宮廷中が右往左往していた。アンドレアスをフロウライトの城に、そう積極的に進言した者たちが「自分は関係ない」と釈明に大わらわ。リーンハルトもアリステアも、そのような輩にかまっている暇はない。もっとも、リーンハルトはそちらにも安心するがいい、と言いおいたらしいが。
 アリステアの命で派遣された神官たちが、すぐさまと言っていい勢いで墓所に赴き、真っ青になって帰ってきていた。
「確定、か……」
 アントラル大公処刑の際には気にかけたというのに、ウィリアにはその処置を取っていなかった。死体に神官としてとどめを刺すのみならず死霊化していない確証を得ておくべきであった。後悔しても遅い。
「ウィリア殿が、死霊となって何を企んでいる?」
「従兄上――」
「いや……アンドレアスを誘拐してミルテシアに。それはそれでよい」
 よくはないが、むしろロックウォールの思想としては理解ができる、とリーンハルトは言う。ラクルーサ至上主義者にして稀代の同性愛者嫌い。リーンハルト打倒を企んでアンドレアスを立てようとすることに疑問はない。
「だがな、ミルテシアに、というのがまず解せん」
「他に使える当てがないからでは?」
「ならばそれもいいとしよう。――アリステア、なぜアンドレアスだ?」
「……はい?」
 考えろ、とリーンハルトの目が笑う。誘拐の一報を受けて以来、リーンハルトの目は昏く輝き続けている。アリステアの愛する従兄の目ではなく、国王リーンハルトの目。アリステアもまた寵臣として王の傍らにあり、公爵として藩屏たらんとし続けている。
「ロックウォールにウィリア殿が取り憑いた。それは確定だな?」
「レクランが見たのならば確かでしょう」
 なまじの神官では到達できない場所にすでにレクランはいる。ならば間違ってはいない、アリステアは同じ神官として、断言する。
「ならば、ロックウォールの望みよりウィリア殿の希望が優先されはしないのか?」
「な……」
「ウィリア殿は何を望む? 私を排すること。お前か、レクランを立てること。違うか?」
 ならばなぜアンドレアスは生きている。アンドレアスを立てようとする。それが不可解だ、とリーンハルトは唇をきつく引き結んだ。万が一、アンドレアスが殺害されているのならば、対処はまた変わってくる。そう語る王の眼差し。アリステアは非情な、とは言えない。彼もまた、レクランが死んでいるならば打てる手はどこに、と考えていたのだから。
「……お互いに、因果なものだな」
「このように生まれたのですから。致し方ない義務ですよ、これは」
「とはいえ……な」
 まずは仕事だ、とリーンハルトは肩をすくめつつ、けれどそんなことを言う。柔らかい部分では、彼もまた間違いなく息子の命を案じているのだから。
 宮廷にも、アンドレアス誘拐の件は正式に通達された。問題は、どこに誘拐されて行ったか、だ。すぐさま奪還されてはそれこそ話にならない。向こうも充分にそれは理解しているだろう。いまのところ候補は三カ所にまで絞り込めている。が、そこから先が危うかった。
 また、ミルテシアがどう出てくるか、いまだ宣告がない。半ば戦争状態は続いているものの、ここまであからさまな手に出てくるのならば宣戦布告はあって当然だ。それがいまだない。
 ゆえに、自明の事態でもあった。反アリステア勢が勢いづくのは。すでに反乱を起こしたスクレイド公爵家。ましてアリステアは国王と同じだけの濃い血を受けた王家の一員。アリステアはリーンハルトの父が玉座に就いたその日から常に反逆を疑われていた。それがここにきて噴出する。
「スクレイド公爵は――」
 出陣する、という話ではある。貴族たちはひそひそと語り合っていた。だがしかし、王の信任をよいことに、軍を率いてそのままミルテシアに投降するのではないか、彼は。あちらにはすでに彼の息子がいる。父子でリーンハルト王を打倒し、ラクルーサの玉座を奪うつもりではないか。貴族たちの疑念はもっともなだけにアリステアは反論の余地がない。
「気にするな、従弟殿。私がお前の心を知っている。それで充分だろう」
「は――」
「それより、仕事がある。忙しいぞ、従弟殿」
 にやりと口許で笑うリーンハルトに、いったいどれだけ助けられていることか。アリステアは淡々と執務を続けていた。手の者を派遣し、情報を収集し、分析する。三カ所、と絞ったのも実はアリステアだ。が、それを公表すれば、貴族たちは罠だと言い張る。だからこそ、リーンハルトが調査したことになっているのが、王としては忌々しい限りだった。
 しかも、リーンハルトが懸念していたことが起きた。ミルテシアに与したロックウォールは、レクランを新王に立てるつもりだ、との風聞が立つ。確度は高い噂話だろう、と二人して顔を顰める。
「理に適っているのが忌々しいぞ、従弟殿」
「落ち着いていないでもう少し怒りをお見せください、我が王よ」
「従弟殿に当たり散らして何か益があるか? まして陰謀の的になっているのはレクランだぞ。従弟殿とてつらかろうに」
「私などどうとでも」
 レクランを立てる、ということはアンドレアスは。言わなかった言葉は二人の間でわだかまる。唇を噛んだアリステアを慰めるよう、その背に掌を当てるリーンハルトだった。
