。 しばしの後、彼らは客を伴いレクランの部屋を訪れていた。部屋の前に立つなり、静まり返る。いずれ、アンドレアスと話でもしていたのだろう、とロックウォールであるウィリアはにんまりと笑う。アンドレアスを殺すときが楽しみだった。充分に苦しませ、レクランの前で殺してやる。死霊たる彼女の念願、執念。ゆえにいまは楽しい時間をやろうとばかり、苦痛をいや増しにするためにこそ。 「失礼。ご機嫌はいかがかな」 ロックウォールが室内に足を踏み入れれば、壁際に立つアンドレアス。いままでレクランと話をしていたと顔に現れている。見てとったぞ、と笑うロックウォールにレクランは微笑み返すだけ。だからなんだとばかりに。 「お客人の紹介をしようと思いましてな」 ロックウォールの背後から現れ出た客にレクランは眉を顰める。どう見ても、身をやつした装い。それでいて、ラクルーサの風俗では断じてない。 「エンツォ殿、と申される」 血の魔術師がなぜかにやりと笑った。アンドレアスは迂闊にもそれを目の当たりに。見るのではなかったと思う。正直に言って、恐ろしい。だがそこでレクランを見つめる。端然と微笑んでいる友人を。 ――お前が頑張ってるから、僕も頑張れる。 内心に誓いを新たにすれば、こちらを見てもいないのにレクランがうなずいた気がした。そのレクランは客を見やりつつ首をかしげる。そして唇で笑う。冷笑するような、あまり彼に似合っているとは言い難い笑み。それでこそ、と言わんばかりにロックウォールが感嘆していた。 「そう言えば……ミルテシア今上陛下の最初のお子でありながら、王妃殿下所生ではなかったがゆえに第一王子とはされなかった方が、ビンチェンツオ、と言われましたね。他意はありませんが」 淡々と微笑み続けるレクランに、エンツォと紹介された男が優雅に笑う。年の頃は二十代も終わりだろうか。青春の盛りは越え、壮年の男の照りまでは遠い、そんな年頃でもある。 「聡明さは厭うところではない。なるほど、そなたがアーチボルトが推す血筋正しい王子、か」 だからどうしたというのか。レクランは自らの正しさを証すよう、真っ直ぐと微笑み続ける。それに一瞬エンツォが怯んだ。確かに彼は、側室を母とした。ゆえに、王冠の約束からは遠い。アンドレアスを献ずれば、父王も見方を変えるだろうが。 「正しいと言っても、数代前の王の孫、というだけであろう?」 「それは、見方によりましょう。我が祖父は正しく王であった。我が父は、不当に王冠を奪われた。もっとも、自らなげうった、とも言えましょうが」 「……ほう」 「私はその父からラクルーサ王家純粋の血を受けている。また母はアントラル大公家の出身。延いてはシャルマーク王家の血をも受ける私のどこが正しくないと?」 主張するのですらなかった、レクランは。ただただ疑問である、と真っ直ぐにそれを表す。まさに正しい血筋を疑われたことが不思議でならないとばかりに。そのあまりにも純な眼差しに、エンツォが今度こそ怯んだ。身が身を顧みれば、正しさとはなんだと問われて回答の持ち合わせがない。 だからこそ、エンツォ、否、ビンチェンツオは次代の王とはされていないのだと、彼にはわからない。血ではない。資質の問題だった。正しさは血ではない、と言い切ることができない彼だからこそ。 レクランは、それを見抜いている。彼自身は口にしたことを微塵も信じてなどいない。自分は王家の藩屏たらんと願い、そうあり続けたいと祈る彼だった。シャルマーク王家云々など、妄言に過ぎない。だが、それが効果的である人々もいるのだとは改めて思う。 ――父上。 いまにして、父が宮廷で苦境に立たされる理由がわかった気がした。レクランは公爵家の嗣子として、充分に過ぎるほどの教育を与えられている。たかが十二歳の子供とは思えない会話法もそのおかげで身につけたもの。その教育で学んだことはいくつもある。自分は、公爵家は、王家の臣下であると徹底して学んだ。レクランには学ぶまでもない当然の理であったがゆえに不思議でもあったものを。いまこうして血筋正しさに拘泥する人間を見て、父の苦境と教育とを思う。だからこそ、あれほどまで徹底されていたのかと。 「こちらが、もう一人の王子か」 エンツォが、レクランに怯んだ我が身を恥じるよう、アンドレアスを見やる。自分より下がいる、そんな目をしていた。嫌な目で笑う、レクランは顔を顰めないよう精一杯。ドゥヴォワールが唇を歪めたのが目に入らないほどに。 「所詮は男狂いの父の息子よ」 ロックウォールの罵言にフロウライトが顔を歪めた、リーンハルトを罵るとはとばかりに。だがフロウライトも同じことを言っていたはず。レクランは忘れてはいない。 ――間隙が、できている? 何があったかは、わからない。主導権争いに、負けているのははじめからだったようにレクランには見えていたのだが。念のために、とレクランは記憶しておくに留める。 できることならば。ロックウォールをなんとかしたいものだった。神官として、レクランは彼にウィリアが取り憑いていると確信している。ならばその死霊を退散させることが急務。ただ、難しかった。まず第一に、死霊を退散させるなど、いまのレクランにはすぐさま実行できるものではない。第二として、ロックウォールは手の届く範囲には決して来ない。いかなレクランでも、難しい問題だった。 「ミルテシア人としては、ラクルーサの方々が何を厭うておいでなのか理解できんがな」 「男と乳繰り合うなんぞ――」 「あれはあれでよいものぞ? もっとも、強制する気はないがね、そなたには」 趣味ではない、エンツォは言い放っては笑った。容貌魁偉なロックウォールはミルテシア人の美感に照らし合わせれば否定材料でしかなかった。 「我が国内に手勢が集合するまで、しばしの時がある。それまで楽しませてもらうこととしようか。よいのだろう、アーチボルト」 「お心のままに」 「待て、アーチボルト!?」 フロウライトの悲鳴じみた声音。おや、とエンツォは彼を見やる。途端に青ざめた理由は知れない。同行している魔術師風の男がにんまりとしていた。 「フロウライト伯爵は、お気づきではなかったのか? ロックウォール子爵の名は、ずいぶんとミルテシア風だとは思わんかね?」 「な……」 「鈍い男もいたものよ」 からからと笑うエンツォにロックウォールは返答しない。ただの偶然だった。はじめからミルテシアに通じていたわけではないと、ロックウォールが彼であったのならば言うだろうに。 「レクラン殿。それを抱いたことはおありかね?」 「まさか。子供ですよ。どうせ抱くなら美女がよい」 「これはあまりにも単純な嗜好よ。ふむ、まぁよい。初めての悲鳴を聞くのは甘美なものだが、それは父上に差し上げることとしようか」 ねぶるようなエンツォの眼差し。アンドレアスは怒りすら見せず、侮蔑も浮かべず。毅然とミルテシアの男を見据え返していた。 |