宮廷魔導師に調査をさせた例の蛇はやはり血の魔術師が使用する魔法の一種、とのことだった。それが誰、と特定できたわけではないが、ウィリア殺害の魔術師だろう。
「そう何人もいられてはたまったものではないからな」
 リーンハルトの苦い溜息。いておかしなこともないが、魔導師によると、血の魔術師は手を組むことが少ないらしい。
「なぜだ?」
「己の利のためにのみ、魔法を使用する輩ですので。手を組めば、利害がぶつかります」
 なるほど、二人は呟く。絶対にあり得ない、とは言い切れないが、考慮の外にはおいてもよいだろうと思うだけでも気が休まる。
 問題は、宮廷だった。先だっての暗殺者侵入に続いて、血の魔術師による魔法の攻撃。リーンハルトに何かがあってからでは遅い、どうか離宮に退避を、と言う声が高くなってきている。
「逃げろと言われて逃げられるか。愚か者どもめ」
「従兄上」
「ここだけの話だ。私だって苛立つことはあるのだぞ」
「それは存じておりますがね」
 苦笑するアリステアのその表情に心慰められる。それだけ苛立ちが強い。城から逃げろ、と言われて逃げ出す城主がどこにいる。貴族にそれがわからないとは言わせない。リーンハルトは国王であるけれど、この白蹄城の主であることも事実だ。
「従兄上より、問題は殿下ですよ」
「騒ぎが大きくなってきているか?」
「ですね」
 アリステアがそっと溜息を隠す。リーンハルトに言えない分はアリステアに向かっているのだろう。廊下で呼びとめられることも多くなっているアリステアだ。それとは知らずとも、負担の大きさは理解しているリーンハルトとしても、何とかしてやりたい。
「そもそも私を狙うのは、理解できる」
 王位が空けば喜ぶ連中はいくらでもいるだろう。本来その筆頭にいるはずの男はこうして傍らで助けてくれているのだが。
「私が王位を蹴ることなど自明ですけどね。その場合、誰が王冠を被るつもりなんでしょう」
「さてな。アントラルは潰した、フロウライトはそもそも王家の出身ではない」
「伯爵家ですからね、調べればどこかで繋がっていないとも限りませんが」
「その程度で正当を主張して容れられるほど、我がラクルーサの土台は柔らかくはないぞ」
「いっそ新王朝を立てる気ですかねぇ」
「その方がまだすっきりとまとまるだろうよ」
 肩をすくめたリーンハルトは、決してそれが成功するとは思わない。現在の王国の主だからではなく、そのような主義主張も曖昧な、自らが権力の座につきたいがための乱が成功したためしは古今存在しない。
「お前が一番に狙われるのも、理解できるのだが――」
 アリステアをちょい、と呼び寄せリーンハルトは軽くくちづける。執務室だというのに、侍従がいないとなればこのようなものだった。かすかな苦笑を見咎めて、けれどリーンハルトの目は笑う。
「最近は狙われているか?」
 暗殺未遂事件があって以来、アリステアはこうして王宮に詰めることがほとんどだ。だが彼はマルサド神の神官でもある。襲撃直後ならばともかく、その務めをないがしろにする気にはどうしてもなれない彼だった。
「無駄を悟っていると思いますよ」
 ゆえに、アリステアは王都の街路を馬で行く。一人か二人、随行の騎士などその程度。急ぎの道だからこそ、見通しの悪い小道を通ることも多々ある彼だった。おかげで矢を射かけられたり短剣が飛んできたりは日常茶飯事になりつつある。
「ほう?」
「グレンが数人ばかり返り討ちにした、と言ってきていますが……」
「暗殺か?」
 まさか、とアリステアは笑う。あの程度の者に自分を殺せると思われているのならばとんだ侮辱もあったものだとばかりに。若手騎士の鍛錬にちょうどいいとばかり、アリステアは何かが飛んでくると追跡捕縛を試みさせている。それが成功する程度の相手でもあった。
「現実は遥かに馬鹿らしい話なのですが、聞きますか?」
「無論だ」
「従兄上、信じられない話なのですよ。――私を誘拐するつもりだったそうです」
 こちらは王都の公爵邸に戻ったところを狙われたときのこと、とアリステアは語る。いまは公爵父子が王宮暮らしをしているものだから召使しかいない屋敷、確かに侵入の容易さで言えば宮殿よりは遥かに楽だ。
「……は?」
 きょとんと丸くなった目にアリステアは大らかな笑い声を上げた。それに何度も瞬きを繰り返すほどリーンハルトは驚いている。アリステアを誘拐、とは。殺害する方がまだしも楽だろうに。
「お前をどうやったら持って行けるのか、私にもわからんぞ、そんなもの」
「従兄上だったら一言来い、と仰ってくださればどこにでもついて参りますとも」
「それ以外の方法で、だ。眠っている間に何かをしようとしたら――」
「目が覚めますよ、当然」
「たとえば食事に眠り薬を仕込む」
「気がつかないわけがないでしょうに。私は神官ですよ、従兄上」
 ありとあらゆる手段を精査しても、アリステアを無力化する方法など、リーンハルトにも考えつかない。暴れるアリステアを強引に誘拐するなど、更に無理だ。
「……なにを考えているんだ、その馬鹿者たちは」
「誘拐し、薬でも魔法でも、私の意志を奪い取り操り人形にして王冠の台にするつもりだったそうですよ」
