オードは深く悔いているらしい。一旦城に戻ったあと、手勢を率いて自ら捜索に赴いた、と聞く。
「見つかると思うか?」
 しばしの休息、としてスクレイド公爵家の部屋にいた二人だった。たまにはこうして茶でも飲まないことにはアリステアの神経がすり減ってしまう。いまではリーンハルトの方が休憩を、と言うこともままあった。
「無理でしょう」
 アリステアの苦笑。オードがどうのではない、と彼は言う。そもそもあの子供がどこの誰だかわかったとしても、それ自体に意味はないとも。
「わかったのか?」
「グレンが調査をしてきましたが――」
 家族を怯えさせることのないよう、グレンは公爵閣下からの褒賞、として甘い菓子を持って行った、と言う。それにリーンハルトはアリステアの心遣いを聞く。彼がこのような男であるからこそ、配下の騎士がそのような態度を示す。ほんのりと微笑んだリーンハルトにアリステアもまた笑みを返した。
「ですが、自宅で焼いた母親手製の菓子であった、とわかっただけです」
 それがどこかですり替わったのか、それとも家族諸共に血の魔術師の一味に加担しているのか。短時間の調査ではわからない。
「グレンは評判のいい一家だった、と言っていましたがね」
 それとて疑えばいくらでも疑える。だからこそ、アリステアは忘れる。そこまで気に留めていては自分の身が持たないと、彼は知り抜いている。いまだとて、限界ぎりぎりまで神経を尖らせている。リーンハルトが気づいてしまうほどに。
「アリステア」
「わかっていますよ。大丈夫です」
「ほら、それだ」
 にんまりとしたリーンハルトの言葉の意味がわからず、アリステアは首をかしげる。向かい合って茶を楽しんでいた二人だったが、リーンハルトは笑みを含んだまま立ち上がり、アリステアの隣へと座を移した。
「従兄上?」
 首を引き寄せ、アリステアに軽くくちづければ戸惑いの気配。この剛毅な男が、ここまで揺らいでいるのを見るのは切ない。それもこれもすべては陰謀を企む何者かのせいと思えば我が身が不甲斐なくなるばかりのリーンハルトだった。
「即答しすぎだったぞ、アリステア」
「あぁ……」
「お前は嘘が上手ではないからな。嘘をつこうとするとき、答えが早くなる」
「お見通しでしたか」
「私を誰だと思っている、可愛い私の従弟殿」
 まったく、アリステアが苦笑してはリーンハルトにくちづけをした。「可愛い従弟殿」と呼ぶ時こそ、リーンハルトの苛立ちまじりの思いを聞くというのに。それこそ本人はあまり意識していないらしい。
「癖、というのは面白いものですな」
「まったくだな。色々探すのが楽しいよ、私は」
 自分のことを言われている、とはやはり思っていないリーンハルトにアリステアは大きく笑った。その明るい笑い声にリーンハルトは慰められる。アリステアがこうして立っている限り、自分はまだ充分に戦うことができる、そう感じるほどに。
「殿下は楽しく過ごしていますかね」
「うん? レクランが一緒なのだからな。その点は案じていないよ」
 アンドレアスがフロウライトの城に発ってからすでに十日が経っている。早馬で駆ければ半日足らずでつく距離だ。何事も言ってこないのならばこそ無事を示す意味であるはずなのだが、やはり不安は尽きない。
 十日間、王城でもあまり動きがないせいもある。日々何かしらが起きていたのだけれど、その数が激減している。アンドレアスの方に何かが起きている、というわけでもない以上、敵の方針が変わったのか、それとも。
「嵐の前の静けさ、のような気がしてな……」
 リーンハルトはそう呟く。息子を囮にしたいわけではない。だが、それを狙って城から出したのもまた事実。フロウライトが王子に危害を加えるはずはない、アンドレアスは彼の権力の源泉ともなる王子だ。ゆえにフロウライトはなりふりかまわず王子を守護するだろう。それでも息子は、無事で戻るだろうか。父として、そればかりは願わずにはいられない。
「レクランが共におります。殿下だけはなんとしても無事にお戻ししてきますとも」
「なぁ、アリステア。私がレクランを犠牲にすることを望むと思うか?」
「思いませんよ。いざというときにはそうなる、というだけのこと。レクランは死んでも影響が少ない。殿下は違う」
「アリステア!」
 非情にすぎる言葉だろう、いまのは。声を荒らげるリーンハルトをアリステアは黙って腕に抱いた。その腕の強さにリーンハルトは後悔をする。アリステアとて、息子の無事を祈っているというのに。なだめるよう背を叩かれ、リーンハルトは息をつく。激昂した己が恥ずかしかった。
「レクランには司教様から授かった聖印を渡してあります」
「うん?」
「我らが神のご加護篤くあるように、と司教様から預かったものなのですよ」
「レクランは、司教殿にも可愛がられているか」
 はい、とアリステアは微笑んだ。優秀な息子、とは言わない。努力を続けている息子がこれでも愛おしいアリステアだった。そのレクランが、全身全霊をかけてアンドレアスを守護しようとしている。もし自分が命じなくとも、レクランは密かにアンドレアスを守護しに向かったことだろうとアリステアは微塵も疑っていなかった。