「何はともあれ、情報が足らない」
 手の者を派遣し、何がどうなっているのか、少しでも正確な情報を。そうして収集を続けているうちに、ロックウォールとレクランの関係が明らかになる。間違いなく、レクランを立てる気であるのだと。レクランもまた、拒んでいないのだと。
 ――そうすることでしか、殿下を守れなかった、ということだな。
 アリステアにもリーンハルトにも自明のこと。レクランが玉座を望むとは一瞬たりとも考えていない二人だった。
「陛下――!」
 駆け込んできた侍従に謁見が一時中断する。今後アンドレアスをどのように奪還するか、謁見の間で侃々諤々としていてもなにが決まるわけでもないが、貴族の鬱憤晴らしにはなっている。リーンハルトも本質的な軍議は内々に行っていた。無論、貴族の中にミルテシアに通じる者がいないとも限らないせいもある。
「何ごとか!?」
 侍従長に叱責され、使者は身を縮めるようにして玉座の前まで。書状を受け取った侍従が中を改め、そして顔色を変えてリーンハルトに差し出した。
「従弟殿。みなにわかるよう、読み上げてくれるか」
 アリステアは平素と同じく玉座の手前に。不心得者が飛び出そうとも国王を守護できる位置。それはこのようなことが起こってからもまったく変わっていなかった。
「心得ました。――我が王生誕の祝祭にラクルーサ王子アンドレアスの首は供されることであろう、ミルテシアに栄光あれ。以上です」
 アリステアの声音に色は皆無。それだけ強い怒りをリーンハルトは聞いた。我が子ではない。が、慈しんできた王子が、まだ幼い子供が。政争となれば子供の命など軽いもの。事実アントラル大公家の族滅に当たって、子供の命も幾分かは散っている。それを後悔するアリステアではないが、だがアンドレアス。ふつふつと腹の中が滾った。
「スクレイド公爵、アリステア王子。アンドレアス奪還を」
 正式な呼びかけに、廷臣たちも王の怒りを聞いたように思う。ぞわりと肌が粟立ったもの、知らず片膝をついたもの。だが、中には。
「陛下!? スクレイド公爵は……なりませぬ、なりませぬぞ!? あちらには嗣子がいるとのこと。裏切ると言うもおろかではありませぬか!?」
 進み出てきた老齢の貴族にリーンハルトは眼差しを向けるだけ。怒りはなかった。彼もまた、国を思っていることだけは、事実だ。ただ、現状を見よ、とは言いたい。アリステア以外に誰が軍を率い、このような作戦を実行できるというのか。
「従弟殿――」
「いえ、陛下。みなの疑いはもっともなもの」
 ふ、とアリステアが微笑んだ。リーンハルトを振り仰ぎ、灰色の目が柔らかに翳る。咄嗟に止めようとしたリーンハルトは叶わず、アリステアはすでに貴族に向き直っていた。
「剣を取られよ」
 何を、と貴族が目を剥く。御前で戦闘に及ぶつもりか、と言いたげに。アリステアは黙って首を振り、そうではない、と自らの剣を外して貴族に柄を向けた。
「どうぞ」
「……なに、を」
「真実、私が反逆を企むとお思いならば切るがいい」
 アリステア。声にならない悲鳴が聞こえた気がした。リーンハルトは無言で玉座に座したまま、軽く拳を握っている。そう見えるよう心掛け、ぎりぎりと握っている。彼の爪が白いほどになっていると気づいたのは侍従だけ。
「よかろう。その心がけだけは立派なり」
 老貴族がアリステアの剣を取る。謁見の間はしんと静まり返っていた。ざらりと剣を引き抜く音が嫌なものだと、はじめてリーンハルトは思う。アリステアは無防備に老貴族の前に立っていた。
「この者は反逆の輩なり、滅せよ!」
 振りかぶった剣、思い切り振りおろされ。
「おぉ……」
 そしてそのまま、アリステアの頭上でぴたりと止まった。老貴族が止めたのではないことは明らかだった。真っ赤になっていまもまだアリステアを切ろうと渾身の力を込めているというのに。剣は微塵も動きはしない。
「よい」
 つい、と立ちあがったリーンハルトだった。そのまま玉座を下り、リーンハルトは老貴族の手から剣を取り上げる。押すも引くもかなわなかった剣が、王の手に易々と渡る様。貴族は唖然と王を見上げる。
「マルサド神はいまなおアリステア王子を我が守護者、と定めている。――従弟殿、苦労をかける」
 かすかなリーンハルトの笑みを廷臣たちは見た。わざわざ逆手に持ち替えた剣をアリステアに渡す様も。国王ならば、そのまま渡すことになんの問題があろうか。だがしかし、王は公爵を、というよりはむしろ神の剣を敬う。
 廷臣たちはそこでようやくアリステアの剣がマルサド神からの賜りものであったのだ、と思い出していた。あれほどの騒動が起きた授与であったというのに、人は容易く忘れ去るものらしい。それだけアンドレアス誘拐が衝撃であった、ということかもしれないが。
「一言仰せになればよろしいのです。征け、と」
 命じてくださればどこなりと。片膝をつき、アリステアは彼の王を見上げる。リーンハルトもまた最愛の従弟を見下ろす。
「征くがいい。そして勝利と共に我が下に戻れ」
「命に代えましても」
 アンドレアスは助けて見せる。アリステアの決意に貴族たちの半ばは疑わしげな顔をし続けていた。




モドル   ススム   トップへ