 頭痛をこらえてもいいだろうか、とリーンハルトは額を押さえる。己に仕える貴族たちを愚かと思いたくはないが、その程度の輩がいるのも事実だ。
「アントラルが、というかエレクトラがと言うべきか迷うが。あれらがやろうとしていたことを更に愚かに実行しようとしていた、と」
「貴族の質が下がりましたな、まったく」
 嘆かわしい、とアリステアは腕を組んで首を振る。アリステアにとっては、その程度の問題でしかなかったのだろう。実際、その侵入者にしてからアリステアは顔も見ていない。グレンが対処したのだから、腕の方は推して知るべし。
「もう少し歯ごたえのある者が来れば取り込むなり晒すなり、やりようもあるのですが。あれでは」
 どうにもならない、アリステアは首を振る。ふとリーンハルトはアリステアを見つめていた。アリステアの下にそのような侵入者があった。あまり戻ることはない公爵邸ではあるけれど、王都の屋敷に出向かざるを得ないこともある彼だ、その折のことだろうとはリーンハルトも思う。他にも、城の公爵家用の控えの間。アリステアが襲撃を受ける機会は探せば見つかる。成功の目はないにしても。
「どうしました、従兄上?」
 ふっとアリステアの目が笑う。その灰色の目にリーンハルトは彼を引き寄せ、唇を重ねた。わずかな懸念があるのだろうアリステアの硬い唇がほどけて行く。片手が背中を抱き、反対の手が髪を梳く。腕の中に抱き込まれるまでしばし。アリステアの背中を抱いてリーンハルトは小さく笑う。
「なにがおかしいんです?」
「お前は、どれほど人を切ったのかと思ってな」
「なにを、急に――」
「お前のところにそれだけの襲撃が向かっている。ならば私は?」
「なにもなかったでしょう?」
「ないことにしたのだろう?」
 リーンハルトが腕の中から見上げてきた。アリステアはただ唇で笑うだけ。肯定も否定もしない。だからこそ、リーンハルトにはこの上なく肯定。
「お前は働き過ぎだぞ」
「さすがに従兄上の下に送り込まれてくるのは、配下では対処ができませんからね」
「ほう?」
「具体例は挙げないでおきますよ」
 寝室を整える侍女が毒針を含んでいたこともあった。浴室係が肌に触れると爛れる毒を持っていたこともあった。いずれも、操られ、何があったともわからないまま動かされていた、古くからの使用人たちばかり。宮廷魔導師は血の魔術師の魔法だ、と青くなっていた。
 アリステアはそれを切っては、いない。無力化はしたが、無辜の民を傷つける気は毛頭ない。それとなく意識を奪った後、宮廷魔導師に預けただけだ。
 ――魔導師殿も忙しいな。
 魔法的侵入を許すことになって、宮廷魔導師たちは非難にさらされている。リーンハルトはよくやってくれている、と褒めているのだが、本人たちは歯軋りしていることだろう。
「なるほど……廷臣はどこまで知っている話だ、いまのは」
「知っているはずのない話、ですね。実行を命じたものを除けば」
「どちらも?」
 公爵に向かったものも国王に向かったものも。いずれも諾とアリステアはうなずく。もっとも、スクレイド公爵襲撃の件は隠しきれてはいないだろう。何らかの話が漏れている、と考えていいはずだ。
「従兄上。私が襲われてもどうと言うこともないのですよ。問題は殿下です」
「アンドレアスか……」
「殿下を静養に向かわせては、という話が上がってきていて、侍従が困っています」
 静養、と言葉は替えているけれど、つまるところはこの城から逃がせ、と言うことだ。城主としては不愉快極まりない。そもそもどこに逃げても無駄であろうとも思う。
「私の国で私に対する攻撃が行われている現状で、アンドレアスをどこに逃がせと言うのだ、まったく」
「笑いませんか、従兄上」
「努力はするが……」
「フロウライト新伯爵が是非我が家に、と言ってきています」
「……は?」
 笑う笑わないの次元ではない。なんの戯言だ、否、戯言ですらない、妄言だろうそれは。テレーザの弟が爵位を継いでフロウライト伯爵となっているが、そこにリーンハルトがアンドレアスを預けると、どうして思うのか。
「一応は、甥に当たる殿下をお守りしたい、と切に願っているようですが」
「なにを考えているのだ」
「さて。信用できないことは間違いないと、あちらも理解しているとは思うのですが」
 フロウライトを信用する愚など犯せない。だが逆に、いまこの瞬間に限っては、フロウライトは何もできない。
「仮に、何かを企んだとする。お前はどう出る」
「切ります。容赦の必要がない」
「だろう? 発覚即失脚では済まない場所にフロウライトは立っている。ならば、ある意味では保証がある」
「従兄上、その考えは危険だ」
「それは、わかっている」
 万が一の際にはアンドレアスの命が。真剣に息子を案じるアリステアに、リーンハルトは微笑む。テレーザが産んだ子、とはアリステアは思いもしないらしい。
「こういうとき、お前の心根の真っ直ぐさを私はとても愛おしく感じるよ」
「……なにを、急に。もう」
 ちゅ、と珍しく音を立てたくちづけにアリステアの耳先が染まる。実に素晴らしい光景だ、リーンハルトは満足し、真剣な顔に戻って検討を再開した。




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