「その聖印を渡したときのことなんですがね。――従兄上、笑い話ですよ?」
 念を押すからには面白くない話なのだろう、リーンハルトは顔を顰める。その額にアリステアは笑ってくちづけをした。
 アンドレアスがフロウライトの城に向かうことになり、側仕えとして同行するレクランは危険にさらされる。仮にフロウライトがアンドレアスを立てようとした場合、スクレイド公爵の子を生かす理由はない。また血の魔術師の襲撃を受ける可能性は依然減ってはいない。
 だがレクランには一つ有利なことがあった。彼は若年にして、熟練の神官に匹敵するほどの神聖呪文をすでに使うことができる。それはアリステアと司教のみが知る事実だった。
 だからこそ、司教が呪文の助けに、と加護を祈った聖印を授けてくれたわけだが。レクランはこれで何重にもアンドレアスに護身呪をかけることが可能になる。のみならず、敵を退けることもできるだろう。いまだ初陣前の幼弱であるレクランにそこまでのことができるとは、敵も味方も夢にも思わないはずだった。
「――とはいえ、油断はするな」
 この部屋で、アリステアはレクランにそう言ったのだった。レクランはそのときばかりは神妙な顔をして聖印を受け取る。そのまま衣服の内側の見えない場所へと首から下げた聖印をしまい込む。慎重だな、とアリステアは微笑んでいた。
「この際だ、殿下との関係を疑われようとも守護を怠るでないぞ」
 誤解を解くことならばいつでもできるが命を奪われれば取り返しがつかない。言ったアリステアにレクランは珍しく大きく笑った。
「すでに疑われておりますよ?」
「なんだと?」
「我々は父子で王家を誑かしているのだそうです」
「呆れて物が言えんな、それは」
 風聞にしても馬鹿馬鹿しいにもほどがある、アリステアはレクランの前で溜息をつく。それをまた息子が笑っていた。
「アンドレアス様を誑かしていずれ王家を乗っ取るつもり、なのだそうです。それを耳にしたときにはさすがに……」
 レクランの言いたいことがアリステアにはよくわかる。思わず天井を仰いでしまった。
「どうやって乗っ取れと言うんだ……」
 呆れて物も言えなかった。同性である以上、乗っ取りの手段としては問題があるなどというものではない、不可能ではないだろうか、それは。
「――と言うような風聞があるのだ、とレクランが教えてくれましてね」
 笑い話だろう、とアリステアがリーンハルトに笑った。それだけ、レクランは強くアンドレアス守護を誓っている、と知らせるようでもある。ほんのりとしたアリステアの笑みにリーンハルトは唇を歪めた。
「できなくはないぞ?」
「従兄上?」
「誑かされた私が愛しいお前に譲位をすればよいのだ」
「従兄上!?」
「やらんがな。それをして一番に迷惑を被るのは誰だ?」
 ふん、とリーンハルトが鼻で笑う。この場限り、二人きりだからこその戯言。アリステアとてリーンハルトが実行に移すなど微塵も疑っていない。だがしかし、言っていいことと悪いことがある。それを示すよう彼の灰色の目は険しかった。
「民が迷惑を致します、陛下」
「馬鹿。お前の迷惑だろう、可愛い私の従弟殿」
 ちゅ、と音を立ててくちづけられてもアリステアの気配が固い。リーンハルトは内心で溜息をつき、彼に向かって口が過ぎたよ、と詫びる羽目になる。
「……おわかりならばよいのです」
「そう怒るな、アリステア。私とて冗談くらいは」
「言ってはならないこと、でしたよ。いまのは。胆が冷えました」
 まだ怒っているらしいアリステアの首にリーンハルトは腕を投げかける。そのまま正面から笑みを含んで見つめれば、アリステアもそれ以上は怒ってはいられなかった。リーンハルトの不快も、わかるつもりだ、彼も。くちづけはその不快さを共有するかのよう。
 いまだこうしてスクレイド公爵家は疑われている。これほど篤い信頼をリーンハルトからもアンドレアスからも得ているというのに。否、だからこそなのだろうとアリステアは思う。父はこうして寵愛を受け、レクランは王子から信を得ている。妬ましい、羨ましいと思う貴族がいるのはある意味では当然だ。だが。その者たちがアリステアやレクランの立場に立てば何をするか。アリステアにはわかるつもりだ。
「従弟殿。何を考えている?」
「従兄上のことを」
「嘘をつけ。くちづけが上の空だったぞ」
「本当ですよ?」
「私のことを考えていたとしても、政治のことを考えていただろう」
「従兄上のことではありませんか」
 くすりと笑って唇を吸う。それに不満そうな唸り声を上げるリーンハルトをアリステアはしっかりと腕に抱いた。
 このような仕種を見せるようになったのも、事件が深まって以来のこと。リーンハルトとしては早くアリステアの緊張を解いてやりたいばかり。再びくちづけようとしたそのとき、入室を求める声。二人顔を見合わせて苦笑をかわす。
「なんの用だ、まったく。休憩中と知っているだろうに」
「そう仰せにならず。ここまで来るのですから、急用ですよ」
 わかっている、むつりと呟くリーンハルトをなだめてアリステアは入室を許した。




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